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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第一幕「瓜生山」
32/106

4-14

 気を失ったままのもみじを連れて、ようやくのことで事務所に戻ってきた。

 当たり前の話だが、ぐったりとした小さな女の子を連れた俺は、タクシーの運転手から散々怪訝な目で見られた。

「自転車でこけちゃって」と言い訳し、カムフラージュのために事務所の近くの病院まで乗せていってもらい、降りた後はもみじを負ぶって帰ってきたのだ。

 後で警察に一報を入れられてもおかしくはない。そのときはそのときで、もみじに仕事をくれるというお役所が揉み消してくれることを期待しよう。

 もみじが目を覚ましたのは、応接室のソファに寝かせてしばらくしてからのことだった。本当はベッドで休ませてやりたかったのだが、二階まで運ぶ力がもう無かった。

「助かったよ、三鷹」

 上体をわずかに起こしたもみじは、少し痛そうに顔をしかめながらヘルメットを脱いだ。

「どういたしまして。病院、避けた方がよかったんですよね?」

「いや、病院くらいは連れてってくれてもよかったんだが」

 何だ、そうかよ。だったら救急車呼べばよかったな。

「いずれにしても病院は明日だな。体中が痛い。起き上がる気力もない」

「実は俺もです」

 もう一脚のソファに身を沈めた俺も、しばらく立ち上がれそうになかった。

「今晩はここに泊まるか?」

「所長さえ構わなければそうさせてもらいます。動きたくない」

「あたしに変なことするんじゃないぞ?」

「しませんって。所長は俺の三鷹ゾーンから外れてますから」

 もみじはくすくすと笑いをこぼしてから、痛みが走ったのか体を強張らせた。

「……なんか急にその呼び方に戻られると、かえって気持ち悪いな。もみじでいいよ」

「そうっすか。……じゃあ、ちびっ子」

「もみじだっつってんだろ! ——あいててて……。ったく、お前みたいなバカの相手するのはほんと疲れるな」

「そりゃどうも」

 それからしばらく、二人の間に沈黙が落ちた。

 先に口を開いたのはもみじの方だった。

「あの〈夜の種〉は?」

「高原——あ、例の魔術師です。前に言った俺の知り合いの。その高原がやっつけました。粉々です」

 高原が颯爽と駆けつけ、〈夜の種〉を念動力で拘束し、変なネーミングの攻性魔法で粉砕するまでの一部始終を語って聞かせた。

「……そうか。まあ、最低限のメンツは立ったか。〈リーガ〉に頼らずに済んだし。死体が粉々となるとちょい面倒だが」

「まずいんですか?」

「倒した証拠が無くなるから小言を言われるくらいだよ。前に死体が丸ごと川に流されて、相模湾で漁船に引き上げられて騒ぎになったことがあるから、それよりはマシだな。今回はあたしが倒したわけじゃないし、お小言くらいしかたないか。報酬はもらうけどな。——あ、そうだ」

 もみじはそこで俺にひと声断りを入れてから、携帯電話を取り出した。見ればディスプレイにヒビが入っている。

「あちゃあ。こないだ変えたばかりだっていうのに。動くかな」

 そんな風にぼやきながら通話を始める。通話には支障が無いようだった。

「……ああ、薄氷です。おや、こんばんは、室長。珍しいですね、こちらにお戻りでしたか。……ええ。例の件です。始末しました。……ただ、ちょっと問題が。……ええ。弾叩き込んだ途端に爆発しちゃいまして。……あ、原型はとどめてないんで安心してください。……すいません、川に流されちゃったもんで。……確かです。何なら他の人員に確かめてもらってもいいですよ。……はい、以後気をつけます。……あ、それから、もう一体にも出くわしたんで、そちらも始末しときました。こっちの死体はいつものように結界張って放置してます。うちの装備も散らばってると思うんで、回収してもらえますか? ……薄氷(うすらい)川の左岸、早緑(さみどり)橋のちょい下流です」

 そこで通話口を押さえたもみじが、「だよな?」と俺に確認してくる。

 少し考えてから頷いた。たしかそんな名前の橋が架かっていたと思う。

 それにしても、他人が電話で話しているのを見守るというのは妙な気分になるものだ。目の前の人間が急に別人になったかのように感じてしまう。

「……はい、確かです。……とんだタダ働きですよ。……え? 本当ですか? ……やたっ! 室長、愛してる。……はい。……は〜い。ありがとうございました。……ええ、おやすみなさい」

