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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第一幕「瓜生山」
30/106

4-12

 もみじの涙はなかなか止まらなかった。俺にはどうしていいのかわからず、結局できたのは静観することだけだった。

「三鷹……」やがて落ち着いたもみじが、ぽつりと口を開いた。「戻ってからにしようかと思っていたが、こんなところ見られちまったしな。さっきの質問に答えてや——」

 そのときだった。

 ぱちん、と風船が割れるような音がした。

「なっ!」

 もみじがぱっと顔を上げた。まだ赤い目を、川の上流へと向ける。

「どうしたんすか!?」

「くそっ、油断した! あたしの張った結界が破られた。何か来る!」

「何かって」

「〈夜の種〉……!」

「え? 〈夜の種〉?」

 じゃあ、この死体は? ——と尋ねかけて思い出した。

 事務所を出る前に途中までやっていた作業。

 もみじが排除した目撃証言の一部に見られた奇妙な一致。そうだ、この薄氷(うすらい)川近辺のみならず、上流の垂氷(たるひ)山地や九郎ヶ岳(くろうがたけ)丘陵地帯でも目撃されていた本命に対し、薄氷川の中流から下流にかけてのみ上がっていた証言があったのだ。

『怪魚のようなヤツ』

『太いニシキヘビか何か』

 そして、そのものズバリの——

『巨大な芋虫』

 俺はさっき倒した〈夜の種〉の姿を思い浮かべた。どの証言もそれほどかけ離れていない。

 しかしその一方で、飛鳥井(あすかい)先輩の描いた絵とは似ても似つかない。

 ——それに、もみじも一昨日言ってたではないか。

 これは別の個体だろう、改めて依頼を待てばいい、って。

「……二体いた? ……じゃあ、今から来る奴が!?」

「だろうな」

 もみじが銃を構えて迎撃態勢をとる。俺もそれに倣おうとしたのだが……。

「何もたついてんだ!」

「いや、さっきのワイヤーが絡みついてて……あーくそっ!」

 幾重にも絡まったワイヤーを解こうとする内に、どこをどういじってしまったのかシリンダーが振り出され、中から弾丸がこぼれ落ちた。

 慌てて暗い地面を手で探りながら弾丸を回収しようとしたところで、

「来るぞ!」

 もみじの叫び声と同時に、川面から何かが飛び出してきた。

 もみじが発砲。

 しかし元々命中精度の高くない弾だ。相手はひるみもせずに地上に降り立った。

「こいつは……」

 散らばった弾を回収しながら見れば、飛鳥井先輩の絵が思い出された。

 黒一色の涙滴型の体幹に、短く太い脚とアンバランスなほど長い腕……。身長は優に二メートル半はありそうだ。

「こっちが本命だ! しかもこいつ……!」

 もみじが再度発砲する。避けられる距離ではないはずなのに、相手の体の手前で火花が散った。

 これは——あの工場での戦いの折に高原が見せた防御障壁ってヤツか。

「こいつは……〈モナドの窓〉を開いてやがる!」

 ——〈モナドの窓〉? じゃあ、少し前にいっしょに帰ったときに、一条が感知したのはひょっとして……。

 焦ったもみじが二発、三発と立て続けに発砲した。しかしそれも標的に届くことがなかった。〈夜の種〉は悠然とこちらに歩み寄ってくる。

「野郎!」

 弾丸の回収を途中で諦めた俺が、もみじの前に出ようとしたときだった。

〈夜の種〉の片腕が倍にも伸びたかと思うと、もみじの手にした拳銃を打った。

「きゃっ!」

「げっ」

 もみじの拳銃が宙を舞った。振り抜かれたその腕は、ついでとばかりに俺の胸をしたたかに打った。

 ——マジで河童かよ。

 地面を転がった俺は、今見たものを頭の中で反芻していた。

 この〈夜の種〉の腕は、ただ伸びただけではない。もう片方の腕が同時に収縮していた。昔話に伝わる河童と同じく、両の腕は胴体の中で繋がっているらしい。

 あばらの軋む痛みをこらえて立ち上がる。視線の先のもみじは、〈夜の種〉に迫られているにもかかわらず、足がすくんで動けないようだった。

「何やってんだ、もみじ! 逃げろ!」

 思わず怒鳴った。

 もみじが弾かれたように怪物に背を向けて駆け出した。

 よし、後は俺が——

 そう考え、両者の間に割って入ろうとした、その直前。

「————ッ!」

〈夜の種〉がもみじに向かって右手を突き出した。

 それだけで、触れられてもいないのに、小さな体が五、六メートルも吹っ飛んだ。

 もみじはそのまま、悲鳴ひとつ残さず地面に叩きつけられた。

 俺はキレた。

「手前えェッ!!」

 飛び出した俺を、〈夜の種〉は左腕を伸ばして迎え撃ってきた。

 だが、甘え。その動きはさっきも見た。身をかがめて攻撃をかいくぐり、一気に懐まで飛び込んだ。

〈夜の種〉が収縮していたもう一方の腕を伸ばしてくる。

 これも予想通りだ。左手で軽くいなし、助走の勢いそのままに右拳を胴に叩き込む。

 熊でも殴ったらこんな感触なんだろうか。〈夜の種〉の表面は硬い毛に覆われていた。

