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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第六幕「瓜生山 その二」
106/106

19-2(完)

 あっちの琉斗が言っていた。俺を裁く資格があるのは、あの出来事で一番傷ついた奴だって。

 最初は高原がそうだと思った。次に、ひょっとしたら魅咲(みさき)かもしれないと思った。一条(妻)も琉斗(りゅうと)も、それぞれに傷ついていた。

 ……だけど、全てが終わった今、ぶっちゃけて言わせてもらうと、あの事件で一番傷ついたのって俺なんじゃねーか?

 散々痛めつけられて、ばっきばきに心をへし折られた。魅咲たちはこうして日常に帰ってきたけど、俺はまだまだ引きずっちまうぞ。あっちの琉斗が聞いたら、また殴られそうだがな。

 だから俺は、資格ある人間として俺自身に裁きを下す。俺に責任を取らせる。

 堂々巡りの挙句にまた元の場所に立ち返ったようなもんだ。魅咲たちは迷惑に思うかもしれないが、俺の気が済むまでつき合ってやる。

 もちろん、「来てくれてよかった」などという一条のリップサービスに無邪気に乗せられるほど、俺も単純ではない。もっとやり方は考えないとな、と思う。

 だけど俺は、本来なら知るすべもなかったことをたくさん知ってしまった。

 例えば〈リーガ〉が世界の安定のために果たしていた役割。魅咲たちにとっては後に引けない戦いだが、性急に滅ぼせばそれで済むというわけでもなさそうだ。

 それに、高原の父親の仕事。実の娘さえ知らないことを知ってしまった。

 保奈美が結局〈リーガ〉に加入してしまうこと。高原の異才の持つリスク。そして、高原の右のおっぱ……って、これはどうでもいいか。とにかく挙げればキリがない。

 こんなことを知らされて、俺が魅咲たちを放っておけるはずもない。これらの情報を総合し、俺がなぜ知っているのかを誤魔化しながら、それとなく少しずつ伝え、あるいは隠していかなければいけない。

 もみじからもらった〈ザラスシュトラの盃〉の使いどころも、慎重に判断する必要があるだろう。

 頭が痛い問題だ。小器用に立ち回るのは苦手だというのに。

 ——そして。



 昼休み。俺は校舎と武道館を繋ぐ渡り廊下に魅咲を呼び出していた。この時間に武道館に用事のある奴はほとんどいないので、屋上や部室棟以上にここは人目につかないスポットなのだ。

「よかったじゃない、詩都香(しずか)からお誘いもらえて」

 そう言う魅咲は、顔を下げたままだった。

「大したことじゃねーよ。雑用だ、雑用。色気なし」

 結局魅咲が教室に入ってきたのは、ホームルーム開始の三分前だった。その直前、まだ狐につままれたような顔の高原が、俺のところにやって来て言ったのだった。

 ――誠介くん、明日終業式が終わった後空いてる? ちょっとつき合ってくれない?

 高原のその言葉と共に、教室内のざわめきが再燃した。

 それはそうだろう。あの高原が俺をファーストネームで呼んで誘いをかけたのだから。特に武藤など、「三鷹がとうとう高原さんを落としやがった……」などとひどく先走った誤解をしていた。

