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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第一幕「瓜生山」
16/106

3-4

 それから俺たちはミステリについて少し語りながら歩いた。俺では一条の造形の深さを測ることはできなかったが、たしかに結構読んでいるようではある。

 右手に繁華街の高いビル群が見えてきた。そろそろ右岸へと渡るタイミングだ。

 たまにこっちの心にズケズケと踏み込んでくるところを除けば、一条は一緒にいて楽しい奴だ。昨日は俺が物思いに沈みがちだったせいでなんとなく別れてしまったが、今日はこのままふたりどこかで寄り道するのもいいかもしれない。一条は学校帰りの寄り道が好きなようだし。

 と、ダラダラと堤防の上へと続くスロープの半ばまで上ったところで、

「んあ?」

 何か奇天烈なものが視界の隅をかすめた気がする。思わずゴシゴシと目をこすってしまった。

「どうしたの?」

「いや、釣り竿振ってるミズジョの生徒が見えたような気がするんだが。ほら、あそこ」

「はえ?」

 一条も俺が指差す先を見つめる。

 ついさきほど通り過ぎた場所だ。この時期に何が釣れるのかは知らないが、遊歩道の傍らから川面に至る斜面では、幾人かの釣り人が葦の間に揺れるウキを眺めている。もう少し行けば海なのに、川釣りにこだわりたいのだろうか。

 そんな太公望たちに交じって、見慣れた制服の女子がいるように見えたのだ。

 いや、きっと見間違いだろう。こんなところで釣りをしている女子がいるわけが……

詩都香(しずか)……?」

 一条が自信なさげに声を上げた。

 ああ、やっぱ一条もそう思うか。そんなことやらかしそうな女子なんて、俺も一人しか思いつかない。

 俺たちはスロープを逆戻りしてその現場に近づいていった。

 パイプの脚とポリエステルの座面で構成されたコンパクトな折りたたみ椅子に腰かけ、竿を片手にした女子高生。長い髪が川面を渡る風になびいている。

 案の定高原であった。学校帰りか? ていうかこいつ、こんなもん携帯して登校してたのか。

 高原は仕掛けを引き上げると、傍らの小さなバケツからつまみ上げた餌らしきものを針に通した。左右を確認してから竿先で頭上に「の」の字を描くようにくるくると回し、仕掛けを投入する。なんだか知らないが、めちゃくちゃ手慣れた竿さばきだ。

「高原」

 思わず声をかけてしまった。

 高原は、きょろきょろと辺りを見回した後、背後の俺たちを認めて立ち上がった。

「あらら。伽那(かな)に三鷹くん。お揃いで珍しい」

「お前、ここで何やってんだよ……?」

「見ての通り釣りだけど?」

「いや、そりゃ見りゃわかるけど」

「ああ、ウグイやオイカワ狙いのウキ釣りだけど?」

「対象魚はどうでもいい。そういうことじゃなくってだな……」

「本当は鮎でも狙いたいところだけど、『あれ』はさすがに学校帰りにはねえ」

 高原の指した先に思わず目をやれば、胴付のウェーダーを着用した二、三人のおじさんたちが川のど真ん中に立っておそろしく長い竿を構えていた。たしかにあれは学校に持ってこられる荷物じゃないな。

