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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第六幕「瓜生山 その二」
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16.「登高」〜ふたりの選択

 山頂へと続く山道の半ばを過ぎた辺りで、キィン、と耳鳴りがした。

 タクシーの運転手にも感じられたようで、一瞬ハンドル操作が乱れる。

「何だ、今の?」

 ルームミラーに移ったその顔が、不快げにしかめられていた。

 半開きにしたウィンドウ越しに、樹々のざわめきが伝わってきた。

 視線を上方に転じれば、無数の鳥が群れを成して飛び去っていくのが見えた。

 そのときだった。

「うわっ!」

 運転手の叫び声。同時に、タイヤの軋む甲高い音。

 突然のブレーキに、俺はキャビンを前後に仕切るアクリル板に頭を打ちつけてしまった。

「す、すいません。お怪我は?」

「いっつ……いや、大丈夫ですけど、何が?」

「目の前をイノシシの親子がね……」

 運転手は前方を指差した。

 そこにはもうイノシシの姿はなかったが、彼の言葉を疑おうとは思わなかった。

 みな、この山から離れようとしているのだ。

 ——間違いない、高原はここにいる。

 これ以上近づいたら運転手まで面倒事に巻き込みかねないと判断し、その場で車を止めてもらって降りた。こんな山の上に何の用だ、とは結局尋ねられることがなかった。

 狭い道でUターンしようと悪戦苦闘するタクシーを尻目に、俺は駆け出した。背後でクラクションの音があったが、振り返らず軽く手を上げて応じた。


 たどり着いた山頂に、果たして高原はいた。

 かつて規模のやや大きな山城があったという広場の真ん中に、ひとりで立っていた。

 いつもの地味な部屋着姿。

 髪の色は黒。昨日何度もあの異才を使ったらしいというのに、染め直してきたらしい。

 その表情も落ち着いたものだった。特別なものは何も感じさせなかった。

 少し安心した。どんな変貌を遂げた彼女と相対することになるのかと、怖気づいてさえいたのだ。

「高原」

 そう呼びかけ、一歩近づこうとしたところで、

「来てくれてありがとう」

 彼女はそう言い、深々とお辞儀をして見せた。

「ありがとうって、俺はお前に謝んなきゃ……」

 最後まで言葉を継ぐことはできなかった。

 高原は顔を上げて、柔らかな眼差しで俺を見つめ、それからふるふると首を振った。

「ううん、謝らなきゃいけないのはこっちだよ。わたし、嫌な女だったでしょう? 誠介くんがどんな気持ちでわたしを抱いたかなんてわからないのに、勝手に決めつけて、自分だけ傷ついたつもりになって、本当に酷いことを言っちゃった。もう、死んじゃいたいくらいに恥ずかしい」

 そんなしおらしい高原に、俺はますます深く安堵する。

 ——何だよ、少し持ち直したみたいじゃないか。これならひょっとすると、コールドスリープなんかしなくても……。

 だから、それに続く高原の言葉にギョッとなった。

「……誠介くん、わたしを殺してくれない?」

 立ちすくむ俺の目の前で、高原は足元にあった木の枝を拾い上げた。ぐねぐねと不恰好に曲がっていたその枝に光が走り、一秒の後には研ぎ澄まされた抜き身の太刀が生成されていた。

 無造作な足取りで、真剣を手にした高原が近づいてくる。

 殺されるのかと思ってしまった。それなのに俺は一歩も動けなかった。蛇に睨まれた蛙とはこのことだろうか。

「はい」

 高原が右手をこちらに伸ばす。

 手の中の太刀はいつの間にか反転していた。刀身の半ばをつまんだ彼女が、柄頭の方を俺に向けて差し出していた。

「手にとって」

 その声に導かれるように、つい柄を握ってしまう。久しぶりに手にする日本刀は、驚くほどに重たかった。人の命を奪えるという事実の持つ重み……。

「さあ、斬って」

 高原は両腕を広げて、俺の斬撃を迎えようとする。

「何言ってんだ、お前……」

 声がかすれた。

 意味がわからない。わからないが、怖ろしい。

「お願い、誠介くん。わたしは爆弾なの。もうすぐ何もかもを滅ぼしてしまう爆弾。なのに、情けないことに自殺することさえできない。わたしが死ぬのが一番いいんだって、頭では理解しているのに」

「爆弾?」

 精神の退行のことを言っているのかと思った。

 何てことだ。こいつは、自分の精神が次第に壊れていっていることを自覚しているのか。

「だ、大丈夫だよ、高原。今のお前はこんなに落ち着いてるじゃないか。まだお前の精神はもつ。それに、本当に限界になったら、一条がお前を眠らせてくれるってよ。そのためにコールドスリープの研究してるんだって……」

「コールドスリープ?」高原はまずきょとんとして、それから乾いた笑いを浮かべた。「ダメダメ、そんなんじゃ。原因はもちろんわたしの精神なんだけど、本当の爆弾はね、〈モナドの窓〉なの」

「え?」

 意表を突く告白だった。

 高原がやはり自分の精神の行く末を自覚しているというのも哀れではあった。

 どれほどの地獄を日々味わっているのだろう、自分が少しずつ自分でなくなっていくのを自覚しながら生きるというのは。

 だけど、それすら真の問題ではないという。

 高原は続けた。

「それからわたしの〈器〉もね。ありえない頻度で無茶な〈モナドの窓〉の開き方をして強くなった反動。わたしの〈モナドの窓〉にも〈器〉にもガタが来てる。〈器〉は毀れて魔力が漏れていくし、〈モナドの窓〉の方は、“窓枠”が吹っ飛んじゃいそう。本当は無自覚になんて開けていいもんじゃないのに、簡単に開いちゃう。日常的な睡眠程度なら問題なく抑え込んでいられるけど、コールドスリープなんて長期睡眠は到底無理。そして抑え込んでおく精神ももうギリギリ。あと何回か“アレ”をやっちゃったら、もうそれで“窓枠”たるわたしの魂は……」

