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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第三幕「BAR ブリキの太鼓」
71/106

11-4

「悪い、マスター。これで足りなかったら、請求書回して」

 めちゃくちゃにしてしまった店の設備の弁償のため、琉斗(りゅうと)が懐から取り出した高額紙幣の束を握らせた。――って、二十枚や三十枚じゃきかないんじゃないのか?

 素早く計算を巡らせたマスターは、にこにこと笑って琉斗の背をたたいた。

「久しぶりだな、りゅうくんがこんなに暴れるのは」

 次いで、俺の方を見る。

「兄さん強いねえ。うちの用心棒なんてどうだい?」

 冗談とも本気ともつかなかった。曖昧に笑って頷き、琉斗と連れだって歩き出す。

 肩を貸してやろうと思ったが、琉斗はそれを断り、自分の足で歩き出した。

 目的地はわからない。

「お前、こうなることを予想してたのか?」

 いくら一企業の重役でも、さっき取り出した金額は、普段から持ち歩くには多すぎる。

「ひょっとしたら、ってくらいですよ。俺自身、自分がどれくらい思いつめているのかよくわからなくて、果たして姉のことでキレることができるのか、半信半疑でしたから。あ、もちろんあんな大立ち回りになるとは思ってませんでしたよ。……でも、三鷹さんが今の俺よりずっと強くてよかったです。俺もこの十年、かなり鍛えたんだけどなぁ」

「どゆこと?」

「俺だったら姉を助けられた――なんてことを考えずにすみます」

 ふーっ、と俺は深い溜息を吐いた。挑発されてカッとなった自分がバカみたいじゃないか。

「ところで――」

 横を歩く琉斗が立ち止った。

「さっき殴らせてもらったので恨みは晴らしたわけですが、もうひとつだけ、ついでに恨み言を聞いてもらえませんか?」

「……あ、ああ。いいけど」

 今度はなんだろう――そうひそかに身構えた俺の予想をはるかに越えた言葉を、琉斗は口にした。

「おね……あね――もうお姉ちゃんでいいや。お姉ちゃん、初めてじゃなかったでしょ? いや、すいません。もう知ってるんで」

「う、ああ……まあな。――でも二十五歳の女性なら珍しいことでもないんじゃないか?」

 実際はちょっとショックだったけどな。ていうか、なぜみんな知ってるんだ?

「そこで恨み言なわけで。……お姉ちゃんね、レイプされたんですよ。……三鷹さんのお兄さんに」

「……は?」

 この日一番の衝撃だった。


 俺たちは近くの喫茶店に場所を移した。

 一目で乱闘の後とわかる酔客二人だったが、好奇の目を向けてくる者は少なかった。暴力沙汰なんて、日常茶飯事なのだろうか。

 薄々とは感じていたが、どうやらこの街の治安は酷く悪化しているようだ。

 思考がフリーズするなんて、比喩表現だと思っていた。でも、琉斗の言葉を聞いた俺は、生まれて初めてそれを体験していた。

「はは、冗談だろ……?」

 あの兄貴にそんな度胸があるわけない。そもそも高原が抵抗したらどんな男だって……。

 ――そう思い、一笑に付そうとした。

 だがこちらの勝手な期待を裏切り、椅子に座った琉斗は至極真面目な顔で語りだした。

「実際のところ、双方同意の上だったって言えなくもないし、レイプかどうかは怪しいですけど。三鷹さんが消えた事件、不発弾が爆発したことになったって聞いてます? ――そう、それで、お姉ちゃんは退院した後、三鷹さんの実家に謝罪しに行ったみたいなんですよ。不発弾を見に行こうって言い出したのは自分だ、って名乗り出て。悪いのは自分だって思い込んでね。それで、ご家族に激怒されたみたいです。

 なんで知ってるかって? さっき話しましたけど、お姉ちゃんの部屋を荒らした時に、隠してあった日記帳を見つけちゃって。魔法とかなんとか、またバカなこと書いてるな、ってその時はせせら笑いながら読んでたんですけど、その箇所だけなんか生々しかったんですよね。

 結局三鷹さんのご両親には許してもらったみたいです。うちの息子も軽率だったって。でも、お兄さんは……」

 琉斗はそこで声を詰まらせた。

 状況はどうにか飲み込めた。

 身内の恥を晒すのも気が引けるが、兄はコンプレックスの塊のような男だった。

 少なくとも俺よりも優秀だし、格別不細工だというわけではない。ただし人を見下す癖があり、しかもそれが露骨に相手に伝わるのだ。

 それだけならまだいい。さらにねじくれているのは、常に相手を見下しておかないと自分を保てないというその弱さだ。そしてその弱さの方も隠すことができていない。

 兄と相対していると憐憫の情を掻き立てられるし、それによって兄はますます自分を高く見せようとする。

 俺が知る限り女性との縁なんて何一つなかった。そのくせ性欲だけは一丁前で、都内の大学に入ってからも、女から相手にされないことにかなり鬱憤を溜めていた。くだらないプライドを保つために、周りはビッチばかりだ、自分の相手が務まる女なんてあの大学にはいない、なんてことを憚ることなく公言するような奴だった。

 俺はそんな兄を嫌い抜いていたし、向こうも俺と顔を合わせようとはしなかった。

 そんな男の前に、高原みたいなのがやって来たらどうなるか。

 俺が言うのもなんだけど、たぶん高原は兄の好みのどストライクでもあるはずだ。可憐と清純を絵に描いたような見た目。男なんて相手にしないというような凛としたオーラ。そして女子高生という、もはや兄にとっては接点のなくなったはずの身分。

 そんな少女が、大きな負い目を抱えながら現れたのだ。あいつが放っておくわけがない。

 あいつが汚ねぇモノで高原を……?

