8.「迷鳥の感」〜三鷹誠介の戸惑い
「……んあ?」
間の抜けた自分の声と共に目が覚めた。なんか変な夢を見た気がする。走馬灯、とはちょっと違うか。
「しずか……?」
呼び慣れないその名を、夢見心地のまま呟いてしまった。見たのは、高原の夢だったような。
だけど、なんだろう、夢の中の高原は、いつも悲しそうだったように――
「……高原っ!?」
遅ればせながら意識がはっきりとしてきた。がばっと身を起こす。
俺が寝ていたのは、相も変わらず山の上だった。
が、辺りを見回しても、高原の姿はどこにもなかった。魅咲と一条もいない。
「えーと、俺をほっぽって帰っちゃったのか?」
だとしたら、ちょっと薄情すぎるだろ。
そこでやっと敵の魔術師のことを思い出し、体を緊張させた。だが、その気配も感じ取れなかった。それどころか、あれだけの激闘と爆発の痕跡さえ見当たらなかった。草木が平和そうに風に揺れているだけだった。
携帯の時刻表示を見ると、おそらく数分しか経っていない。
じわじわと不安が頭をもたげてきた。腋の下に冷たい汗がにじんだ。
「魅咲ーっ! 高原ーっ! 一条ーっ!」
三人の名前を呼びながら、しばらく周囲をうろつき回った。結局、人影ひとつ見出すことができなかった。狐につままれたような心地で林道を下り、あのカーブ横の空き地に至ると、今度は停めておいたはずの原付が消えていた。
「魅咲たちが乗ってったのか? ……なわけないよな」
たしかに鍵は差しっぱなしだったけど、持ち主を放置して乗って帰るなんて、魅咲もさすがにやったりしないだろう。
もう一度携帯を取り出し、魅咲に電話をかけようとした。しかし、ディスプレイの表示が圏外になっていた。さっきので壊れたのかもしれない。
「勘弁してくれよ」
その場にへたり込みそうになった。不安はどんどん大きくなってくる。
捨ててあった粗大ごみもきれいさっぱり消え失せていた。
「ここ、ほんとに瓜生山だよな?」
悪い予感が募る。我知らず、独り言が多くなっていた。
答えはすぐに見つかった。木々の切れ目から覗く電波塔。位置関係から、ここが瓜生山であることに間違いはない。
わけがわからないが、ここでじっとしていても始まらない。そう判断して、俺は徒歩で下山することにした。
たっぷり四十分ほどかけてたどり着いた麓の様子は、つい先ほどまでとは違っていた。
「なんでだよ……」
登り口の喫茶店フューゲルがなくなっていた。ほんの一時間ちょっと前にその脇を通ってきたはずだ。それが、砂利の敷かれた空き地になっていた。
ますます高まる不気味な予感を押し殺しながらさらに十分強歩くと、中央分離帯のある片側二車線の広い道に出た。九郎ヶ岳丘陵地帯を貫通するトンネルを具えた、京舞原市の東西を結ぶ大動脈である。
さすがに疲れてきた。来るときは原付だったが、歩いて帰ろうとするとちょっとしんどい距離だ。それに、今何が起きているのか、一刻も早く突き止めたかった。
しばし逡巡した末、西から来たタクシーを止めた。ひとまず家に戻ることにした。
「う」
乗り込んでみて気圧された。車体の前部と後部とがアクリル板で仕切られていたからだ。支払いのためにセンターコンソール周辺にだけ小さく穴が穿たれている。強盗対策だろうか。でも、こんな警戒厳重なタクシー会社がこの街にあったっけ?
