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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第一幕「瓜生山」
29/106

4-11

「お前、マジでふざけるなよ……」

「だからすいませんでしたってば」

 ギュウギュウと肩を揉んでもらいながら調子に乗って河原への下り口まで飛ばし、自転車から降りると、もみじはうっすらと涙を浮かべていた。

 どうやら肩を揉んでいたつもりではなく、俺に制動をかけたかったようだ。

「怖いなら怖いって声かけてくれりゃよかったじゃないですか」

「お前がわけのわからないことばかりわめいてあたしの言うこと聞かなかったんだろうが! 何だよ『エスノット』って! 何の単位だよ! 何だよ『スピードの向こう側』って! ひとりで行けよ! 挙げ句の果てに『落ちても助けねえ!』だと!?」

「は?」

 何言ってんだ、このちびっ子は? まだ混乱してるのか?

「『は?』じゃねえよ。覚えてないのかよ。お前、絶対に車を運転しちゃいけないタイプだな」

「免許取っても所長は乗せませんので安心してください。んで、今日はもう帰ります? 所長、あなた疲れてるんですよ」

「なんであたしの方が意味不明なこと言ってるみたいになってるんだよ!」

 河原に下りてからはふらつかないギリギリのところまで速度を落としている。今日も日中晴れていたので、幸い水溜りはなくなって走りやすくなっていた。

 なのにもみじはさっきからこの調子だ。このちびっ子の感覚が頼りなのに。

「いや、それよりも集中してくださいってば。〈夜の種〉探すんでしょ?」

「減俸にするぞ、貴様……!」

 もみじがぎりぎりと歯嚙みする気配があった。

 二、三分も走ると、それでも落ち着いてきたようだ。

「ったく。そんじゃあたしは探知に集中するから、お前の相手はせんぞ。スピードはこのままでな」

「へーい」

 ライトを点け、速度を守ってゆっくりと走る。どのみち河原でスピードを上げるのは無理である。


 もみじが小さく身じろぎしたのは、それからすぐのことだった。

「……捕まえた。近い。二千メートルほど北だ。ゆっくり近づいてきてる。少しだけスピードアップを許す」

「へいへい」

「へいは一回でいい」

「へあっ!」

「お前やっぱり宇宙人だったのか!」

 お約束のやり取りをしながら、安全運転で北上。ときおりもみじが相手との距離を告げる。

 少し緊張してきた。ハンドルを握る手もじっとりと湿っている。

「あと五百メートルちょい。——おいおい、そう固くなるな。大した相手じゃない。なにせ〈モナドの窓〉も開けないような奴だ」

〈夜の種〉にも〈モナドの窓〉があり、これを開かないと大した力は使えないというのは聞いていた。

「もちろん、形状や性質によっては普通の危険動物くらいの警戒は必要だが。だがその分、魔術師たちには捉えづらい相手だな。あいつらは開かれた〈モナドの窓〉の探知は得意だが、この手の感覚は大したことないからな」

 もみじは先ほどよりも口数が多くなっていた。もう標的を逃さない自信があるのだろう。

「……所長」

「ん、何だ?」

「所長って、つまりは異能者ってヤツなんですか? 魔術師ではないけど、そういう相手を感じとる能力がある、みたいな」

 自分は魔術師ではない、ともみじは採用の日に言っていた。となると、〈モナドの窓〉を開くことはできないが、超常的な能力を使える異能者ということになる。

「……後で話す。お前が信頼できる奴だとわかったらな」

「俺ってばまだ信頼されてないんすか? 傷つくな〜」

「アホ。この仕事に耐えられるってわかったらってことだ。……お前の性格は信頼しているよ。だから後は能力を示してくれ。ひとまずこの仕事を終えてからだ」

「へあっ」

「まだ続けてたのか、それ」

 もみじの告げる距離が二百メートルを切ったところで自転車を停めた。〈夜の種〉の方は俺たちの存在に気づいているのかいないのか、速度を変えずに近づいてきているらしい。

「あ、くそっ」一度目を瞑ったもみじが悪態をついた。「川の中だ」

「まずいんですか?」

「射殺しても死体が流れる。……ま、それほどデカいわけではなさそうだし、こいつで行けるといいんだが」

 言う間に、もみじはリュックの中から何やら棒状のものを取り出し、折りたたまれていたそれを手早く伸展させた。

 例の拳銃ではない。その正体はすぐにわかった。長さ六十センチあまりの短い弓だった。

「お前、弓矢は射ったことあるか?」

「和弓なら昔いくらか。でもこんなのは初めてですよ」

 おもちゃみたいだと思った。

「お前の腕力では心もとないかもしれないが、大した距離じゃない。こいつを当ててくれ」

 続いてもみじが取り出したのは、長さ四十センチ足らずの金属製の矢だった。ただし、先端部には銛のように物騒な返しがついている。しかも、その尾部にはワイヤーがくくりつけられていた。

