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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第一幕「瓜生山」
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3.「蛮勇と詩人」〜入部

「やーれやれ。今日も一日ご苦労さん、と」

 つらつらとここ二週間ばかりのことを回想していると、いつの間にやらアパートの前にたどり着いていた。

 まだ試験明けの開放感が残っていたが、授業は六十五分×六コマしっかりある。試験の返却ラッシュに一喜一憂した日々ももう過ぎた。気を抜くといつの間にかついていけなくなりそうだ。まあ、それで高原に勉強教えてもらえるんなら、悪くはないけどな。

 今日は特にイベントなし。魅咲(みさき)たちは寄り道して帰るみたいだったけど、残念ながら誘われなかった。田中は部活だそうだ。週の大半はこんなもんだ。

 家に帰ると、鞄を放り出して着替え、テレビに向かった。

「なーんか、中途半端なんだよな、俺」

 思わずひとりごちてしまう。

 そこそこ充実した日々を送っている実感はある。でも、このまま高原とたまにニアミスのように接触する関係を続けていても、距離が縮まる気がしない。来栖の時みたいに、高原と共同して動けるなんてことはこれからそうはないだろう。

 高原の男の好みは魅咲や一条も含めて誰にとっても謎だが、今の俺みたいにくすぶっている奴に心動かされるとはあまり思えなかった。

「部活でも入るかなぁ」

 口に出して呟いてみると、なんとも素敵な着想に思われた。


 翌朝、俺は早速この思いつきについて魅咲に諮ってみた。

「へー、部活ねぇ。面倒くさがりのあんたがどうしたの? デートの時間確保のために帰宅部を続けるとか言ってなかった?」

 魅咲は少々不満気だった。俺が部活に入ると、魅咲はクラスでただひとりの帰宅部員になってしまうのである。

「考えてみりゃあさ、たとえば俺が高原とつき合ったとして、それで高原の足が部活から遠のくなんてことがあるか?」

「う~ん、まあないだろうな。上級生の歴女どもと一緒に結構楽しんでるみたいだしね。副部長は置いとくとして」

 郷土史研究部の二年生副部長、吉村奈緒は悪い奴だ。

 断っておくが、名前の通り女子生徒である。ショートの髪型の似合う麗人で、男女問わずかなりモテる。

 ――そう、男女問わずだ。そして本人も来る者は拒まない性格で、つまりその、まぁ、なんだ……ありていに言えば両刀使いなのである。特に可愛い女子には目がない。在校生、上の女子大に進んだOG、さらには教職員(これも上の女子大出身者が多いのである)にいたるまで、複数の人物との関係が噂されるとんでもない奴だ。

 俺が言えたことじゃないが、吉村先輩も一目で高原に惚れ込んだようだ。しかも、言葉巧みに高原の歴史好きをくすぐって郷土史研に引き込んだ。

 可愛そうなのは高原である。魅咲の言を信じるならそっちの気はないらしいのに、吉村先輩から頻々とセクハラ紛いのことをされているらしい。

 郷土史研究部では伝統的に二人の副部長の内一人が二年生から選ばれる。そして夏休みの終わりとともに二年生副部長は部長に昇格する。新部長が最初に差配しなければならないのは十一月の文化の日前後に挙行される文化祭で、新体制のお目見えの意味もある。

 よって高原は、この先しばらくあの吉村先輩の下で働かされるわけだ。不憫だなぁ。

「んで、何部に入るの? うちで強いのって言うと、陸上部とかテニス部とか?」

「そうだなぁ……」

 それについてはゆうべから俺も思案していたところである。

 ミズジョの男子の運動部は大したことがない。そもそも男子の数自体が少ないのだ。

 チーム競技など、人数が足りなくて公式戦に参加できないところも多いと聞く。他校との練習試合すら組んでもらえず、地元の社会人や少年チームと日曜日に試合している部もある。それも頭数を揃えられなくて助っ人を募ったりする。中学のチームに敗れることもしばしばだ。

 地元の子供たちはその度に思うのだそうだ――スポーツをやりたかったらミズジョには入るまい、と。

 個人競技ではそこそこの記録を出す選手もいるが、それでもやはり強豪校に数え入れられることはない。

 女子の方は男子よりもマシだ。総合的に見れば強豪ではないが、それでも中堅レベルを維持している。元来が真面目な生徒が多い校風なので、部活にも力を注ぐのである。とはいえもちろん、スポーツ特待制度のある全国大会の常連校にはまったく敵わない。「文武両道」を校是として掲げていても(昔は「良妻賢母」だったらしい)、普通科と家政科しかない進学校の現実はこんなものだ。

 活気の点では、文化部の方が上かもしれない。それに、高原もどちらかと言えば文化系である。


「――それで来たのがここってわけ、三鷹くん?」

 一条伽那(かな)の表情には、珍しく呆れの色が浮かんでいた。

「おう、ちょっと見学をな」

 放課後。俺は文化部棟の二階の一室に足を運んでいた。文芸部の部室である。

 文芸部を選んだのは、高原に感化されて俺も分厚い書物に興味を抱いたから……ではもちろんない。うん、もちろんないとも。

 文芸部には一条と田中という、高原の狭い交友関係の中で重きをなす二人が籍を置いているのだ。これを利用しない手はないだろう。

 具体的に何をやっているのかは知らない。ていうか、普通何をやるところなんだ、文芸部って?

