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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第一幕「瓜生山」
44/106

6-3

 その日の俺は、部活を終えた後田中たちと寄り道し、午後六時前に帰宅した。

 琉斗(りゅうと)はアパートの俺の部屋の前でじっと待っていた。

 エレベーターから降りてその姿が目に入ったとき、正直言ってびびった。どこかの殺し屋が俺の帰りを待ち受けていたのかと思ってしまった。

 琉斗はそれくらい暗い雰囲気をまとっていた。

「琉斗」

 相手の正体を認めた俺が声をかけると、琉斗は安心と不安がない交ぜになったような表情で顔をこっちに向けた。

「三鷹さん……」

 何かよからぬことがあったのが察せられた。

「どうしたんだよ。来るならメールでもくれれば」

「いえ……」

 琉斗は俯いて言葉を濁した。

「ま、ここじゃなんだし、中に入れよ。散らかってるけど」

 解錠した扉を開け、琉斗を中に招じ入れる。

 琉斗は無言でおとなしくついてきた。

「ふあ、すごいっすね」

「だから散らかってるって言ったろ?」

 部屋に入った俺が電灯を点けるなり、琉斗は感嘆とも呆れとも言いがたい声を漏らした。そういえばこいつを部屋に入れるのは初めてだっけ。

 ……まさか高原より先に弟の方を入れることになるとはな。

「三鷹さん、こんなに音楽好きだったんですか?」

 機材やレコードの山を興味深げに眺める琉斗。

「いいや。全部知り合いの。預かってるだけだ。俺にはよくわからん。……コーヒーでいいか?」

 後輩、しかも野郎とはいえ、一応は客だ。俺はエアコンのスイッチを入れてからキッチンスペースに立った。

「あ、おかまいなく。……そういやお姉ちゃん、昔ギターやってましたよ。その辺アピールしたらどうですか?」

 耳寄りな情報だが、いつもの「姉貴」呼ばわりではなかった。取り繕う余裕もないようだった。そっちの方がもっと気にかかった。

 あいにくコーヒーを切らしていたので冷蔵庫の麦茶をグラスに注いで持っていく。

「麦茶じゃないですか」

「おかまいなくって言っただろ」

 ローテーブルに向かって座った琉斗は苦笑した。

「まったく、これだから三鷹さんは」

「ほんで? 何の用だ?」

 少し緊張のほぐれた様子の琉斗が、麦茶を半分ほど呷って口を開いた。

「実はね……三鷹さんの助太刀をお願いしたくて」

「助太刀?」

 穏やかではない。

「そう。湘南青年振興会って知ってます? 通称ショーセー」

「いや? 商工会議所か何かか?」

「暴走族もどきですよ」

 一瞬反応できなかった。

「……今どきの暴走族ってのはすげー名前つけるんだな」

 琉斗も笑った。

「暴走族ってほどバイクに愛着あるわけでもなさそうなんですけどね。つまるところ非行集団です。そんなに大きくないみたいで、普段集まるのは十五人前後って聞いてます」

 俺はまじまじと琉斗を見てしまった。

 たしかに琉斗は中学生にしてはガタイもいいし、力も強い。以前は野球をやっていたと聞くが、運動神経もよさそうだ。でも、こういう物騒な話とはどうしても結びつかない。なんたってこいつは、高原詩都香(しずか)の弟なのだ。

 おそるおそる訊いてみた。

「まさか、お前もそのメンバー? いや、助太刀って言ってたから、対立する集団のメンバーだとか?」

「まさか」琉斗は顔の前で両手を振った。「俺がそんなことやってたら、お姉ちゃんがどれだけ悲しむか」

 ほっと一安心した。そうだよ、こいつは母親代わりの姉を悲しませられるような奴じゃない。かといって、優等生をやって姉を喜ばせるほど殊勝な奴でもないが。

 正当な理由があるときには、琉斗が拳を振るうのをためらったりしないのを、俺は知っている。

 琉斗は続きを話した。

「メンバーなのは、俺の同級生なんです。小倉(おぐら)っていって、小学校からのね。今じゃ背は俺よりデカいし、強面で結構怖がられてますけど、本当は気の弱い奴でね。背が伸びるまではいじめられてました。そのせいかな、中学に入ってからはたまにヤケを起こすようになって。……あ、でも本当はいい奴なんですよ? うちに来たことも何度かあります」

「そんな奴が、今じゃ悪ガキのメンバーやってる、と」

「……そうなんです。ショーセーは川崎とか横浜辺りを拠点にしてるんですけど、“遠征”っていってたまにこっちにも来るんです。それで、春先にたまたま目をつけられたみたいで」

 川崎や横浜にいるのに湘南なのか。そいつらの頭の中身もきっと度会(わたらい)と大差無いんだろうな。いや、それだと度会の方が下みたいで失礼か。度会の頭の中身がそいつらと……あれ? もっと失礼だな。

