序奏 相川魅咲
高原詩都香は生死の境をさまよっていた。
後は本人の気力次第です、などと医者は言うが、それこそ最も怖い話だった。今の詩都香にはいかなる気力もないはずだ。
(だからアレはやめろって言ったのに……)
救急集中治療室の前の長椅子に座ったまま、相川魅咲は右手を握りしめた。いつかこんなことになるんじゃないかと危ぶんでいた。
今日、ひとりの人間が死んだ。魅咲にとっては大切な幼馴染だった。
そして今、もう一人が死にかけている。彼女の親友が。
ぎりぎりっ、と拳が軋んだ。
(……伽那、どうしよう。誠介が死んじゃった。詩都香も死んじゃう……)
彼女が心の中で呼びかけたもう一人の親友は、同じ病院に収容されていた。重傷を負っていたが、生命に関わるものではないらしい。今は多分、眠っている。
魅咲の怪我が一番軽かった。それがなんとももどかしかった。
隣には詩都香の弟の琉斗が座っていた。放心状態だった。
無理もない、彼にとっては母親代わりでもある姉が死にかけているのだ。
琉斗の右手を魅咲の左手が握っていた。いつの間にか、どちらともなく、そうなっていた。
魅咲も注意してはいたのだが、時に不安と後悔のあまり、ともすれば相手の手を潰しかねないほどの握力を込めてしまう。しかしそれでも、詩都香の弟は反応を示さなかった。
向かいの椅子では、担任の若い女性教師が顔面蒼白で頭を抱えていた。
受け持ちのクラスから死者が出た。もうすぐその数が二になるかもしれない。しかも、授業を受けているはずの時間にだ。担任にとってはありうべき最悪の事態だろう。
詩都香の父親の姿はまだない。今は大慌てでこちらに向かっているはずだ。
魅咲は、血の気を失い、真っ白になった右手を見た。鍛錬のせいで、女子にしてはごつごつしたその拳を。――この拳で何ができるというだ。
(これからどうしよう……)
誠介と詩都香が死んでも、彼女の戦いは終わらない。終わりにさせてもらえない。
(詩都香ならどうするだろうな)
ぼんやりと考えてみる。なんとなく、予感があった。詩都香はたぶん、帰ってこない。
幼馴染の死を悼む余裕はなかった。むしろ、そちらに思念を向けることを意図的に避けていた。
……だって、そのことを考え出したが最後、魅咲は壊れてしまう。
治療室の扉がゆっくりと開いた。
――待って! まだ心の準備ができてない!
魅咲そうは叫びたかった。
しかし、それに頓着することなく扉は開き切り、中から薄い青の衣装に身を固めた医師が姿を現した。
……結局、彼女の予感は半ば当たった。
彼女の親友が帰ってくることはなかった。