「そうなったら、どうなるってんだ……?」

 ごくり、と生唾を嚥下しながら、俺は尋ねた。答えを聞くのが怖かった。

「〈モナドの窓〉の“窓枠”が吹っ飛んだら、二度と止まらない莫大な量の異界の混沌がわたしの〈炉〉に押し寄せる。〈炉〉だけは今でもまったく平気だから、自動的に魔力が精錬されて〈器〉に流れ込む。ガタが来てる〈器〉はひとたまりもない。わたしの体を砕いて、地球と月を消滅させるくらいの魔力が吹き出ちゃう。でもね……それで済んだらまだいい方。普通に開いた〈モナドの窓〉ならわたしが死んだら消滅するけど、“窓枠”が失われた〈モナドの窓〉が閉じるかどうかはわからない。魔法の歴史長しといえども、わたしみたいな存在はいなかったみたいだし。もしわたしの死後も〈モナドの窓〉が開かれっぱなしになったら、今度こそおしまい。物理法則を無視する異界の混沌の奔流は、この宇宙を飲み込むまで止まらない」

 呆然とする俺の視線を正面から受け止めて、高原は悲しく微笑んだ。

「だから言ったでしょ、わたしは爆弾だって。文字通りの意味で爆弾なの。それがわかってるのに、弱いわたしは自分で死ぬこともできない。だから斬って、誠介くん。せめてあなたの手で死なせて。わたしのことを好きだって言ってくれたあなたの手で……」

「そ、そんなこと言われてできるわけないだろ」

 早口にそう言いながら、膝頭が笑うのがわかった。

 高原か、宇宙か? ——いや、違う。高原を俺の手で殺すか、みんなまとめて消滅するか、だ。

 何てことだ、ここに来て今までで最大の決断を迫られるなんて。

 高原は目を伏せた。

「……無理? やっぱり無理なの? でもね、誠介くんはわたしのことを恨んでもいいんだよ。十年前のあのとき、あなたをこの世界に飛ばしたのは、たぶんわたしなんだから」

「は? だってお前、こないだの居酒屋で……」

 そんな馬鹿な、と笑い飛ばしたではないか。

「ううん、あれから考えたの。あの状況で時間跳躍の魔法が使えたのはわたししかいない。ホームズも言ってるでしょ。不可能を消去すれば、最後に何が残ろうと、どんなにありえなかろうと、それが真実だ、って。——わたしがやった。何を考えて、どんな魔法を組み立ててやったのかはわからない。無我夢中で、少なくともこんな結果を招くだなんて思ってもみなかったんだろうけど。でも、やったのはわたし。あなたの時間を、輝かしい未来を奪ったのは……。だから三鷹くん、わたしを恨んで。そして裁いて」

 高原は目を瞑って、もう一度両腕を軽く開いた。

「……ああ、そうかよ」

 俺は大上段に刀を構えた。

 冷え切った俺の声を聞いてだろう、高原は目をつむったまま小さく笑った。

 よく見れば、その体は震えていた。あの工場で、〈リーガ〉の魔術師と対峙したときのように。

 ——やっぱ死ぬのは怖いんじゃねえか。偉そうなこと言ってよ。

 俺は、

「ふんっ!」

 渾身の力を込めて思い切り刀を振り下ろした。

 地面から突き出た大きな石めがけて。

 キン、という高い音とともに、刃は石に半ばまで食い込み、そして折れた。

「あ!」

 高原は驚いて目を見開いた。

 俺は手の中に残った柄を投げ捨てた。

「馬鹿か、お前は。いや、疑問形じゃ済まない。お前は馬鹿だ。今まであんなにアニメやら漫画やら見てきて、何もわかってないのか? 何を言われたって、こんな状況ではいそうですか、と殺すような奴がいるか。もう一度言う、お前は大馬鹿だ」

 今回の決断は、迷うまでもなかった。

 恨むも何もない。高原が本当にそんな魔法を使ったのだとしても、悪いのは止められていたのにあの場にのこのこ出向いて、高原をその選択にまで追い込んだ俺だ。

 高原はほっ、と息を吐いた。

 安堵と失望が混ざったような溜息だった。

「……ですよねー。三鷹くん、こんなわたしにも優しいもんね。こんなに汚れた、こんなに危険なわたしにも」

 このままで事態が好転するわけではない。

 これからの展望は一切ない。どうやったら破滅を回避できるのか、見当もつかない。一条が何年もかけて築いてきた一縷の希望も無駄だったのかもしれない。

 それでも俺は高原に片手を差し伸べた。彼女を絶望の底からすくい上げてやりたいという、ただその一心で。

「ああ、俺は優しい男だ。……だからさ、帰ろうぜ」

 ——だが、彼女はその手をとらなかった。

 代わりに、

「〈開放(ウーヴリール)〉」

 再び両目を閉ざしてそう呟いた。

「ぐっ、うっ……?」

 俺は呻き、後ずさってしまった。

 高原の〈モナドの窓〉がさらに大きく開かれるのが感じられたのだ。

「た、高原?」

 高原はそっと目を開けた。その瞳が、青く輝いていた。

 そして……

「〈消尽(コンシュマシオン)〉」

 続くそのひと声とともに、俺の視界は青に塗りつぶされた。

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