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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第四幕「記憶の街」
78/106

12-4

 暗がりからにじみ出るように、金髪だの鼻ピアスだのスキンヘッドだの、いかにもな人相の男どもが姿を現した。見えてるだけで六人。どいつもこいつも、下卑た笑みを浮かべている。

「なあ、兄ちゃん。有り金とその女置いてどっか行ってくれない? 死にたくないだろ?」

 一人がそう言うと、周りからへっへっへっと頭の悪そうな笑いが上がった。

 なんつーテンプレ通りの台詞。十年前にも見られなかったアナクロニズムの残党だ。

「あのー、魅咲さん。この方たちとはお知り合いでしょうか?」

 振り向いた俺の前で、魅咲がへなへなと座り込んだ。なんか動きが固かったけど。

「やだ、怖い。誠介、助けて」

 などと、いつもなら絶対に言いそうにない台詞のおまけつきだ。なんか棒読みっぽかったけど。

 ……まあ、理解はした。どうやら魅咲にその気はないようだ。

「わかったよ。下がってろ」

 上着を脱いで、魅咲の方に放り投げた。高原の金で買ったのに、いきなりダメにするわけにはいかない。

 悪党ども(面倒くさいし、もう“悪党”でいいだろ)が、つかの間キョトンとした。そのうちの一人、モヒカン頭が理解が及ばなかった、というような表情を浮かべたまま口を開いた。

「バカか、お前? こっちにゃ何人いると――」

 そいつに最後まで言わせたりしなかった。踏み出して二歩目でトップスピードに乗り、鼻面に渾身のストレートを突き刺してやった。モヒカン頭は気持ちいいくらいに吹っ飛び、仲間二人を巻き添えにして転倒した。

「見えてる限りではあと五人か? 次死にたい奴、前に出ろ」

 密かに言ってみたかったんだよな、この台詞。

「野郎! やっちまえ!」

 立ってる奴らが前から一人、後ろから三人、一斉に突っこんできた

 挟み撃ちを避けるため、前に出る。正面から打ちかかってきた眉ピアスの拳を捕まえ、本人の勢いを利用して、人体の構造上絶対に逆らえない形で後方に投げてやった。

「どひゃっ!?」

 情けない声を上げながら、眉ピアス野郎は二回宙返りした後に路面に叩きつけられた。

 後ろの奴らのうち二人は足元に飛んできた仲間の体に足を引っ掛けてたたらを踏んだが、残る一人は跳び蹴りの姿勢で空中にあった。

(ちぇ、投げのキレがよすぎたか)

 本当は眉ピアスをこいつにぶつけるつもりだったのだが。視界の隅で相手の動きを捉えながら、すでに俺は体を旋回させ始めていた。

 相手の進行方向に対して肩の軸がほぼ平行になった時点で、背中を足がかすめていく。そこで、十分に乗った遠心力を込めて腕を振りぬいた。交差の刹那に空中で裏拳を叩きつけられたそいつは、落書きだらけのブロック塀へと頭からダイブした。

 あと三人。ここに来て、強気だった悪党どもの顔に初めて戸惑いの色が浮かんだ。勢いをくじかれた後ろの二人がまごついている間に前に出て、先ほど動かなかった一人を叩きのめしてやった。

 背後の二人を振り返る。

「や、野郎!」

 二人のうち、黒々と日焼けしたサーファー風の男が、懐に手をやった。

 すわナイフかスタンガンか、銃器だけは勘弁してくれよ――俺は軽く身構えた。

 しかし、サーファーが取り出したのはまったく予想外の物品、小さなホイッスルだった。

 ぴりりりり、と鳴る甲高い音色に応じて、そこかしこからさらに十数人の悪党どもが駆けつけてきた。内一人は二メートル級の巨漢だ。

 あっと言う間に囲まれた。しかも、先ほどと違い、血気にはやって突っこんでくる奴もいない。じりじりと間合いを詰められる。

「よっしゃ、やっちまえ!」

 誰かの声がかかった。悲しいかな、俺は魔術師ではない。世紀末にふさわしい拳法の伝承者でもない。ただの元通い弟子だ。

 こうなってはもはや、多少の力の差なんて関係なかった。ぼこぼこに殴られながら後退すると、背中が塀に突き当たった。

「ぐっ……」

 口の中から出血。琉斗から殴られたときの奥歯の傷が開いたようだ。さらに厄介なことに、右目の上が急速に腫れ上がって視界をふさぎ出した。頭のてっぺんからこめかみを伝って流れ落ちてきた血が、あごの辺りで口内からのそれに合流する。