「所長は?」

 一応弓と矢を受け取った俺は、弦に矢をつがえてテンションを確かめた。見た目よりも遥かに高度な技術が駆使されているらしく、折りたたみ式にもかかわらずちゃんと引けばかなりの威力がありそうだった。

「あたしじゃその弓は引けないからな。周りに結界を張る。人間から認識されにくくなる結界だ」

「そんなこともできるんすね」

 感心しながら、弓を引き絞って引き分けに入る。

 ギリギリギリ、と弓が軋んだ。

 矢が短いので、あまり深くは引けない。いきおい、中途半端な体勢をとらざるをえず、かえって筋肉に負担がかかった。

「あたしの数少ない特技のひとつだ。絶対じゃないけどな。銃声や悲鳴くらいは誤魔化せる。……よし、もう少ししたらカウントをとる。合図と同時にこいつで照らすから、浮かび上がった影めがけて矢を放て」

 もみみじが今度はマグライトを取り出して俺に示した。さすがに経験を積んでるだけあって準備がいい。

「当たるかどうか保証できませんよ?」

「そのときはそのときだ。また別のやり方を考える」

「……あ、ところで、水浴び中のただの人間だという可能性は?」

 昨日の真鍋の台詞が頭をよぎった。人間じゃなくとも、緑のアイツを射殺というのもまずい。

「こんな場面でも口数が多い奴だな。無い。あたしを信じろ」

「へいへい、わかりましたよ」

「へいは一回でいい。よし、そろそろだ。距離は十メートル程度を想定しててくれ。——五、四、三、二、一……今だ!」

 もみじのライトが川面を照らす。光束の中に、水面からほんのわずかに突き出た黒い影が見えた。

「へあっ!」

 そいつめがけて、俺は矢を放った。

 余計なワイヤーがくくりつけられているのが心配だったが、天佑だろう、矢は狙い違わず的に吸い込まれていった。

 ——きいいいぃぃぃぃぃッ!

 命中の瞬間、超音波のような甲高い悲鳴が辺りに響き渡った。肝をつぶされかけた俺は弓をほっぽり出して耳を塞いだ。

 ただ、その一方で安心もしていた。この声は間違いなく人間ではない。

「よしっ、当たった。三鷹、ワイヤーを引け!」

「お、おうッ! ——どうやって!?」

 そんなん絶対に手を切っちゃうだろ!

「これだよ!」

 もみじが握り拳くらいの何かを放ってよこした。受け取ったそれはデカいリールだった。ワイヤーのもう一方の端はこれに接続されているらしい。

「釣りと一緒だ。後ろに倒れるようにして体重をかけて引っぱる。それから身を起こしながら稼いだ分の長さのリールを巻き取る。そうやって少しずつ引き上げるんだ。——早く!」

 電動のは無いのかよ!

「そういうのは高原に言ってくれ! 釣り具の操作のし方なんてわかんねえ!」

 ものすごいスピードでリールのワイヤーが引き出されていく。〈夜の種〉は逃げを打ったようだ。

「ああ? この街の男子にとって海釣りは基礎教養だろう!」

「俺は静岡出身だってばよ! だあッ! もう! くそっ!」」

 俺はどんどん乏しくなっていくワイヤーの残りに焦りながら、片手でバッグの中から拳銃を取り出した。

「撃つな! ワイヤーに当たったら切れちまう!」

「わかってますよ!」

 もみじに怒鳴り返し、ワイヤーを銃身に何重にも巻きつけた。

「よっしゃ!」

 拳銃がワイヤーごと持っていかれそうになる。リールを捨てて、銃身とグリップを握る。これで手を切る心配はなくなった。

「ふんぬっ!」

 そのまま渾身の力で保持すると、ワイヤーの動きが止まった。

「なっ、お前……!」

 もみじが驚きの声を上げた。

「引っこ抜きます!」

 めきめき、と体中の筋肉が膨らむ。心臓に送り出された血液が各部に行き渡るのを感じた。

〈夜の種〉がもう一度悲鳴を上げた。しかしあの凶悪な矢はそう簡単には抜けまい。

 一歩、二歩、と俺は少しずつ後ろに下がる。悲鳴が上がった位置から察するに、こちらがまごついている間に二十メートル近くまで距離をとられたようだが、この分なら巻き返せる。

