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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第一幕「瓜生山」
39/106

5-5

 十分ほどしてもみじが戻ってきた頃には、俺の頭は既にパンク寸前だった。

「ぬがあっ、何だよ付帯状況って。ちゃんと文法守れよ」

「そういう文法なの。ひと様の国の言葉に文句をつけない」

 なんだか急に難しくなってないか? 夏休み中の復習範囲をできるだけ広げるためにスピードアップしたとしか思えない。

「そういえばもみじちゃんって、ハーフなの?」

 英語からの連想か、魅咲(みさき)が俺を挟んでもみじに尋ねた。思えば今まで誰ももみじの金髪にツッコまなかったのが不思議なくらいだ。

「あ、いいえ。おばあちゃんが外国人だったんで、クォーターです」

 問題集を取り出したもみじが設定を述べる。

「どこの国?」

 魅咲が問うと、もみじはそこで初めて口ごもった。

「イギリ……いえ、ドイツ人です。ミレイユって名前で……」

 おい、ボロ出すなよ? 大丈夫か、その設定? お前はどうしてそう喋りすぎる?

「ドイツ人なのにフランス名ね。まあ珍しくはないのかな」

 高原がもみじの向かい側から口を挟んできた。ほら見ろ。

 ていうか羨ましいな。高原は世界史のカタカナ人名に悩まされたりしないんだろうな。

 幸い高原はそれっきり隣の来栖に政経を教えにかかった。うんうん頷きながら聞いている来栖だが、俺にはわかるね。これは理解していない顔だ。

 教科書もノートも見ることなく講義を続ける高原。何とかついていこうとする来栖。それでいて二人とも楽しそうだ。人見知りの高原にとって来栖と仲良くなれたことは嬉しいのだろうし、来栖は来栖で高原に一番心を開いている。それどころか来栖は、俺が高原に声をかける機会を与えまいと独占している。

 ……俺も頑張ったんだよ、来栖ちゃん。少しくらい俺が高原と親密になるのを許してくれてもいいんじゃないかね?

 座席の配置は一応考えられていたようで、俺を含めた下層階級の周囲にひとりは成績優秀組がいる。学年トップの魅咲、五番の高原、二十六番の田中が後者で、残りは前者だ。

 その下層階級の中でも最初に集中力を切らしたのは、案の定、家主のお嬢様だった。

「ね、ね、もみじちゃん。退屈でしょ? 向こうの部屋でお姉ちゃんとゲームでもしようか」

 席を立ち、もみじをダシに勉強から逃げようとしやがる。

「……伽那(かな)、あんたねぇ。誰のために始めた勉強会だと思ってんのよ」

 魅咲は呆れ顔だ。

「そんなこと言って、魅咲ったらさっきから三鷹くんにつきっきりじゃない」

 一条が子供のように頬を膨らませた。

「……あ、それはごめん。うん、教えてあげるから座んなさい」

「それよりももみじちゃんはどこかわからないところない?」

 一条の文句はそれなりに正当なものだったが、やはり集中力が切れているのだろう、席に戻ろうとはしなかった。

「じゃあ、ここを教えてもらえますか?」

 ひとりで勉強していたもみじが、分厚い数学の問題集のページを一条に示した。

「ふんふん……ちょっと待ってね。ええと……?」

 一条はもみじから問題集を受け取って、しばらくにらめっこ。その挙げ句、うんうん唸り出した。その口からは解答も解説もなかなか出てこない。

 俺と魅咲は顔を見合わせた。

「一条、お前って……」

「伽那、あんた中学一年生以下なの?」

 口々に言われ、一条がその場にしゃがみ込んだ。

「だって、これ難しいよぉ?」

 一条は途方に暮れた顔をしていた。

 ふと見れば、もみじが冷や汗を流している。

 まさかこいつ——。

「どれどれ?」問題集を一条の手からひったくった魅咲が、きょとんとして顔を上げた。「これ、中学三年生の範囲じゃない? もみじちゃん、一年生じゃなかったっけ?」

 やっぱりか。もみじのアホ。しくじりやがって。

「あ、ええと……うちの学校、小学校からエスカレーターだから、進度が少し早いみたいで」

 もみじがあたふたと言い訳した。

「ふーん、やっぱ都会の学校は違うのね。あたしは伽那の相手するから、誠介、あんたもみじちゃんに教えてやんなさい。それくらいわかるでしょ?」

「うっ……」

 やべえ、そんなに自信無いぞ?

