表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第一幕「瓜生山」
17/106

3-5

 目を覚ますと、まず目に入ったのは見知らぬ天井だった……と言いたいところだが、見たことあるな、この部屋。

 って、俺の部屋か。

「あ、つつ……」

 殴られたと思しき後頭部の辺りが、まだ少しズキズキする。

「あ、気がついたみたいだよ、ユキさあん」

 間近で上がった甲高い声が耳に突き刺さり、顔をしかめた。

「一条?」

 頭を動かすと、フローリングの床に座る一条の顔が見えた。

「おはよ、三鷹くん。……ごめんね、うちのユキさんが勘違いしちゃったみたいで……」

 ユキさん? 一条の保護者代わりだっていう?

「え? 俺を殴ったの、ユキさん?」

「うん。わたしがもっと早く気づけばよかったんだけどねぇ」

 うええ、不意打ちとはいえ、俺、そんな人に一発ノックアウトされたのか?

「そんな人」といっても、実のところ具体的なユキさんのイメージを持ち合わせているわけではない。話を聞いただけの俺は、四、五十代くらいの口うるさそうなおばちゃんという漠然とした像を描いていた。

 のだが――

「失礼します」

 さっき聞いたのと同じ、涼やかな声が届いた。そうだ、この声の時点で、俺はもっと違和感を覚えてよかったはずなのだ。

 キッチンスペースに通じる扉が開き、頭を下げながら部屋へと入ってきたのは、意外にもスーツ姿の二十歳そこそこと見える女性だった。膝丈の紺のスカートと同色のジャケットが、就職活動中の女子大生を思わせた。

 彼女が敷居をまたぎ越し、うつむきがちだったその顔が上がると、俺の心臓がひとつ大きく跳ねた。

「んなっ……!?」

 危うく声まで漏れかけた。

 立っていたのは絶世の美女だった。

 淡雪のような肌の上に、顔のパーツが完璧なバランスで配置されている。そうとしか言いようがない。緩やかにウェーブのかかったセミロングの髪は、手近にあったら思わず手を伸ばしてしまいそうになるほど柔らかそうだった。スタイルも抜群で、俺の理想型に近い。

 ミズジョはレベルの高い女子が多いし、一目惚れの相手である高原も美形だけど、これはモノが違う。

 そんな風に俺を陶然とさせる一方で、何やら微かな不安をも掻き立てる美貌だった。

 すぐにその理由がわかった。彼女の美しさは、到底自然の産物とは思えないのだ。個性があまり感じられない。まるで誰かが脳内で捏ね上げた「美」という概念が、そのまま受肉したような……。

 一条のことを人形に喩えたこともあるが、ホンモノはこのユキさんだ。本物の人形、というのは少し変だろうか。

 ユキさんは蛾眉をひそめ、普段はなかなかキツく見えそうな切れ長の目を伏せている。瞳が不安に揺れている。そんな生硬な表情のまま、彼女は俺の横たわるベッドのそばまで歩み寄ってきたかと思うと、床に膝を突いた。

 思わぬ展開に、俺は慌てて上体を起こした。

「つまらない勘違いで大変申し訳ないことをいたしました。なにとぞご容赦ください」

 ベッドに腰かけた体勢の俺に、ユキさんは床に手をついて頭を下げる。ユキさんみたいな女性にこんな謝り方をされると、こっちがうろたえてしまう。いや、それはもはや背徳感と言ってよかった。

「いえ……頭を上げてください。こっちこそごめんなさい。あんな不埒な真似を……」

 おっと。さっき殴られたときのユキさんの言葉をついなぞってしまった。そのせいかあらずか、ユキさんは頭を上げようとしない。海棠の雨に濡れたる風情、とはまさにこのことを言うのだろう。

