11.「別の袖に」〜悩める男たち
ない知恵を絞って考えてみたものの、自力でもみじのその後を知る手段は思いつかなかった。
魅咲と相談しようと公衆電話を探して電話をかけたが、あいにく出なかった。昼休みの時間は過ぎていたし、仕事中なのだろう。
焦燥ばかりが募る。俺は乱暴に受話器を置いた。
——焦ってもしかたがない。もみじの身に何が起ころうとも、それはもう済んだ話なのだ。
理屈ではそう理解している。だけどやっぱり、なかなかそうは割り切れないものだ。
小銭を収めた財布をポケットにしまおうとして、手が何かに触れた。
引っ張り出したそれは、カフェで会った二人組、諸橋と八木の名刺だった。
こいつらなら知っているのだろうか。
もみじに仕事を回していた機関とは、こいつらの所属先なのではないだろうか。そういえば彼らは〈夜の種〉の監視も業務だと言っていた。
名刺にはそれぞれの携帯電話の番号も記されていた。
気が進まなかったが、この際他に方法も思いつかない。電話をかけてみることにした。
プッシュしたのは八木の番号だった。諸橋の方が丁寧に教えてくれそうだったが、八木には何か引っかかりを覚えていた。
その正体を見極めることができぬ内に通話が繋がった。
『はい、もしもし?』
公衆電話からだったからだろう、八木の声には不審の音が混じっていた。
「あ、もしもし。わたくし、先ほどお会いした三鷹と申しますが」
『——ああ、三鷹くんか。どうかしたか?』
「つかぬことを伺いますが、薄氷もみじという子をご存知ですか?」
八木が一瞬押し黙った。
「もしもし?」
『……いや、懐かしい名前だ。——そうか。資料で読んだ。君はたしかもみじの助手をやっていたんだな』
「あ」
もみじ、と親しく呼ぶ八木の口ぶりに、俺の頭の中でもやっと情報同士が繋がった。
八木——それはたしか、俺の前にもみじの助手を務めていたという人物の名前だ。
この男がそうなのか。
『ああ、たしかに私は薄氷もみじという名を知っている。我々の監視対象だからな。それで、何が聞きたい?』
助手をしていたのに、ずいぶんと役人然とした言い方をする男だった。
「……もみじの、その後が知りたいんです。今何をしているか」
『ほう』八木は意表を突かれたようだった。『十年前のバイト先のことに今さら興味があるのか? 君にはもっと大事なことがあると思うのだが』
反発を感じた。
「あなたたちには十年前でも、俺にとっては昨日のことも同然なので」
『相手は人間ではない。〈夜の種〉だぞ?』
揶揄する風ではなかった。八木は本当に俺の心情が理解できないようだ。
——もみじめ。何が「いい奴だった」だ。八木はお前のことを、いい給料をくれる雇い主としか思ってなかったみたいだぞ。俺なんかのことを気に入ってみたり、お前って人を見る目が無いよな。
しかし、ここで腹を立てては何もかも台無しだ。電話の向こうの八木には伝わらないのを知りつつ、相当の努力を払って作り笑いを浮かべた。
「実際クラシックなもんでしてね、俺って奴は」
『……? まあいい。君が興味があるというなら教えてやろう。ただし、条件がある』
「条件? あ、高原の説得ですか?」
『いや。我々も君が今日明日で高原さんを説得できるとは思っていない。そっちはただ少しずつやってくれればいい。条件というのは、高原さんに今日我々に会ったことを話さないで欲しい、ということだ』
「どうして?」
『我々はまだ高原さんの信頼を博しているとは言えないものでね。我々と接触していたことが早々に知れたら、君の言葉も信用を失うかもしれない。——ファーストコンタクトが失敗だったよ。室長のお嬢さんなんだから、もっと道理を弁えてると思ったものだが』
そういう態度だから高原に不信感を抱かれるのだ、と思ったが口にはしなかった。
「さっき会ったときにそう言わなかったのはなんでです?」
『我々がそう頼んだとして、君は聞き入れたか? 君が我々のことをあまり快く思っていないことくらいはわかる』
「魅咲や一条にもそうやって根回ししたんですか?」
『相川さんと一条さんか。もちろん接触はしたよ。相川さんにはけんもほろろの扱いだった。一条さんには……おっと、しゃべりすぎか。それで、どうだ? この条件は飲めるか?』
「……わかりました。高原には言いません」
もともと言うつもりではなかったのだ。
『よし、じゃあ十分ほどしたらまた電話をかけて欲しい。何せ担当部局が違うものだから、もみじのその後のことは把握していない。その間に調べておく。こちらからかけたいところだが、君は連絡先を持ってないようだしな』
「わかりました」
俺はひとつ頷いて受話器を置いた。
永遠にも思える時間を腕時計とにらめっこしながらやり過ごし、きっかり十分後に再度電話をかけた。
『薄氷もみじは無事だ。あれから二度住所を変え、意外なことだが今は休業している。どこで何をしているか聞いたら君もきっと驚くだろう。ただし教えてやってもいいが、これ以上は〈夜の種〉ではなく、戸籍を持ったれっきとした日本国民としての薄氷もみじのプライベートな情報になる。高くつくぞ?』
