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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第一幕「瓜生山」
20/106

4-2

 週が明けて月曜日の朝、応募の際に書いたメールアドレスに「採用試験」についての連絡が入った。やはり応募者は多かったらしい。

 今週の土曜日までの都合がいい日の午後五時に、運動しやすい服装で中央競技場まで来てほしいとのことだった。

 こんな不可思議なバイト募集が実在するのか疑問視していたのだが、こうして試験までするところを見ると、事業所自体は存在しているようだ。

 わざわざ競技場で試験をするくらいだ、きっと体力試験だろう。自信はなきにしもあらず。ただ、このところ体育の授業以外で体を動かしていないので、きっと鈍っている。今週は部活を休んで、久しぶりにジムにでも通っておこう。


 そして六月二十日金曜日の放課後。

 俺は学校指定の半袖短パンの体育着姿で競技場のトラックに立っていた。

 まだ半信半疑だが、本当に体力試験が行われるらしい。この日試験を受けるのは、全部で五人のようだ。

 それはともかくとして、である。

「集合」

 ストレッチやアップで思い思いに時間を過ごしていた俺たちに声がかかった。俺たちは言われた通りに声の主であるおじさんの周囲に集まる。

 おじさんは最初に「所長の薄氷(うすらい)だ」と名乗った。てっきりこの街を流れる薄氷川(うすらいがわ)からとった事務所名だと思ったら、どうやら所長の苗字らしい。やや寂しい頭頂部を見ると、失礼にも失礼な連想をしてしまう。よそでネタにされていないといいけど、とこれも失礼極まる同情が湧いた。

 所長の見た目は四十手前くらいだろうか。あるいはもっと若いのかもしれない。三十代でおじさん呼ばわりされたら腹を立てる人もいるかとは思うが、この無愛想な中年はやはり「おじさん」と呼ぶほかない。

「今日の試験の内容だ」

 そう告げた薄氷氏がB5の用紙を配った。その言葉通り、そこには種目が順番に記載されていた。でもこのくらいの情報なら口頭で伝えてくれてもいいのに、と思った。薄氷氏は口数はできるだけ少なくするというポリシーでも抱いているのだろうか。

“薄氷調査事務所”が何をどう調査する事務所なのか知らないが客商売には違いないだろうに、この所長は映画でしか知らない社会主義国の役人のように生硬かつ尊大な態度で、ちゃんと務まっているのか勝手ながら心配になる。

 というか、仮に採用されたとしても、この所長の下で働くのは息が詰まりそうだ。

 少々やる気が削がれた。魅力的な給料は捨てがたいものの、せっかくの人生初のアルバイトなんだし労働意欲の維持のためにももっと和気藹々とした職場の方がいいかな、と及び腰になってしまう。他のみんなも鼻白んだ様子で、作業内容やら待遇面やら色々と質問はあっただろうに、結局尋ねそびれてしまった。

 最初の種目は五十メートル走だった。一応ぴょんぴょんと飛び跳ねて体をほぐしていると、隣の参加者が入念なストレッチをしながら話しかけてきた。

「その体育着、君、ミズジョの生徒?」

 見れば大学生くらいの男性だった。

「ええ、まあ」

 俺は立ったまま足首を持って、脚部全体を伸ばしながら返事をする。

「へー、高校生も応募してるんだ。何歳?」

「十六になったばかりです」

「若いねえ」などと青年が爽やかに笑う。

 聞けばなんでもここ京舞原市(きょうぶはらし)にキャンパスを持つ某大学の学生らしい。箱根駅伝にも毎年のように出場することで知られる名門陸上部に所属しているのだとか。

「あそこ、スポーツ全然でしょ。君は何部?」

「……文芸部です」

「え? 何それ?」

 彼はおかしそうに笑った。俺の方も、我ながらこの答えには内心苦笑してしまったが。

 その後も執拗に話しかけてくる青年に、俺は適当に応答した。

 どうも気に入らない。フレンドリーな言葉遣いとは裏腹に、こちらを見下している感じがひしひしと伝わってくる。俺みたいな素人丸出しの高校生には絶対に負けないと思っているのだろう。

