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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第一幕「瓜生山」
25/106

4-7

「なあ、魅咲(みさき)

 始業前に駆け込んだため、この日魅咲とゆっくり話す時間がとれたのは、昼休みになってからだった。

「なに? あ、そうそう。バイトどう? 何やってんだっけ?」

 俺が話を振ろうとしたにもかかわらず、あっという間に向こうに手綱を奪われた。

「ちょっとした事務仕事だよ。楽だし、時給はまあまあ」

 もみじに言われたとおりの逃げ口上を打っておく。そうしながら少し芯の残ったご飯をかき込む。

「なーんだ。どっかの店員だったら、色々サービスしてもらおうかと思ってたのに」

 気楽なもんだな、この幼馴染は。

 ここでメインディッシュの一口カツ。……どうしてこんなに衣がジャリジャリと固いんだ。師匠のやっている店が心配になってしまう。

「そういやあんた、昨日金髪の小さな子連れ歩いてたんだって?」

 魅咲が俺の口元を注視しながら訊いてきた。相変わらず拡散の速いネットワークである。

「ああ。バイト先の子」

詩都香(しずか)もそう言ってたけどさあ。あんた、詩都香につき合ってアニメとか見てる内にそっちに目覚めちゃったんじゃないでしょうね?」

 こいつの脳内におけるオタク男子像も、もみじと大差ないようだ。

「んなわけあるかっつーの。俺はどっちかっつーと巨乳キャラ好きだ」

 俺と魅咲は差し向かいで昼食を摂っていた。先日の“お礼”以来、なぜか魅咲が週に一度か二度の頻度で俺に弁当を持ってくるようになった。今日もである。そしてなんだか回を追うごとに師匠の腕が落ちていっている気がする。

「ふうん? じゃあ、詩都香は?」

 魅咲は腕を組んだ。そういうポーズをとられると、魅咲がなかなかいいものをお持ちであることが強調されて、どうしても目がそっちに行ってしまう。

 当然予想できたツッコミである。俺はキュウリの浅漬けを噛みながら答える。この漬物はいいデキだな。

「二次元と三次元じゃ別だよ。まあ、高原ももう少しあった方がいいとは思うけど」

 高原が今教室にいないのは確認済みだ。部室で昼飯を食べているらしい。

「そういうもんなんだ。ところでさっき何を言いかけたの?」

 魅咲が腕組みを解いた。よかった、俺の発言をつぶしたことくらいは覚えているようだ。

「ん? ああ。ちょっと相談に乗ってほしいんだけどな。……もしさ、お前みたいな強気に振る舞う女がいるとして——いや、怒んなよ。自覚持てよ——そういう女がいたとしてさ、そいつが意に反して弱いところを見せちまったとき、その後こっちはそいつにどんな風に接すればいいかな」

 魅咲は顔をしかめてカツを咀嚼しながら聞いていた。きっと帰ったら父親に文句を言うのだろう。

「いやに具体的じゃない。詩都香のこと?」

 ああ、高原も強気って言えば強気か。範囲限定で。

「うんにゃ、高原じゃない。まだ知り合ったばかりの相手だから、ちょっと接し方に困ってるんだ」

「ああ、さっき言ってたバイト先の子?」魅咲は察しがよかった。「詩都香が言ってたけど、あんたにベッタリなんだって?」そして誤解も甚だしかった。

 高原が魔術師であることに勘づいてああなったんだと説明したかったが、それでは魔術師なる本来秘されてある存在をもみじが知っている理由も語るはめになる。それはもみじの望むところではないだろう。

「……違う、昨日はたまたまだ。普段は人を人とも思わぬひでぇ態度なんだぜ? すぐ怒るしよ。そんな奴が昨日は——」

 そこで俺は口を閉ざした。魅咲が口元を緩めて笑顔を作っていたからだ。

 いいや、俺にはわかるね。これは笑ってるんじゃない。だってほら、目元は笑っていない。

「あんたさぁ、さっき、あたしみたいなって言わなかったっけ? あたしのことそんな風に思ってんだ」

 なるほどね。そこに繋がっちまうわけか。ははは、俺としたことがうっかりだったよ。


 ……あー、ちくしょう。昼休み後半の記憶がねえぞ。

 この前はユキさんにKOされた俺だが、やっぱり魅咲の拳骨は別格だわ。コブひとつ残さず綺麗に意識を刈りとりやがった。

「魅咲と三鷹くんは見てて面白いよねぇ」

 隣を歩く一条は笑顔満開だ。

「冗談じゃねえっつーの。まあ、魅咲の鉄拳制裁に耐えられる男なんて俺くらいのもんだろうけどな」

「それ自慢なの? それとも自虐?」

 俺にもわからん。

 放課後。俺と一条は並んで文化部棟に向かっていた。先週はバイトを始めたばかりだったこともありほとんど顔を出せなかったが、今日は久しぶりに部室に出向くことにしたのだ。

