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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第一幕「瓜生山」
50/106

7-2

 明けた月曜日。今日と明日を乗り切れば、明後日はもう終業式だ。

 別に今日だっていつもどおり徒歩かバスでの通学でもよかったのだが、それはそれ、なんとなく原付で来てしまった。

 この日の高原は午前中から何やら眠そうだった。また何かに没頭して夜更かししたのだろう。

 昼食後の四時間目の現代文の授業の最中、高原はとうとう居眠りを始めた。高原の席は俺の席から右に二つ、前に一つ離れている。格別近いわけではないが、観察するにはそう悪くない。

 高原は居眠り中でも背筋をまっすぐ伸ばし、微動だにすることがない。しかしその完璧なまでの動きの無さのおかげで、この三ヶ月の間観察を続けてきた俺にとっては格好の指標となる。

 目を瞑っている時間は最長でも十秒足らず。それからおもむろにまぶたを上げ、板書をノートに写す。この繰り返しだ。教師に居眠りがバレるのはかなりのレアケースと言っていい。


 ——その直前の昼休みの後半、高原が俺の席までやって来た。

「三鷹くん、こないだのあれ、返してくれない?」

「あれって?」

 何か借りてただろうか?

「イヤリングよ、イヤリング」

「イヤリング?」

 と問い返そうとして思い出した。来栖の事件の折に高原から渡されたイヤリングのことだろう。

 今まで意識に上ってこなかった。そもそもにして一ヶ月も前のことだ。

「あー、そういやそうだな。……どこ行ったかな。急ぎ?」

 俺は鞄の中を引っ掻き回しながら尋ねた。何しろ、小さくて飾り気のない本当にただの輪っかのような形状のイヤリングなのだ。一度なくしたらなかなか見つかるもんじゃない。

「別に急ぎってわけじゃないんだけど、ちょっと困った機能がついてるのがわかってね」

「どんな機能?」

 とりあえず訊いてみる。

「……なんか、三鷹くんに教えたら悪用されそうだから言わない」

 ひでえ言われようだ。しかし、あのイヤリングは高原のものなんだし、返さないわけにはいかない。

「わかった、探して明日持ってくるよ」

 俺の答えに満足した様子で、高原は席に戻っていった。


 昼休みの残りの時間を使って鞄の中をさらったが、どうも問題のイヤリングはその中にはないようだった。

 ——となると部屋か。

 忘れないようにメモしておこうと手帳を探したが見当たらなかった。先日もう一着の制服をクリーニング店に出した際に、机の上にでも置いたままにしてしまっていたようだ。

 自分の迂闊さにこっそりと溜息を吐いてから鞄の中を漁ると、ポケットの中から別の手帳が出てきた。

 ——ああ、まだ鞄に入っていたなんてな。

 この手帳は保奈美と偽装恋愛をやっている間に使用していたものだ。

 あまり使いたくはないが、メモのページを破りとるくらいはいいだろう、と手にとってみた。

 ……探し物っていうのは、どうしてこうも予想外の場所から出てくるのだろう。あのイヤリングは手帳のページの間に挟まっていた。ま、この授業が終わってから渡すか。

 というわけで高原観察再開。

 すると、それまで眠たげだったその体が、ぴくんっと小さく跳ねた。高原は次いで、魅咲(みさき)と一条の方に顔を向ける。まだ入学当初の出席番号順の座席のままなので、「あいかわ」と「いちじょう」は教卓に向かって右端、前から一番目と二番目の席である。

 視線を感じたのか、二人とも同時に肩ごしに振り返り、小さく頷いた。それから前に向き直り、ぴたっと動きを止める。居眠りをしている時の高原のような具合だ。

 数分間そうしていただろうか。現国担当の中園先生に見とがめられなかったのは、ついているとしか言いようがない。

 まず廊下に面した小窓がぴしっ、と小さく震えた。

 十数秒後にもう一度。

 教室の中が少しざわついた。中園先生は、廊下を走った生徒でもいるのかとそちらに目を向けた。

 その直後、今度は教室の真ん中で微かな空震が起こって、廊下側と窓側のガラスを震わせた。教室内のざわめきが少しボリュームアップする。

「あー……えーと、地震ではなさそうだな。授業を続けるぞ」

 中園先生は咳払いをしながら、ざわつく生徒たちを抑えた。

 俺は高原の背中に視線を注いだ。見た目の変化は一切ない。だが、眺めている内に次第に胸の内が騒ぎ、精神が高揚していくのを感じる。

 ——まさか、三人とも〈モナドの窓〉を開いたのか?