 ……結果として、彼には一応感謝しなければならないだろうか。

 萎えかけていたやる気が、冷ややかな敵愾心によって盛り返されたのだから。

 大人げないことにスパイクシューズまで持参してきた本職にはさすがに勝てず、五十メートル走のタイムは及ばなかったが、残りの種目では全勝してやった。


 携帯電話に知らない番号からの着信があったのは、土曜日の午後だった。

『三鷹誠介さんの携帯電話で間違いありませんでしょうか』

 聞き覚えのあるような無いような声だ。

『私、薄氷と申しますが、先日ご応募いただいたアルバイトの件につきましてお電話を差し上げた次第です』

 おお。あのおっさん、ちゃんと敬語らしきものも使えるんだな、などと自分の倍以上も生きている人間に対して失礼な感慨を抱いた。まあ、それだけ先日の態度が尊大だったということだ。

 かくして、採用通知は俺のもとにやって来たわけである。

 自信が無かったわけではないが、いざとなると高揚感とともに緊張も覚えた。だいいち、あの所長と一緒に仕事をするというのは、やっぱり気が進まないのである。

 ちょっと負けん気を出してしまった結果こうして採用されたわけで、他の応募者に譲ってもいいようにも思えてきた。時給二千五百円なんて俺には過ぎた給与かもしれない、などという妙な小市民根性まで頭をもたげてくる。

 それでも電話口で告げられた通りに週明けの月曜日に事務所とやらへ足を運んだのは、何の資格も持ち合わせていない高校生にこれほどの高給をとらせるバイトに興味があったのと、“調査事務所”と銘打った事業所名が気になったためである。

 だって、名前からして探偵事務所だろ? いい話の種にはなりそうじゃないか。ハードボイルド好きの一条が喜びそうだ。

 あまりの得体の知れなさに、振込詐欺の片棒でも担がされるんじゃないのかという一抹の不安も覚えはしたけれど、そのときはそのときである。逃げるか警察に突き出すかしてやろう。

“薄氷調査事務所”は駅のさらに南にあった。薄氷川の河口からもほど近いので、名称の由来は結局あの所長の苗字なのか川の名前なのか、またどうでもいいことに悩まされた。

 雑居ビルの一室を想像していたのだが、実際に訪ねてみると、事務所というよりも普通の二階建ての住宅だった。庭は狭いし建物自体も目を剥くほど大きくはないものの、一階を事務所に充てても、二階に一人や二人の居住スペースなら十分に確保できそうだ。

 看板もない。門柱に「薄氷調査事務所」と記されたプレートが表札代わりに貼りつけられているだけだ。本当に客商売でやっていけているのかまた心配になる。

 門を勝手に抜け、玄関脇のチャイムを鳴らすと、すぐに応答があった。

『はい。どちら様でしょう?』

「うあ?」

 思わず唸った。

 若い女性の声だったからだ。

 ああ、思い返せばつい先日もユキさんからこういう意表の突かれ方したよな、俺。

『もしもし?』

「あ、いやすみません。こちら、薄氷調査事務所様、で間違いないんですよね。私、アルバイトに応募いたしました三鷹誠介と申しますが……」

 そんな風にたどたどしく来意を告げると、向こうの口調が急変した。

『ああ、そうかそうか。今日って言ってたな。鍵は開いてるから、入って下で適当に待っててくれ』

 呆気にとられた俺をよそにそうとだけ言い残し、一方的に通話が切られた。

 てっきりあの所長の偉そうな口調で招き入れられると思い込んでいただけに、狐につままれたような心地で指示された通り玄関の戸を開けた。するとやはり一般的な住宅の構造を踏襲しているようで、正面にまっすぐ廊下が続いていた。どうにも“事務所”といった風情ではない。

 このまま玄関先で待つべきなのか少し迷い、それでも無礼は若さの特権だ、と妙な理屈をつけて気を取り直し、タタキで靴を脱いで来客用らしきスリッパに履き替えた。

 玄関から続く廊下の突き当たりには階段が見える。上はおそらく居住スペースなんだろう。一番手近な右手の扉を開けるとトイレだった。あの所長には似合わぬ花柄の内装で統一されていて、うちのとは違って芳香剤の妙にいい匂いが漂っている。

 左手の部屋は何かとドアを開けてみると、八畳ほどのフローリングのスペースにソファやテーブルが設えられ、応接室っぽくなっている。

 ここで待っていればいいのかな、とソファに腰を下ろした。奥にはもうひとつドアがあり、別の部屋に続いているようだ。

 さっきインターホンで応対したのはあの所長の娘か何かだろうか。十代半ばくらいの声だったな。先日の採用試験のときに見た所長は四十手前くらいのようだったから、年齢的にも過不足ない。