 って、違う。そうじゃなくてだな。

「鮎はねぇ、川底の石に生えた苔が主食だからコロガシか友釣りなんだけど、オトリ買うのも面倒だしなかなか――」

「詩都香もいっしょに帰らない?」

 高原の釣り講座を遮って一条が素晴らしい提案をした。

 だが高原は、ちらりと俺に一瞥をくれてから、かぶりを振った。

「ううん、いい。ふたりで帰って。わたしは(ゆう)マズメまで待つから」

 なんでも、日の出・日の入り前後を釣り用語で「マズメどき」というらしい。魚の食いつきがいいのだそうだ。

 じゃあそれまでいっしょに、と俺が言い出す前に、一条に袖を引っ張られた。

「そう。じゃあ行こうよ、三鷹くん」

「え? いや、俺は……」

「ほら、詩都香の晩ご飯確保の邪魔しちゃ悪いでしょ? ――詩都香、釣れなくてもビリとかしないでよ?」

 一条はいつになく強引だ。

「するかっ、失礼な! そこまで困ってないわよ!」

 そんな用語どこで覚えた、などと高原は渋面を作りつつ折りたたみ椅子に腰を下ろし、パタパタと手を振った。

「ささ、行った行った。若者はデートでもしてなさい」

 お前もひと言多いな。傷ついちゃうぞ、俺。

「ふふふ。いいの、詩都香? じゃあ、三鷹くん借りてっちゃうね」

「なんでわたしに断るっ」

 高原はわずかに顔を赤らめて一条を睨んだ。

「詩都香の許可も出たし、行こ、三鷹くん」

 一条はどこ吹く風。わざとらしく俺の腕に自分の腕を絡めて引っ張ろうとする。

「……ああ。じゃあな、高原。また明日」

 高原は俺の方に顔を向けることなく、小さく手を上げるだけの反応を返し、ウキを見つめ続けていた。

 その横顔はやや硬い。

 自分で「デート」とか言い出したくせに、一条の冗談で機嫌を損ねたのかと思った。

 だとしたら、やっぱり少しは脈があるのかな。

 俺の口元がだらしなくほころんでいたのは、そんな淡い期待を繋いだせいだろうか。

 ……それとも肘の辺りに当たる豊かで柔らかい感触のせいだろうか。

 少し琉斗に悪い気がした。


 高原と別れた俺たちは、薄氷川を西に渡り、駅前通りに出た。俺のアパートは川の東なので回り道になる。ま、今日はお嬢につき合ってやろう。

 一条のリクエストで、最初の寄り道先は文房具店だった。色つきボールペンを見たいらしい。

 先日の試験勉強会で見た一条のノートは、色とりどりの文字で埋まっていた。先生の言葉の調子や板書の強調や自分の興味などを、独自のセンスでアレンジし色を選んでいるのだという。その努力が成績に結びつかないところが一条らしい。高原のなんて黒一色で、その潔い質実剛健っぷりに俺の方が感服せしめられたものである。

 文房具というのは、見ていて楽しいものだ。使わないのがわかっていても、俺も何か欲しくなる。

「この便箋可愛い。ね、ね、三鷹くん、どうかな?」

「便箋なんて使うのかよ」

 かく言う俺もおしゃれな一筆箋とかがあると手にとって見てしまうが、使う予定がない。

「そうだ。次はラブレターなんてどうかな。今どきって感じだけど、詩都香はそういうアナクロなの好きそう」

 などと言う一条に半ば押し切られる形で、俺も便箋をひとつづり買ってしまった。一条のとおそろいだ。

「三鷹くんって一人暮らしでしょ? いつもご飯どうしてるの?」

 表通りに出て駅に向かう道すがら、輸入食品店を右手に見ながら一条が尋ねてきた。

「外食コンビニコンビニ自炊外食コンビニ……って感じかな」

「うええ、ひどい食生活」

「そう思うんなら、飯でも作りにきてくれよ」

 もちろん本気で言ったわけじゃない。一条にもそれはわかっているはずだ。冗談で返してきた。

「あはは。いやです面倒くさい。こないだ断ったくせに。あ、魅咲なら作りにいってくれるんじゃない?」

「俺は練習台になるつもりはないぞ。胃薬の方が高くつきそうだ」

「そんなに下手でもないと思うよ? 結構練習してるみたいだし」

 へー、あの魅咲がねぇ。どういう心境の変化だろう。

「五年もあれば、みんな変わるよ」

 一条がしみじみと言う。まあ、それもそうか。俺も五年ぶりに魅咲に会って驚いたもんな。

 五年前の俺ってどんなだっけ? 五年後はどうしてるだろう? 十年後は? どんな二十六歳になってることだろう。

 ……ま、どうでもいいか。

「お前も五年前から変わったの?」

 などと一条に水を向けようとしたときだった。

 一条はぱたっと脚を止めた。

「……待って。誰かが〈モナドの窓〉を開いた」

〈モナドの窓〉――先日も聞いた言葉だ。

 なんでも、生物の魂に刻まれた異界に繋がる通路で、その異界からエネルギー――いわゆる魔力――の供給を受けるのだという。この窓を開かないと魔術師も大した魔法を使うことができないらしい。逆に言えば、これが開ければ魔術師ということになるのか。