「あ、そうそう。魅咲から伝言」

 文化部棟の入り口で靴を履き替えながら、一条が口を開く。

「そういう子はね、本当は自分が弱いこともよくわかってるから、さりげなく気を遣え、だってさ。相手にその気遣いが伝わるかどうかのギリギリのラインがベストだって。……で、これって何のこと?」

 魅咲の言葉を伝えるだけ伝えて一条は首を傾げた。

 俺の方は途方に暮れていた。そんな小器用なマネができるくらいなら苦労はない。

 しかたがない。正直もみじは守備範囲外だが、こうなったら高原にやったみたいに——

「あ、それから最後に。セクハラはやめろ、だって」

 ……はい。

「三鷹くん、まーた詩都香に何かやらかしたの? わたしが取りなしてあげようか? ……あっ、ちょっと待ってよぉ!」

 独り合点して変な優しさを見せる一条を無視して、俺は部室へと向かった。


 たどり着いた文芸部の部室では、妙な話題が持ち上がっていた。

「オオサンショウウオっしょ、先輩。一昨日の雨で上流から流されてきたんですよ」

「そんなんじゃないってば。直立するサンショウウオなんているわけないじゃない」

 ホワイトボードの前で、飛鳥井(あすかい)先輩と一年の真鍋が言い合いをしている。

「ちーっす。どうしたんすか、先輩」

「あ、三鷹くん。久しぶりね。聞いてよ、私、昨日変なもの見たのよね」

「変なもの?」

 先輩は指でホワイトボードを指した。マグネットで留められたプリントの裏面に、黒のボールペンでいびつな風船のようなものが描かれている。

「何ですか、これ? キノコ雲?」

「そんなもの見ないわよ。……昨日、『文芸通信』の取りまとめで少し遅くなったんだけど」

「あ、お疲れさまでした。そういや俺の原稿……」

「ああ、ちゃんと先週田中くんから受け取ったから安心して。でも、ちょっと使いづらいのよねぇ」

「……と、言いますと? 何か不備でも?」

「選んだ本が田中くんのとかぶっちゃっててね。田中くんも苦笑いしてたわ。ベストセラー作家の新刊が出たときにくらいしかネタかぶりってないから、今号だけ読むとうちであのライトノベルが大流行りみたいに」

「……ああ、なーるほど」

 俺が本を買うことは滅多にないから、今回は田中から借りたラノベの内の一冊で書いたわけだが、それはかぶってもおかしくないわな。次回からはどの作品で書くか、田中とあらかじめ打ち合わせしておこう。

「まあ、三鷹くんがべた褒め、田中くんがやや賛否両論みたいな評価だったから、バランスがとれてると言えばとれてるし、いいんだけどね」

 おや、田中とは意見が合わなかったのか。本なんて好きなように読めばいいと思ってはいるものの、俺から見て明らかに「上級者」である田中と読み方が異なると少し不安になってしまう。

「えーと、それで何を見たんですか? ……あれ? え? どうして三鷹くんわたしを睨んでるの?」

 見事に脱線していた俺たちの話題を、俺の後ろに控えていた一条が軌道修正した。普段話をひっかき回す側の一条にやられたのだから、悔しくもなろうというもの。

「ああ、そうそう。それで、少し遅くなったんだけど、うちは近所だから歩いて帰ろうとしたのよね。薄氷(うすらい)川の河原通って」

 不意に響いたその地名に、うちの雇い主の顔がちらついた。あいつ、今日は何やってるんだろう。

「そしたら……出たのよ」

 飛鳥井先輩の瞳が、眼鏡の奥で妖しく光る。

「……これが?」

「そう、これが」

 俺がホワイトボードの稚拙な絵を親指で指して問うと、先輩は大きく頷いた。

 上が頭部なのだろう。楕円形というか涙滴型というか。丸みを帯びた頭部から体の下端に向かうにつれて次第に細くなり、短い尻尾らしきものを余韻としている。尻尾の付け根にはやや太い脚。頭と胴の境目はよくわからないが、体の上の方には体格に比してアンバランスに長い腕が生えていた。輪郭の内側はボールペンでぐちゃぐちゃと雑に塗りつぶされている。

 直立したオオサンショウウオという真鍋の言もわからないではない。

「いきなり水音がしたから、鳥か魚だと思ったのだけど、それにしては音が大きいかな、って川面に目を遣ったの。最初は大きなゴミ袋に見えた。それが……ほら、学校から五、六百メートル下ったところにちょっと大きめの中州があるじゃない? あの中州に流れ着いたかと思いきや、そこにのっそりと上陸して立ち上がるじゃない。こんな生き物はいるわけないって、何だか怖くなっちゃって」