「まあ、いいけどねぇ。せんぱーい、見学者です」

 一条が声をかけると、部屋の奥の方に座って本を読んでいた眼鏡の女子生徒が立ち上がった。一条の物言いから、上級生なのだろうと察せられた。

「見学? 珍しい。一条の知り合い?」

「同じクラスです。三鷹……何くんだっけ?」

「おいっ」

 ……いや、わざとだろう。魅咲はいつも俺のことを名前で呼んでるし、覚えてないわけがない……よな? でも一条のこういう攻撃って地味に効くわ。

「どうも。三鷹誠介といいます。今からって入部できるんですか?」

「ああ、どうも。副部長の飛鳥井(あすかい)あやめです。二年生。もちろん、入ってくれるんなら歓迎するよ」

 飛鳥井と名乗った文芸部副部長は、軽く会釈してきた。俺も慌てて頭を下げ返す。

「見学って言ってたけど、部員たちには普段通りの活動をしてもらってればいいのかしら?」

「それでお願いします。というか、普段通りの活動って何やってるんですか?」

 それはなかなかクリティカルな質問だわ、と飛鳥井先輩は苦笑いを浮かべた。

「まあ一応、年に二回の冊子を出すのが主な活動ってことになるかな。十一月の文化祭と四月の新歓。普段は適当に本を読んだりだべったり」

 予想通りのゆるい部活のようだ。

 文化部の部室も運動部と同様にかなり広い。この部屋はドアと窓以外の壁面全てにスチールの書架が据えつけられていて、新旧の本が並べられていた。部屋の真ん中では長机が二つ並んで島を作り、入り口の正面奥にはパソコンラックとホワイトボードが配置されている。

 飛鳥井先輩は一通り部屋の案内をしてくれた。

「本棚にはみんな適当に自分の本を並べてるわ。今は部員もそう多くないし、一人当たりひとつの本棚の半分が持ちスペース。ほら、この辺が一条コーナーよ」

「ちょっと、先輩!」

 俺の案内を先輩に任せて椅子に座って文庫本を開いていた一条が悲鳴を上げた。

 何を恥ずかしがっているのやら、とその“一条コーナー”を眺めてみると、下半分が法学やら経済・経営学の本で埋まっていた。

 その意外さに思わずのけぞった。

「だって……お父さんが今の内に読んでおけって、送ってよこすんだもん。家に置いておくと背表紙見ただけで頭痛くなるし……」

 一条が消え入りそうな声で弁解してくる。

 巨大企業の経営者一家とはいえ、高校生になったばかりの娘に読ませる本じゃないな。普段はあまり意識しない、一条の家の特殊さを見た思いだ。

「とか言って、こいつたまに読んでるのよ。今にも発熱しそうな顔しながら」

 飛鳥井先輩がそう笑うと、一条は何かまた言いかけたが、諦めて文庫本に視線を落とした。

 ふへー、一条がねぇ。

 と、“一条コーナー”内の一部が歯抜けになっているのに気づいた。三、四冊分が抜き取られている。

「ここの抜けてるのは持ち帰って読んでるのか?」

 一条は顔を上げずに答えた。

「ううん。詩都香(しずか)が先週借りてった」

 うわぁ、この題名さえちんぷんかんぷんな専門書を借りて読んでるのか。

「高原さんとも知り合い?」

「ええ、まあ。同じクラスですし」

 本当はもっと親密な関係になりたいのだが、今はとりあえずそう答えるしかない。

「あの子、失礼よね。初めてここを訪ねてきたとき、私が名乗ったら、『蹴鞠(けまり)がお得意なんですか?』だって」

 なんだそれは。飛鳥井先輩は別に麻呂眉じゃないし、何かのアニメのネタか?

 反応しかねて、また本の背表紙を眺める。“一条コーナー”の上半分には、そこそこ普通の小説類が並んでいた。海外のミステリっぽいのが目立つ。ロス・マクドナルドにレイモンド・チャンドラー、マイクル・コリンズ……。

 ――一条って意外とハードボイルド好きなのかな。一条を落としたかったらタフになれって、琉斗にアドバイスしておくか。

 そして隣の書架。その上段も強烈だった。全てカラフルな背表紙のライトノベル。レーベルごとに著者名五十音順に並んでいた。本人の几帳面な性格がよく表れてはいるのだが、色々と台無しだ。

