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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第四幕「記憶の街」
81/106

13-3

 魅咲(みさき)は今度は三人分の体重を、高原の住むアパートの屋上まで念動力で運んだ。

 部屋の扉を開いた俺たちを、アビシニアンのエルヴィンが迎えた。宝玉のようなその目は、じっと魅咲の背に、そこに負われた高原の顔に向けられていた。

 魅咲がキッチンスペースの前に高原の体を横たえると、寄ってきたエルが土埃と涙と血でぐしゃぐしゃの飼い主の頬を舐めた。

「ごめんね、エルちゃん」魅咲が猫に向かって頭を下げる。「あなたの飼い主にまたこんな……」

 エルは魅咲の顔を見上げて小さく鳴き、ペット専用のドアから外に出ていった。

「お前が高原の部屋に来たことがあるってのは……」

「うん、こんなとき。この前は三か月くらい前かな。詩都香(しずか)は覚えてないだろうけど。空から来てるから、道順よくわかんなかった」

 魅咲は高原のかたわらにかがみ込んだ。

 どうして言ってくれなかったんだ、と責める気にはなれなかった。軽々しく話していいことではないし、それに、

「あんたが帰ってきたことで、詩都香にどんな影響が起こるかわかんなかった。いい方向に転がってくれれば、と思ってたんだけど……」

 高原がまたこんなことをしでかすかどうか、魅咲にも予測が立っていなかったのだ。

 いなくなっても戻ってきても、俺はとんだ疫病神だな。

 そんな鬱屈とした俺の想いは、もうひとりの、この場にいない高原の親友に向かった。

「……一条は何やってんだ」

 一般人の俺でも感じられたほどの巨大な〈モナドの窓〉だ。九郎ヶ岳の向こうの一条だって感じられなかったはずがない。すぐに駆けつけてくると思っていたのに。

「忙しいんだよ、たぶん」

 魅咲は、高原の血色の失われた頬にそっと片手を当てる。

 その返答は俺の反感を煽った。

「忙しい? 仕事でか? 取締役ともなると大変なんだろうな」

「そんな言い方……」

「親友の高原がこんなに苦しんでるのに。まったく、よほどご立派なお仕事なんだろうよ」

 バカな、子供じみたことを言っているのはわかっている。自分の言葉がめぐりめぐって自分に返ってくることもよくわかっている。

 だけど……だけどよ。こんなとき、魅咲がそうしたみたいに真っ先に駆けつけてやるのが友達ってもんじゃないのかよ。

 それに、もともと高原が〈リーガ〉との後に退けない戦いに身を投じたのは、一条のためじゃなかったのかよ。

 どうして来てやらないんだよ、一条……!

伽那(かな)のこと、少し話しとくね」

 顔を上げることなく、魅咲がポツリと言った。

 俺は無言で続きを促した。

「伽那もあれからずいぶん変わったよ。あんなに勉強嫌いだったあの子が、誰よりも努力するようになった。二年生からの成績はずっと学年トップ。この間は言わなかったけど、進学した先は東大」

「え?」

 場違いな話題だったが、その意外さに打たれた。

「すごく、すごく努力した。はたから見ていて痛々しいくらいに。ユキさんが言うには、一日四時間と寝てなかったって。伽那はそんな様子、誰にも見せなかったけどね。だから友達といるときなんかは、あんたも知ってるあのぼけっとした伽那のまま。でも、成績はぐんぐん伸びた。

 あたしや詩都香が守ってくれている自分が、こんなんじゃダメだ、って。詩都香が自分の代わりに戦っているんだから、もっと価値のある生活を送らなきゃ申し訳が立たない、って。……あの子もバカだよ。詩都香に負けないくらいの大バカ。あたしや詩都香が守ろうとしていたのは、そんなことじゃなかったのに。おかげで、詩都香がいなくなって気の抜けたあたしはずいぶん差をつけられちゃったな。誰かに勝ちたいってだけで頑張ってると、その人がいなくなったときに脆いもんだわ」

 そうか。この前魅咲が言っていた「ライバル」ってのは、高原のことだったんだな。

「変? あたしが詩都香を一方的にライバル視してたなんて。でもね、さっきも言ったでしょ? 詩都香を尊敬してもいたって。何かひとつくらい勝ちたかった。反則じみた力なんかじゃなくって。……今から考えると若気の至りってヤツだね」

