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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第一幕「瓜生山」
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1-2

 俺、三鷹誠介は、ひと言で言えばまあそれなりに学校生活をエンジョイしている高校一年生である。少なくとも魅咲(みさき)たちに比べれば全く普通だ。

 高校受験の折にはかなり頑張ったが、先日行われた中間試験の成績は中の下くらい。この学校の男子は大概そうだと思うけど。

 幼稚園の頃から実戦武術の道場に通わされていたおかげで、運動神経にも腕っぷしにも自信はある。実際、不本意ながら中学時代はやんちゃで鳴らしていた。が、もちろん今はそんなものに高い価値を置くほど幼くはない。花の男子高校生と来たら、やっぱり恋愛だろ。

 気ままな実家暮らしを捨て、きつい受験勉強をこなして無謀とも言われた入試をパスし、四年前まで女子高だったこの私立水鏡(みかがみ)女子大学附属高校に越境入学してきたのは、もちろんそのためだ。女子高時代のイメージが根強く、なおかつ女子大の附属校であるこの学校は、当然ながら生徒の男女比率が偏っていて、今でも“半女子高”などと呼ばれている。

 ここで素敵な出会いをしてバラ色の三年間を送ることこそ、俺の至上命題であり、受験勉強のモチベーションの素であった。

 そして入学式の当日、俺はさっそく運命の出会いをした。


 彼女は他に誰もいない教室の真ん中の席に座り、本を読んでいた。

 今でもあの時の衝撃を覚えている。稲妻に撃たれたようで、恥ずかしいことに手提げの鞄を取り落してしまった。

 まだこの街に不慣れな俺はその日思った以上に早く学校に着いてしまった。事前に通達されていた初ホームルームの開始より一時間以上早い。生徒はまだほとんど登校していないと見え、がらんとした校庭の片隅に設えられた掲示板でクラス割りを確認すると、手持無沙汰ながらひとまず荷物を置こうと教室に向かったのだった。

 無人と思ってガラリと無遠慮に開けた扉の向こうに、彼女はいた。

 朝の陽光に透かされて、青みがかって見える腰まで届く長い髪。

 抱きしめたら容易く折れてしまいそうな華奢な体。

 意表を突かれたかのようにこちらを向いたその面差し。

 やや生意気そうにツンと隆起した鼻梁。どこまでも白い頬。細いが色濃い眉。輪郭の末端を綺麗にまとめる頤。ツヤツヤと滑らかそうな紅の唇。眉の上ですっきりと切り揃えられた前髪。そして、大人びた顔立ちの中でそこだけが年相応に見える、ぱっちりとした双眸と、その奥の豊かな輝きを宿した瞳。

 ――完璧だった。一目惚れだった。

「お、おはようございます」

 落とした鞄を拾おうともせず、ついつい敬語で俺は挨拶をしてしまった。

「お、おはようございます」

 彼女も同じく敬語になって会釈を返した。

 今でこそかなりフランクな、もうちょっと言えばキツい言葉をかけてくるようになった彼女だが、いささか人見知りな面があって、初対面時から明るく挨拶するなんて真似はできないのだ。

 俺の方はと言えば、置きに来たはずの鞄を拾い上げて回れ右、教室から逃げ出してしまっていた。駆け込んだ男子トイレで息を整え、動悸が静まるのを待った。別に女性に免疫がないなんてことはない。中学時代にだって女友達はいたし、自慢じゃないが彼女がいたこともある。

 ただ、あまりにも不意打ち、あまりにもどストライクだったのだ。

 ふらふらと夢遊病者のように教室に戻り、黒板に貼り出された座席表でひそかに彼女の名前を確認した。

 高原詩都香、それが彼女の名前だった。

「し・ず・か」

 座席表に仮名が振ってあってよかった。俺はハンバート教授よろしく彼女の名前を舌の先で転がしてみた。

 そして、本来のその席の持ち主である田中が声をかけてくるまで、高原の後ろの席に座ってじっと観察したものだ。ときおり肩ごしにこちらを見る高原の迷惑そうな視線を無視して。


 一週間の情報収集を経て(五年ぶりに再会した幼馴染の相川魅咲(みさき)が、高原の小学校以来の親友だったことは、この点で嬉しい誤算だった)、高原に交際相手がいないことを確認。二週目には早速告白。そして轟沈。その後も執拗に食い下がり、今に至る。

