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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第一幕「瓜生山」
7/106

2-3

「今井保奈美さんですね」

 市役所からほど近い私立風見高校。その校門の前で出待ちしていた高原が、保奈美の前に立ちふさがる。顔見知りでない人間に声をかけるのは高原にとって大きな負担のはずなのだが、演技の仮面をかぶって無難にこなしていた。

 それにしても、保奈美は意外と遅くまで残ってるんだな。おかげで高原は一時間くらい立ちっぱなしで待つはめになった。男子生徒が高原に声をかける度に、よっぽど飛び出そうかと思った。おおかた、「誰か待ってるの? 呼んできてあげようか?」といったところだろう。

 保奈美が学校に残っていたのが、俺からの連絡を期待してのことだったら、いささか心が痛む。

「……そだけど。あんたは? ……ああ、こないだのセースケのストーカーね」

「すとっ――!」高原が一瞬だけ気色ばんだ。「……あなたに何と言われようと結構です。ちょっとお話がありますので、よろしいでしょうか」

 とだけ言い置いて、相手の返答も待たずに先に立って歩き出す。高原のご面相とあの眼光を前にして、平静でいられる人間は少ない。言うことを聞く筋合いではないはずなのに、保奈美も従順にその後についていった。

 ……さて。一本入った路地から様子を窺っていた俺は、三分ほど時間を置いてから、二人とは違う遠回りのルートを辿った。

 目的地は知らされている。ここから最短で徒歩五分ほど。市役所から見て北東の薄氷川の川原だ。中心街からは近いが、整備が遅れているので、意外と人の姿は少ない。

『三鷹くん、場所わかってる? タイミング間違わないでね』

 イヤリングを介して、同じメッセージが五度繰り返された。聞いてるってば。――しかし、こちらからそう返信する手段はないのである。

 河川敷に辿り着き、橋げたの陰に身を隠しながら眺めると、二人はまさに泥沼の修羅場を演じていた。

「このっ、泥棒猫!」

 真っ赤に腫れ上がった頬をした高原が、同じく真っ赤な保奈美の頬を張る。つーか、「泥棒猫」なんて台詞、リアルでは初めて聞いたぞ。お前の言語センスどうにかならないのかよ。

「うっさい! あんたなんかにセースケを渡すもんか!」

 保奈美が高原の頬を張り返した。保奈美は百七十の長身だ。春先の身体測定の際、魅咲に向かって「あと二センチで大台!」とはしゃいでいた高原とは、十センチ以上の差がある。バチーン、と痛そうな音がここまで聞こえてきた。それでも高原は負けずにもう一度右手を振る。

 両者ともに意地になり、さらに二、三度ビンタの応酬を続けた後、先に耐えきれなくなったのか、保奈美が高原の腹を蹴った。高原はうずくまりかけたが、

「……んのぉッ!」

 踏みとどまって、こちらはまた平手を振るう。顎先をかすめられた保奈美がのけぞる。

 ……ていうか、高原さん? かなりマジになってやしませんか?

「とどかないってんだよ、チビ!」

 保奈美が今度は高原の太ももの辺りを蹴った。かくん、とその脚が崩れかけた。それでもやはり高原は膝を突くことなく持ちこたえ、今度は保奈美の胸を両手で突いた。しかしそれは、ほとんど効果を上げてはいなかった。対する保奈美のターンは右の拳だった。頬にそれを食らった高原が、ついにもんどりうって倒れる。

「ふんっ、何だよ。口ほどにもない」

 そう言って胸を張る保奈美の前で、高原がのろのろと立ち上がった。そこへ歩み寄った保奈美があの綺麗な長い髪を引っ掴み、ぐるぐると自分の周りを引きずり回した。

「痛ッ! 痛いってば! 放してっ!」

 高原は悲鳴を上げる。しかし髪を掴まれていては抵抗する術もなく、そのまま地面に引き倒された。保奈美の手から十数本の髪の毛が舞った。高原は土まみれでうずくまる。

 保奈美が高原の背を二回ほどストンピング。高原は体を丸めてこれに耐えようとしたが、今度は浮いた腹の方をすくい上げる形で何度も蹴られ、えづいた。保奈美はまた髪を掴んでその上体を引き起こした。そして、無防備な顔に正面から膝を入れた。高原の両の鼻孔から血が噴き出した。

