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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第一幕「瓜生山」
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5.「夕の惑ひ」〜つかの間の平穏

 次の出勤日は決められていなかったが、その日の放課後も薄氷(うすらい)調査事務所に向かった。

 もみじは在宅だった。応接室に入った俺を見るなり、口を半開きにしてくれたもんだ。

「お前……その格好、学校行ってたのか」

「当たり前でしょ。学生の本分は勉強だっつーの」

「あんなにボコボコにされて、普通行くか? 呆れた奴だな、お前は」

「そんなにやられてないって。ほとんどかわしたし」

「あたしなんかより、お前の方がよっぽど人外だよ」

 処置無し、と言うように首を振るもみじ。失礼だな。

「んで、もみじは大丈夫なのか、それ?」

「ん? ああ、正直結構しんどい」

 もみじは日中病院に行ったようだった。

 額にガーゼ。両腕と両脚にも包帯。左手首にはギプスをはめている。ふわりとしたカーディガンを羽織っているところを見ると、肋骨の辺りにもバンドか何か装着しているのだろう。その他いたるところにガーゼやら湿布やらがたくさん。

 怪我人ばっかだな、俺の周り。

「折れちゃいないけど、あちこち骨にヒビが入ってたみたいだ。それよりもお前、今朝ずいぶん早く出たんだな」

「学校に行く準備しなきゃいけなかったし。自由業と違って高校生は忙しいんだ」

 などと軽口を叩いてから気づいた。

 もみじの顔に、何やら恨めしそうな色が浮かんでいることに。

「……まったく。せっかくあたしが朝食作って振る舞ってやろうと、痛む体に鞭打ってスーパーまで出かけてやったというのに」

「……うえ?」

 予想外の言葉に、俺はたぶん鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。ああ、そういや今朝のバス停とは逆方向に二十四時間営業のスーパーがあったな。

「何だ、その驚きようは? あたしがお前にサービスしちゃ変か? だいいち、お前が作る夕食を食べてればわかるが、お前普段ロクなもん食べてないだろ」

「お……」

 お前が言うな、と言いたかったのだが、驚きのあまり言葉が出なかった。

 しかしもみじには正確に伝わっていたようだ。

「あたしが言うな、って顔だな。気持ちはわかる。だけどあたしは面倒くさがりなだけだ。やるときゃやる。前の助手だって、退職のときにあたしが作ってやると涙を流して喜んでたぞ」

 泣き叫んでいたの間違いじゃなきゃいいのだが。

「何が泣き叫んでいた、だ!」

 あれ? また口に出ていたか。

「お前はほんとに優しいのか意地が悪いのかわからんな。この有様じゃ料理は無理だし、その内治ったら振る舞ってやるよ」

「そりゃどーも。楽しみにしてるよ」

「……くっ、何だろう。驚かれすぎるのも心外だが、余裕綽々なのも腹が立つな」

 もみじが腕組みして顔をしかめた。

「わがままな。んじゃ、今日は俺が作ってやっか。材料はあるんだろ?」

「ああ。お前に使いこなせればいいけどな。つーか羨ましいな、その体力。あたしに分けてほしいよ。一晩寝たらしゃっきりかあ、若いっていいなあ」

「もみじから言われるとバカにされてる気がする」

「お前からそう返されると、今度はあたしの方がバカにされてる気がするんだけどな」

「でもそう言うもみじだって、今朝俺にメシ作ってくれるつもりだったんだろ?」

「おま……誰かのためなら、頑張れる。なんかそんな気分になっただけだ」

 もみじは俺の顔から目を逸らした。

 一応二階も見て回ったが、さすがのもみじも昨日の今日で散らかすことはできなかったようだ。ほっとして下に戻り、ダイニングキッチンに立つ。炊飯器に米をセットしてから、冷蔵庫の中にある野菜を適当に選んで味噌汁を作ることにする。おかずは今日も野菜炒めだ。

