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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第四幕「記憶の街」
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13-2

 思わず顔をしかめて頭を押さえた。

 耳鳴りはすぐに収まったが、狭まった視界の隅で、魅咲(みさき)が慌てた様子でこちらに走ってくるのが一瞬だけ見えた。

 その意図を察知して、俺も急いで「開」のボタンを押したが、エレベーターの上昇は止まらなかった。

 ボタンを全部押した。

 二階でエレベーターが止まったとき、扉の向こうには魅咲がすでに到着していた。

「どうし——」

「ちょっと来て! あんたも感じたでしょ! 詩都香(しずか)が〈モナドの窓〉を開いた!」

 質問を全部言わせてもらえなかった。

 魅咲は俺の襟首を引っ掴むと、通路から飛び出した。

 空中へ。

「おわっ!」

 一瞬の浮遊感。

 そしてまた別の浮遊感。

 気づけば俺は魅咲といっしょに空を飛んでいた。

「なっ!? これ——」

「念動力で飛んでんの!」

 アパートの屋根がみるみる遠ざかる。

「お前、〈モナドの窓〉開いてないじゃん!」

〈モナドの窓〉を開いた魔術師に俺が触れると、魔力を吸収してしまうはずだ。その感覚が今はない。

 魅咲は一瞬だけ妙な顔をした。

「なんでわかるの、あんた……?」

 しかし、飛行速度は緩まない。それどころかますますスピードが上がった。

「どこに行くんだよ!」

瓜生山(うりゅうやま)! 詩都香があそこにいる!」

「は? 瓜生山? こっから何キロ離れてると――」

「あんた、詩都香がどれ程ヤバい存在になったと思ってんの? 説明したでしょ? たった一人で〈リーガ〉を滅ぼす奴だって」

 空震がここまで届くくらいの巨大な〈モナドの窓〉? それがどれほどのものなのか、俺には判断がつかない。

 俺の前で開いたときには、かなり絞っていたわけだな。

『詩都香、詩都香! すぐ行くから、もう少しだけ堪えて!』

 握った手を介して、魅咲の思念が伝わってきた。

 高原の応答はあるのだろうか、と気になった俺は、右手でポケットを探ってあのイヤリングを探そうとした。

 それを気配で察したのか、魅咲が俺を制止する。

「だめ。それは使わない方がいい。ていうか、まだ持ってたんだ、それ」

「なんで?」

「今の詩都香の精神感応(テレパシー)波はとんでもない。あんたみたいな常人がキャッチしようとしたら、精神を吹き飛ばされちゃう」

 ほら、と魅咲は下を指差す。

 家々の窓に、次々と灯が点った。

「みんな違和感を感じてる。この辺の弱小魔術師や異能者が、興味本位で“チャンネル”を合わせようとしなきゃいいんだけど……ちょっと飛ばすよ」

 魅咲はそう断って、急加速する。今までだって自動車並みのスピードだったが、今度は弾丸のようだ。

「うわわわっ!」

 体が軋んだ。だが、それ以上の体調の変化はない。意識を失ってもおかしくないと思うんだが。

「防御障壁を張って、中に念動力で与圧してる。同じくあんたの体にも圧力かけてるから、ブラックアウトは軽減される。少しの間だから我慢して」

 不思議に思う俺に、魅咲が解説してくれた。ずいぶん手際がいいな、と感心した。こんなフライトを想定していたのだろうか。


 間もなく到着した瓜生山の頂上は、奇妙な青い光に照らされていた。

 魅咲の言ったとおり、その真ん中に高原がいた。

 ひどい様子だった。

「あっ! がっ! ぎいいいいひぃぃぃぃッ!」

 髪を青く発光させた高原は、普段とは似ても似つかない濁った声を上げてのたうち回っていた。

 俺とともに降り立った魅咲が、その場に駆け寄って助け起こしてやる。

「詩都香! 詩都香! しっかり!」

「こんなっ! こんなことなら! どうしてわたし……っ!」

「大丈夫! 大丈夫だから! ただ帰ってきただけだよ! それでいいじゃない。詩都香が悪いことしたわけじゃないの!」

 魅咲が必死に声をかけるが、高原には届かない。

 俺はどうすることもできず立ち尽くすほかなかった。

 錯乱する高原というのは、それほどショッキングな光景だった。