 それも、よりによって俺を口実にして?

「知ってますか、孝平さん、今入院してるのを?」

「……ああ、魅咲(みさき)から聞いてる」

 今の今まで忘れていた。

「精神病棟です。謝っておくべきでしょうね。あれ、伽那(かな)がやったんですよ」

 驚きはあったが、納得もできた。

「……よくやった、と言うべきなのかな」

 琉斗が一条にその話を打ち明けた時、俺の兄と高原の関係はもうずいぶん長く続いていたらしい。

 一条は激昂した。……あの一条がだぜ?

 そしてそのまま兄貴の住む都内のアパートに飛んでいき、魔法で精神を焼き切ったのだそうだ。

「その時抱えていたありったけの憎しみを叩きつけてやった、って戻ってきた伽那は興奮気味に語りました。今も幻覚に怯え、病院で治療を受けていますが、孝平さんの精神が元に戻ることはないでしょうね」

 複雑な心境だった。嫌っていたし、高原に対して許されないことをしたとはいえ、哀れな末路だった。

「でもね」琉斗は続けた。「次の日から、今度は伽那の方が参っちゃって。許されないことをしてしまった、って後悔して寝込んじゃいました。人を呪わば穴二つ、ってんでしょうね、こういうの。その内伽那まで神経症にかかっちゃいました。それまで俺の知ってた一条伽那は、いつもにこにこ笑っていて、そうでない時は本気で泣く、内に溜め込むなんてのとは無縁の女の子でしたから、面食らいました。伽那のこと好きだったけど、まだまだ全部を知ってるわけじゃないんだなぁ、って」

「一条が部屋から出てこないのは……」

 琉斗はぷらぷらと手を振った。

「いや、それはとっくに完治しました。罪悪感は抱えてるかもしれませんが、もう大丈夫みたいです――って、三鷹さん?」

 体が勝手に動いた。俺は席を立ち、琉斗の前で土下座していた。

 琉斗は狼狽して俺を立たせようとした。

 俺は抵抗した。

「やめてくださいよ、三鷹さん。さっきは恨み言だなんて言ったけど、三鷹さんを責めるためにこんなこと話したんじゃないんです。ただ、お姉ちゃんとこの先も暮らすんだったら、知っておいてほしかっただけで」

 羽交い絞めにされて、むりやり立ち上がらされた。周囲の視線が集まってきた。

「琉斗、俺を殴れ。殴ってくれ」

「さっき殴らせてもらったじゃないですか。それでいいでしょ」

「俺の気がすまないだろうが!」

「俺に殴られたら気が済むんですか!」

「済むわけねーだろ!」

「だったら殴らなくてもいっしょでしょう!」

 悔しいが正論だった。琉斗に殴られることで少しでも罪悪感を晴らそうとしてどうする。

「ほら、座って」

 抵抗をやめた俺を、琉斗は席に座らせた。

「どうしたらいいんだろう……」

 ぽつりとこぼしてしまった俺の呟きには反応せず、琉斗が口を開いた。

「三鷹さん、お姉ちゃんに対して申し訳なく思ってるわけですよね? 軽率な行動をとったことで」

「……今は高原にだけじゃない。一条にも、お前にも申し訳なく思ってる」

「だったら聞かせてくれませんか? あの時、どうしてあの場所に行ったのか」

「いやだ、ってわけにはいかないんだろうな……」

 琉斗は微笑んだ。

「別に強制はしませんよ? 話したくなければ結構です」

 くそ、こいつは確かに有能な経営者になってやがる。俺に拒否権がないのを知った上で、あくまでも自主的に喋らせる気だ。

「わかったよ。言っておくけど、全然大した理由でもないし、お前が納得できる答えかどうか保証はできないぞ」

「もったいぶらないでくださいよ」

「もったいぶってるんじゃないんだ。たださ、お前にはちょっと話しにくいんだよな。俺と高原の仲を応援してくれていたお前には」

 こうして俺はその理由を話し始めた。五年分の話だったが、言葉にすると思ったより短く済んだ。

 琉斗が複雑な顔でコーヒーの残りを呷ってから、俺たちは同時に立ち上がり、レジに向かった。

「会計は俺が持つよ」

 琉斗の手から伝票をひったくろうとしたが、かわされた。

「いいですよ。それにそれ、お姉ちゃんのお金でしょ?」

 ちょっとグサッと来た。早く俺もこっちでの活計(たずき)の道を探さないとな。

 店を出て駅前通りに出てから、琉斗はタクシーを止めた。

「最後にひとつ、いや、ふたつだけ」別れ際に琉斗は言った。「お姉ちゃんは孝平さんとのこと、誰にも知られていないと思ってるはずですんで、絶対に本人には言わないでくださいね。昔ほど鋭くないけど、態度とかに出してもバレるかもしれませんので。それから俺と伽那のことはもういいです。三鷹さんを裁く資格がある人間がいるとしたら、それはあの時のことで一番傷ついた人間ですよ」


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