 魅咲はそこでしばし口を閉ざした。

「それで?」

 じれた俺が口を挟むと、「いや、そこは『今でも若いよ』って言いなさいよ」だと。まだ根に持っているらしい。

「そういうのいいから」

 力が抜けた。一条に対する憤懣もいくらか抜けた気がする。

「ん、続きはちょっと待ってね。詩都香を寝かせる前に体洗ってあげなきゃ」

 魅咲はそう言って立ち上がるとリビングに向かい、高原の替えの衣類を探し出して戻ってきた。

 俺は入れ違いにリビングに追い払われた。

「そっから絶対に出てこないでよ」

 襟元のボタンに片手をやりながら、魅咲が扉を閉ざした。


 痛む体を引きずって、窮屈なソファに身を横たえる。

 シャワーの水音が漏れ聞こえてくる。

 魅咲が高原の体を洗ってやってんのか、などと意識すると、こんな状況なのに変な気分になってしまうのは、男の悲しい(さが)だろうか。

 ——一条が東大ねえ。

 俺は一条へと思考を向かわせることにした。

 あの一条が、誰よりも——魅咲が言うのだから、並大抵のものじゃないのだろう——努力をして、学年首席を通した。

 それ自体は喜ばしいことだ。魅咲だって高原だって、一条の奮起を促していた。

 だけどこんな形は、ふたりが、そしてそもそも一条本人が望んだものだったのだろうか。

「……くそっ」

 ほら見ろ。やっぱり自分に返ってきた。これも俺の行動の結果なのだ。

 でも——ひとしきり自分を責めた後、俺の疑問はまたそこに回帰した——でも、一条はなんで来ないんだよ。

 シャワーが止んだ。しかしその後も長い時間、バスルームの扉が開く気配はなかった。

 それでもやがてゴソゴソという衣擦れの音があり、高原を支えた魅咲がリビングの扉を開いた。高原の左手首に巻かれた白い包帯が、無性に憐れみを誘った。

「お待たせ」

 魅咲は湿った髪を下ろしていた。レアな髪型だ。

 パジャマに着替えさせた高原を、魅咲がベッドに横たえて布団をかけてやった。そうしてから、ローテーブルを少し移動させて、ソファに横たわる俺と向かい合う形で座ったが、

「痛むの?」

 身を起こそうとしない俺を気遣って、せっかく落ち着けた腰を浮かせる。

「痛む……けど、今さらだな。いいよ、これくらい。昔師匠に痛めつけられたときに比べりゃ何てことない」

 魅咲は首を傾げた。

「うちのお父さん、そんな怪我させるような稽古したっけ?」

「お前がいないときの話だよ。どうでもいい。続きを話してくれ」

 もう十一時近かった。魅咲は明日も仕事のはずだ。

「……そう。んとね、伽那のことだけど。伽那はね、学校の勉強だけ頑張ったわけじゃないよ。ほら、あんたも知ってるでしょ? 実家の方から小難しそうな実学の専門書が送られてきてたって。あれもみんな読んで、早く次の本を送るよう催促するほどだった。大学に入ってからは、あんなに遠ざけていた一条グループの人たちとも積極的に交わって、人脈を広げた。伽那ってば、あれで結構人の心を掴むの上手でしょ? グループ内外で、政治家や官僚やメディアも含めた一大派閥を作りそうな勢いだったわ。政財界に君臨するつもりなのかと思った。

 でもね、一度無理がたたって入院したことがあるんだけど、その後になってあたしに打ち明けてくれたの。高校の頃はともかく、今の目的はたったひとつだって」

「目的?」

「詩都香を、あの頃の詩都香を取り戻すこと」

「高原を……」

 取り戻す? でも、どうやって?