「高原か?」

 そう尋ねてみたが、一条は首を振った。

「詩都香じゃない。詩都香よりずっと小さいし、位置も変。もう詩都香とは一キロくらいは離れてるはずでしょ」

「じゃあ、魅咲(みさき)か?」

 魅咲の家はここからそう遠くない。

「ううん、それも違うと思う。魅咲は〈リーガ〉の魔術師が来たときくらいしか〈モナドの窓〉を開かないし、魅咲の〈モナドの窓〉だってもう少し大きいもん」

 ということは。

 俺がその可能性に思い至るのと、一条の顔がさっと青ざめるのはほぼ同時だった。

「〈リーガ〉の魔術師……?」

 そうだ、高原が言うには、一条は〈リーガ〉とかいう組織から標的扱いされているのだ。

 一条は左右を見渡し、手近な路地に入った。俺も慌ててその後を追う。

「こんな街中で襲ってくることはないと思うけど……」

「でも、じゃあなんでそいつは〈モナドの窓〉を開いたんだ?」

 小走りになりながら、一条と俺はささやき声を交わした。

「わかんないよ……」

 なんでも、一条のレベルでは相手の位置を正確に突き止めることはできないらしい。

 先日の魅咲は、〈モナドの窓〉を探知するときの感覚を水面に立つ波に喩えて説明してくれた。

 静かな水面に水が流れ込めば、当然波が立つ。〈モナドの窓〉を通って流れ込んできたこの世のものならざるエネルギーを、魔術師は探知できる。しかし、その位置を突き止める精度や探知範囲の広さは、魔術師本人の熟練度に依存するのだそうだ。

 一条の探知範囲は半径五百メートルほど。この範囲のどこかで誰かが〈モナドの窓〉を開いた。さすがにすぐそばであればわかるので、曲がった角の先にいきなり相手が待ち構えているなんてことはないはず、とのことである。

 一条はまた辺りに視線を走らせる。

「ダメ……人が多い」

 路地裏とはいえ駅前の商業区画である。夕方のこの時間に人通りが絶えるわけがなかった。

「人が多いと問題が?」

「わたしも〈モナドの窓〉を開きたいんだけど、五分くらいはかかっちゃうから……」

 その間一条は突っ立ったままになる。言われてみれば、たしかにあまり人前で見せられる姿ではない。

「三鷹くん、詩都香に電話してみてくれない?」

「お、おおよ」

 少し勢い込んでしまった。こんな機会でもなければ、高原に電話することはめったにない。

 が……。

「ダメだ。出ない」

 呼び出し音は鳴るものの、一向に出る気配の無いまま留守番電話サービスに繋がってしまった。

 もう二度ほど粘ってみたが結果は同じだった。ったく、あいつはのんきにマズメどきとやらを待ちながらウキと睨めっこしてるのか。

 その間にも俺たちは東奔西走していた。しかし人目につかない場所というのは見当たらなかった。広場や公園でもあれば助かるのだが、俺も一条もまだこの辺りの地理を知悉しているわけではない。心当たりがあるのは以前高原を手当してやった公園くらいで、そこまではだいぶ距離がある。

 このままでは埒が明かない。

 俺は前を行く一条の片手を掴んだ。

「待て、一条。俺に考えがある」

「え? なに?」

「お前さえイヤじゃなかったら、だけど……」


「えへへへ。さすがにちょっと恥ずかしいね」

 一条は冗談めかした口調で、ほんの少し上擦った声を上げた。こいつから男と思われてないんじゃないかと密かに危惧していた俺にとっては、新たな発見だ。

「心配すんな、俺もだ」

 俺と一条は、暮れなずむ路地の電柱の陰で抱き合っていた。

 うん、抱き合っているんだ。塀を背にした小柄な一条に俺が覆いかぶさる形だ。俺の顎の下辺りに、一条の栗色のつむじが位置する。

「……なんか詩都香に悪いなぁ」

「引っぱたくぞコラ。高原の名前出すな」

 要らんことを言う一条に形だけ顔をしかめるも、内心はかなりドキドキしていた。だって一条と来たら……いや、やめよう。意識するとヤバい。高原に対する裏切りになっちまう。

「いいからさっさと〈モナドの窓〉だかなんだか開いちまえよ」

 このままの姿勢を長く続けていたら、気をつけていてもどうにかなってしまいそうだ。

「うん。じゃあ、ちゃんと支えててね」

 腕の中の一条の体から、ふっ、と力が抜けた。俺の腰にめぐらされていた腕も脱力してだらん、と垂れた。俺は軽く力を入れてその体を支えてやる。

 いい考えだろ? 物陰でいちゃつくカップルのふりをしてれば、そう不審がられることもない。別の意味での好奇の眼差しでは見られるけど。

 なんだか知らんが今日はやたらと一条とスキンシップを取る日だな。こんな現場を一条のファンたちに目撃されたら、月の無い晩に闇討ちされそうだ。ああ、しかしこいつがモテるのもよくわかるわ。可愛いのは当然として、こっちの心をぐっと鷲掴みにしてくるんだもんな。

 って、あまり一条のことばかり考えていると本格的にまずい。なんかいい香りがするし。

 他のことを考えよう。何か他のこと、他のこと……。


 ――そういや、できるところから努力するか、って話だった。でも、俺が部活に入ったり、多少本を読んだり、アニメを見たり、勉強を頑張ったりしても、ようやく高原と同じスタートラインに立ったってだけの話なんだよな。

 俺も釣りでも始めるか?