「もう、三鷹くんってばほんとに意地悪なんだから」

 一条のアホめが場の空気をますますかき乱す。

「わざとじゃねえよ。――あ、すみません、ユキさん。本当に大丈夫ですから、頭を上げてください」

 ユキさんはおそるおそるといった様子で頭を上げた。その深い黒瞳に引き込まれ、クラっときた。

「にしても、三鷹くんって頑丈だねぇ。ユキさん、結構本気で叩いたんでしょ?」

 ユキさんがまた恥じ入って頭を下げる。一条め、余計なことを。

「一応、病院で簡易な検査をしてもらいました。異状は無いとのことですが、明日以降頭痛や目眩が続くようでしたら、改めて検査をお受けください」

 ユキさんはそう言うと立ち上がり、スーツのポケットの中から一枚の封筒を取り出す。

「これを出せば、便宜を図ってもらえますので」

 俺は慌てて固辞しようとしたが、結局抵抗しきれずに封筒を握らされてしまった。その際、ユキさんの繊手に指先が触れた。

 このたおやかな手で俺を殴ったのか、と妙な感慨に打たれていると、ユキさんは俺の視線とその意味に気づいたらしく、さっと袖の中に手を隠した。

 気まずい。

「ユキさんはどうしてあの場に来たんですか?」

 ついついどうでもいいことを訊いてしまう。

 ユキさんは立ったまま、ちらりと一条に問いかけるような視線を向けた。一条が小さく頷いた。

「……〈モナドの窓〉が開かれるのを探知しましたので、伽那(かな)を探しに参りました」

 ユキさんはそう答えた。さっきのは、話していいものかどうか一条に伺いを立てたのだろう。

「じゃあ、あなたも魔術師……? ――あ、すみません、立たせたままで」

 俺は部屋の隅から来客用の座布団を引っ張り出してきて、ユキさんに勧めた。

 ユキさんは小さく頭を下げてその上に腰を下ろした。

 一条の視線が俺に突き刺さる。「わたしには?」とその目が訴えかけている。

 鬱陶しいな、我慢しろ。お前は後回し。こちらの麗人の方が優先されるべきだ。

「ええ……そのようなものです」

 同じく床に座った俺に向かい、ユキさんは幾許(いくばく)かの躊躇を交えて答えた。

 なるほど。魔術師から狙われている一条だ、身辺警護をするには、やはり魔術師の方が適しているのだろう。

「でも珍しいね、ユキさん。普段はこのくらいのことで出てきたりしないでしょう?」

詩都香(しずか)さんから頼まれていたもので。しばらくの間、伽那に何かあっても即応できないかもしれないから、私に護衛して欲しいと」

 そういえば保奈美とやり合う際にも、高原はユキさんに電話をかけて事後処理をお願いしていた。どうやらふたりの間には連絡体制が整えられているようだ。そのくせ本人はのんびりと釣りかよ、とここにいない高原にツッコみたくなったが。

「そういえばあの魔術師はどうしたんですか?」

 ユキさんの方にそう尋ねる。今まですっかり忘れていたが、どこぞの魔術師が〈モナドの窓〉を開いたせいで俺は殴られるはめになったのだ。

 ユキさんが返答するまでには、若干の間があった。

「……どうやら敵対する魔術師ではなかったようです。――伽那、いつも言っていますよね? 相手の力を推し量る余裕を持ちなさい、って。あの程度の相手に竦んで、慌てて〈モナドの窓〉を開くなんて、未熟な証拠です」

 突然向けられたお叱りに、一条は身を小さくした。

「は~い……。ごめんね、ユキさん。おかげでユキさんに間抜けな勘違いさせちゃったしね」

「なっ!? 伽那っ!」

 一条の思わぬ逆襲に、ユキさんが柳眉を逆立てる。今度こそ一条はしゅんとなった。

 なんとなく微笑ましい。保護者と被保護者と言うより、姉妹みたいだと思った。

「ところで気になってたんですが、この匂いは?」

 ユキさんが漂わせている香りではない。彼女が部屋に入ってきたときから、食欲をそそるいい匂いがしていたのだ。

 壁の時計に目をやれば七時過ぎ。そろそろ飯時である。

「あ、はい。余計なことかとも思いましたが、今日の不調法のお詫びに食事を準備させていただきました。お口に合うといいのですが……」

 ユキさんは伏目がちに言う。うわ、助かる。というか、ユキさんみたいな人の手料理を振る舞ってもらえるのは単純に嬉しい。

「そういうことだから、わたしの手料理はおあずけだね」

 一条は何やらさっきから調子に乗っているな。

「あ、それから。もう少しキッチン綺麗にしておいた方がいいんじゃない? もしこの先そういう機会があっても、魅咲(みさき)もあれじゃ嫌がるでしょ」

「悪かったな」

 もう嫌がられたっつーの。

「伽那、そういうことは家の掃除の手伝いくらいしてから言いなさい」

 俺に代わってユキさんが見事に釘を刺してくれた。

「だって、ユキさんが邪魔者扱いするんじゃない……」一条が唇を尖らせた。「あ、ユキさん、もう帰ってもいいよ」

 おいおい、お小言を頂戴したらいきなり邪魔者扱いか? と思ったが、ユキさんはあっさりと頷いた。

「はい、それではそろそろお暇いたします。三鷹さん、今日は本当に申し訳ありませんでした」

 もう一度深々と頭を下げてから立ち上がる。

「あ、いいえ……こっちこそ、誤解を呼ぶようなことをして」

「ふふふ。でも伽那が言うとおり、三鷹さんはタフなんですね。私、あれでもわりと本気で叩いたんですよ?」

「いや、効きましたよ」

 返答に困り、そんな軽口で応じながら頭を掻く。こんな華奢な女性にノックダウンされたこと自体が俺にとっては不本意なのだが。

「それでは、失礼します。伽那のこと、よろしくお願いしますね」

 ユキさんはそう言い残して踵を返した。

 その背がリビングから出ていくのをぼーっと見送った。

 俺の様子を横目で観察していた一条が、

「あんまり見惚れてると詩都香に言いつけちゃうよ? ――あいたっ」

 つまらんことを言うので、脳天にチョップをくれてやった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