「大学を優秀な成績で卒業してから、伽那はふたつだけわがままを聞いてもらった。ひとつは琉斗(りゅうと)との結婚。こっちの方は大学時代から付き合ってるのが知られてたからそんなに反対されなかったけど、もうひとつはやっぱり大変だったみたい。

 もうひとつはね、この京舞原に会社を作って、そこの経営を任せてもらうこと。それも、本社からの資金援助はふんだんに、っていう条件付き。本業は医療関係みたいで、そっちの方は十分業績を挙げてる。最初の一年くらいそうやって実家に自分の手腕を示した後で、伽那は本来の目的に着手した。研究部門を作って、世界中から優秀な研究者や……魔術師を招いて研究を進めてる。詩都香の精神を回復させるための研究を。--喉渇いちゃった」

 魅咲は言葉を切って立ち上がった。勝手知ったる何とやら、冷蔵庫内のミネラルウォーターのボトルとふたつのグラスを持って戻ってくる。

「あんたも飲むでしょ?」

 そう言って、俺の返事を待たずにグラスに水を注ぐ。

 たしかに喉が渇いていたので、俺も苦吟しながら身を起こし、グラスを受け取った。

 乾杯の音頭はかからなかった。

「それでね」魅咲はグラスの水を一息に干してから続けた。「残念だけど、そっちの方はまだまだ時間がかかるみたい。たぶん数十年単位。こんな症例、他にないしね。スタッフが何度も代替わりするのを見越して続けられる、息の長いプロジェクト」

「ダメ、なのか……」

 口の中の傷が痛むためちびりちびりと水を飲みながら、俺は肩を落とした。そこまでやってもダメなのか。

「たぶんね。それじゃ間に合わない。詩都香の精神はもってあと十年。それまで成果を出せそうにはないって。でもさ、伽那はそれでも諦めてないよ。並行してもうひとつ研究を続けてる。——コールドスリープってヤツ」

「コールドスリープ? SFとかでよくあるみたいな?」

「そう。詩都香を冷凍して眠らせるの。肉体を眠らせておけば、精神の退行にも歯止めがかかるんじゃないかって期待して。こっちはね、いくつかの技術的問題をクリアできれば、近い内に実用化できるかもって。というか、問題は目覚めさせる際のことに集中してるから、見切り発車で今すぐにでも可能だって。なにせ相当な数の人員と莫大なお金を使ってるからね。本業の儲けのかなりの部分と本社からの資金をつぎ込んで。もちろん実家からも難色を示されてるみたいなんだけど、伽那はひいお祖父さん——一条家のドンに事情を話したみたい。あ、ひいお祖父さん、まだ生きてんのよ、すごいよね。……ま、一条家じゃないと無理だわ、こんな計画は」

 見切り発車というのは怖いが、でも、それであの高原を取り戻せるのであれば。

 ……賭けてみる価値はあるかもしれない。

「本当はもっともっと時間をかけて選択肢の幅を広げようと思ってたんだけど、あんたもわかったでしょう? もうもたない。詩都香の自さ……自傷行為はそう頻繁なわけじゃないけど、少しずつ増えてる。そこにあんたが帰ってきた。もう、たぶん……」

「高原が戻る可能性はあるのか?」

「わかんない。もうひとつの方の研究の成果がちゃんと出ればいいんだけど。でも、選択肢は多くない。伽那のところでコールドスリープを施してもらうか、それとも詩都香の精神が自壊するまでそっとしておいてあげるか、それとも……あまり考えたくないけど、詩都香という爆弾が爆発する前に、あたしたちが手にかけてやるか。どっちにしろあんたは詩都香とはお別れだね。コールドスリープしたら、何十年かあるいは何百年か目を覚ませることができないかもしれない」

 どれを選んでも、近い内に高原とは会えなくなるってわけか。辛い決断だが、それなら高原が生き残る可能性が一番高いものにしよう。少なくとも俺はそうする。

 それに……正直に言おう、俺は高原のことが少し怖くなっていた。

 たかが俺なんかのために、人生の全部を捨てて何年もひとりで戦い、今その後悔で自殺を企ててる女。

 もっと率直に言うと、俺は重荷に感じつつあった。

 明日からどんな顔をして高原と同じ部屋で過ごしていいのかわからなかった。

「俺なら……コールドスリープを選ぶよ。高原を説得しなきゃいけないって言うんなら、俺がやってやる。お前らも高原と別れるのは辛いかもしれないけど、やっぱり高原がこのままじゃダメだと思う」

 だから俺のそんな言葉にいくらか利己的な心理が混入していたことは否定できないが、でもやはりこれが最善に思えた。

 しかし、魅咲はきょとんとした。

「へ? いや、あたしは詩都香とお別れじゃないよ?」

 あれ? さっき百年単位で時間がかかるとか言ってなかったっけ?