「普通に人間じゃないんですか? そろそろ暑いですし、水浴びでもしてたんじゃ」

 真鍋がもっともなことを言う。その目は飛鳥井先輩に向けられているかに見えて、その実、一条の反応をちらちらと窺っていた。なるほど、一条狙いというのは本当のようだ。

「一昨日の雨で結構増水してたし、薄暗くなってからそんな川で泳ぐ人はいないって」

「それなら自殺志願者だったんでしょう。死に切れなくて、中州に上がってしまった、と」

「ううん、体型が明らかに人間じゃなかった。こんなのなのよ?」

 飛鳥井先輩は自分で描いた絵を指してこんなの呼ばわりだ。

「ええと、じゃあ、恐竜の子供の緑のアイツがまたダイバーに挑戦、とか」

 一条を笑わせるための冗談だったのだろうが、真鍋のこのひと言に対する一条の反応は芳しくなかった。というよりも眉根を小さく寄せて曖昧な表情を浮かべている。どうやらネタが理解できなかったようだ。

 ま、気を落とすな、真鍋。

「わざわざこんな片田舎の川でロケもないでしょう。……それで、私が動けないでいると、そいつがこっちを向いたのよ。目が合ったような気がして、そこでやっと動けるようになって、全速力で土手の上の道まで走ったわ。後ろでまた大きな水音がしたんで、あいつが飛び込んで追いかけてきたんじゃないかと気が気じゃなかった」

 そして人通りのある道までたどり着いて振り返ってみると、その奇妙な生物は影も形もなかったのだそうである。

「んで、これって何ですか?」

「それがわからないからこうして騒いでるんでしょう」

 間抜けなことを尋ねてしまった俺に向かい、飛鳥井先輩は唇を尖らせた。

「先輩……それって誰かに話しました?」

 それまで黙って聞いていた一条が再び口を開いた。

「まあね。うちのクラスに生物部の子がいるんだけど、話してみたら面白いこと言ってたわよ。先週、似たような目撃談を生物部に持ち込んできた三年生がいたって。……どう、真鍋くん? 先週は雨降ってないし、天然記念物が流されてきたわけじゃなさそうでしょ?」

「河童だって流れるんですから、オオサンショウウオが流されるのも増水のときだけとは限らないでしょ。……ていうか先輩が見たのって、河童だったりして」

「そりゃ恐ろしい。危うく私は尻小玉を抜かれかけていたのか。まあ、伝承とはだいぶ姿形が違ってたけど、あれが河童だって言われても私は驚かないかな。それくらい不気味だった」

 そのわりに飛鳥井先輩は平然としていた。さっきの話だとかなり取り乱して逃げていたのに、ひと晩明けたらケロリとしたものである。見た目よりも打たれ強い性格らしい。

「あと、吉村さんも興味を示してたわね。ほら、生徒会会計の」

「えっ? 郷土史研究部の副部長の? 先輩、あの人と同じクラスなんですか?」

「……三鷹くんにとってはそっちで有名なのね。高原さんが入ってる部活のメンバーまで把握してるんだ……」

 少し引くわあ、と飛鳥井先輩は本当に一歩下がった。

 いやいや、俺だって郷土史研の他の部員のことなんて知らないけど、高原を毒牙にかけんとしているあの両刀女だけは別である。

「そんなストーカーみたいに言わないでください。たまたまですよ。あの先輩目立つから」

「ま、たしかに吉村さんはね。でも結構事細かに訊かれたわ。そのとき描いたのがこの絵ってわけ」

 俺は三たびホワイトボードに貼りつけられた絵を打ち眺めた。

 場所が気にかかる。

 いや、実のところかなり早い段階で予感はあったのだ。先輩が見たという模糊とした姿だって、薄暗かったことを考慮すれば、ぱらぱらと眺めた調査書類の記載内容に照らして納得できないものではない。

「くらすめ——」

「クラスメート以外に話した人は?」

 発話にかぶせられた俺は、驚いて一条の顔をまじまじと見つめてしまった。尋ねようとしたことがまったく同じだったからだ。

 驚いたのは一条もいっしょだったようで、とはいえそこはさすが一条らしくマイペースに自分の質問を最後まで述べてから、俺の顔を見返してきた。

「どうしたの、二人とも? ううん、家族にはなんか話しそびれちゃったし、クラスとここでだけかな、話をしたのは」

 飛鳥井先輩はホワイトボードの自作絵を剥がし、くしゃくしゃと丸めて屑篭に放った。

 俺はもうひとつだけ尋ねることにした。

「昨日の何時頃ですか?」

「いやに食いつくわね。たぶん七時少し前くらいだと思うけど。家に着いたのが七時ちょい過ぎだったから」

 飛鳥井先輩はさして考える素振りも見せずに即答した。既に他の誰かから訊かれていたのかもしれない。

「ま、錯覚とかじゃない自信はあるけど、それは生物部にでも任せるとして。私たちは私たちの活動を始めましょ」

 先輩はそう言ってパンパンと手を叩き、部活の開始を合図した。

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