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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第五幕「薄氷川」
88/106

15-2

(失敗したなぁ……)

 かつて高原は言っていた。嘘というのは、常に全力で、自分も信じてしまうくらいに綿密に練り上げて吐かなればいけない、そうでなければ騙す相手に対して失礼だ、と。それはきっと、隠し事をする際にも妥当することだった。

 なのに、それを貫けなかった。意識にすら上らせてはならないことだったのに、頭の片隅にはいつもあの雑念がとぐろを巻いていたのだ。

 高原のアパートを出た俺はまず、実家に電話をかけて高原からの送金を謝絶するよう言おうかと思案した。だが行方不明になって十年も経つ俺からの電話なんて、どんな混乱を引き起こすかわからなかった。それでまた高原に迷惑がかかるのはごめんだ。

 戻って高原に謝りたかった。でも部屋に戻る決心がつかなかった。長いことアパートの周りをうろうろしてみたが、十一時からバイトと言っていたにもかかわらず、高原は十一時半になっても出てこなかった。それに出てきたとして、彼女に何を言えばいい?

 正午を機に、俺は当て所なく歩き出した。この近辺の街路には詳しくないが、碁盤の目状なので自分の進んでいる方角はわかる。東だ。

 目的があって歩いていたわけではないのに、いつしか繁華街を過ぎ、薄氷(うすらい)川の岸にたどり着いていた。

 橋を東に渡って河原に下り、上流に向かう。

 十月ってこんなに暖かかったかな、と思ってしまう陽気だった。すすきの揺れる河原は十分に秋の風情だが、冬枯れの岸辺の方が今の俺の心境には合いそうだった。

 高原のところへは、もう戻るに戻れない。

 このまま上流の垂氷(たるひ)山地まで歩いて野垂れ死ぬのもいいかもな、などとバカなことを考えながら、のろのろと秋の河原をたどった。

 それでも俺の脚だと、三十分もすればミズジョの辺りにたどり着いてしまう。

 今さら母校を見る気にもなれなかった。かといってまた同じ道をたどり直すのも億劫だった。

 どこにも行きたくなかった。

 そばにあったベンチに腰かけた。

 かなりガタが来ている。あの頃はこの河原は憩いの場だったはずだ。老人や子供や学生がここに座り、川の流れを眺めながら雑談していた。それが今はどうだ。河原には人影が少なく、たまに自転車に乗った若者が通り過ぎていくばかり。

 風雨にさらされた木製ベンチは、利用する者とてないのか手入れされておらず、ささくれだった木地がズボンにちくちくと引っかかった。

 妙に疲れていた。

 考えまいとしても、思考はどうしてもさっきの一幕に落ちていく。

 ——どうしてあんなことを。

 ——どうすりゃいいんだ。

 どれくらいそうしていたのか、よくわからない。何度かうつらうつらしていたかもしれない。その度に微かな耳鳴りに目を覚まされた。携帯電話が震えた気もするが、引っ張り出す気力もなかった。

