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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第一幕「瓜生山」
33/106

4-15

 洗面器をいったんゆすいでからお湯を注ぎ、タオルといっしょに持って応接室に戻った。

「ほら、持ってきたぞ……っと」

 途中で口をつぐんだ。

 もみじはすでに眠りに落ちてしまったようだった。すうすう、と規則正しい寝息が聞こえてくる。

「……血まみれの顔で寝るのは嫌なんじゃなかったのかよ」

 血まみれというのは大げさだが、左の頬から首筋にかけて乾いた血がこびりついていた。白いカッターシャツも胸元まで汚れている。もう出血は止まっているようだが、痛々しいことこの上ない。

 お湯にタオルを浸して絞る。起こさないようにってのはちょっと無理かな、と考えながら、そろそろとタオルをもみじの頬に近づけた。

 血を落としてやってる最中、意外にももみじは目を覚まさなかった。何度かタオルを絞りつつ、可能な限り刺激しないようにごく軽く擦っていく。

 頬、顎、首筋と来て、次は……。

「やましいことは何も無い。やましいことは何も無いんだ」

 ぶつぶつと小声で自分に言い聞かせながら、カッターシャツのボタンを二番目まで外し、鎖骨の辺りまで拭いてやった。これ以上はさすがにちょっと無理だ。

 洗面器とタオルを片づけ、消灯して俺もソファに倒れ込む。

 時刻は九時半を回ったばかり。普段の俺にとっては宵の口だが、何せ心身ともに疲労困憊だ。この窮屈な寝床でも、すぐに入眠できるだろう。

「おやすみ」

 そう呟いて目を瞑ろうとしたとき——

「少しはドキドキしたか?」

 なんと、もみじが声をかけてきた。

「……タヌキ寝入り巧いね」

 俺は顔をしかめた。タチ悪いな、おい。

「さすがにボタン外されたときには目を開けようかと思ったぞ。大胆なマネするな」

「俺の優しさ返して」

 もみじは「くっくっく」と笑ってから、「あてててて」と身じろぎした。アホか、こいつは。

「すねるなよ。悪かった。あたしだって男と同室で寝るなんて初めてだからな。警戒してお前を試すくらい許せ。……で、どうだ? ドキドキしたか?」

「こんな疲れてて、しかももみじ相手に勃起するわけないっしょ」

「でも『やましいことは何も無い』って呟いてるお前はケッサクだったぞ。笑いをこらえるのに苦労した」

 ——早口になってるよ、もみじちゃん? 俺の下品な物言いのせいで動揺したようだな。

「あ、男と同じ部屋で寝るのが初めてってことは、もみじは処女なんだ」

 ぐ、と今度こそもみじが言葉に詰まる気配があった。

 実年齢が同じくらいとは言え、見た目年下の女にいつまでも主導権を握らせておく俺ではないのだ。

「あー、もう。あたしが悪かったよ。寝ろ」

「へーい」

 俺はまた目を瞑った。

 しかしもみじの沈黙は一分と続かなかった。

「三鷹……」

「ちょっ、今寝ろって」

「ああ悪い。寝言だと思ってくれ。いつでも寝てくれていい。……お前にはバカにされるかもしれんが、あたしにはな、夢があるんだ」

「…………」

 俺は黙って聞いていた。寝言だと思ってやろう。

「たぶん、あと十年もしたら、あたしもどうにか今のお前と同じくらいの年頃に見られるようになると思う。そうしたらな……」

「…………」

 あれ? 何だこの空気。

 さっき血を拭ってやったときよりもよっぽどドキドキしながら続きを待った。

「——そしたら、いったん休業して、高校に通ってみたいんだ。手続きはお役所に頼み込めば何とかなるだろう」

 はぁ、なんだよ。何言われるのかと緊張したじゃねえか。

 でも、実にもみじらしい夢だと思った。応援してやりたくなる夢だった。

 ——十年後、か……。

「それで、その後はまた何年かブランクを置いて、今度は大学に行きたい。一応、普通の学校科目の勉強もしてるんだ。今すぐにだって高校に通えるくらいの学力はあるつもりだ」

「…………」

 俺が当たり前に享受してる生活も、もみじにとっては努力してつかみ取るべき夢なんだな。それも、今回のような危険な仕事をこなす日々の先にあるのだ。

「それでさ……。今日のはちょっとヤバかった。正直もうダメかと思った。お前にはあんとき、覚悟はしていたみたいな格好いいこと言ったけど、嘘だな、あれは。そう思い込んでいただけだった。いざとなったらすごく怖かった。怖かったし、悲しくて悔しかった。あたしの夢もこんなところで同族の手で摘み取られちゃうのか、って。……勝手なもんだろ? 今まで散々その同族を殺してきといてさ。あれだよ、あたしの夢なんてのも、お前ら人間で言うと、殺し屋が普通の生活に憧れるみたいなもんだ。そう思いいたったとたんに、今度は急に諦めちまった。あたしはしょせん〈夜の種〉。こうして殺し殺されるのがお似合いなんだな、って」