「何か手伝えることはあるか?」

 もみじがひょこひょこと俺のところまで歩いてきた。こんな殊勝な提案、今まで無かったことだ。

「じゃあ、野菜を洗って……無理か、左手ギプスだもんな。野菜を切……これも無理か。——よし、それなら外で遊んできてくれ。子供は遊ぶのが仕事だ」

「お前……ネタがワンパターンなんだよ」

 もみじの頬がひくひくと引きつる。

「別に手伝ってもらうことは無さそうだ。手の込んだ料理なんて作れないからな」

 あとは味噌汁の準備をして終わりである。

「それならあたしが味噌汁の火加減を見ててやるよ。それくらいならできる」

 もみじはそう言うと、少しばかり苦戦しつつもツインテールをほどいて後頭部でくくりなおした。今朝使おうとしたのだろう、食卓の椅子の背にかけられていたエプロンを身に着ける。

 おおお。

 見くびっていた。金髪ポニーテールもいいじゃないか。

 それと、普段は髪型のせいもあってロリっぽさ全開なのだが、髪を下ろしたときのもみじはほんの少しだけ大人びて見えた。

 いや、俺にそっちの趣味は無い。無いが、本人の冗談めかした言葉のとおり、きっと将来は美人になるだろう。それが何年後か、何十年後かわからないが。

 野菜を切りながら、かたわらで火の番をするもみじを窺った。

 手伝いをすると言い出したことも変だが、こんな地味な作業でも楽しそうである。

 困ったな、と思った。

 一時的なもんだと思うが、今の俺はたぶん、もみじから好意を抱かれている。自意識過剰だろうか。

 世に言う草食系男子の多くは異性から向けられた好意に鈍いのではない。実は鋭い。ときに勘違いをするほどに敏感、というか過敏だ。でも勘違いで傷つくのが嫌だから、鈍いふりをしているのだ。相手が痺れを切らして、誤解の余地の無いやり方で好意を示してくれるまで。

 そしてそもそも俺は自分が草食系だなんて思っちゃいない。ただ、まだ青い穂を刈田狼藉する気にはなれないだけだ。

「どうした、誠介? あたしのエプロン姿にぐっと来たか?」

 おっと、見ているのがバレたか。

 ……って、ほら。もみじの顔が少し赤い。コンロの火のせいではないだろう。

「ああ。幼女にも衣装だな、って思った」

「いい加減それやめろ! 中学一年くらいには見えるだろ!」

 あ、そこは謙虚なのね。

 フライパンを握った俺が二口コンロの前に立つと、二人の距離はぐっと縮まった。

「あのさ、もみじ。相談があるんだけど」

 適当に塩こしょうを振りながら、肩が触れ合いそうなほど近くに立つもみじに顔を向けることなく話しかける。……あ、言うまでもないことだけど比喩な。もみじの肩は俺の肘よりも下だ。

「何だ?」

「俺さ、好きな奴いるんだわ」

 さて、どんな反応をするのか。

「知ってる。この間河原であったあの高原って魔術師だろ」

 おっとっと。鋭いな。まあ見た目はともかく精神は俺より年上なのかもしれないし。

「……ああ。綺麗な子だろ?」

「前にお前が言ってた好みのタイプにぴたりと一致してたからな、すぐにわかった。それで、それがどうした?」

 何だよ、見る余裕なんて無かったみたいなこと言ってなかったか?

 俺たちはでき上がった料理を食卓に運んだ。

「いただきます。……いや、それでどうしようかなーって思ってて」

「いただきます。……言いたいことはわかるぞ。昨日の話だと、お前はあの魔術師が〈夜の種〉を容易く討ち果たすところを見たわけだよな」

 俺ももみじも、奇しくも同時にまず味噌汁をすすった。お、いつもより上手くできてるような気がする。もみじの火の番のおかげかもしれない。

「そうなんだよ。昨日言ったよな? とある事件に巻き込まれたって。あのとき、俺と高原は協力してた。俺はこれからもそうやってあいつを助けてやれると思ってた。だから昨日のはやっぱりちょっとへこんだよ」

