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「魅咲なら、駅裏にマンション借りて一人暮らししてるよ」
でも、この時間ならまだ職場だろうな――そう言って師匠が教えてくれたのは、今の魅咲の住所と携帯電話の番号、そして、地元に本拠を置くとある企業の名前だった。
とりあえず駅前に移動しながら、俺はさっき告げられた話の内容に思いを巡らせていた。
おぼろげながら、事態の一端が飲み込めてきた。
どうやら今いるここは、あの戦いから十年後の世界らしい。俺はこの時点から十年前、つまりあの戦いの日に、瓜生山で起こった爆発事故に巻き込まれて死んだことになっていた。
敵の魔術師の幻術という着想は、この時点で吹っ飛んでいた。たしかに、こっちの説明の方が色々と辻褄が合う。
師匠はその後も俺の話を聞きたがった。だが、俺はその追及を誤魔化しはぐらかし、逃げるように店を出た。死んだはずじゃなかったのかとか、十年間何をしていたのかとか、何を訊かれても俺は答えることができない。俺自身、自分の身に実際に何が起こったのか理解していないのだから。
タイム・リープ――時間跳躍、か。
まあ、魅咲たちの使う魔法なんてものが実在するのだ。これくらいのこと、起こってもありな気もする。そんな風に、この非現実的な出来事をあっさり受け入れつつある自分に気づき、思わず俺は苦笑を漏らした。
――なんだか、高原に付き合って視聴していたアニメやら何やらのせいで、ずいぶん順応性が高くなってしまっているな。
今の時点での情報を総合すると、原因はあの魔法の爆発としか思えない。敵の撃ってきた火球と、高原の張った防御障壁——いったいどれほどのエネルギーが込められていたのだろうか。時間くらい軽く吹っ飛ばしても、ありのように思われた。
魅咲の勤める企業の本社ビルの前に着いた。十数階建てという、かなり立派なものだ。ちょうど退社時間に当たっているようで、職員用の出入り口からは続々とビジネスマンやOLたちが吐き出されてくる。
残業する職員も当然いるだろう。あるいは俺の到着より前に、魅咲は家路についているかもしれない。
そん時は魅咲の部屋まで押し掛けるしかないな、と思いながら、出ていく社員たちの邪魔にならないよう門に体を預けて待っていると、見知った面影がこちらに近づいてくるのが見えた。
間違いない、魅咲だ。高校時代のサイドテールではなくて普通のポニーテールにしているが、若い社員たちから成る数人の一団を引率するようにして明るく笑いながら歩いてくるのは、確かに俺の幼馴染に違いなかった。
相変わらず、あいつはモテるな。
快活で素直、その上顔もスタイルもいい魅咲は、当人が思っている以上にモテた。どこか得体の知れない高原よりもよっぽど人気があったことに、あいつは気づいてないんだろうなぁ。
入学式の日、魅咲と再会したときのことを思い出す。
高原の後ろの席に陣取った俺だったが、本来の主である田中に声をかけられ、斜め後方の自分の席にしぶしぶ移っていた。
そこからまた眺めていると、高原は本を読むのを中断し、机のかたわらに立った生徒と談笑を始めた。
いつからそこに立っていたのだろう。高原の気安い様子から、中学の同級生と思われた。
どんな奴なのかと視線をわずかに上げた。
その瞬間、相手と目が合った。
ややクセのある長い髪を頭の右側でリボンでまとめ、肩越しに背中へと垂らした女子生徒。高原に比べると表情の変化が大きくて朗らかな雰囲気があり、話しかけやすそうだった。
少し丸みを帯びた輪郭。くりくりとよく動く目……
似たような印象の女子を、どこかで見たことがある——俺がそう記憶を手繰り寄せようとする前に、向こうが反応を示した。
「詩都香、ちょっとごめん」
高原にそう断ってから、ツカツカと歩み寄ってくるサイドテールの女子。狐につままれたかのような表情だ。
高原を凝視しているのがバレたのかとヒヤリとした。
しかし、俺の前に立った彼女は、ゆっくりと口を開いた。
「——もしかして、誠介? 三鷹、誠介……?」
鈴を転がすような声に、不審げな響きが混ざっていた。
呼びかけられた俺の方は当惑していた。
……彼女に覚えが無かったからではない。
声を聴いた瞬間に思い出したのだ。
——二度と会えぬだろうと思い、ゆっくりと俺の人生から消えていきつつあった幼馴染……相川魅咲のことを。
見たところ、魅咲の顔立ちは高校時代からそれほど変わってはいないようだった。というか、ばっちり決めたスーツ姿なのに、どこか服の方に着られているような感じさえする。
俺はちょっとだけ安堵した。二十五歳の大人になった魅咲と会うというのは、なんだか複雑な心境だったのだ。
なにしろ今年の担任よりも年上だ。俺が道場に通い始めた頃のおかみさんだってもう少し若かった。気後れしても仕方ないだろ。
魅咲の引き連れる一団が目前に迫る。
俺はすっとその前に出て行った。
「魅咲!」
突然見知らぬ男から名前を呼ばれた魅咲はきょとんとした。
……いや、見知らぬ男ではない――だが、それは彼ではありえない。
そんな想いが魅咲の胸を去来しているのだろう。動きが完全に凍った。最初の不意打ちから立ち直った後は怪訝そうだったその目が、想起に、疑念に、続いて驚愕に、次々と色を変えた。
魅咲はあの再開の日以上に衝撃を受けているようだった。
魅咲と一緒に歩いていた若い社員たちが、その頃になるとざわつき始めた。
「誰? 高校生?」
「ひょっとして相川さんの恋人?」
「やだ、いつまで経っても彼氏作らないと思ったら、年下好みだったのかな」
周囲の雑音を無視したまま、魅咲はまだ動かない。
だがやがて――
「嘘……」小さく、本当に小さく、彼女はそう呟いた。「誠介、なの……?」
「ああ」
俺はぶっきらぼうに頷いた。なんだか照れくさかった。
魅咲はふらふらとこちらへ歩み寄ってきた。
俺は少しだけ身構えた。父親と同じ確認行為に及ぶかと思ったのだ。
だから、その次に魅咲のとった行動に今度はこっちが驚かされた。
「誠介……誠介、誠介、誠介誠介せいすけ……っ!」
あの魅咲が抱きついてきたのだから。