 最後にもみじは嬉しそうな顔になり、挨拶を交わして通話を切った。

「どうしたんですか?」

「いや〜、運がいいよ。まだ依頼されてなかったもう一体の分も合わせて、いくらか色をつけて報酬くれるそうだ。話がわかるあのおっさんがこっちにいてくれて助かった。下っ端はいかにも役人らしく頭が固いからなぁ」

「それはそれは」

 仕組みがイマイチわからない俺は、そう相槌を打つことしかできなかった。

 もみじは寝転んだまま片手を伸ばし、携帯電話をテーブルの上に置いた。

「そういえばあの魔術師の女、高原っていったっけ?」

「ええ」不意の質問にまごついた。「——どうしてです?」

「……いや。ま、珍しくない苗字だしな。……あ、電気消してくれるか? 眩しいと眠れない」

「あと一時間くらい待ってください。そしたら立ち上がれるかもしれません」

 そう言ったところでふと思いついて、電灯のスイッチに向けて指を伸ばしてみた。

 見えない力が働いて電灯が消えた……などということはもちろんなかった。

「バカなことすんな。恥ずかしいな」

 もみじが呆れたように言う。俺が何を試そうとしたのかはお見通しだったようだ。

「お前の力はそんいうんじゃない。いや、今はまだそういうんじゃない、と言った方がいいか。まあ、それは今度説明してやろう。あたしも詳しくはないけど。それよりも、お前がまだ寝ないっつーなら今はあたしの話だ。伝えておかないと、気になって寝られそうにない」

「はい」

 俺は素直に頷いた。

「……もうわかってると思うが、あたしも〈夜の種〉だ」

 もう一度頷く。

 もみじが自分は裏切り者だと語ったときから、予感はしていた。病院へ連れていくのを避けたのもそのためだ。こちらはどうやら余計な気遣いだったようだが。

「〈モナドの窓〉すら開くことができない。人間で言えば異能者ということになるが、〈夜の種〉としてはまったくの半端者だ。そして体の構造ときたら、幸か不幸か人間とほぼまったく変わりゃしない。だから病院に行って診療されても別に困りはしなかった。ただ、一点だけ違うのは……」

「成長が遅いってことですか」

 今度はもみじが頷く番だった。

「そうだ。だからこう見えてもあたしは……そうだな、お前とそう違わない年齢だと言っておこうか。なのにこんなナリだ」

「合法ロリ……」

「あ? 何だ? お前、またあたしをバカにしてるときの顔だったぞ? ……まあいい。おかげであたしは見た目も体質も人間そのものなのに、まともな社会生活が送れない。教育然りだ。小学校や中学校の間の人間ってのは成長が速いからな。全然成長しないあたしみたいなのがいたら浮く。引っ越しを繰り返してるのもそのせいだ。あたしの年頃で二年も三年も見た目が変わらないのがいたら、不審に思う奴も出るかもしれない」

 それからもみじが語ったところによると、最初に自分自身を認識したのは薄氷川の上流だったという。赤ん坊ではなく、幼稚園児くらいの容姿だった。それ以前の記憶は一切無し。警察に保護され、病院に送られ、それからとある検査を受けた。

「身元不明の子供が極秘裏に受けさせられる検査だ。あたしみたいなのは稀なケースだが、生まれながら異能者だった子供を親が気味悪がって物心つかない内に捨てることもある。そういう奴を選別するための検査だ。……で、薄氷川で拾われたから苗字は薄氷(うすらい)、紅葉シーズンだったから名前はもみじ。最初にあたしを見つけたのは紅葉狩りに来たハイカーだったしな。単純なもんだろ」

 検査の結果はまさかの〈夜の種〉。だがもみじは処分を免れた。例の政府機関とやらの管理下に置かれ、自活可能な体力と知識を身に着けてからは、同族の〈夜の種〉を感知する能力の高さを買われてこの稼業を始めたのだという。

「なんでこんなことしてるのかって? 簡単なことだ。やらなきゃ生活できないからだよ。いつまでもぬくぬくと育ててくれるほどあいつらは甘くはない。かと言って、あたしみたいなのができる仕事なんて限られている。他の選択肢は与えられなかった。〈夜の種〉だって飢えれば死ぬんだ。しかもあたしの場合は人間並みの欲求だって持ち合わせている。どうせなら美味いもの食べたいし、夜はベッドで眠りたいし、ギャグ漫画を読めば笑うし、音楽に感動だってする。いつかは恋だってしてみたい——なんで笑うんだよ。……そうしてあたしは同族を狩る仕事を始めたってわけだ。不便と言えば不便だよ。今日倒したあの二体みたいにさ、魚や鳥や虫を食って満足できるようだったら、こんな仕事に手を染めることもなかったんだろうけど」