「メンバーっつっても、もちろん下っ端の下っ端です。向こうからすりゃ都合のいいパシリでしょう。こっちに遠征してきたときに同じような立場の奴らといっしょに呼び出されて、連れ回されて——そうやってあいつらはだんだんと深みにハメていくわけですが。それで、こないだとうとう、いわゆる振り込め詐欺の現金受け取り役をやらされそうになったみたいです。小倉は怖くなって逃げました。もうついていけないって。でも、そんなの許すような奴らじゃないでしょう?」

 俺は軽く頷いた。まあ、そりゃそうだよな。

「小倉の親父は市議やってるんです。知りませんか?」

「知らん。俺はこっちの地元民じゃないし、そもそも有権者じゃない」

「ま、こんな繫がりでもなきゃ俺も市議会員の名前なんて知りませんけどね」

「それで脅されてるのか? お前が俺たちのメンバーだってバラされたら親父さんが困ったことにならないか、みたいな」

「まあ、それはありました。でも小倉は親にも相談済みです。小倉の両親は、職を失なったって構わないからあいつらとは二度と会うな、って言ってくれてるみたいです。これ以上事が荒立つようならいっしょに警察に行くんだとか」

「……まあ、いい親と言えるんじゃないのか? それでどうして俺に話が回ってくるんだ?」

「小倉が望んでいるのはあくまでも奴らとの穏便な手切れです。この街で中心的なメンバー——と言ってももちろんパシリに毛が生えたみたいなもんですが、昨日そいつに連絡をとってもう抜けたいって伝えてもらったところ、明日の夜に西京舞原港の海浜公園まで呼び出されたとか。きっと袋叩きにされます」

「行かなきゃいいじゃん」

「そうっすよね。行かなきゃいいですよね。三鷹さん頭いいな」

 琉斗は溜息のような笑い声を漏らした。それから、「でも」とポケットから小さな紙切れを取り出す。印画紙にプリントした写真だった。

「——これを見られてるみたいで」

 写真の中で、部屋着姿の高原がぎこちなく微笑んでいた。

「こ、これは……。なんで?」

「言ったでしょ、何度かうちにも来たことがあるって。あいつ、どうもお姉ちゃんに気があったみたいなんですよ。今年の春かな、うちに来たときに新しいデジタル一眼を自慢してて、俺とかいっしょに来た友達とかの写真撮ってました。でも本当のお目当てはお姉ちゃんだったわけです。お茶持ってきたお姉ちゃんに『詩都香さんも一枚どうっすか』なんて」

「……けしからんな。それで、これを見られたって?」

「持ち歩いてたみたいです。少し前にふとした弾みで見られて、追及されて、見栄からつい彼女だって答えてしまっていた。それで……お前が来ないんなら、前に言ってた彼女に来てもらおうかな、とかなんとか。ただの脅しか冗談だとは思いますけど。それでも小倉は不安で、結局俺に全部打ち明けてくれたってわけです」

 俺は肩を落とした。

「とんだ疫病神だな、そいつは」

「ええ。一発殴っておきました。終わったらもう一発殴るつもりです」

「そんで? その小倉ってのは、おとなしく明日の夜行くわけか」

「じゃなきゃ詩都香さんに迷惑かかるかもしれない、なんて言ってます」

「変なところで男気を見せるんだな」

「言ったでしょ、根はいい奴なんだって」

 琉斗がグラスの中身を飲み干した。

「それでそいつらがきっぱり手を引くといいんだが」

「それは大丈夫でしょう。小倉は学校を自主退学して、母親の実家があった名古屋の中学に移るって話です。問題はうちのお姉ちゃんなわけですけど、小倉が言うには「しずか」っていう名前しか教えてないとか。お姉ちゃんの名前、漢字で書くと珍しいけど、読みはよくある名前ですから。写真も私服だし、六十万都市から探し当てるのは簡単じゃないと思います。……でも、絶対じゃありません。お姉ちゃんもうちの中学の卒業生だし、あいつらが小倉の交友関係を洗うほど執念深ければいつかたどり着くかもしれない」

「だから、行くってわけか」

「ええ。あいつらがいちばん守りたいのはメンツです。仲間を抜けるって奴に制裁無しじゃ沽券に関わるって思ってるんでしょう。それさえ守れれば、一文の得にもならないのにわざわざ遠くまでやって来て女ひとり探そうとはしないでしょう。姉貴を拉致して風俗にでも売り飛ばすってんなら話は別ですけど——いてえ!」

 俺は琉斗の頭に拳骨を落としてやった。

「ガキがつまんねえこと言うんじゃねえよ」

 仮定の話でも胸がムカムカする。

「す、すいません。……あぐぅ、痛え。効くなぁ……。いや、それは大丈夫だと思います。あいつらはヤクザじゃないし、その筋との繫がりもありません。むしろ、無茶するんで煙たがられてるとか。警察にもマークされ始めてるらしいし、どのみち長く続く組織じゃありません。それに小倉も骨の二、三本程度は覚悟してます。けど……」