 などととりとめもないことを考えていると、パタパタと階段を降りる音がした。すぐにこっちに入ってくるのかと思いきや、別のドアが開く気配があった。どうも奥の部屋へと入っていったらしい。この部屋からも廊下からも入れるようになっているようだった。

 あっちで待っているべきだったのかも、と思いつつ待つこと一、二分。

 ガチャリ、と奥の部屋に続くドアが開いた。

「よぉ、新入り」

「あ?」

 反射的に威嚇するような声を上げてしまった。

 だって仕方ないだろう。

 入ってきたのは年端も行かぬ女児だったのだから。さっきインターホンで応対したのはこいつか。

「まったく、一番年下のお前が残るとはなー。年齢制限つけとくべきだったか」

 ……いや、女児と言うと微妙かな。ぎりぎり中学生いってるかな? それにしてもその容姿たるや。

「前の助手が葛城大学の陸上部だったから、またその手の体育会系が合格するかと思ってたんだが、あいつの後輩も情けないな。高校一年生に負けるとは」

 ツインテール。金髪。そのくせ顔立ちは純日本人。髪は染めてんのか?

「ま、とは言え抜群の成績だったぞ。その年で大したもんだ。何かスポーツやってたのか?」

 身長百四十そこそこだろうか。服装は白の半袖カッターにネクタイを締めて、下は紺のプリーツスカート。目は若干ツリ気味で気が強そうだ。

「おっと、自己紹介がまだだったな。あたしが所長の薄氷もみじだ。よろしく」

 どうしよう。

「って、聞いてるのか、お前?」

 どうしよう、冗談なのか本気なのか判断がつかない。

「ええっと、この家の人? お父さんは?」

「いかにもあたしはこの家の人だが、ここにはあたし一人だ。お父さんなんていない」

 俺の真っ当な質問に、少女は胸を張って答えた。

「……この前の試験のときの人は?」

「あー、あれか? あいつはよそから借りてきた人員だ。あたしが出ていって試験を課したんじゃ真面目にやらない奴もいるかもしれないだろ?」

「あ、それは納得」

 あのとき所長を名乗った男性の態度にはやる気を削がれた俺であるが、このもみじとかいうのが試験官だったら、バカバカしくなって帰ってしまったかもしれない。

「あん? その物わかりのよさになんだかこっちが納得できないんだが。ま、いいか。そんじゃ仕事の説明をするぞ」

 もみじが奥の部屋へと向かおうとする。仕事の説明とやらの前に、確かめておかねばなるまい。

「おい、ちびっ子」

「ちびっ子じゃない。もみじだ」

「じゃあ、もみじ」

「所長と呼べ」

 どっちだよ。

「んじゃ所長。所長は本当にここの所長なのか?」

「こっ、このっ! ごっこ遊びの小学生を相手にするような目をしやがって」

 まさにそのつもりだった。

「ほら、あたしの名刺だ。ちゃんと所長って書いてあるだろ」

 もみじがスカートのポケットから一枚の紙切れを取り出し、俺に差し出した。

 今度は名刺ケースも買おうな、と少しばかり優しい気持ちになりながら、角のヘタったその名刺とやらに目を落とす。

『薄氷調査事務所 所長 薄氷もみじ』

 と、たしかにそこには記されていた。

 だけどさ。

「こんなの、パソコンさえあれば今どきのホモ・サピエンス・サピエンスなら誰でも作れるだろ?」

「くっ、口の減らないガキだな! よく見ろ、当局のホログラフが入ってるだろ」

 言われてもう一度目を遣ると、横書きの名刺の右下に金属箔か何かでロゴが押印してある。見る角度をずらすとその色が変わった。

「へ〜、最近のは手が込んでるんだな」

「お前、わざとだろ? わざとあたしをムキにさせて面白がってるだろ?」

 お、鋭いな。

 俺だってここ二ヶ月もの間高原や田中たちに鍛えられたのだ。実際のところこのくらいのことを受け入れる準備はできている。

 雇い主が女子中学生? ——別に構わないともさ。ただ、このもみじという少女の反応のよさに、少しからかってみたくなっただけだ。

「はいはい、わかりましたよ、所長。それじゃ、仕事の説明に入ってください。……あ、その前に。求人誌にあった“手当”ってのはどんなもんなんですか?」

「ああ、あれか?」

 俺が一応納得したのを見てとったもみじは、気が早いことにもう奥の部屋へと続くドアのノブを握ったところだった。

 そして、こちらに顔だけを向けて、ニタリと悪そうに口の端を吊り上げた。

「——危険作業手当だよ」

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