「誠介、あんた小学校の頃からそれなりにモテてたけど、今度ばかりは相手が悪いんじゃない?」

 高原への初めての告白が玉砕に終わった後、魅咲にそう言われた。

「いや、相手が手強ければ手強いほど燃えるタチなんでね」

 俺は自分としては最高にいい笑顔で答えた。

「あんたってそんなキャラだっけ? 惚れっぽいけど諦めもいい奴だと思ってたんだけど」

 魅咲は半ば呆れていた。

「いいや、俺はまだ諦めない。高原さんに彼氏がいないことはわかったけど、好きな男とかいるのか?」

「ううん、いないはず」

「じゃあ、女の子が好き、とかそういうパターン?」

「アホか。詩都香(しずか)は普通にノンケよ。たぶん」

「なら俺が諦める理由はないだろ。もっと高原さんの情報くれよ」

「……あんたって時々男気に溢れて見えるのな」

 俺と魅咲の奇妙な共闘は、こうして始まった。

 ま、先述の通り魅咲は高原が真っ当な青春を送ってくれればそれでいいと思っているので、お相手候補を俺だけに限定しないという、何とも頼りない同盟者ではあるが。

 それからの二か月あまりで、俺は高原のことを色々知ることができた。

 アニメや漫画が好きなオタク女子であるが、それに限らず、趣味は多彩。まさしく乱読と言うべき読書の幅広さは校内でも随一だろう。しかも、マルチリンガルという程ではないが複数の言語を読みこなす。

 クールビューティっぽいキャラを演じているのは人見知りの裏返しである。だから初対面の相手には敬語で話すけど、親しくなるにつれて意外とぞんざいな言葉遣いをするようになる。

 母親を小さい頃に亡くし、国家公務員の父親と二つ下の弟との三人暮らしである。父親は都内での仕事が忙しいのか滅多に帰らず、家では高原が家事全般をこなしているらしい。

 成績はかなり良好。英語と数学がとりわけ得意。そのくせ授業中たまに身じろぎひとつすることなく居眠りしている。

 冷めているように見せかけて、実は情にもろい。

 ――最初は容姿に惹かれた一目惚れに過ぎなかったが、知れば知るほど高原に惚れ込んでしまった。そして、決定的なあの秘密を知るに至って俺は決意した。高原たちの支えになろう、と。


 失地回復の戦略会議もどこへやら、どうにか眠気に耐えて迎えた昼休み。いつも通り購買に惣菜パンを買いにいくか、それともたまには学食に行こうかと逡巡していると、なぜか苦虫を噛みつぶしたような表情の魅咲がこちらにやってきた。またも俺は反射的に身を強張らせる。

 が、魅咲が突き出してきたのは天地を砕く剛拳ではなく、ピンクのストライプの可愛らしい布に包まれた四角い物体だった。

「ほら」

「……なんだこれ?」

「お弁当。見ればわかるでしょ」

 ずい、と低くえぐり込むように差し出されたそれを、思わず受け取る。

「なんで?」

「……いや、こないだのお礼もあるしさ。それに、ほら、あんたのこと、うちのお父さんも覚えていたみたいで、一人暮らしで大変だろうから持ってけって」

「こないだのお礼」とは、魅咲たちの秘密を知ることとなった例の来栖がらみの事件のことを指すのだろう。そんなに力になれたわけではないが。ああ、そういえば手料理がどうとか言っていたな。

 そこで周囲のざわめきに気づいた。

 いやはや、これは確かにそういう風に見えるよな。

「や~ん、みさきち、とうとう愛妻弁当?」

 左隣の渡会が、悲鳴にも似た声を上げた。周囲の視線を集めてしまった魅咲が顔を赤らめる。

「なっ、何言ってんのよバカ真由! だいいち、これ作ったのほとんどお父さんだし!」

 照れ隠しついでについタネ明かし。いや、そうではないかと思っていたけどな。

 魅咲の家は地元ではわりと有名な中華料理店である。

 魅咲の父親は俺の武術の師匠でもあるのだが、若い頃に修行のために渡った中国で、ついでに料理も覚えてきたらしい。一応はその店の看板娘であるはずの魅咲だが、料理スキルは決して高くはない。

「え~~、何それ。色気な~い」

 渡会が不満を表明した。ごもっともだ。

「だからあ、そういうんじゃないんだってば! うちのお父さん、誠介のこと昔から気に入ってたみたいで、こないだ、こいつと同じ学校になったって言ったらはりきっちゃって。……それだけ!」

 そう言いながら魅咲は、持ち主不在の机を前後逆に動かし、俺の机にくっつけた。俺の前の席は松本由佳理という眼鏡のに合うクラス委員の女子のものだが、生徒会の集まりに行ってしまっているのだ。

「ほら、変なこと言われる前に食べるわよ」

「お、おう?」

 なんで一緒に? ――と尋ねる間もなく押し切られてしまった。ついでに、いつの間にかやって来ていた一条が、やはり学食に行ってしまった浜田の椅子を拝借して、俺から見て右に腰かけた。

「お、いいね。俺も混ざっていい?」

 午前の休み時間の内にパンを確保していたらしい武藤が、椅子を引きずり左に座る。さらにその隣に度会までもが加わった。

 高原は、と見ると、自分の机を逆転させて後ろの席の田中と向かい合い、自作のお弁当を広げているところだった。いつものように、吉田と大原もそれに加わろうとしている。なんだか釈然とせんぞ。

 弁当箱の蓋を開けてみると、中身は和洋折衷の一般的なお弁当だった。メインは二つにカットされたコロッケ。卵焼きとベーコンアスパラが色を添える。ご飯にはそぼろがかかっていた。

「んで? どの部分をお前が作ったんだ?」

「……お父さんの研いだお米を炊飯器に入れてタイマーをセットした」

 おまっ、それじゃ「ほとんど」どころじゃねーだろ!