 相手はわずかに怯み、二、三歩後ずさった。そして今度は腕を伸ばすことなく、三本しか指のない掌をこちらに突き出してきた。

 ——やべえ。

 俺はあわてて横に大きく跳躍した。さっきまでいた場所の地面が弾け、砂礫が飛び散るのがわかった。

 念動力を衝撃波に変えてんのか。もみじはこれでやられたんだな。

〈夜の種〉には大きな隙ができていた。この機を逃さず距離を詰め、目一杯上げた足で側頭部に回し蹴りを入れてやった。

〈夜の種〉が少しだけよろめいた。

 さらに追撃で股間を蹴り上げる。

「だあッ!」

 一歩バックステップをとった後、もう一発渾身の右ストレート。浮き足立っていた相手はついに転倒した。

 だがそれでも長い腕を器用に使ってすぐさま起き上がる。

 マジかよ、この化物……。

 突きも蹴りも、完璧に入ったはずだ。それなのに、深いダメージを与えた手応えが無い。

 ——ああ。

 そうだよ、わかってたじゃないか。普通の攻撃じゃ〈夜の種〉には効果が薄いって。

 立ち上がった〈夜の種〉だが、不用意な攻撃は仕掛けてこなかった。どうやら奴もこちらを警戒しているらしい。

 俺は相手から目を逸らさないようにしながら一歩下がった。

〈夜の種〉は一歩前に出た。

 そのままじりじりと後退する俺と、間合いを保ちながら前進してくる〈夜の種〉。そうやって互いに手を出しあぐねていると、もみじが倒れている地点まで押し込まれてしまった。

「もみじ……」

 声をかけたが、反応がない。気を失っているのだろうか。

 次の瞬間、〈夜の種〉の右腕が迫っていた。俺がもみじに気をとられた隙を突いた……つもりなんだろうよ。

「誘いだっつーの!」

 実のところまったく気を散らしていなかった俺は、伸びてきた腕をひっつかみ、その勢いを利用して投げてやった。巨体の〈夜の種〉も自分の攻撃の勢いには抗えず、川の中に落ちた。

 その間に俺はもみじを抱き起こす。

「もみじ! おい、もみじ!」

 もみじがうっすらと瞼を上げた。

「誰が呼び捨て許可した……」

 ほっと胸を撫で下ろす。ナリはちっこくても、意外と頑丈なのかもしれない。

「あの〈夜の種〉は?〉

「川に叩き落としてやった。逃げるぞ」

 身長差がありすぎて、肩を貸すのは難しい。自然、お姫様抱っこをするはめになった。もみじがちっこくて本当によかった。

「おい、恥ずかしいな。下ろせ。走れるってば」

 腕の中のもみじが弱々しい声で抗議してくるのを無視して、俺は駆け出した。

 飛鳥井先輩の話では、この怪物は土手の上の人通りのある道までは追ってこなかったらしい。そこまでなんとか逃げおおせれば、とスロープに回り込もうとしたときだった。

 背中に強烈な衝撃を感じた。

「ぐふっ……」

 肺腑の中の酸素が一気に絞り出され、足が地面を離れた。

 水中から舞い戻ってきた〈夜の種〉が、あの衝撃波を放ったのだ。

 吹っ飛んだ俺は雑草の生えた地面に顔をすりつけられ、俺の手から投げ出されたもみじはスロープの手すりに頭を打ちつけた。

「もみじ……」

 頭がくらくらする。まだ起き上がれない。それでも俺はずりずりともみじのもとまで這っていった。

 もみじは意識が朦朧とした様子で、微かに呻いていた。頭のどこかを切ったのか、髪の中から滴り落ちた血が頬から顎にかけて伝っていた。

「く、そ野郎……っ!」

 怒りに突き動かされた俺が身を起こして振り返ると、〈夜の種〉は間近に迫っていた。

 さっき拾ってポケットにしまってあった弾丸を、両手に握りしめる。

 防御障壁とやらで銃弾を弾くというのなら、直接この手で体に叩き込んでやる。

 そうやって拳に力を込めた途端、びりっ、と瞬間的に体中に痺れが走った。どこかで体験した感覚だった。

 構わず駆け出す。

 またもや繰り出された腕を避け、こちらもバカのひとつ覚えのように相手に拳を突き込んだ。

 ——効かねえっつうなら、効くまで叩くだけだ! その体砕き割る!

 今度は左拳を振り上げかけていた俺は、〈夜の種〉が上げた野太い悲鳴に逆に怯まされた。

「あ? 効いてる? ——おっと」

 相手が腕を振り回す。

 我に返った俺はどうにかかわす。

 焦ったのか〈夜の種〉はこの距離で衝撃波を放とうとした。

「せいッ!」

 その隙を見逃さず、正拳突きをお見舞いしてやる。

 これも効いた。相手の動きが止まった。

 チャンスだ。直接ブッ刺してやるつもりで手にしていた弾丸を握り直そうとした。

 そして愕然とした。

「何だこりゃ」

 弾頭を成す宝石——黄紫水晶といったか——が、淡いオレンジ色の光を放っていた。

 そこで〈夜の種〉がまた攻撃を加えてこようとしたので、胴を薙ぐように蹴りつけて黙らせる。

「——〈クラフトアンザウゲン〉。呆れたな、お前、こんな土壇場になって……」

 かたわらに倒れ伏していたもみじが、かすれがちな声を上げた。

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