 味噌汁の椀を置き、俺はご飯に、もみじは買い置きの漬物に箸を伸ばした。

「気にすんな。魔術師ってのはああいう連中だ。お前が〈モナドの窓〉を開けるようになればまた別だがな。でもそうなったらお前も〈リーガ〉のお尋ね者だ」

「また〈モナドの窓〉かよ。何なんだよ、〈モナドの窓〉って」

「生物の魂に刻まれた、異界に繋がる通路。異界には何にでも生成変化できる質料(しつりょう)だけがあって、実際に形を与えてくれる形相(けいそう)が無かった。少なくとも宇宙を作るには到底足りなかった」

 もみじは漬物をポリポリと噛みながら答えた。

「その質料ってのが〈可能態〉で、形相ってのが〈現実態〉なんだろ? それはもう知ってる」

「魔術師ってのは、その〈可能態〉を呼び込むために、自分の身に具わった魔力を使って〈モナドの窓〉を開く。そしてその異界から来た〈可能態〉に、やはり魂の中にある〈炉〉でこっちの世界の〈現実態〉の素子を与えてやる。この過程が精錬。そんで、そうやってできたエネルギーが魔力」

「それで、その魔力を〈器〉に貯めて、必要に応じて魔法として顕現させる、と」

「そうだ。途方もないことだぞ? なにせ宇宙をまるごと創造できる莫大な〈可能態(デュナミス)〉だ。使い方次第でそれこそ何だってできる。戦うことにしか使えない魔術師があたしは哀れに思えるよ」

「もっと俺の知らない話をしてくれよ。〈モナドの窓〉の開き方とかさ」

「あたしも開けないんだ。詳しいことはわからない。それこそその高原ってのに聞け。教えてはくれないと思うけどな」

 もみじの言うことは正しかった。高原はもちろん魅咲(みさき)でさえ〈モナドの窓〉の開き方を教えてくれない。一条をだまくらかして聞けないかと思っているのだが、あいつはあいつで変なところでガードが固いしな。

 もみじの反応を窺うための話がいつしか本気の相談になっていたことに、そこで気づいた。

「でもな、教えてくれないのはあの女なりの優しさだと思うぞ。〈モナドの窓〉を開けるようになったら、今度こそお前は魔術師だ。〈リーガ〉の指揮下に入るよう勧告され、従わなければ処分される。それはその高原ってのの望むところじゃないんだろ」