 いや、それじゃ結局何も変わらないか。学校帰りにふたりで釣り竿を延べるカップルというのも面白いかもしれないけどさ。

 高原のやってなさそうなこと。というより、あいつが「へ~、三鷹くんってそんなことやるんだ」って感心しそうなこと。

 武術はもう無理だな。師匠のところ以外ではやる気にならない。師匠ももう道場を再開する気なんてさらさらなさそうだし。

 他のことって言っても、付け焼き刃じゃ駄目だ。それで関心を引こうとしたって、高原にはすぐに見抜かれるだろう。

 しかしあれだな。すぐ近くにおっかない魔術師がいて今にも襲いかかってくるかもしれないってのに、こんなこと考えていられる俺って、なかなか大物なんじゃないのか? この点についてだけは自分を褒めてもいいかもしれない。高原が褒めてくれるかは知らんが。

 ――ああ、もっと高原のこと知らなきゃな。

 そういやあいつの誕生日いつなのかな。魅咲に聞いときゃよかった。知らぬ間に過ぎてなきゃいいけど。……いや、たしか以前、三人の中で高原がいちばん誕生日遅いって、魅咲が話してたな。魅咲が九月生まれだから、もっと先ってことか。

 何か気の利いたものでもプレゼントしてやりたいもんだ。ま、モノで釣れるってことはなさそうだけどな。

 ――プレゼントねえ。

 実家からの仕送りはカツカツってほどでもないが、無駄遣いするほど余裕があるわけでもない。俺の母親は地元の高校で教師をやっているので、その辺うるさいのである。まあ、積み立てておけばプレゼントくらいなんとでもなるだろう。あまり高いものを贈っても引かれるだけだし。

 だけど、親からの仕送りでプレゼントってのもなぁ。

 ……バイトか。

 アルバイトってのはどうだろう。勤労学生、悪くはないか。家事を一手に引き受ける高原はバイトなんてやったことないだろうし。

 いい考えじゃないのか? まあ、女の気を引くためにしては少々迂遠な気もするけど。幸い文芸部の活動はあまり時間的拘束が無いし、融通は利くだろう。

 ……うん、いい考えだ。ウルトラマンナイス。

 何にするかな。……ま、それは後で情報誌でも眺めながら考えるか。

 ああ――

 高原って抱きしめたらこんな感じなのかな。

 それとも、あいつ胸ないし、もっと固い感触なのかな。

 あああ……。

 それにつけてもこの一条の抱き心地と来たら。

 まだかよ、一条。高原のこと考えて気を紛らわすのもそろそろ限界近いぞ。下心なしの提案だったはずなのに、煩悩が攻勢をかけてきやがる。


「――お待たせ」俺に抱き締めらるままとなっていた一条の体に、そこで不意に力が戻った。「〈モナドの窓〉開くね」

 ギシっと辺りの空気が軋みを上げた。俺の体にまで衝撃が走った。

「うおっ……」

 すげえ。この間は開く瞬間を見れなかったけど、こいつ、高原よりも〈モナドの窓〉とやらがデカいみたいだ。

 当てられた俺の体は情けないことに硬直してしまい、一条の背に回した腕を解けなくなった。

「……ん、もう大丈夫だから、放してくれていいよ」

「ちょ、ちょっと待て。今……」

 何とか身をもぎ離そうとする。

 一条の両肩に手をかけ、腕をぐっと伸ばし――

「あ」

 俺の背後に向けられた一条の瞳が大きく見開かれた。

 何だ?

 振り返るより先に、ガン、と脳みそが揺さぶられた。

 痛みは後から襲ってきた。

「あ……?」

 頭を殴られたのだと、そこでようやく理解する。しかもかなりキツい一撃だった。

 最初に脳裡に浮かんだのは魅咲だった。俺の背後をとってこんな不意打ち食らわせることのできる奴なんて、他に心当りがない。

 しかし、

「伽那から離れなさい、不埒者」

 聴覚が捉えたのは、まったく聞き覚えのない女性の声だった。

 それを最後に、俺の意識は闇へと落ちていった。

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