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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第五幕「薄氷川」
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15.「哀楽」〜めぐりあわせ

 アパートに戻ると、高原はさっそく朝食を並べにかかった。手伝おうとしたけど、「いいよ、座ってて」とやんわり断られた。

 俺がお代わりするのを期待してのことだろう、炊飯器ごとご飯を運んできてテーブルの脇に置き、高原も座った。

「今日のバイトは十一時からにしてもらっちゃったから、少しゆっくりできるよ。ふたりで買い物にでも行こうか。誠介くんもいろいろ必要でしょ?」

 俺の分の茶碗にご飯を盛りながら、高原が楽しそうに言った。

「あ、ああ……」

 茶碗を受け取り、遠慮がちに頷く。

 相変わらずヒモそのものだが、申し出はありがたい。それに何より、この笑顔を前にすると、断るのがためらわれるのだった。

「明日は? 休み?」

「明日は牛丼とコンビニ。ひとりにしちゃって悪いけど、明後日の朝まで帰らないから、わたしのことは気にしないで夜は先に寝てて。エルちゃんのご飯はフードディスペンサーがあるから大丈夫だし。あ、ねだられてもおやつはできるだけあげないでね」

 そう言いつつ高原が自分の分のご飯もよそい、朝餉を始める準備が整った。

「いただきます」の挨拶を交わし、俺たちは箸をとった。

「なあ、高原」

 自家製らしき浅漬けをポリポリ噛み砕きながら、気になっていたことを尋ねることにした。

 ——あんな結果を招くだなんて、まったく思いもせずに。

「なぁに?」

 高原が小首を傾げる。

「お前、そんなにバイトして、何に金使ってんだ? 時給がすげー安いわけでも、ここの家賃がめちゃくちゃ高いわけでもないんだろ?」

 この部屋にはほとんど何も無い。高原は服や小物に必要以上に金をかける奴ではないし、今打ち込んでる趣味も無いようだった。猫を飼っていればそりゃいくらか余計な出費もあるだろうが、エルだってそれほど贅沢な暮らしをさせてもらっているようではなかった。ホストクラブか何かで男に貢いでる……絶対無いだろうな。

 その程度の他愛もない質問のつもりだったのだ。将来への投資——例えば、大学受験のために予備校の学費を貯めている——のような、ポジティブな回答を期待してもいた。

 高原はそっと箸を止めた。

「高原?」

 まずいことを訊いてしまったのだろうか。少し不安になる。

「食べながらでいいかな。買い物に行くんだったら、そんなに時間に余裕があるわけじゃないし」

「ん? ああ」

 俺は頷き、焼鮭と漬物でさっそく一杯目を平らげた。

「お代わりは?」

「ん」

 気まずい思いを抱えながら、茶碗を差し出す。その中にてんこ盛りのご飯をぎゅうぎゅうと詰め込んでこちらに差し出してから、高原はおもむろに口を開いた。

「三鷹孝平さん——誠介くんのお兄さん、今入院してるの知ってるかな? 魅咲(みさき)から聞いてる?」

「……ああ」

 俺は暗い声でもう一度頷く。なんであいつが出てくる。思い出したくもない。

 仏頂面で飯をかっ込んだ。

「うん、それでね……あれ、わたしのせいなの」

 箸を止めてしまった。

伽那(かな)なんて、何も知らないくせに自分のせいだなんて言ってくれてたけど、わたしが一番よくわかってる。……んとね、詳しくは言えないんだけど、ちょっといろいろあってね。弟の誠介くんには悪いんだけど、正直……死んでくれないかな、なんて思ってた。わたしはほら、少し変わり種の魔術師だから、そうやって呪っただけでひとに危害を及ぼしちゃうの」

 茶碗を置いた俺は、押し黙ったまま高原の話を聞いていた。

 内心ではそのバカげた考えに呆れ返っていた。

 一条の言葉に嘘はない。やったのは一条だ。それを知らないとはいえ、そんなことにまで責任を感じる高原はあまりにも愚かだ。哀れなほどに愚かだった。

 だがそれ以上に、この話の終着点が怖かった。そういえば聞き流してしまったけど、八木はさっき何と言っていた? ——俺の兄貴からも解放される、とか何とか言っていなかったか?