「え、ゲーム……」

「伽那、あんた、三年生の範囲とはいえ中学の問題に手も足も出なかったのよ? 少し反省しなさい」

「ううう、とんだ薮蛇だよぉ……」

 一条は魅咲に首根っこを捕まえられるようにして強制的に着席させられた。

「よろしくね、お兄ちゃん?」

 もみじが俺の顔を見てにっこりと微笑んだ。こいつ……。

 一条が突いた薮から出てきた蛇は、こうして俺にも牙を剥いたわけである。


 ユキさんが準備してくれた上等なランチを挟んで、午後も勉強会は続いた。

 昼食の席で、「ユキさんもいっしょに食べたらどうですか?」と武藤が無遠慮に声をかけたが、ユキさんはやんわりとそれを辞退して給仕に徹した。よくできたメイドさんだ。

 そのユキさんと同じ空間にいるときだけもみじが硬くなるのが気になった。そういえばユキさんも魔術師らしいし、今日の遭遇はもみじにとって不意打ちだったのだろう。

「ねえ、三鷹くん」

 食堂から戻る際に、高原がシャツの袖を引いた。

「あい?」

 俺たちは集団から離れてその場に足を止めた。

 少しうきうきした。今日はずっと来栖に独り占めされてて、高原と話す機会があまりなかったのだ。

「あの、もみじって子、あのときのこと本当に覚えてないの?」

 ——やっぱそういう話題かよ。

 俺は内心がっかりしながらひとつクッションを入れた。

「あのときって?」

「ほら、この前の河原で、わたしが化物——〈夜の種〉を退治したとき。三鷹くんとあの子襲われてたでしょう? ……ごめんね、三鷹くんにくらいは警告しておけばよかった。あの辺りに〈夜の種〉が出てるみたいだって、わたしは知ってたのに」

 謝られても困る。俺たちは進んで首を突っ込んだのだ。

「もみじは襲撃されて早々に気絶しちゃったからな。覚えてないみたいだったんで、俺が誤魔化しておいた。自転車でこけた、って」

 もみじとの間では、俺がそういうことにしておいたことにしておこう、ということになっていた。

「よく信じたわね。小さな子供ってわけでもないのに」

 お、これはもみじに言ってやったら喜ぶかもしれんな。

「一条ほどじゃないけど、お嬢様育ちってヤツだからな。純真なんだよ。それに、あんな化物に遭遇したなんて、そっちの方が信じられないだろう。信じやすい説明があれば、誰だってそっちの方を好むもんだ」

「……それで大丈夫だったの?」

「何が?」

 高原の懸念はよく飲み込めなかった。

「バイト先の子を預かって、不注意で怪我させたってことにしちゃって。クビになったりしないの?」

 ああ、そういうとこまで気を回すんだ、こいつって。

「大丈夫だよ。言ったろ、俺の仕事は事務作業だって。もみじの相手は業務外だし、向こうだって元々無理を押しつけてるのは承知の上だった。それにもみじがかばってくれた。私がバランスを崩したんだ、ってな」

 このストーリーを作り上げたときから考えていた言い訳である。

 嘘を吐くなら常に全力で、って高原も言っていたじゃないか。

 あまりもみじをよい子ちゃんにするのは、素のあいつとのギャップを思えば心配だったが、この場合しかたあるまい。

 高原は思案顔だった。

「……ふーん。やっぱりずいぶん懐かれてるんだ。……嬉しい?」

 言葉に棘がある気がする……というのは俺の自意識過剰だろうか。

「まあ、そりゃ好かれて悪い気はしないけどよ。もみじは対象外だぞ? 俺の対象はいつだって——」

「あーわかったわかった。それ以上言わなくていいから」

 高原は顔をぷいっとそむけて歩き出した。

 よし、追及は何とかかわせたな、と安心した俺はその背についていこうとした。

 のだが——

「三鷹くん」

 高原の顔が目の前にあった。いつの間にか立ち止まり、こっちを振り返っていた。

 さらさらの長い髪が窓から差し込む陽光に透けて青みがかって見えた。

 油断した。

「な……」

 なんだよ、と俺が言う前に。

「あの子を守ろうとしてる三鷹くん、格好よかったよ」

 少しだけはにかむようにしながら、彼女が言った。

 そうとだけ言い残して、高原はきびすを返し、今度こそみんなを追いかけていった。遠心力でふわりと舞った髪の毛から漂う淡い香りが、俺の鼻孔をくすぐった。

 ……ったく、これだから。

 これだから、高原はズルい、と思った。

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