 高原はまたしばらく授業に集中しているような素振りを見せた後、ふらふらと左右に頭を巡らせたかと思うと、唐突に椅子ごと左に倒れた。

 ガッターン! と、ものすごい音が教室内に響き渡った。直後に、前後左右からの悲鳴。高原から倒れかかられた左隣の西村など、自分もひっくり返りそうになっていた。

「た、高原っ!? おい!」

 中園先生がぎょっとして教壇を駆け降りようとしたが、高原がそれを制した。

「すみません、先生。大丈夫です。ちょっと貧血でくらっとしただけですから……」

 そして片手をついて身を起こそうとする。倒れた時に隣の机の脚にでも打ったのか、こめかみの辺りからつつーっと一筋の血が頬を伝わった。

「先生! 高原さんを保健室に連れて行きます」

 魅咲が手を挙げた。

「わ、わたしも手伝います!」

 一条がそれに続く。

「え? あ、よし。わかった。頼むぞ、相川、一条」

 魅咲も一条も保健委員でもなんでもないのだが、狼狽した先生は何の疑いも抱かずに許可した。志願した二人が高原のもとに駆け寄り、両側から肩を支えてやり、教室の後ろの扉を開いて出て行った。

 ――これはもしや。

 俺は落ち着きのない教室内の雰囲気に紛れるようにして、鞄からあのイヤリングを取り出した。周囲から見られないよう片手で包み込むようにしながら、耳につけてみる。

『ちょっと詩都香(しずか)、マジでびっくりしたわよっ?』

 予想にたがわず、三人の間で交わされる精神感応(テレパシー)による会話を傍受できた。これは魅咲だな。

『そうだよぉ。ほんっと、心臓が止まるかと思ったんだからぁ』

『いやほら。あれくらいやらないと、仮病を怪しまれるかと思って』

『いいのよ、そんなの。どうせ後で保健室になんて行かなかったのがバレて叱られるんだから』

『あー、それもそうだ』

 うわぁ。やっぱりあれ、演技だったのか。魅咲と一条がいち早く立ち上がったのでそうじゃないかと思ったけど。でも普通、わざと倒れるときって、思わず体をかばったりしないか? あいつは全然そんな素振見せなかったぞ? 血を流すほど頭を打つって、どんだけ仮病に全力出してるんだよ。

 まったく、あいつは相変わらずおっかない女だ。

「先生! 腹が痛いんでちょっと花摘みに行ってきます!」

 突然そう叫んで立ち上がった俺に、中園先生はぎょっとして立ちすくんだ。まださっきの高原卒倒の衝撃が尾を引いているのだろう、疑われることもなかった。

「……ああ、わかった。思い切り自然と戯れてきなさい」

 教室内の他の生徒たちも最初こそ唖然としていたが、俺が形だけ腹に手を添えて席から離れる頃には、くすくすと忍び笑いが起こっていた。それを背に受けながら、俺は教室を抜け出た。

 教室の並びを通過するまでは一応調子悪そうに歩いていたが、しばらくすると我慢ができなくなり、次第に歩調が早まった。階段にさしかかる頃にはほとんど全速力になっていた。イヤリングからはもう何も聞こえてこない。周囲を憚って精神感応で会話する必要がなくなったのだろう。


「おい、お前ら!」

 階段を駆け上がった先、搭屋の鉄扉を押し開けると、屋上には予想通りの光景が広がっていた。魅咲たち三人が、突然の闖入者に驚いて弾かれたようにこちらを見た。

 魅咲は一本の箒を持っていた。つい先日乗せてもらったばかりの、あの箒だった。

 その傍らに立つ珍奇な扮装の高原は、帽子を極細のゴム紐で髪に固定したところだった。これがまた巨大な黒帽子である。ツバは持ち主の肩幅を超え、円錐形の山は自重を支え切れずに先っぽが折れている。その身を覆うのは、ふくらはぎまで届く長い黒マント。昔話でというより、今のフィクションでもお馴染みの魔女の格好だった。