 攻防は長くは続かなかった。ワイヤーを拳銃に巻きつけながら引っ張っていると、予想よりも早く〈夜の種〉が音を上げた。

 抵抗が弱まったのを感じた俺は、拳銃を握ったままきびすを返し、土手に向かって一気に走り出した.

「ぐっ、おおおぉぉぉぉおお!」

 最後の抵抗があったが、それも無駄だった。ずるずると引っ張り上げてやった。

 やがて、〈夜の種〉の体が岸に上がる気配があった。また余分なワイヤーを拳銃に巻きつけながら、その現場に戻る。

 どっと疲れていた。

 もみじはそんな俺を振り返ることもなく、リュックから取り出した拳銃を〈夜の種〉に向けた。

 見れば、その〈夜の種〉は予想とはだいぶ異なる姿をしていた。

 巨大な芋虫——こう表現するのが一番適切だろうか。全長は一メートル半ほど。体色は黄緑色で、体の中央には、そこだけ現実の芋虫とは不釣り合いな、羽か鰭のようなものが垂直に生えていた。俺が射た矢は、その鰭と頭の中間辺りに刺さっていた。傷口からは黄色っぽい体液が流れ出し、少々痛々しい。力尽きたのか、今はきゅいきゅい、と弱々しく鳴くだけだった。

 たしかにこいつは普通の生物ではない。

 だけど——

「所長……」

「何だ?」

「こいつって、何かしたんですか? 人を襲ったとか」

「いいや。報告が上がっている限りでは何も。一方的に目撃されただけだ」

 それは知っていた。

「でも、殺しちゃうんですか」

「それが仕事だからな」

 もみじが撃鉄を起こす。

「そうっすか。まあ、そうですよね」

「これがあたしの仕事なんだよ」

 もみじはもう一度繰り返した。今度は自分に言い聞かせているみたいだった。

「だから、悪いな。次はもう少しまともな姿に生まれてきてくれよ」

 シリンダーの回る微かな音。

 それに続いた大きな破裂音。

 俺は耳を塞がなかった。

 もみじはしばらくそのままの体勢を守った。彼女が腕を下ろしたのは、俺の聴覚が平常に戻る頃だった。

 それからもみじは、薄手のシートをリュックから引っ張り出して広げ、それを芋虫型〈夜の種〉死体にかぶせた。風に飛ばされないためか、これも持参してきた石をシートの四隅に置く。

 その作業を無言で終えてから、ようやくもみじが俺に向き直る。

「にしても、お前すげえな。こんなのとサシで力比べして勝っちまうなんてな」

「鍛えてますから。それよりも、所長……」

「前の奴だって、こんなバカげたマネできなかったぞ。いや、いい拾い物だったかもしれん」

「所長……」

「実は今までは仮採用のつもりだったんだが、まだこんな仕事が続けられるようだったら、ぜひとも本採用させてくれ」

「……マジ? 仮採用? 今日までの給料は?」

 俺は一条に借金までしてるんだぞ。

「ま、ロクカケくらいで払うから心配すんな」

「んなことひと言も説明されてないですよ。契約違反じゃないですか」

「覚えてないのか? そもそも契約書なんて交わしていない」

 ……あ、たしかに。

「ひでぇ。ブラックバイトじゃないですか」

「今まで知らなかったのか?」

「ああもう、ほんとひでえな〜。一条にちゃんと金払えっかなぁ……ところで所長」

「あん?」

「——どうして、泣いてるんですか?」

 威勢のいい口調とは裏腹に、もみじはこちらを振り向いたときから、ボロボロと涙をこぼしていたのだ。

「泣いてなんか……ああ、くそっ、またか」

 もみじはスカートのポケットから白いハンカチを取り出して、両目に交互に当てた。

「所長……」

「……気にすんな。この手の仕事を終えた後にはたまにあるんだよ。頭じゃ割り切ってるつもりなんだけどな」

 そこまで言うと、もみじは俯いてハンカチに顔を沈めた。

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