 ぬるっとしたその液体を手の甲でぬぐいながら、横に目を向ける。

 魅咲はいつの間にやら、俺と同じく塀を背にして立っていた。腕を軽く組みながら、こちらにじーっと視線を投げかけている。

 ――ったく、わかってるよ。

 正面から突っかかってきた二人の鼻面に一発ずつお見舞いしてやった。鼻血を吹いて昏倒しかかるそいつらの体を押しのけて、さらに四人が距離を詰めてくる。ほぼ同時と見えた四発の攻撃の時間差を見極め、かろうじてさばき切った。

 が、両脇の死角からの攻撃には対処できなかった。左からの木刀の一撃に頭を打たれ、泳いだ顔を右の奴のフックが正面から薙いでいき、後頭部をブロック塀に打ちつけられた。みしっ、と嫌な音がした。

 これで勝負ありだった。意識をかろうじて繋ぎ止めはしたものの、もはや指一本自由にならず、俺は路面に倒れ伏した。

 真っ赤に染まる視界の片隅で、魅咲がようやく塀から背を離した。俺から預かった上着を畳み、塀にそっとかける。

「はぁ。ま、こんなもんか」

 倒れ込んだ俺に殺到しようとする悪党どもの前に、魅咲が立ちふさがった。

(悪い、ここまでだ)

 そう言おうとしたが、猛烈な吐き気に襲われて、とても声にならなかった。魅咲は頭を巡らせて、そんな俺に一瞥をくれた。

 一方、俺を仕留めたことで悪党どもの意気は昂ぶっているようだった。

「どいてろよ、姉ちゃん」

「そいつに止めを刺してから、じっくりたっぷり可愛がってやるからよ」

 ひひひひ、と舌なめずり。

 俺も同じような笑い声を心の中で上げていた。

(ひひひひ――お前ら……知らねーぞ?)

 魅咲の戦い方には、技術も何もあったもんじゃない。いや、本当はあるのかもしれないけど、少なくとも俺にはわからない。あるのは前進勝利のみ、みたいな?

「ふっ」

 いやらしい笑いを顔に浮かべて胸に手を伸ばしてきた悪党の顔めがけて、軽い呼気とともに掌底。

 ぐわん、と傾いだそいつの頭が、後ろに控えていた奴の顔面にぶち当たり、さらにその頭が後ろの奴に頭突き。玉突きのように一撃で三人がばたばたと倒れた。

 次は俺にフックを食らわせた奴。右後方のそいつに、距離を測ることもなく裏拳。近くにいた奴を一人巻き添えに、塀に叩きつける。

「おいおい嬢ちゃん。オイタが――!」

 今度は木刀。後頭部めがけて左斜めから斬りつけてきたそれを、あろうことか魅咲は左手の指二本で受け止め、あまつさえ手首のスナップだけでへし折った。

「へ……?」

 頭にクエスチョンマークを浮かべる間もなく、強烈なアッパーを顎にもらったそいつは、塀を飛び越えてその裏に落ちた。

 ここに来て、悪党どもの顔色が変わった。だが、脅威を感じつつも、五体満足の魅咲を嬲りものにしたいという気持ちも働くのだろう、一斉に攻撃を仕掛ける気配もなく、じりじりと後退する。

「あのさぁ」魅咲が体の前にかかったポニーテールを掻き上げた。「あたしの誠介を散々痛めつけてくれたんだから、覚悟はできてるよね? 面倒だし、全員で来てくれる?」

 さすがにこの挑発には黙っていられなかったのだろう、

「やれ!」

 後ろに控えていたリーダーと思しき巨漢が声を上げた。それを合図に、有象無象どもが明確な殺意を持って一斉に飛びかかる。

 魅咲は回し蹴りの一振りで第一陣を吹き散らし、無言のまま後続の顎に正確無比の一撃を入れていった。両の拳の動きは、俺にもまったく捉えられない。

 三秒で立っている奴らは半分になり、五秒目には四分の一に減っていた。残りの内の三人が、伺いを立てるように巨漢の顔色を仰ぐ。

 後に退けなくなったそいつは、大ぶりのナイフを取り出した。

「へへ……あまり調子のんなよ? 死にかけの女を犯すのだって一興だからな」

 いかにも悪党らしいくだらないことを言う。今の立ち回りでわかれよ、刃物が通じる相手かね。

 その頃には俺もようやく立ち上がれるようになっていたが、この分では加勢は必要じゃなさそうだ。

 と、そこで魅咲が口を開いた。

「あたしもさあ、詩都香が命を懸けてもたらしてくれたこの世界に、あんたらみたいのがいるのが、ほんとは我慢できないんだよね。詩都香がやってきたことを最低のやり方で否定されてるみたいでさ。今までは面倒だから見逃してたけど、これからは定期的に駆除しよっかな」