 いったい高原はどうしたというんだ。どうやって落ち着かせてやればいいんだ。

「だって! だって! だってわたしは……!」

 高原は土まみれの髪を振り乱して魅咲に詰め寄った。その弾みに、ぴっ、と何かの滴が飛び、近くにいた俺の頬を濡らした。

 高原の涙——俺はそれを拭う気にもならなかった。

 高原が魅咲の両肩を掴む。

「わたしはっ! わたしは、何もかもっ! なのに!!」

「たったひとつ残ってた、それじゃダメなの!?」

「だって、それじゃあんまり! あまりにも今さらじゃない! ——ねえっ! そこのあなたも! わたしはどうしたら……!」

 その必死の問いかけにぎょっとなった。

 高原は俺を俺と認識していない。夜とはいえ、高原自身が放つ光で、光量不足ということはないはずなのに。

 この分だと、あるいは魅咲のことすらも。

「あー、もう!」俺にはついていけない言葉の遣り取りに、先に我慢の限界を迎えたのは魅咲だった。「誠介、あたしのせいじゃないからね。――ふんっ!」

 どむっ、と鈍い音がした。それとともに高原の絶叫が止み、静かになった。

 魅咲が当て身を食らわせたのだ。

「はあ〜……」

 大きく息を吐いた魅咲が、気を失った高原の体を横たえた。先ほどの乱闘などよりよほど疲れた様子だった。

 魅咲はバッグから小さなライトを取り出し、高原の体を照らした。

「……準備がいいんだな」

「ま、ね」

 高原の体も顔も土まみれだった。気絶とともに髪の光は失せていたが、その色は透き通るような青のまま。黒の染料は消し飛んでしまったらしい。

「高原はいったい……」

 どうしちまったんだ、と俺が尋ねる前に、光の輪の中に浮かび上がった衝撃的なものが目に入った。

 高原の、血まみれの左手首。

 全身が凍りついた。

 震える指先を、自分の頬にやる。

 ぬるりとした感触があった。

 ……涙じゃない。

 俺はその場にしゃがみ込んだ。とても立っていられなかった。

「……バカ詩都香。またこんなことして」ライトを持つ魅咲が、忌々しげに吐き捨てた。「あんたも見たでしょ? これがこの女の正体。何もかも自分で捨てて、それで後悔はないって平気な顔しといて……。でも本当は何ひとつ捨てたくなかった。それで、無様に、惨めに、未練タラタラで生きてるの。——ううん、せめて、無様でもなんでもいいから、生きてくれれば……」

「初めてじゃないのか?」

 口の中がカラカラに乾いていて、声がかすれた。

「……うん」

 魅咲は小さく、しかしはっきりと頷いた。

 地面が消失したかに思えた。それほどの失望だった。

 高原がこんなに、こんなに弱い奴だったなんて。

「大きな原因はもちろん退行しつつある精神だと思う。自分の衝動が抑えられなくなってる。でももうひとつは、やっぱりこの子自身の弱さ。あんたが帰ってきたことくらいで、また……」

「俺が帰ってきたこと?」

 なんでだよ。俺が帰ってきたことが高原にとってはそんなに辛いことだったってのか? 日記じゃ喜んでくれてたみたいだけど。

 魅咲が高原を抱き起こした。

「誤解しないで。あんたが帰ってきたことを、詩都香は誰にも負けないくらい喜んでる。でも……わかるでしょ? 誠介が死んだことが、詩都香にとってはすべての原因だった。そして詩都香は何もかも捨てて戦った。そこに誠介が帰ってきちゃった」

「ああ……」

 俺は膝を突いた姿勢のまま空を仰いだ。

 いつか高原と飛んだときと同じく、貧弱な星空だった。

 ——俺が生きて帰ってきたこと。それは高原にとっては、自分の捨てたものが全部ムダだったということになるのか。

 魅咲が高原を背負い、俺に向けて手を差し出した。

「帰るよ」

 俺は動けなかった。体の痛みさえ忘れていた。

 そんな俺を強引に立たせ、魅咲は再び飛翔した。

 空中で何を考えていたのか、そもそも何か考えていたのか、それすら俺は覚えていない。



 ——後に俺は知ることになる。

 このとき俺も魅咲も、やっぱりまだ高原をあなどっていたのだ。

 高原はたしかに弱い奴だ。

 だけどこんなことだけで命を絶とうとするほど弱くはなかった。

 俺も魅咲も、高原をあなどっていたのだ。

 その心を蝕む絶望の深さを。

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