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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第一幕「瓜生山」
8/106

2-4

「ありがと」

 ペットボトルを受け取った高原は、ようやく泣き止んでいた。ポケットから取り出したハンカチを鼻に当てている。ブラウスの襟元も赤く染まっていた。これはもう二度と着られそうにない。

「そんなになるまで痛めつけられてやる必要あったのか?」

 俺はまだぐずつく高原を見下ろして問う。もう少し早く俺を呼んでもよかったはずだ。

「あの子、すごく真剣に向かってくるから……。ほんとに三鷹くんのこと好きなんだな、って思って……」

 高原は鼻血のために籠もりがちな声でそう言ってから、鞄から取り出したもう一枚のハンカチにペットボトルの水を染み込ませ、ぎゅっと絞って額に当てた。傷口に沁みたのか、その顔が歪む。

「ほんと、バカだな、お前は」

 思わずぽつりと漏らしてしまった。その独り言はしっかり聞きとられていた。

「……だって、わたしはひどいことしてるんだもん。これくらい、当然じゃない」

 ずずっ、と鼻をすすってから、高原はポケットティッシュを取り出した。中身を全部引き出し、空っぽのフィルムの中に血染めのハンカチを丸めて突っこむ。どうやら鼻血を吸いきれなくなったらしい。

「おい、大丈夫なのか? 鼻折れたりしてないか? 病院行くか?」

 お前の顔の形が変わったら、俺は泣くぞ。

「ふぁいふょーふ、ほれへはひはいひはい」と鼻にティッシュを当てた高原が答えた。「ほれより、はふぁんはらふぉーひはひへふれはい?」

 ――大丈夫、折れてはいないみたい。それより、鞄からポーチ出してくれない?

 なんとか聞き取った俺が、あらかじめ預かっていた高原の鞄から言われたものを取り出して開封すると、中には脱脂綿やら絆創膏やら消毒薬やらが詰め込まれていた。

 少し呆れた。こいつにとって、これくらいの怪我は想定の範囲内だったらしい。見ればさらに、止血用のゴムバンドや包帯まである。半透明のケースには小ぶりなピンセットと、湾曲したこれまた小さな針、そして細い透明な糸が入っていた。

 ひょっとしてあれか? 大きな切り傷を負ったら自分で縫うつもりだったのか?

「時間かかりそうだから、先に帰ってくれていいよ」

 鏡を取り出し、もう一度大きく鼻をすすってからつれないことを言う高原。俺はその手から消毒薬の小瓶をひったくった。

「そういうわけにもいかないだろ。ちょっと待ってろ」

「……ですよねー。三鷹くん、こんなわたしにも優しいもんね」

 高原はこの日初めて笑顔を浮かべた。ようやく鼻血は止まったようだ。

 俺はミネラルウォーターで手を洗ってから、ピンセットでちぎった脱脂綿に消毒薬を振りかけた。

「あ、ちょっと待ってね。その水、顔にかけてくれない? 土とかついてるから」

 俺を制止した高原が、天を仰いで目を瞑った。無防備な白い喉の艶めかしさに不覚にもドキッとしてしまう。傷口を水で洗うのはあまりよくないと聞いたことがあったが、照れを誤魔化すように、その顔にボトル二本分の水をばしゃばしゃと勢いよく注いだ。

「ありがとう。んじゃ、お願いしようかな」

 軽く頭を振って水滴を散らしてから、再び顔を上げて目を閉じる高原。負傷にさえ目をつぶれば、恋人の口づけを待つポーズのようにも見える。そして、いつの間にか点灯していた照明を頼りにそんな想い人の手当てをしてやるのは、手元が不確かになるほど怖くて、かすかな物音にもすくみ上るほど背徳感があって、それでいて魂が震えるほど蠱惑的な行為だった。

「……もういいぞ」

 一通りの手当てを終えた俺がそう言うと、高原はゆっくりと目を開けた。

「武道やってたっていうからこういうの得意かと思ったけど、案外下手なんだ。ちょっと痛かったよ」

 高原は憎まれ口を叩き、わざとらしく顔をしかめてみせた。いや、俺の手つきがたどたどしかったのは、半分お前の責任だよ。

 ……いつもの調子までもう一歩だな。俺は後押ししてやることにした。

「高原」

「ん? 何?」

「水色」

「は?」

 怪訝そうな高原に、もう一撃。

「……透けブラ」

 高原が自分の胸元に視線を落とした。さっきたっぷりとかけた水のせいで白のブラウスが透け、下着の色がこれ以上ないくらいに自己主張していた。高原は無言のまま立ち上がってさっと左手でその箇所を覆った。

「お前も一応ブラ着けてはいるん――」

 最後まで言わせてはもらえなかった。高原は、さっきの保奈美とのケンカでも使わなかった拳を振るった。

「あてっ」

「いだっ!」

 俺の左頬の衝撃は大したことなかった。ま、鍛えてますし。代わりに、殴った高原の方が痛そうに呻いて右手をぷらぷらさせた。

「なにあんた、なんて固い顔してんのよ。殴ったこっちの拳の方が痛いなんて、獅子座(レオ)のアイオリアか」

 うん、いつもの高原だ。俺は片手を差し伸べた。

「悪い悪い。……んじゃ、帰ろうぜ、高原」

「――ったく、調子いいんだから。ちょっと、こっち見ないでよ?」

 俺が気を遣ったのが伝わったと見え、彼女はその手をおずおずととった。

 高原の読みによれば今晩は大丈夫とのことだったが、大事をとって家の前まで送り届けてやった。それに、こんな状態の高原を一人で帰らせるわけにはいかない。

「ありがとう、三鷹くん。それから……ごめんね。こんなこと、もう終わりにするから」

 家の玄関先で、高原は別れ際にそう言って頭を下げた。その表情は、べたべたと貼りつけられた絆創膏やらガーゼやらでうかがい知れなかった。

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