 思わずツッコミを入れようとしたその時、右から伸びてきた一条の箸が俺の弁当のおかずを掴み取ろうとした。

「この卵焼きと……こっちのコロッケ美味しそう。三鷹くん、もらっていい?」

「だ、だめっ!」

 俺より先に、なぜかひどく慌てた様子で魅咲が制止した。一条の箸がぴたっと止まった。

「―――あらら、ごめんね~」

 意外にあっさりと引き下がる。一方の魅咲はハッとした表情を浮かべていた。

「か、伽那(かな)ぁ。あんた覚えてなさいよ」

「ごめんごめん。じゃあ魅咲のもらおっと」

 一条は魅咲の恨みがましい目つきに臆することなく、ささっと魅咲の卵焼きをかっさらった。今度は魅咲も何も言わない。

 そんな二人のやり取りを、武藤や渡会がにやにやと眺めている。何なんだ、いったい?

「そういや一条の弁当って、自分で作ってんのか?」

 居心地の悪さを感じて、話題を一条に向けることにした。

 一条はきょとんとした。

「まっさかぁ。ユキさんが作ってくれてるんだよ」

 そう言い、何がおかしいのかコロコロと笑う。

 ユキさんとは、一条の家の住込みのお手伝いさんだ。いや、肩書は家政婦だが、家事に加えて屋敷のセキュリティをも統括する女傑らしい。

 一条の両親も祖父母も普段は本社がある都内で暮らしている。だが一条は生まれた時から体の弱かったため、東京よりは幾分か環境のいいこの街で育てられたのだそうだ。結局一条は健康を取り戻してもこの街を離れることなく、数人のボディガードとユキさんとともに、古いお屋敷で生活している。もちろん、魅咲や高原と離れるのが嫌なのだろう。

「わたしは別にお料理嫌いじゃないけど、やっぱり毎日となると辛いしね。自分で作ってる詩都香には頭が下がるよ」

 ふるふると頭を振る一条。

 そこに、サンドイッチを平らげた武藤が茶々を入れた。

「とか言って、一条さん本当に料理なんかできるの?」

「あー、疑ってるぅ! ……あ、そうだ。三鷹くん、今度はわたしがお弁当作ってきてあげようか。それなら武藤くんも信じるでしょ」

「待て、その流れでどうして俺にじゃないんだ」

 武藤は憮然として次のやきそばパンにかじりついた。

「武藤くんにも作ってきてあげるよ。二人分も三人分も手間は変わらないし」

「おっしゃ! 三鷹、いいよな!」

「いや、遠慮しとく……」

 プロである師匠が作った割に中身が生焼けなコロッケを咀嚼しながら俺がそう答えたのは、一条の作るお弁当に興味がなかったからではもちろん全くない。

 ただ、向かいの席からじーっとこちらを見ている魅咲がなんだか怖かったのだ。


 その後は当たり障りない会話を繰り広げてから、いつになく華やかな昼餉はお開きとなった。そこへ、羨ましいにもほどがある高原との会食を終えたらしい田中が寄ってきた。

「ねえ三鷹くん、帰りにちょっとゲーセン寄ってかないかい? ちょっとこいつらに格ゲーのなんたるかを叩き込んでやりたいんだ」

 そう言い、後ろに控えた吉田と大原を親指で指す。

「ああ、別にいいけど。……高原は?」

 見れば高原は机の向きを戻し、また本を読んでいる。

「しずかちゃんは部活だって。でも、後で合流するかもってさ」

 それなら俺に否やはない。高原が来るかもしれないのであれば、むしろよく誘ってくれたと言わざるを得まい。

 ちなみに、高原の所属する部活は“郷土史研究部”という。その名の通り、日本史や世界史一般というよりは、この街の歴史を調べて回る実に地味な部活だ。高原らしいといえば実に高原らしい。

 上級生はそれなりにいるものの、一年生の部員は高原ひとりだそうな。高原は一年後に自動的に部長になってしまうのを回避したいらしく、たまに思い出したように数少ない知り合いを勧誘しているが、残念ながら俺は誘われたことはない。入れば高原との距離も縮まるかもしれないとは思えど、そんな弱小部(しかも構成員は歴女ばかり)に今から入部届を出すのはなかなかハードルが高いのだ。

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