挨拶もそこそこにそう語った八木に伝わらぬよう受話器を遠ざけながら、俺は深々と息を吐いた。
「……いいえ、結構です。無事が確認できればそれで」
この男が高くつくと言うからには、まず間違いなく今度こそ高原の説得を確約させられる。
『そうか。面白い話なのだがな。では、くれぐれも高原さんの信頼を損ねないようにな』
八木はそう言って通話を切った。
もみじは無事だ。その事実に、俺はへたり込みそうになるくらい安堵した。
何をしてるのかもわかった。休業して……高校に通っているのだ。
——なんだよ、あいつ、もみじの“夢”を語ってもらってないんじゃないか。
口元が綻びそうになる。知らぬ間に八木に対して対抗意識を抱いていたのかもしれない。
満足を得た俺は、残りの数時間をつぶすために、図書館にでも行くことにした。
「お久しぶりです、三鷹さん」
――騙された、と思った。
日もとっぷり暮れた後、昼間以上の人出と活気に呑まれそうにながら待ち合わせ場所の後勺町に向かえば、そこに佇んでいたのは高原琉斗だった。
俺より少し高いくらいにまで背が伸び、顔立ちには昔の面影も残っているが、どこかしら渋みが加わっている。仕事帰りなのだろう、派手ではないが仕立てのいいぱりっとしたスーツを着こなし、すっかりヤングエグゼクティブの風格だ。
「……あーそうか。お前、“一条琉斗”になってんだよな」
「ええ、そうなんですよ。去年から」
くそっ。魅咲め、俺の勘違いをあえて訂正しなかったんだな。
「一条(妻)の方は?」
「伽那ですか? 伽那は今日は来られなくて」
少し感心した。俺が知る琉斗は「一条先輩」と呼んでいた。やっぱり夫婦になると違うってことか。
「仕事が忙しいのか?」
「本当ならそのはずなんですけど……。すみません、三鷹さん。伽那は今自室に籠っちゃってるんですよ」
魅咲からオシドリ夫婦と聞いていただけに、これにはちょっと驚いた。
「喧嘩でもした?」
「そういうわけじゃないんですけど、理由は言えないみたいで。食事の差し入れ以外は誰とも顔を合わせようとしないんですよ。大量の横文字の本とにらめっこして、何かに没頭してます」
「……一条のキャラじゃないだろ、そういうの。昔の高原みたいだ」
「ははっ、そうですね。姉はいつもそうでした。あの姉はほーんと、ひとつのことに没頭すると、周りが見えなくなるんだから」
「もう“お姉ちゃん”って呼ぶのはやめたのか?」
俺の知る琉斗は、姉から強制的に“お姉ちゃん”と呼ばされていた。同級生からも冷やかされていたが、それよりも姉の方が怖かったらしい。
「勘弁してくださいよ」
琉斗は苦笑して頭を掻いた。俺たち二人は連れ立って後勺町の路地へと入った。
「学生時代からの馴染みのバーなんですよ。この界隈にしちゃ珍しい、めちゃくちゃ安い店でね。あ、三鷹さんはお酒大丈夫ですか?」
「あ? ああ。まあ」
俺は曖昧に頷いた。どうせ俺はこの世界にとっては異物だし、何の法律違反にもならないはずだ。
その店の入り口は、路地から少しだけ入ったさらに狭い横丁に面していた。店舗は二階らしい。
「いらっしゃい。――お、りゅーくん。久しぶりだな。帰国祝い以来か?」
階段を上りきってドアを開けると、初老のマスターがカウンターの向こうから出迎えてくれた。
もっと隠れ家的な店を想像していたのだが、中は意外にも広く、明るかった。マスター以外にも店員が三人ほどいて、カウンターの他に二人掛けや四人掛けのテーブル席もいくつかある。まだ時間が早いので客の入りは一割程度といったところだが、それぞれが飲み物を前に思い思いの時を過していた。
「悪いね。なかなか仕事が忙しくて」
「一条さんのとこだもんな。そりゃ大変だ。……そちらは?」
「あ、どうも」
バーなどという空間に足を踏み入れたことのない俺は、少しまごついていた。
「こちらは高校時代の先輩。こう見えて年上なんだよ。そんで、姉貴の恋人」
こいつ、顔色ひとつ変えずに嘘を吐きやがる。マスターは俺の顔をまじまじと見た。
「へ~、これで二十五、六? りゅうくんのお姉ちゃん、写真でしか見たことないけど美人だもんな。あんな子をものにするのは、こういう人じゃないとダメだってことか」
「お姉ちゃんはやめてくれってば」
照れ笑いを浮かべる琉斗に促され、俺たちはカウンターに隣り合わせて座った。
俺はとりあえずまたビールにしたが、琉斗は最初からウィスキーだった。酒が回るまでの間、当たり障りのない話を聞いた。アメリカでのこと、一条とのこと、今の仕事のこと。
相槌を打ちながら拝聴している内に、段々緊張してきた。この動悸は、血中アルコールのせいだけではあるまい。
一方の琉斗は、ほとんど一気飲みみたいなスピードで一杯目を干した。
こいつが話したいのはこんなことではないはずだ。それでも素面じゃ口にしにくいから、こんな風にぐいぐい杯を開けていくのだろう。
三杯目のグラスが空になる頃、琉斗は少し息を整えてから、ようやくのことで語り出した。
「姉のことなんですが……」
――来た。
俺は二杯目のビールのジョッキに手を伸ばした。