 太陽は次第に高度を落としていこうとしていた。

 微かに耳に届く笑いさざめきに、ふと我に返った。

 上流の方角から、かなりの数の人間が近づいてきている。

 ——ああ、そうか。学校が終わる時間なんだな。

 そう納得するとともに、時間の経過に驚いていた。

 何の気なしにそちらに目を向ける。

 四、五人ずつの一団となった生徒の集団が、数十人単位で近づいてくるところだった。

 街中でも見かけたが、ミズジョの制服は変更されていないようだ。

 ——俺が失ってしまった時間。

 だしぬけの郷愁に駆られた。

 帰る場所すら無いのに。

 先頭の女子生徒の集団が俺の方をチラチラ見遣りながら通り過ぎていく。

 俺も顔を俯かせながらそれを見送った。

 それに続いてゾロゾロと若者たちが俺の前を通過していった。

 その中の一人に、目が吸い寄せられた。

 金髪の女子生徒。俺が在学していた頃よりも風紀が緩んでいるのか髪を染めている生徒の比率が高かったが、一目で天然物とわかるその髪色は、他とは段違いに目立った。

 ——もみじだ。

 すぐにわかった。

 俺は視線だけを上げて観察した。 

 背はちゃんと伸び、周りの女子生徒たちに比べても遜色無い。特に脚が長い。膝丈くらいのおとなしめの長さのスカートなのに、ひとりだけ裾の高さが違って見える。

 周囲には三人の女子生徒。徒歩の彼女たちと違い、もみじはひとりだけ自転車を押していた。

 もみじがゆっくりと近づいてくる。もう、周りの生徒たちと交わす会話が聞き取れるほどだ。

「もみじって高そうなマンションに一人暮らしでしょ? お金持ちなのに、その自転車、合わないって前から思ってんだけど」

「そうそう、ぶっちゃけ似合わない。もうボロボロだし、男ものじゃん、それ?」

 もみじが笑って首を振る。

「うん、まあ、そうなんだけど。思い出の品だから捨てられなくてね」

 もみじと俺の距離が極小値をとった。

 俺はそこで強烈な思い出の波に揺さぶられた。

 もみじが押しているのは、往時の薄氷調査事務所に置いていた、俺の自転車だった。

 もみじたちの一団がゆっくりと離れていく。

 声をかけようかと思った。だが、舌が上顎に貼りついたようになって言葉が出なかった。

 何て言ったらいいのかわからないのだ。

 もみじは果たして俺を覚えているだろうか。

 覚えていたとしても、十年も行方不明になっていた俺が突然現れたら、混乱するんじゃないだろうか。

 それに……どこからどう見ても普通の高校生活を送るもみじに対する気後れもあった。

 俺みたいな時空の厄介者が、今のもみじの前に立っていいものだろうか。

 そうこうしている内に、もみじたちとの距離は十メートルを超え、さらに開いていった。

 俺はたまらなくなって立ち上がった。

「も——」

 迷いを振り払った俺が声をかけようとした瞬間、もみじがさっと自転車にまたがった。

「ごめん、用事思い出した。先に帰るわ」

「えーっ!? つき合い悪いよ、もみじー!」

 取り残された一団と、呆然と立ち尽くした俺を尻目に、もみじがペダルを踏み込んだ。

 ここで見失ったら、二度と会えないかもしれない。

 俺は駆け出した。もみじの友人たちの間をかき分けて、もみじに追いつこうと走る。突然の行動に周りから驚きの声が上がったが、かまってはいられない。

 距離はなかなか縮まらなかった。もみじはサドルから立ち上がって、さらにスピードを上げた。

 俺もそれに合わせて足を速める。

 ああ、くそっ! 成長しただけあって速えな。

 自転車を降りることなく、もみじはがしがしとペダルを踏んでスロープを上った。

 三十メートルほど引き離された俺もそれに続く。

 土手の上の道に上がり、追いかけっこはさらに続いた。

 座りっぱなしでこわばりが残っていた体も、少しずつ温まってきた。

 もみじが橋を渡る。俺がそれに続く。

 薄氷川の右岸、市役所方面へ続く道を、もみじは疾走する。

 俺は懸命に後を追った。

 大通りに出れば信号待ちで追いつく機会も来ると思っていたが、最初の交差点を渡ったもみじは左折し、直後に右折。小路に入ってしまった。

「だあッ、くそっ!」

 遅れた俺の方は信号に引っかかってしまった。しかたがないので交差点の手前を左折し、車の切れ間を見計らって道路を横断した。

 裏道に入ると、もみじとの距離は百メートル近くまで開いていた。見失わなかったのは、碁盤目状で直線の道が多い街割のおかげだろう。

 かなり息が切れてきていた。準備運動なしで急に駆け出したせいで脾臓が痛い。

 それでも俺は走った。もみじは小さな交差点でも律儀に左右確認してから渡るので、どうにかついていけた。

 走り出してから三キロも来ただろうか。

 もみじは一棟の高層マンションの前で自転車を降り、中に入っていった。

 一分近く遅れた俺が駆け込むと、そこは駐車場だった。片隅には駐輪スペース。あの自転車も駐めてあったが持ち主は見当たらない。

 辺りを見回すと、エントランスに繋がる出入り口がある。ガラス張りの扉の向こうに見えるエレベータの階数表示が数字を増していった。

 オートロックじゃありませんように、と祈りながら扉を開けようとした。

 扉は無情にも俺を拒んだ。オートロックだった。

 だけど俺は諦めない。エレベータの階数表示を注意深く睨んだ。

 もみじがひとりで乗っていることを期待していたのだが、エレベータは五階と八階と最上階の十二階の都合三度停止した。

 たとえ不審者扱いされても構うものか、と扉の脇のインターホンに飛びつく。

 まず十二階。もみじは何となく高いところに住んでそうなイメージだ。一二〇一から順番に部屋番号を押していく。

 四度の空振りを経て、次は一二〇五。

『……はい』

 インターホン越しに聞こえたその声に、俺はやっと安堵した。

 もみじの声だった。

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