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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第一幕「瓜生山」
34/106

4-16

 翌朝目覚めたとき、ソファの上にもみじの姿は無かった。時計を見れば午前六時前。

「もう起きたんか。あいつも大概タフだな」

 大きく伸びを打ってから、ストレッチで体の各所を解きほぐす。ところどころ痛んだが、骨にも筋にも異状は無かった。むしろ、窮屈な体勢で寝たことによる強張りの方が気になるくらいだった。

 家中探してももみじはいなかった。こんな朝っぱらからどこに出かけたんだ?

 書き置きを残して、俺も事務所を出た。

 俺にとっては激闘の翌日でも、世間様にしてみればごく普通の平日だ。当然学校がある。制服は泥だらけの皺まみれだし、家に戻ってシャワーも浴びたい。

 まだ少しダルさが残る首筋を揉みながら、一日の活動を控えた住宅街の中を表通りに向かって歩く。

 早くも家を出て駅へと向かう社会人もちらほら見えた。この街には新幹線を使って都内に通勤している勤め人もいるのだ。偉いよなぁ、と感心するとともに、できれば自分はそんな生活は避けたいとも思う。

「十年後、ね」

 ほんと、どんな生活してんのかな。

 バスはもう動いていた。こんな時間にバスに乗るのは初めてだった。意外と道路が混んでいる。新幹線ではなく高速道路を使って遠隔地に通勤する人も多いのだろう。

 家に帰ってからシャワーを浴びた。湯上がり後に鏡を見ると、心配していたほど頬は腫れてなかった。少し赤くなっているくらいだ。湿布でも貼ろうかと思ったが、それも大げさな気がしてやめた。

 予備の制服を準備し、途中のコンビニで買ってきた弁当を温め直してかき込むと、ちょうどいい時間になった。


「どうしたのよ、それ?」

 ホームルーム前の教室で俺の顔の異状に最初に気づいたのは、やはり魅咲(みさき)だった。こいつの目は誤魔化せない。

「ああ、ちょっと殴られてな」

「一発もらっちゃったんだ。まだまだ修行が足りないな」

 何を早合点したのか、魅咲は渋面を作ってうんうん、と頷いた。

 一発もらっちゃうのもダメなんですか。

「あたしが鍛え直してあげよっか。その辺の不良になんて絶対に負けないように」

「なんで不良と喧嘩したことになってんだよ。俺は平和主義者なの。だいいち、お前の訓練なんてどうせひたすら組み手だろ?」

「だってぇ、あたしが多少なりとも熱くなれる相手なんてぇ、誠介くらいなんだもぉん……」

 魅咲が鼻にかかった声を出した。

「言っとくけどさ、お前、男への甘え方壮絶に間違ってるからな? 組み手の相手してくださいって、それでキュンと来る男がいると思うなよ?」

 魅咲相手の組み手をやるくらいなら、小隊単位の〈夜の種〉と死闘を演じる方がなんぼかマシだ。

「相川さん、俺は俺は? 俺もちょっと鍛えたいなって思ってたんだ。こう見えても俺、中学時代は“鍵盤の皇帝”って呼ばれてぶいぶい言わせてたんだぜ?」

 武藤が後ろの席から身を乗り出してきた。いるのかよ、キュンと来る馬鹿が。

 ていうか武藤、オスカー・ピーターソンのレコードならうちにあるからな? 早く引き取れよ。

「それじゃ武藤くんも来る? 誠介と一緒に」

「なーんだよ。俺は三鷹のおまけかよ」

 武藤は机に突っ伏した。

「あー、やめとけってばよ、武藤。命拾いしたと思え。ほら、落ち込むな。“アッペンデックスの武藤”って呼んでやっからよ」

「何だそれ。ちょっと格好いいじゃん」

 武藤が顔を上げる。こいつ馬鹿だな。

 魅咲はやれやれ、と肩をすくめ、ちょうど登校してきた一条の方へと歩み去っていった。

 その背を、武藤がじーっと見つめていた。

「……はぁ。いいよなぁ、相川さん。スタイル完璧だしさ。顔も可愛いし、愛嬌もあるし」

「お前、高原はダメで魅咲はオッケーなのかよ」

 武藤の基準がわからん。ていうか、他の男が魅咲を褒めているのを聞くと、どうしたわけか背中がむずむずする。

「なんでお誘い断っちゃうんだよ。俺も相川さんと寝技かけ合ったりしてみてえっつーの」

「魅咲の相手したら、お前なんて寝技に持ち込むどころか開始コンマ一秒で立ち技で終わりだかんな?」

 俺はその二十倍くらいはもつ自信があるけどな。

 それでもまだぐちぐち言う武藤をなだめすかしていると、教室の後ろの扉から高原が入ってきた。

「おはよう、高は、ら……?」

 俺も武藤も、ポカンとして高原の顔を眺めてしまった。

「おはよう、三鷹くん、武藤くん」

 仏頂面を浮かべた高原は、何事も無かったかのように俺の席まで歩いてきた。

「三鷹くん、昨日の自転車、置き場に駐めておいたから。わたしは鍵持ってなくて施錠できなかったから、今の内に施錠してきた方がいいんじゃない?」

「あ、ああ。サンキュー。つかお前、どしたのそれ?」

 俺は高原の右頬を指差した。掌みたいに大きな絆創膏がべったりと貼られているのだ。

 あの〈夜の種〉との戦いの傷かとも思ったが、高原が負傷するような要素はどこにも無かったはずだ。

「……こけた」

「こけ?」

「だから、三鷹くんの自転車で転んじゃったの。乗ろうとしたらサドル高すぎ。ペダルに足届かないし、そのままの勢いでずでん、って。結構大きく擦りむいちゃった。」

 見れば、スカートから覗く右膝の下にも包帯が巻いてある。

「高原、お前……お前ってさ……」

「何よ? あ、自転車は無事だから安心して」

 あんなヤバい化物を瞬時に屠ったくせに、その後自転車でこけた? 顔だけ見れば、俺よりずっと大怪我だぞ?

「いや、バカだな〜、って」

「何それムカつく。半分は三鷹くんのせいなんだからね」

 高原は眉根を寄せて自分の席に向かった。

 昨夜の出来事以来、武藤の言うとおり、高原はもしかしたら本当にヒマラヤの鷲みたいに手の届かない存在なんじゃないかと思い始めていた。

 それがどうだ。こんな風に、予想もしない形でこっちに下りてきてくれるじゃないか。

 乙女の柔肌を擦りむいた高原には悪いけど、なんだか笑えてきた。

「しずかちゃん、どうしたのそれ? また怪我? よく怪我するよね」

「誠介がほっぺた怪我したと思ったら、あんたもか! ほんと似た者同士だわ」

 田中や魅咲のそんな声を背にしながら、俺は教室を出て駐輪場に向かった。なんだか不思議に満ち足りた気分だった。

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