「けど?」

 琉斗はポケットから今度は携帯電話を取り出した。

「少しネットで調べたんですけど、最近締めつけが厳しくなっているせいか、逆に暴発気味になってるみたいなんです。噂じゃ、前に同じように抜けようとした奴が制裁を喰らって一時意識不明の重体だったとか。さすがにそれはね……」

 う、と俺も言葉に詰まった。

「小倉は手切れ金のつもりで、親があいつ名義で作ってた定期預金を解約してもらって持っていきます。要求されてなかった金です。その上で必要とあればいくらかはボコられます。制裁はそれで十分なはずです。でも、もし連中の行為がエスカレートしたら、命に関わる事態になりゃしないかと心配なんですよ。それで、もしものときのために俺、なんとかして止めたいわけです。近くに潜んで、これは危ないと判断したら飛び出して。……それでどうにかなるかはわかりませんけど」

 甘いと言えば甘い考えだ。ひと一人を殺しかけてる暴徒どもを止めに入るなんて、犠牲者第二号に立候補するに等しい。

「警察に通報するんじゃダメなのか?」

「……それもアリでしょうけど、できれば避けたいところです。あいつがあらかじめ仲間を潜ませておいて警察を呼ばせた、って判断されたら、報復があるかもしれません。……それに、事情を訊かれたら小倉だって追及されるでしょう。あいつは覚悟してるみたいですが、俺はできればあいつやあいつの親父さんが困るようなことは避けたいと思ってます。だから俺、あいつには俺が行くって言ってません。ねえ、三鷹さん……」

 琉斗はそこで言葉を切った。

「——学校を辞めて、生まれ故郷を離れて、たった一人で他の街に移る……俺には想像できません。あいつは悪ぶってますが、人を傷つけるようなことができる奴じゃないんです。あいつが一時の迷いで馬鹿な連中とつき合っていたことの罰なんて、それで十分じゃありませんか?」

 俺は答えられなかった。俺だって、もとより清廉潔白な身の上とは言えない。

 それにしても、まったく、こいつは。

「琉斗」

「はい」

 俺が背を伸ばして口を開くと、琉斗は正座した。

「最近な、俺、一条と結構仲いいんだわ」

「あ?」

 琉斗の目が細まる。

「これひょっとしたら高原より先に一条を落としちゃうんじゃないか、と思ったこともある」

「おい」

「だからお前が帰らぬ人になっても、安心しろ、一条は俺がもらってやる」

「ちょっ、三鷹さん……」

 琉斗が俺に詰め寄ってこようとする。

「だけど、お前はいい奴だな。アホな友達相手に体を張ろうとするなんてよ。ふわふわした一条とはお似合いかもしれない」

 琉斗はぴたっと動きを止めた。

「三鷹さん……」

「それで、お前は俺に何を頼みにきた?」

「……俺と、一緒に止め役に回ってくれませんか? 三鷹さんはすごい強いって聞いてます。無理なお願いなのはわかってます。でも、どうか……」

 琉斗は床に手を突いて頭を下げた。大げさな奴だな。

「お前、俺に対するものの頼み方まだ知らんのか」

「え?」

 琉斗が頭を上げる。そして不安そうにポケットに手をやる。

 ……金じゃねえよ。

「俺がお前のためだけに動くと思うなよ?」

「……あ、そうか」

「そうだ」

 納得した琉斗に、俺はひとつ頷いてみせた。

「それじゃあ、想像してみてください。あいつらの暴力に歯止めがかからずに、万イチ小倉を死なせでもしたら、さらに暴発する恐れがあります。殺人となれば警察も本気になる。逮捕されたら刑務所か少年院。しばらく女も抱けない。どうせそうなるなら、その前に……って。『悪いのは小倉だっつーのによ、なんで俺たちが捕まんなきゃいけねえんだよ』『そういや、あいつには彼女がいたな。彼氏が死んで寂しい想いをしてるかもしれないし、ちょっくら俺たちが遊んでやるか』って。狙われるのはお姉ちゃんかもしれません。想像してみてください。お姉ちゃんがあいつらに捕まって、裸に引ん剝かれて、体中を汚い手でいじられて、輪姦され——いてえ!」

「高原で変なこと想像させんなっつってんだろ!」

 いやに具体的な話にまた腹が立って、とりあえず琉斗を殴っておいた。

「う、うぅぅ……マジでいてえ。いや、すいません。そっちの方が三鷹さんのやる気を引き出せるかと……」

「もっとシンプルでいいんだよ」

「それじゃあ……お姉ちゃんを危険から遠ざけるために、動いてもらえませんか?」

「高原のためとあればしゃあねえな。わかったよ」

 俺は最高の笑顔とサムズアップで答えてやった。

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