 尋ねるまでもなく持ち主がわかった。

「ああ、そこは田中くんコーナー。田中くんもクラスメートよね?」

「ええ、まあ、そうですけど。田中らしいっすね」

「困ったもんよ。わたしだってファンタジーとか読まないわけじゃないけどさ。田中くんが文化祭でどんな原稿出してくるか、今から不安」

 飛鳥井先輩が苦笑する。釣られて俺も笑った。

 そう言う飛鳥井先輩自身のコーナーはどれなのか尋ねると、少し恥じらいながらも教えてくれた。どうも自分の本棚を見られるのを恥ずかしく思う人も多いらしい。俺にはわからん感覚だ。

 飛鳥井先輩のコーナーには、小説の類と同じくらいの数の批評っぽい本が並んでいた。

「……文学って感じですね」

 他に何とも言いようがなくてそんなコメントに逃げると、飛鳥井先輩は苦笑した。

「よくわからないけどそりゃどうも」

 すいません、俺にもよくわかりません。

 本棚を離れて長机に向かえば、手前に薄い冊子が積んであるのが目に入った。

「これは?」

 ホッチキス止めのその冊子を手に取る。薄青色の表紙に、「ミズジョ文芸通信」と題字がプリントされていた。

「仲間内の回覧誌みたいなもん。最近読んだ本の中で一番面白かったものや、みんなに紹介したいもののブックレビューね。ひと月に一度出してる。高校生の乏しいお小遣いを割いて本を買うんだから、感性の近い人の印象を参考にしたいでしょ?」

 飛鳥井先輩はそう言うが、表紙をめくって目次を眺めてみれば紹介されている本のジャンルはバラバラである。感性の統一はあまりとられていないようだ。田中のレビューは、俺も最近見てるアニメと同じタイトルだった。ラノベ原作だったのか、あれ。

「図書室にも置いてもらってるんだけど、見たことない?」

「……すいません、図書室にはあまり行かないもんで」

 そう弁明してしまったが、よくよく考えれば文芸部に入ろうとしている男の言葉じゃないな。

「今回のはできたばかりだから、よかったら持っていって」

「ありがとうございます」

 飛鳥井先輩に頭を下げてから、どれ、一条のは、とページをめくろうとすると、捨てられた子犬のような御本人様の視線を感じた。

「…………」

 一条が無言で「読まないで」と訴えかけてくる。教室では全然そんな素振りを見せないくせに、こと文芸部の活動に関しては恥ずかしがりなようだ。

 ――が、気にせず読むことにする。一条なんぞに気遣いしてられん。

 一条の唇が「いじわるぅ」と動いたのがわかった。


方今(ほうこん)のミステリ業界、その活気なお隆々たり。その内に在りても最も注目を集める小分類、これ「日常の謎」を()いてや(ほか)あらん。評者ここにその歴史を(つまび)らかにすることは(かた)かれども、媒体を越えたその充溢、時にこれを慶し、時にこれを憂い、複雑なる心境にて打ち守る者なり。然り、今まさに「充溢」と書けり。この語に籠められし評者の意企、賢明なる諸子につらつら()ぶるも(いたづら)ならんも、敢えて言う。玉石混交、否、玉よりも石余程(よほど)多しと。評者(おも)えらく、「日常の謎」は飽くまで「日常生活」()に起こる奇怪事なり。殺人窃盗その他の重大犯罪の起こらざるを以て「日常の謎」とするにあらず。しかするに昨今のこの小分類においては「日常」無く、「生活」も無し。これを換言すれば生きたる人間無し。只管(ひたすら)事件の妙奇、人物の特殊、謎解きの怜悧をのみ追う。(けだ)しこれ従来のミステリの変奏曲にあらずんば何であるか。かかる状況下に在りて独り気を吐くは――』


 ……なんじゃこりゃ。

 これに続く箇所でとある作者の近著を挙げ、最近の作品ではこれこそ「日常の謎」と呼ぶにふさわしい快作である、というレビューになっているが、なんであの一条からこんなのが出てくるんだ。結句が「柳の下に二匹目のドジョウ無し。柳を植えよ」だなんて。その上、一条らしい手書きの丸っこい字なので、なんとも滑稽に見える。

 呆れていると、飛鳥井先輩が可笑しそうに俺の手元を覗き込んできた。

「あー、これ、文体模倣やらせてる時のだったわね。一条ってばすぐ影響されるんだから」

「何すか、それ?」

「ええとね、プロの作家の文章の癖を真似するの。原稿用紙五枚くらい手書きで一度書き写して、それから同じくらいの長さの文章を自分で書く。この繰り返しね。でも、レビューまでそれで書くことないのに。――ねえ一条、これ、誰の文体やってる時のだっけ?」

「もー忘れましたぁ」

 一条はほとんど机に突っ伏すような体勢で言った。ていうか、この漢文読み下し調だと、それこそ癖も何もないような。

「あらら、すねちゃった」

 くすくす笑みをこぼす飛鳥井先輩。

 それにしても、月イチのブックレビューに文体模倣とかいう訓練ねえ。ゆるい部活だと思っていたけど、意外にもやることはあるようだ。

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