 これまで都合三度見たことがある。高原の“戦装束”だ。

 保奈美との戦いの翌日に高原から聞いたところでは、これは伊達や酔狂だけで着用しているわけではないらしい。帽子の山の根をひとめぐりする赤いリボンと、胸の前でマントを留めるブローチには例の黄紫水晶(アメトリン)があしらわれている。一方、帽子とマントの生地には高原本人の髪の毛が幾百本も編み込まれており、魔力の伝達を特別に高めてある。身に着ければ耐熱耐寒耐刃性に優れた防具に早変わり、拳銃の弾くらいなら跳ね返す、とのことである。「もちろん試したことないけど、たぶんめちゃくちゃ痛いと思うけどね」とは本人の言。

 ――まあ、便利じゃないか。魅咲たちにもお揃いの作ってやれば?

 二人ともこの格好は嫌がるかもしれないと思いながらそう言う俺に対して、高原はじと目を向けたものだ。

 ――三鷹くん、わたしをハゲにしたいの?

 残る一人、一条伽那は屋上からさらに二、三メートル浮いていた。まずいところを見られた、とその顔が語っていた。

 高原たち三人は、まだ飛行の魔法を習得していない。一条が空を飛べるのは、本人の潤沢な魔力を活用した念動力の為せる業なのだそうだ。効率が悪く、魅咲や高原では実用に供さない。だから魅咲と高原が空を飛ぶときには、魔法道具である一本のほうきに二人乗りである。

「……なんだ、誠介か。どしたの?」

 ほうきを高原に手渡しながら、魅咲が尋ねてきた。「どしたの?」じゃねーよ。

「いや、お前ら、戦いに行くのか……?」

 授業をサボって、と付け加えてやると、魅咲は露骨に顔をしかめた。

 答えたのは高原だった。

「そう。昨日、リーガの下っ端魔術師から予告があってね。明日一条伽那(かな)の身柄を貰い受けに行くから、って。それでさっきご到着の連絡を頂戴したところ」

「そんなわけだから、あんたは先生にうまい言い訳でもしといてよ」

 軽く体をほぐしながら魅咲が言う。

 俺はずっと考えていたひと言を口に出した。

「なあ、俺も連れて行ってくれないか? 邪魔はしない。絶対役に立ってみせるから」

 これを聞いた三人は、きょとんとしていた。

「誠介、あんた〈モナドの窓〉開けんの?」

 一同を代表して口を開いたのは魅咲だった。

「いや、まだ開けないけど、どんな援護だってしてやるから」

 俺は「まだ」にアクセントを置き、必死に拝み倒そうとした。もみじが言うには、俺だって異能者なのだ。何かできることがあるはず。

「……あのねぇ、三鷹くん。こっから先は、常人にはどうしようもない領域なの。ほんとだったら、わたしだって御免こうむるんだけどねぇ」

 やんわりと俺の提案を却下する一条は気まずげだった。

「大丈夫だって! ヤバそうだったら隠れてるから!」

 何を言われても、俺には食い下がるほかない。

「……詩都香、どうすんの?」

 高原に判断を委ねる魅咲。

「どうするもこうするもないわ。連れて行けるわけないでしょ」

「だよね」

 ひとつ頷いた魅咲は、上衣の胸ポケットからケータイを取り出し、相変わらずの速さで操作を終えて音声データを再生した。

『俺とお前は未来を共にする宿命を背負っている。過去に、転生の度にそうして来たように。今生でも――』

 考えられないことに、ようやく忘れかけつつあったあの告白だった。

「ふぎぎぎぎ……や、やめてくれぇ……」

 俺は緊箍呪(きんこじゅ)を唱えられた孫悟空よろしく、耳をふさいでしゃがみ込んでしまった。

 一条がころころと笑った。

 高原は少しだけ朱に染まった顔で俯き加減だった。

「……ど、どうしてお前が……!」

 ようやく立ち直った俺が詰め寄ると、

「詩都香が録音してたのを転送してくれたの」

 魅咲はそう説明しながら、添付ファイルつきのメールの文面を示した。

『件名:ありえない

 本文:わたし、バカにされてる?』

 目の前が真っ暗になった。

 なんでだよ。なんで高原は俺の告白を録音してるんだよ。

「いい、誠介? ついて来たいだなんてぬかしたら、こいつを学年中の女子にばら撒くかんね?」

 魅咲が勝ち誇ったように宣言する。

 固まってしまった俺の目の前で、三人は虚空に身を躍らせた。

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