内心の動揺を隠して目的地までの道順を運転手に説明しながら、ウィンドウ越しに街の様子を眺めた。先刻までの記憶と合致する場所もあれば、様相が一変している一角もある。みたび取り出したケータイは、相変わらずの圏外表示だった。
「何なんだよ、一体」
いらいらと落ち着きを失った俺の様子を、運転手が怪訝そうにルームミラー越しに窺っていた。
駅と学校の中間辺りにある一棟のアパートの前でタクシーを降りた。運転手は念入りに紙幣を検めてから、釣り銭を残して走り去っていった。
このアパートの一室に、俺はこの春から住んでいる。オートロックなんてしゃれた設備はない。玄関脇のエレベータに乗り込み、三階のボタンを押す。三〇六号室が俺の部屋だ。
ポケットからキーホルダーを取り出し、束ねられた内の一本を鍵穴に差し込んだ。しかし、その鍵は半ばで動かなくなった。
「あれ?」
ガチャガチャと何度も抜き差ししてみたが、ドアはびくともしない。ドアノブを回しても、開く気配はなかった。
いい加減にしてくれよ。忍耐も限界を迎え、本気で蹴破ろうかと考え出した矢先、部屋の表示が変わっているのに気づいた。
「三〇六号」というプレートの下にはまっているはずの俺の名前の表札が消え失せていた。真っ白なプレートは、現在この部屋に誰も住人がいないことを示している。
気を落ち着かせるために、エレベータとは逆方向にある非常階段口に出た。
「……このアパート、こんなに古びてたっけ?」
そんな呟きが口を突いて出た。入居した時にも新築同然とは言い難かったが、こんな風にコンクリート壁のひび割れに雨水が染み込んで変色しているなんてことはなかったはずだ。
そのまま非常階段で一階に下りた。門の所まで敷地を横切り、いったん外に出てから、あらためて建物をふり仰ぐ。そこでまた異変を目にすることになった。
「あぁ?」
このアパートは「吉見荘」などという昭和の残り香のする名前だったはずなのに、建物に比べてずいぶん新しく見える門の横には、「ヴィラ・ヨシミ」とイタリックで表記されていた。
精巧だけど再現度の低い幻を見せられている――小一時間ほどアパートの近所をうろうろしながら自分なりに導き出した推論がこれだった。この説明が最もしっくり来た。
そうだよ、さっきまで魔術師同士の戦いの場に居たわけじゃないか。俺には魔法についての知識はほとんどないけど、一介の素人を幻術に捕らえることくらい容易いことだろう。もっとも、俺みたいな素人にわざわざ幻覚を見せるメリットが思い当たらないのだが。
まず試してみたのは、精神を集中することだった。俺が見てきたアニメやら漫画やらでは、自分を強く持つことで幻影を打破するという展開が多かった気がする。
(これは幻。これは幻。これは幻。これは幻――!)
しかし残念ながら、これは功を奏さなかった。魔法なんて使ったことのない俺が見よう見まねで精神集中した気になっても、意味がないのかもしれない。
「となると、だ……」
次にありがちな展開は、誰か鍵となる人物に会うことだ。俺と同じく術に捕らわれている人間と協力したり、その人物と接触することでこの世界を打ち破ったりすることができたり、というパターンである。
……うーむ、我ながらゲーム脳なのかもしれん。
心当たりは多くはない。魅咲と高原と一条だ。その中でもとりわけ可能性が高そうなのは高原だった。何しろ、この空間に入り込む直前に最も近くに立っていた人間なのだ。これが敵の魔術師の仕業なのだとしたら、高原と一緒に幻術にかけられた――というより、高原のついでに俺までかけられてしまった――というのが、一番ありそうな事態に思われた。
高原の居場所にこれといった心当たりはないが、俺と同じくこの世界をさまよっているのだとしたら、いったん家に帰ってるかもしれない。二、三度訪ねたことがあるので、高原の家の場所はわかる。
よし、それで行こう。
方針さえ決まれば、後は行動あるのみだ。俺はアパートの駐輪場に向かい、原付を買うまでの主な足だった自転車を引っ張り出そうとした。ところが、狭い駐輪場を二往復しながら探しても、そこに俺の自転車はなかった。
そこでやっと思い出した。自転車はもみじのとこに置いてきてるんだっけ。こんなところは現実に忠実だ。
仕方なく歩いていくことにした。徒歩ではちょっと遠いが、無理というほどの距離ではない。
どうにかたどり着いた高原家は、どこからどう見ても空き家だった。
そろそろ夕暮れ時なのに、灯の一つも点っちゃいない。窓ガラスが割れているということはなかったが、その向こう側に人間の生活があるとは思えなかった。庭には雑草が伸び放題に繁茂しているし、なかなかに立派な構えの門は、少なくともここ数か月は開かれていなさそうだった。
「売り物件」という表示がないのが不思議なくらいだ。
俺が最後に訪れたのはひと月ほど前。来栖を救うための作戦会議のおりだった。
あれからすぐ引っ越した? まさか。
そのまましばらく家の周囲を巡ってみたが、中で人の気配がすることも、高原が帰ってくることもなかった。
どうやらこの場で高原に会うのは不可能なようだった。となれば、残る選択肢はふたつだ。
——魅咲か、一条か。
魅咲の家はここから三キロといったところ。何事もなければ、今晩も店を開けているはずだ。
ただ、魅咲の家を訪ねるのは、今の俺にとっては少々敷居が高い。別に魅咲に会うのが嫌なのではない。ご無沙汰している師匠に会う決心がなかなかつかなかいのだ。
他方一条の家は西京舞原にあるので、今から徒歩で移動するのはできれば避けたいところだ。またタクシーか?
ああでもない、こうでもない、と一通り考えあぐねた挙句、一大決心をして魅咲の家を訪ねることに決めた。
まあ、どうせ幻影の中のこと、と軽く考えることにした。




