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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第三幕「BAR ブリキの太鼓」
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10.「浮世の感」〜接触

 翌朝目を覚ますと、すでに隣に高原の姿はなかった。そういえば、明け方にシャワーとドライヤーの音を聞いた気がする。

 頭を上げて見渡すと、部屋の中ほどに鎮座するローテーブルの上にいくつかの食器が並んでいるのが見えた。

『バイトに行ってきます。朝食は用意したので、冷めてたら適当にレンジで温めて食べてください。夜には帰るので、適当に時間つぶしててね。詩都香(しずか)より』

 そんなメモに、部屋の合鍵と一万円札が添えられていた。

「うーむ……」

 ちょっと頭を抱えたくなった。昨夜の所業といい、俺は最低なのかもしれん。

 ……これじゃまるっきりヒモじゃないか。

 高原の作った朝食はなかなかのものだった。母親代わりに家の中のことを切り盛りしてきただけはある。

 炊きたてのご飯(俺が起きる時刻を予見して炊飯器のタイマーをセットしていたとしか思えない)を三杯も食べて、最後は温めなおしたアサリの味噌汁で流し込んだ。ちょっと食べすぎかもしれない。

 くちくなった腹を撫でながら、朝日の中であらためて見回すと、なんとも生活感に乏しい部屋だった。そう広くはないはずなのに、妙に淋しく感じる。

 家具と言ったら、ベッド、鏡台、食卓兼用のローテーブル、カラーボックス、それから昨夜高原が最初に寝ていた一メートル半くらいのソファだけ。


 俺の体感でほんの一か月ほど前、初めて高原の部屋に入ったときのことを思い出した。凄まじい部屋だった。散らかっているという意味ではない。どうにも統一性がないのだ。住人の趣味がわからないというか、むしろ趣味全開と言うべきか。

 部屋の四方の壁は、ベッドのある窓際とクローゼットの前を除いてすべて棚で埋まっていた。

 その内の二面は全部本棚。小難しそうな本やら洋書やらとカラフルなライトノベルが混在しているのはなかなか壮観だった。ぐちゃぐちゃのように見えて、本人には本人なりの収納法則があるのだとか。

 他の棚はさらに混沌としていた。お手製と見られる袋物や刺繍の入ったハンカチ。書き込みのしてあるピアノやギターやベースの楽譜のコピー。バインダーに綴じられた料理のレシピ集。古い洋画や最新のアニメのディスク。外国産のお香各種と自作のブレンド。美術館の目録に、自分で描いたらしいスケッチや水彩画や油絵(いい出来だと思うが、本人は気に入らなかったのか薄く埃が積もっていた)。

 なんていうか、探検しがいのある部屋だった。見てて楽しくなる。

 もっとも、高原は黙って部屋を漁らせるほど俺に対して寛容ではなかったが。


 ――詩都香は何事にも熱しやすい凝り性な子だからね。何事もかなりハイレベルだけど、本人は満足してないみたい。

 前に魅咲(みさき)(高校生)がそんなことを言っていた。

「でもね、あたしは詩都香はこのままじゃいつまで経っても満足しないと思うんだ。あたしは満足する方法教えてあげられるのに」

 などと、ファウスト博士を誘惑するメフィストフェレスのようなことを言う。

「どうやって? つーか、なんでそれを教えてやらないんだよ」

 俺がそう詰問すると、彼女は小さく首を振った。

「自分で気づかなきゃダメ。教えちゃったらかえって依怙地になって閉じこもっちゃう。ていうか、あんただってその方法、あの趣味見てたらわかるでしょ」

「趣味? 幅広いし、面白いと思うけど」

「わからない? あの子の趣味は、どれもこれも全部、一人でできるものじゃない」


 今の高原の部屋の中で往時の名残をとどめているのは、カラーボックスの中に立てられていたスケッチ帳だけだった。

 なんとなくそれを手に取った。名前しか知らない外国の街の風景が、高原の手で紙面に固着されていた。『メルボルン』、『バンダレ・アッバース』、『マラケシュ』、『サマルカンド』、『クスコ』……。