「だからね、毎月孝平さんの口座に匿名で送金してるの。入院の費用に足りるかどうかわからないけど、せめてもの償いと思って。ご両親が気づいて使ってくれているといいんだけど、わたしの名前は出しづらいのよね。証券会社っぽい名前にしておいたから、孝平さんが投資していた何かの配当とでも思ってくれないかなぁ」

 愕然とした。なんだってこいつは……。

「……いくらだ?」

 半ば睨みつけるような目つきになってしまった。

 高原は気まずそうに目を逸らし、無意味にしゃもじを片手にとった。

「……毎月十二万円。ほんとは十五万くらい送れればいいんだけれど、なかなか厳しくてね」

 そう言い、なはは、と誤魔化すように笑って頭を掻く高原に、俺はカッとなった。

「馬鹿野郎!」

 反射的に手が出た。

 まったく身構えていなかった高原にこれを避ける術はなかった。高原は打たれた頬に片手をやり、意外そうな視線をよこす。

 直前までその手の中にあったしゃもじが、音もなくベッドの上に落着した。

「せいす——」

「何考えてんだ、お前は! 悪いのは全部あのクソ兄貴だ! もっと悪いのは俺だ! なんで、なんでお前が……そんなに……ッ!」

 怒りと苛立ちのあまり、言葉が出ない。もう一発引っぱたいてやりたいくらいだった。

 だが、できなかった。

 高原の瞳から光が失せ、頬を押さえていたその手も脱力して膝の上に落ちた。

「知って……たんだ」

 高原の双眸の中で、みるみる涙が盛り上がる。

 ——しまった。

 冷静さを取り戻した俺は、とっさに返すべき言葉もなく、高原の目が潤んでいくのを呆然と見守るほかなかった。

「知ってて、わたしを抱いたんだ」

 涙は下瞼の堤をあっさり切り、頬をポロポロと伝い落ちる。

「高原……」

「わたし……こんな汚されちゃったわたしを憐れんで……それで抱いたんだ。散々弄ばれたこんな体を……」

 大急ぎで弁明する。

「違う! あの時は知らなかったんだ! それにお前は全然——」

 汚れてなんかいない——たしかに俺はそう言った。

 言った。

 言ったけど、一瞬だけ目が泳ぎ、言葉に詰まった。

 あろうことかその一瞬の間に、俺は一昨日の晩の、あの最低な雑念に襲われていたのだ。

 ――俺の腕の中で浮かべた表情を、兄貴にも見せたのだろうか。

 しかもその逡巡を完全に見透かされた。涙の溜まった目が、大きく見開かれる。

「高原、俺はお前のこと、ずっと……」

 好きだった、という薄っぺらい言葉は、今度もたぶん届かなかった。高原はテーブルに突っ伏してわっと泣き出した。

 おずおずとその肩に伸ばした俺の手を、高原は顔も上げずに払った。

 ダメだ、今は何を言っても言い訳になっちまう。

 ——ちくしょう、なんでこうなるんだよ!

「……ごちそうさま」

 まだ朝食は残っていたが、俺はそうとだけ言い残して玄関に向かった。高原の号泣が俺の後を追ってきた。

 ドアを閉めたところで、しゅぴっ、と微かな音が俺の足元から聞こえてきた。視線を落とすと、朝の散歩から帰ってきたと思しきエルがそこにいた。

 エルはもう一度、俺の脛辺りを前足で一薙ぎする。しかし、制服の丈夫な生地は、その爪をものともしなかった。

「悪い、エル」

 俺は猫相手に片膝を突いて頭を垂れた。エルが本気で飛びかかってくれば、眼球を持っていくなり頸動脈を掻き切るなりできる姿勢だった。

 だがエルは「バカにするな」と言うように一声だけ鳴くと、ドアに穿たれたペット専用の出入り口をくぐって、部屋の中に消えて行った。

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