 そしていつ人間に狩られるか怯えてなきゃならなかったんだろうけど、ともみじはつけ加えた。

「さっきの河原で、お前訊いたよな? 何もしてないのに殺すのか、って。そう、何もしてなくても〈夜の種〉は存在を許されないんだ。〈リーガ〉が統制しているこの世界では、魔法やそれに類する超常的な現象はひた隠しにされている。あんな化物が存在しているだなんて世間に認知されることは、その隠蔽の綻びにつながる。だから生存を大目に見てもらえるのは、普通の動物と同じ見た目か、あたしみたいな人型の〈夜の種〉だけだ」

 一般的な動物の形をとった〈夜の種〉も存在するらしい。ペットとして人間に飼われるのを趣味にしているふてぶてしいのもいるのだとか。

「あたしみたいな完璧な人型は稀だ。とは言え、前に話したかな、〈夜の種〉が生まれる素材——魔術師たちの言うところの〈不純物〉は、普通の人間が普通に生活しているだけでも溜まっていくって」

「ええ。俺たちみたいなのも、〈モナドの窓〉の隙間から漏れてきた異界の〈可能態〉とやらを知らない内に魔力に精錬してるんでしょう? んで、魔力にならない部分が〈不純物〉で、これまた知らない内に抜けていく、と」

 正直なところ、もみじに聞いたのか、それとも魅咲か一条に聞いたのか、ごっちゃになってしまっていたが。

「そう。だから人口の密集した大都市とその周辺では〈不純物〉が溜まりやすく、〈夜の種〉も生まれやすい。人口六十万のこの街も然りだ。あたしみたいなのは稀と言えるが、この街にはあたしの他に少なくとももう二人いる。あたしと違って年季の入った、相当な力を持った奴だ。日本全国なら何百人かはいるだろうな。人型の〈夜の種〉には戸籍だって与えられる。だいたいがあたしみたいな仕事をしているわけだが。——怖くないか、三鷹? お前の近くにいる奴が、ひょっとしたら人間じゃなくて得体の知れない化物かもしれないんだぞ? ま、ほとんど全員があたしと同じような非の打ち所の無い美男美女だけど」

「自虐はやめてくださいよ、もみじ。あと、自虐のくせにひと言多いです」

 ——何だ、このちぐはぐな口調は? 気持ちわりい。

 ええい、もうやめだ。

「……俺のクラスメートだって魔術師だったわけだし。それに、その手の設定の漫画やアニメはたくさん摂取してきたんだ。そういう妄想に浸ることだってあるからな」

「やっぱりおかしな奴だな、お前は」

「だいいち、こんな可愛い金髪幼女が怖いわけないでしょ」

 もみじはぷい、と顔を背けた。

「……バーカ。あたしなんか相手にしてないくせに」

 ま、そりゃそうですがね。でもいつものように「誰が幼女だ!」と怒り出さないところを見ると、少しは効果があったらしい。

「んで、だ。いい加減あたしは寝る。電気を消してくれ。そして立ち上がったら電気を消す前についでに洗面器にぬるま湯を準備してタオルを持ってきてくれ。血まみれの顔で眠るのはさすがに嫌だ」

「注文が多いなぁ。……お前は注文の多い幼女か!」

「そのまんまじゃないか。じゃなくて幼女じゃねえ! ……あいたたたた、怒鳴らせんな」

「それにまだ一時間経ってないし」

「お前はこんな可愛い金髪幼女の頼みを断るのか」

 おいこら。

 不承不承立ち上がる。散々痛めつけられた体は、まだ各所で悲鳴を上げた。俺も殴られて鼻血出たし、ついでに顔を洗ってくるか。

 階段手前の扉が脱衣所だ。蛇口のお湯でまず顔を洗い、鏡を見た。

 頬の辺りが少し腫れてるな。草の葉で切ったのか、細かい傷もある。だけどこの程度で済んでよかったと言うべきだろう。

 顔を洗ってタオルで強めに拭くと、ずいぶんすっきりした。

「やってくれやがって、あの野郎……」

 そんな風にぼやきつつも、もみじの話を聞いた後では、あの〈夜の種〉をそれほど深く憎む気にはなれなかった。

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