「冗談じゃねえよ。そうやって置いていかれる方の身にもなれっての」

「何だ? そんな体験あるかのような口ぶりだが」

「……ああ。幼馴染に昔な。あんなのはもう二度とごめんだ」

「その幼馴染ってのは?」

「今もクラスメートだよ。高校でいっしょになったのは偶然だったけどな」

「……当ててやろうか。その幼馴染ってのも〈鳥無き島の三羽蝙蝠〉の一人だな?」

「なぜわかった」

 俺は憮然として豚肉入りの野菜炒めをかき込んだ。

 ——ぐげ、塩辛い……。もみじの様子を気にしすぎたか。

 野菜炒め一口でご飯を全部食べてしまい、席を立っておかわりをよそいに向かった俺の背に向かって、もみじはころころと笑いを浴びせてきた。

「なーるほどな。お前、不実な奴だな。女心がわかってないだけじゃない。自分の心さえわかってないんだ」

「ちびっ子が女心とか語るな」

 席に戻った俺は、警戒しつつピーマンを口に運んだ。

 ……これもだ。ダマになって部分的に塩分濃度が高くなっているのではなく、全体的に塩こしょうを振りすぎたようだ。

「なあ、誠介」もみじは茶碗を下ろして居住まいを正した。「今は高原だの、その幼馴染だのと青春を送ったらいいとあたしは思う」

「んあ?」

 俺は聞き流しながらポットのお茶を湯呑みに注ぐ。

「今のあたしが、全然お前と釣り合わないのはわかってる」

「あちっ! ……ああ」

 淹れたばかりのほうじ茶は思ったよりも熱かった。

 ……って、あれ? いつの間に軌道修正に成功したんだ? つーか、そこまで直截な話を振った覚えは俺にはないぞ。

「昨日も言ったが、お前はひょっとすると異能者かもしれない。だけどあたしは報告せずに黙っていようと思う。……実はこれも立派な違反なんだがな」

 俺はそこでもみじの湯呑みにもお茶を注いでやった。見え透いた時間稼ぎだったとは自分でも思う。

「……ありがとう。で、だ。昨日も言ったけど——ああ、もちろん寝言だ。お前が聞いていたかはわからないけど——、あたしだってあと十年もすれば今のお前と釣り合うようになってると思う。たぶん、背も伸びるし、顔にもメリハリがつくし、胸だってお前の好みに合致するくらいには育つと思う」

 もみじはそこで言葉を切った。

 なんだか昨夜眠りに落ちる前の想像が蘇ってきた。

「——もし十年後もお前が生きていたらな。——ああ、他意は無い。ただ、魔術師の周辺にいる人間ってのはどうしてもな。……うん、もし十年後、今日のことをお前が覚えていたら、一度あたしを探し出してくれないか?」

「今日のことって、これからも俺は来ますよ?」

「……ああ、お前にとってはそうだな。何の変哲もない普通の日だろうよ。……でも、あたしにとってはそうじゃない。あたしが生まれて十七年、初めてこんな気持ちを理解した日だ」

「もみじ……」

「それまでどんな遍歴があっても気にしないぞ。それにお買い得だと思うんだ、あたしは。何たって、お前が四十や五十の中年になってもあたしは——しょっぱ!」

 俺が止める間もなく、言葉を切って野菜炒めの中から肉だけを選り出して口に入れたもみじが悲鳴のような声を上げた。空いた左手を湯呑みに伸ばすも、手首がギプスで固められているせいで上手くつかめずひっくり返してしまう。

「あーあー、もう」

 俺は腕を伸ばしてこぼれたお茶を布巾で拭いてやった。

「げほっ……、わ、悪い。……じゃねえ。あたしだけが悪いんじゃないよな、今のは」

 もみじは空の湯呑みを手にしたまま俺に恨みの籠った視線を向けてきた。

 まあたしかに半分は俺のせいだな。

 いや、もうひとつ反省すべき点があった。左手が不自由なもみじは、普通のご飯は食べづらいんじゃないのか? もみじは文句ひとつ言わなかったが、気が利かねえな、俺って。

「……こりゃ、水洗いかな」

 俺は自分の皿の野菜炒めに目を落とした。

「ていうか捨てるしかないだろ。生産農家には悪いが、食えんもんは食えん」

 俺が再度注いでやったお茶を、もみじはふぅふぅと冷ましながらすすった。

「すぐにもう一品作るわ。野菜炒めでいいか?」

「お前それしかレパートリー無いだろうが」

「……あ、そうだ。こんなのどうだろう?」

 ふと思いついて、もみじの前から、まだ手をつけられていなかった茶碗をひったくる。

「あん? どうするんだ?」

「野菜たっぷりチャーハン。豚肉入り。卵あったよな?」

 チャーハンならもみじもそれほど不便を感じないだろう。

「雑な料理だな」

 そう言いつつもこの着想を気に入ったのかうっすらと微笑みながら、もみじが野菜炒めの皿も押しやってよこした。

 コンロの前に立つ俺は、ほっと胸を撫で下ろしていた。

 こっちが水を向けた話とはいえ、あのままではどこに進むかわからなかった。それをどう受け止めたらいいのか、心の準備ができていない。

 肩越しにそっと目を遣れば、もみじはお茶を飲みながら髪をいじっていた。もみじはもみじで自分の発言を後悔しているようにも見えた。

 ——この野菜炒めに救われたか。

 苦笑いしながら、溶き卵を絡めたご飯をフライパンに投入した。

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