「少しくらい美人だからって調子乗んな!」

 顔をかばった両手は二発目で弾かれた。三発目の膝蹴りをまともに受けて、高原は真後ろに倒れた。またずいぶんな数の髪の毛が抜けた。

 高原の声はまだかからない。だが、これ以上見ちゃいられない。

 俺はこの壮絶なキャットファイトの現場に駆け出した。興奮した保奈美は高原の体に馬乗りになって胸や顔を殴っていた。その体を無理やり引き離す。

「やめろ、保奈美いっ! 何やってんだ!」

 保奈美は俺の顔を認めて凍りついた。

「セースケ……? なんでここに?」

 俺は呆然とする保奈美を数秒間睨みつけてから背後を振り返った。高原は声こそ上げなかったが、仰向けの体勢のまま顔を手で覆ってぼろぼろと泣いていた。

「おい、詩都香(しずか)。大丈夫か? 立てるか?」

 高原の右手をとり、肩を貸して起こしてやる。その体勢のまま、吐き捨てるように言った。

「信じたくねえ、お前がこんなことする奴だったなんて」

 ――最低、だな。胸がきりきりと痛んだ。

「……待って! 待ってよ、セースケぇ!」

 高原と一緒に歩き出した俺の背に向かい、保奈美は裏返った声を上げた。

「違うの! これは違うのっ! ねえ、信じて!」

 ほとんどしゃくり上げるように叫ぶ保奈美だったが、その脚は一歩も動かなかった。いや、動けなかった、と言う方が正しいか。

 俺が高原を抱えるようにしながら土手を上る頃には、保奈美は完全に号泣していた。


「もういいぞ、高原。保奈美はついてきてない」

 十分ほど歩いてから、俺は左脇の高原にそう告げた。心の内を反映して、少し刺々しい声色になっていたかもしれない。いずれにせよ、もう演技はおしまいだ。

 だが、高原は泣き止まなかった。俯いたまま、漏れ出る声を噛み殺そうとしては失敗していた。

「高原……?」

 少々心配になる。俺は高原を引きずり、近くに見えた児童公園に向かった。

 公園内のベンチに座らせて正面に回ると、高原の顔は酷いありさまだった。両頬ともに腫れ上がり、鼻の頭は真っ黒。鼻孔からのどろっとした出血はまだまだ止まる気配がない。髪はぼさぼさ。至る所に出血を伴う擦り傷があり、左瞼の上も腫れつつあった。俺を一目惚れさせた端整な顔立ちが台無しだった。

 さすがに慌てた。

「い、痛むのか……?」

「こっ……、こ、このっ……くらい、へいきっ……」

 高原は嗚咽の合間にそう絞り出した。強がり半分、といったところか。俺は「ちょっと待ってろ」と声をかけて、ついさきほど前を通りすぎたばかりのコンビニへとゆっくり歩いた。

 川原で殴り合いって、あいつの頭の中は八十年代辺りで止まっているんじゃないだろうかと危惧していたが、きっちり計画通りに事を運ぶ辺りはさすがである。

 あれがどこまで演技だったのかは知るすべもないが、高原が保奈美を挑発して掴み合いに引きずり込み、劣勢になったところで俺が割って入るというのは、事前の打ち合わせ通りではあった。そのタイミングは、高原が俺にテレパシーで告げる手はずだったのだが……。

 俺はコンビニでペットボトルのミネラルウォーターを三本買い、またゆっくりと公園のベンチに戻った。

 水を買うのにわざと十分近く費やした。独りで残してくるのは不安だったが、高原には気持ちを落ち着けるための時間が必要だと思われた。

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