 たぶん高原はこれらの都市に全部行ったのだろう。そしてそこで〈リーガ〉の魔術師たちと戦ってきたのだろう。

 スケッチ帳をめくっている内に、ふと一枚の場違いな絵が目に飛び込んできた。前後の風景画に交じった人物画。

 これは……俺だ。一目でそれとわかるくらいに特徴が押さえられている。右下に記された日付は、俺が消えてから三年後。

「でも、こんなに恰好よくねーぞ、俺」

 いなくなったせいで美化されてるんかな? ――そう思うと、昨夜のことに対する罪悪感が再び頭をもたげてきた。うわー。

 疲れを覚えて、フローリングの床に仰向けに倒れこんだ。

 その拍子に、カラーボックスの一番下の段、図書館のラベルが貼られた数冊の本に交じって並んだそれが見えた。

「高校卒業程度認定試験問題集」だとか、有名大学の赤本だとかがそこにあった。かの『大学への数学』もある。年度を確認すると、最新版なのがわかった。

「未練があるのやらないのやら……」

 棚から取り出してパラパラめくると、ほとんどのページに書き込みがしてあった。

 まるで、高校中退の自分の学力を証明しようとするかのように。


 高原の部屋でゴロゴロしているとその内邪な気を起こしそうに思えたので、最後の自制心を振り絞って外に出た。

 何枚かあったトートバッグの中から、俺が持っても違和感がなさそうなのを選んで持ち出した。

 一応、例の万札は財布に入れてある。使わずに越したことはないが、この世界に生きるとすれば最低限衣服は買わざるを得まい。

 まあ、まだ午前中だし、とりあえず街をぶらぶらしててこの時代の風俗観察でもするかな、などと考えていた。

 市役所前通りを経て駅前に向かって歩いてみる。店舗の異同はあるが、表通りはおおむね俺の知る街並みのままだった。

 技術の進歩も多少はあったのだろうが、目を引くほどではない。フル3Dの広告くらいあるかと思ったんだけどな。

 他は、携帯電話やタブレットを凝視しながら歩く人が異様に多くなったくらいだろうか。

 俺も「あの店まだあんのか」などときょろきょろしながら歩いていたせいで、二度ほど通行人と肩が接触した。その都度怒鳴られた。同様の事態はあちらこちらで起こっており、ときおりいさかいに発展する。

 この首都圏外縁部の中都市が目立って不景気ということはないようだった。むしろ活気が感じられる。まだ午前中だというのに、歩行者の数は十年前より多い。

 ただ、空気が少しぴりぴりしている。みんなせかせかと生き急いでいるように感じられた。まるで他人を出し抜くことしか頭にないように。ひっきりなしに響くクラクションは、なんだか新興国の大都会を思わせた。

 まだ昼にもなっていないというのに、昨晩高原と行った飲屋街から出てきたと見られる客引きがたくさんいるのには参った。高校の制服を着ているというのにしつこく声をかけてくるのだから閉口する。

 引っ越しから三ヶ月でようやく慣れつつあった街の見慣れない姿——人の群れに当てられた俺は、逃げ込むようにチェーンのカフェに入った。

 この時間から一杯のコーヒーを前に暇を潰そうとする人間は少ないのか、幸いなことに店内の客はまばらだった。

 注文したブレンドコーヒーのラージサイズをすすりながら、拝借してきた赤本(俺が在学していることになっている大学の、である。腹立たしいことに、高原の書き込みなしではほとんど一問も解けそうになかった)に悪戦苦闘していると、胸ポケットに突然振動が伝わった。

 半ば癖で携帯電話を引っ張り出す。知らない番号だった。

「もしもし?」

『もしもーし? グッモーニン!』

 よく知る声が応答した。午前中からハイテンションなこの声は、紛うことなく魅咲のものだ。

「おう、どうした――って、えぇっ!? おまっ、どうやって!?」

 俺のケータイはとっくの昔に解約されているはずだろ?

『あたしのオリジナル魔法。昨日隙を見てあんたのケータイにかけておいたの。ふっふっふ。あんた、あたしも魔術師の端くれだってこと、すっかり忘れてんじゃないの?』

 そんなこともできるのか? とはあえて訊かなかった。魔法ってのはこれだから厄介だ。何ができて何ができないのか、その間の線引きが、俺にはさっぱりわからない。

「――いや、悪い。ほんで、どうした?」

 気を落ち着けるために、コーヒーを一口含む。

『大したことじゃないんだけどね。――詩都香の体、どうだった? あの子、やっぱり初めてだった? 後学のために聞いておきたいな』

 思い切りむせた。店内で通話することになんとなく遠慮して体を斜めにしていたおかげで、赤本を汚さずに済んだ。

「な、ナンのこと?」

 うわ、声が裏返っちまった。

『とぼけんな』

 朗らかだけど、ドスの効いた魅咲さまのお声。

 ダラダラと冷や汗を流す俺を、本の身代わりにコーヒーの飛沫を浴びせられた店員が睨んできた。

 ——だけど、悪い! 今はそれどころじゃないんだよ。こちとら、ひょっとしたら命の危険さえ……。

『出勤途中に詩都香を見かけたんだけど、香水の香と一緒に、あんたの臭いぷんぷんさせてたわよ。シャワーじゃ落としきれなかったんだろうねぇ』

 モロバレかよ。ていうか魅咲さん、どんな五感してるんですか。

「あ、う、え、あ、う……」

 返答に窮した。種々の未来が脳裏に浮かぶ。どのヴィジョンでも俺は魅咲に殺されている。違うのは殺され方だけだった。

 それからハッとして店内を見回した。次いで外の通りにも目を遣る。次の展開として一番恐ろしいのは、すぐそばに魅咲が立っていることだった。

 見知った高校の制服を見て心底すくみ上った。――違う、魅咲はもう制服を着ていない。

『そんなに恐がりなさんな。こっちも上司の目を盗んでかけてるからね。今職場だよーん』

 それを聞いて、思わずほーっと安堵の息を吐いてしまった。

 ……いや、明らかに行動パターン読まれてるだろ、俺。

『それはいいとしてね――』

 魅咲が本題を切り出した。というか、こっちが本題なのだと願いたい。

『そろそろ知らない二人組があんたんとこ行くと思うけど、適当に追い払っていいから。……ま、あんたの判断に任せるけどさ。あたしも何が詩都香のためになるのか、もうわかんないし』

 魅咲のその言葉とともに、店の扉が開いた。

『――あ、腹が立つようなこと言われても、暴力に訴えたりはしないこと。何してくるかわかんない連中だから』

 それを最後に、電話が切れた。

 ――と思ったら、もう一度かかってきた。

「はい……」

『言い忘れてたけど、次詩都香に手を出したらアイアンクローの刑だから』

 今度こそ本当にケータイは沈黙した。俺は魅咲に頭蓋骨ごと脳みそを握りつぶされる自分の姿をありありと思い浮かべていた。

 それは、先ほどのヴィジョンの四番目だった。

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