「ずいぶん饒舌な寝言だな」

 とうとう口を挟んでしまった。こんなこと、聞いていたくない。こんなこと、もみじに考えていて欲しくない。

「……悪い。いつもは寝つきいい方なんだけどな。……でもそんなとき、お前があがいてくれた——うん、実はあのときはまだほんの少し意識があったんだ。かすれかすれだったけど——お前はあたしを助けようとあがいて、最後には身を挺してかばおうとしてくれた。それが嬉しかった。お前を危ない目に遭わせておいてこんなこと言うのもなんだけどな。……ありがとう、誠介。おかげであたしはまた生きる気になれた。本当はそれだけ言いたかったんだ」

 もみじはそれきり押し黙った。寝言は終わったようだ。

 俺は何か言葉をかけるべきか、それともこのまま黙っているべきか迷い、結局ひと言だけ口にした。

「おやすみ、もみじ」

「……うん、おやすみ、誠介」

 もみじはすぐに寝息を立て始めた。さっきのタヌキ寝入りのときと比べると、ずっと微かで安らかだ。今度こそ本当に眠ったようだ。たしかに寝つきがいい。

 俺の方は少々目が冴えてしまっていた。幸いと言うべきか、考えることに不自由はしなかった。


 ——ああ、あれだな。やっと納得できた。

 高原は釣りをしていたんじゃない。いや、ちゃんと釣りもしてたけど、本当の目的は〈夜の種〉を探すことだったんだ。どこかで怪物の目撃談を耳にしたのだろう。あいつ自身はあまり知り合いが多くないから、魅咲(みさき)や吉村先輩辺りを経由した情報だったのかもしれない。

 そんで、来る日も来る日もポイントを変えて釣りをしながら、本命の“獲物”がかかるのをじっと待っていたわけだ。女子高生が学校帰りに川釣りだなんて傍目には奇行と思われるかもしれないが、あいつのことを知ってる奴だったら、「まあ、高原だし」で納得しちまう。

 昨日の一条の妙に大きなリアクションも理解できた。一条はあのとき、高原の本当の目的に気づいたのだろう。

 ——ったく、何なんだ、あいつは。金をもらえるわけでもないのに。誰に評価されるわけでもないのに。真似できねえよ。

 でも格好よかったなぁ。危機一髪のところに駆けつけて、周りに気を遣う余裕を見せながら、あっという間にカタをつけちまった。俺がやりたいと思ってたことを、全部やられてしまった感じだ。

 ——俺なんかが好きになっていい相手なんだろうか。

 自己卑下するつもりはないものの、どうしてもそう思ってしまう。どうやら俺は、一条から頼りになるなんて言われて、このところ調子に乗っていたようだ。

 それが、実際に超常的な化物と戦ってみて初めて高原との格の差を思い知らされた。さらに言えば、高原はあれが全力全開なんじゃない。魅咲の話によると、あいつらは三人とも、さらにもう一段階力を上げる切り札を残しているらしいのだ。

 ……だけど。

 もみじは俺にも何らかの能力があるような口ぶりだった。それを思い出して、少しだけ気を取り直す。

 と言っても、俺にも何が何だかわからない。打撃が通ったかと思ったら、すぐに元に戻っちまった。

 俺にも何かできるんなら、高原たちに協力してやりたいと思う。でも、今日のあれが俺の力だっていうんなら、まだまったくの足手まといだ。高原の隣に立つことができるまで、どれくらいかかることだろう。

 何ヶ月……いや、何年……。

 ——十年後、か。

 思考はまたそこに戻った。

 十年後、もみじは高校生をやるんだろうか。どんな風だろう?

 高原みたいに雑多な趣味に没頭するのだろうか。

 一条みたいに意図せずしてグループの中心になるのだろうか。

 それとも魅咲みたいに自分の力を持て余しながら適当に日々を楽しむんだろうか。

 来栖みたいに……、クラス委員の松本みたいに……、あるいは文芸部仲間の西村みたいに……隣の浜田みたいに……度会みたいに……。

 十年後のもみじにミズジョの制服を着せて想像していると、同級生たちの顔が浮かんでは消えていった。なんか田中やら武藤やらの顔もあった気がするが、まどろみの中の悪夢と思うことにしよう。吉村先輩の顔が現れなかったのは僥倖だ。

 そうしている内に、一番予想のつかないことに思念が捕われた。

 ——そのとき俺は、二十六歳の俺は、いったいどんな風だろう。

 不本意なことに、高原といっしょにいるというヴィジョンはどう頑張っても浮かんでこなかった。

 そんな無駄な努力を重ねていると、いつの間にか眠りに落ちることができたようだ。

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