 それは、半分がた俺に向けた言葉だったのだと思う。

巨漢はそれに耳を貸すことなく、すり足で間合いを詰めようとしていた。対する魅咲は構えもしない。今にもケータイをいじり出すんじゃないかってくらい、普通の終業後のOL顔だ。

 と思ったら場違いな着メロが辺りに鳴り響き、魅咲は本当にケータイを取り出した。

「あ、もしもし、ミワちゃん? どした?」

 一瞬呆気にとられた巨漢だが、これを好機と見て、右手のとは別に左手にいつの間にか持っていたナイフを投擲。

「魅咲!」

 これには俺も肝を冷やして叫んでいた。

 ……が、当の魅咲はまったく動じず、ケータイでナイフの腹を跳ね上げ、空中でくるくる回るそれを片手でキャッチした。

「ごめん、ちょっと聞こえなかった。えっ、合コン?」

 しかもそのナイフの刃を手に取るや、片手の指三本で二つに折り曲げながら、再び電話を耳に当てて通話を続ける。

 あんぐりと口を開ける巨漢に、少しばかり同情してしまった。

「あー、お昼休みに言ったでしょ。今ちょっと――え? やだ、そんなんじゃないって」

 魅咲が電話で話す間、巨漢も残りの三人も、動くことができないでいた。楽しそうに話す魅咲の手の中で、ナイフがぺきっと折れた。

「んじゃ、また明日。バイバーイ。――あー、お待たせ」

 ようやく通話を終えた魅咲が、ここに至ってやっとぐっと拳を固めた構えをとった。次の瞬間破れかぶれ気味にナイフを構えて突っこんできた巨漢を、派手なローリングソバットで打ちのめす。魅咲の優に三倍はウェイトがあるはずのそいつも、その一撃で白目を剥いて昏倒した。

 ……握り拳、意味ねーじゃん。

「ば、化物……!」

 誰かのかすれ声と共に、残った三人が、蜘蛛の子を散らすように路地の奥に逃げ出す。しかし、遅れて駆け出した魅咲が瞬時に追い抜き、通せんぼ。

「こんな美人捕まえて、何を失礼な」

 魅咲は息さえ乱していない。ぽきぽきっ、と指が鳴った。

 暗い路地裏に、三重奏で悲鳴が響いた。


「あー、悪い。結局助けられちまった」

 魅咲が放ってよこした上着に腕を通しながら、俺は軽く頭を下げた。つーか、どう考えても魅咲が誘発した乱闘だったけどな。

 魅咲はそんな俺の様子をぼんやりと見守っていたが、やがてつかつかと距離を詰めると、左腕を振り上げ、そのまま、俺の頭めがけて拳を繰り出してきた。

「え? おい……ッ!」

 かわせたのは僥倖と言わざるをえない。いや、魅咲が手加減したのだろう。それでも、的を外した魅咲の突きは、俺が背にしていたブロック塀を粉砕した。自分の血の気がサッと引く音を確かに聞いた。

「な、なにす――」

 俺の抗議は最後まで言わせてもらえなかった。ぐっと襟首をつかまれ、息が詰まった。

「あんた、その程度の腕で、あんときいったい何しに来たの? 言ったはずだよね、足手まといだって」

 魅咲の顔がぐっと近づく。こちらを見上げるその目が爛々と燃えていた。興奮のせいか、涙までにじんでいる。

 言葉に詰まった俺は視線を逸らした。言い訳のしようもないのだ。

 魅咲が溜息と共に手を離す。無様に尻餅をついた俺から顔をそむけて、小さく口を開いた。

「あたしだって……」

 その声は少しの間途絶えたあと、次第に湿り気を増していった。

「あんたが消えちゃったことで傷ついたのは、詩都香だけじゃないんだよ。あたしだって……」

 いからせていた肩がすとんと落ちる。修羅を食らう羅刹のごとく暴れ回った先ほどの姿は、もうどこにもなかった。魅咲はしゃくり上げながらその場にへたり込んだ。

「詩都香のバカ……自分だけ……傷つ……みた……に……」

 とぎれとぎれの声は、やがて完全な嗚咽に変わった。ふらふらと立ち上がった俺は、どうにもできずにいた。

 それにしても俺って奴は、こっちに来てから女を泣かせてばかりだな。

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