「あんた、あたしが魔術師だってすぐに忘れるんだから。あたしは生き残れるかもしれない。二、三百年くらいなら。伽那もね」

 それなら、高原一人を時空に置き去りにすることにはならない。俺は高原には会えなくなるかもしれないけど、だいぶ救われる手段じゃないのか?

「もちろん、詩都香を眠らせるのが今の段階で採りうる最善の手段だってわかってる。それでも、あたしたちには踏ん切りがなかなかつかないの。もうさ、誠介、あんたが決めてくれないかな。あたしたちの代わりに」

 俺はぽかんとしてしまった。魅咲が決断をためらうなんて思ってもみなかったのだ。

「なんで? 俺はまだこっちに来て日が浅いし、お前らの方がよっぽど事情に明るいだろ」

 魅咲は目を逸らした。

「……こんな重大なことをあんたに決めさせるなんて、ひどいことだと思う。でもあたしが知ってる事情はこれでぜ、全部話した……つもり」

 その口ぶりに違和感を覚えた。こいつはまだ、何か隠してるのだろうか。

「——それにさ」魅咲は急いで付け加えた「自分のことが絡むと、判断が曇るかもしれないし」

「自分のこと?」

「わかんない? 例えば――例えばだからね? あたしが好きな人できて、結婚して、子供を生んで……なんてことになったら」

「好きな人いるのか!?」

 驚いて声を上げてしまい、魅咲に睨まれた。

「だーかーらー! 例えばだって念入れたじゃないの! 例えばそんなことになったら、詩都香の目覚めを待たずに家族と一緒の時間を生きたいっていう気持ちに勝てるかどうか、いまいち自信ない。長い長い時間だよ? ひょっとしたら永遠に目覚めないかもしれない詩都香を待たなきゃいけない。詩都香と出会ってからの十五年間なんて、忘れちゃうかも」

 魅咲はそう言って視線を落とした。

 ……バッカじゃなかろうか。

「何言ってんだ、お前? お前がそんなに簡単に高原のこと忘れるわけねーだろうが」

「誠介にはわかんないでしょ、そんなこと。あたしがどんな奴かなんて、さ」

 少しだけ恨みがましい目つきをする魅咲。

「いーや、わかるね。お前、小学校以来五年も会ってなかったのに、高校の入学式の日に一発で俺だってわかったんじゃん。いつも騒がしくて軽率な奴みたいに振る舞ってるけど、お前が本当は情の深い女だってこと、俺はちゃんと知ってる」

 今の魅咲にだから言えることだ。高校時代にはとても言えなかった。

「何言ってんの、バカ」

 魅咲は顔をぷいっ、と背けた。

 ——ああ、だけど、そうか。俺にとっては一番マシに思えるコールドスリープという手段も、魅咲たちにとってはそう単純ではないわけか。

 目覚めるかどうかもわからない親友を、何十年も、もしかすると何百年も待たなければいけないのだ。

 そしてたぶん、魅咲も一条も……待つ。間違いなく待つ。俺の選択次第で、魅咲たちをそこまで追い詰める。

「少し、考える時間をくれ。俺もやっぱり何が一番いいのか、わからなくなってきた」

 魅咲は頷いた。

「……ん。焦らなくてもいいからね」

 そしてまた、あの微笑を浮かべてくれた。


 ——こんな希望しかすがるものがないだなんて。

 レストランで魅咲が言ったとおりだ。

 俺たちは高原を少しずつ変えてやらなきゃいけなかったんだ。

 まっすぐな、見当違いな方向にまっすぐなその性格を、軌道修正してやらなきゃいけなかったんだ。

 どうして気づかせてやることができなかったんだろう。保奈美との出来事の際に思い知ったのに。

 他人の痛みを引き受けようとする高原は立派だ。それに文句はつけられない。

 だけど、お前が傷つくことで周りも傷つくことだってあるんだ、って。

 その痛みを隠そうとしたところで隠しきれるほどお前は強くないんだ、って。

 どうして気づかせてやることができなかったんだろう。

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