 つーか、何だよ。みんな、俺が高原から下の名前で呼んですらもらえないままで終わるだろうって思ってたのかよ。

 ちょうどそこに登校してきた魅咲は、妙に騒がしい教室に眉根を寄せたものだ。

「あんた、どうかした? 喜んでいいとこなのに、午前中ずっと浮かない顔してたけど」

 見られてたのか。魅咲の様子を窺っていた俺の方も、肩ごしのその視線と何度かぶつかったように思えたのだが、錯覚ではなかったということだ。

「ああ、ちょっとな。大事な台詞を取られたからさ」

 ——田中の野郎め。

 あとそれから実は、俺に対しては誰も同じような態度をとってくれなかったことにも地味にへこんでいた。俺の影響力って……。

 が、それよりも今は魅咲だ。

「お前こそ何かあったのか? 昨日からちょっと様子が変だぞ」

 魅咲は大きく息を吸ってから口を開いた。

「……なんだかわかんない。わかんないんだけど、あんたと顔を合わせるの、すごく恥ずかしい」

「うわ」

 素直だなぁ、と思わず感心してしまった。

 猫を飼いたいとか言い出した高原や、いまいちよくわからない一条に比べて、俺の幼馴染は胸がすくほどストレートに影響をこうむっていた。

 うつむいたままのその頭に、片手を載せてみる。

 魅咲の体がびくんっ、と小さく跳ねた。

「ちょっと」

「そのまま聞いてくれ」文句を言おうとした魅咲を制して、俺は言葉を継いだ。「俺だって恥ずかしい」

 魅咲は言う通りにしてくれた。

「俺は今、高原が好きだ」

「……うん、知ってる」

「でも、お前のことは一番に守りたいと思ってる」

「…………」

 魅咲は沈黙していた。

「で、だ」

 ここからが本題。

「夏休みにさ、ちょっとつき合ってくれよ。俺の帰省ついでにさ、いっしょに俺とお前の地元に行ってみないか?」

 魅咲は上目遣いに俺を見上げてきた。

 くしゃ、とその顔が崩れた。

「何それ、ばかみたい」

 泣いているのか笑っているのか、よくわからない表情だった。



 ——魅咲の気持ち。

 これが俺にとってはいちばんの重大事だった。

 何てことだ、と思う。ままならぬ自分の心に、苛立ちどころか恐怖さえ覚えてしまう。

 なぜ気づかなかったのだろう。……いや、だけどやっぱ無理だよ。魅咲は俺と高原をくっつけようとしてくれていたし。単に俺が鈍いだけ……ではないよなぁ。

 俺とて、異性からの好意にそこまで鈍感なつもりはない。魅咲から特別扱いされてるだろうな、というくらいの自覚はあった。それでもそこ止まりだった。

 だって魅咲こそ……強くて優しいこの幼馴染こそ、俺にとっての高嶺の花だったのだ。恋愛関係に発展するかもだなんて、夢想だにしていなかった。

 加えて、あっちの魅咲の言葉を信じるなら、この時点の魅咲はまだ俺のことを好きだなどと思っていないはず。

 ただし、その言葉を額面どおり受け取ってよいものなのかどうかすら、俺にはよくわからないのだ。

 まったく、あっちの魅咲め。とんでもない爆弾を残してくれたものだ。消えてしまうかもしれない、という想いがそうさせたってのは理解できるけどさ。

 ……俺たちの関係はどうなっていくんだろう。

 今のところ、ひとまずは判断を保留するほかない。これから先も俺は高原攻略を続けるつもりだけど。

 でも……。


 ——ああ、一つ忘れてた。魅咲との里帰りの時に兄貴がいたら、一発殴ってやらなきゃならんな。



 翌日の終業式が終わったあと、いったん帰宅した俺と高原は、西京舞原(きょうぶはら)のとある民家の前で落ち合った。

 思い立ったが吉日の高原だ。どうしても猫が欲しかったらしい。父親を説き伏せ、その知り合いからもらってくることにしたのだとか。

 この大きな家の主は、保健所から犬猫を預かって里親を探すボランティアをやっているのだそうだ。

「お父さん昨日休みだったから、放課後に二人で来たの。さすがにその日の内の引き取りはできなかったけど」

「そういうのってさ、資格審査みたいなのがあるんじゃねえの?」

「まあ、そこはそれ。昔こっちに出向してた頃に知り合った人なんだって。結構親しいつき合いだったみたいで、わたしが子供の頃はうちにもよく来てたって」

 覚えてないけど、と高原は舌を出した。こいつは他人の顔を直視するのが苦手なので、人物に関しては文字情報ほど記憶力が高くない。

 それにしてもどんな知り合いなのやら、と高原父の仕事を知っている俺は危ぶんでしまう。人語を喋る猫とか押しつけられなきゃいいけど。

 俺は原付で、高原はバスでやって来た。着替える暇も惜しんでか制服を着たままの高原は、一抱えもある新品の持ち運び用ケージを持参している。

 俺が一緒なのは他でもない。ペット同伴ではバスに乗れないかもしれないので、猫を受け取った後、それを高原家まで送り届ける役目を仰せつかっているのだ。ケージを荷台に固定するためのゴムロープとネットも用意してある。

 ま、配達ついでに琉斗の顔でも拝んでいってやろう。一条と幸せな結婚生活を送っていたはずのあいつがどんな影響をこうむっているのか、ちょっとした見ものだった。

「にしても、親父さんよく許してくれたな。急な話だったんだろう?」

「それがねえ……」と高原も釈然としない表情を浮かべる。

「なんか一昨日からお父さんがわたしに甘い気がする。学校を無断早退して北山先生から電話があったのに、あまり怒らなかったし。猫を飼いたいって言ったら、『それなら俺の知り合いがそういう仕事してるから』ってあっさり。琉斗もキョトンとしてたわ」

 これも時間跳躍の魔法の引き起こしたことなのだろうか。……ま、でも俺が高原みたいなよくできた娘の父親だったら、とことん甘やかしてしまいそうだけど。

「それじゃ、悪いけどちょっと待っててくれる? さっき電話したし、すぐに終わると思うから」

 高原は玄関先に立った俺の足元にケージを置き、中に入っていった。

 すぐに終わるどころじゃなかった。高原が出てきたのは二十分近くも経過してからだった。

「ごめん、お待たせ」

 その腕の中には小さな猫が抱きかかえられている。

「こんにちは」

 玄関まで見送りに出てきた家主と思しきおじさんが、俺に気づいて軽く頭を下げた。

「あ、どうも。こんにちは」と俺も挨拶する。

「じゃあ詩都香ちゃん、またおいで」

「ええ、ありがとうございます」

 高原も猫を抱いたまま一礼した。

「お二人で大事に育ててくださいね」

 そう言って、おじさんは屋内に引っ込んだ。

 ああ、恋人同士だと思われてるんだ――俺は内心小躍りするが、高原の方はやや憮然としている。

 おいおい、そりゃないだろ。あっちの世界じゃあんなに甘えてきたのに。なぁ、俺の子猫ちゃん?

 しかし高原は俺の熱視線を完膚なきまでに無視し、子猫をケージに収めた。


 原付を押す俺と猫の入ったケージを抱える高原は、近くの公園まで移動することにした。

「ずいぶん時間かかったな」

「ごめん。猫との対面は昨日済ませてたんだけど、色々注意を受けてね。猫を飼う心構えとか」

 高原はそう言って、ケージの中を確認した。これで何度めだろう。猫がいなくなってるわけがないのに。

 中に入っているのは、小さな黒猫だった。エルとは似ても似つかない。

「そいつでいいのか?」

「……なんで?」

 意外に思っていた俺の問いかけに、もっと意外そうに高原は首を傾げる。そして、ちょっぴり胸を張って言うのだった。

「昨日のお見合いで一番相性がよさそうだったし、それに魔女の飼い猫と言ったらやっぱ黒猫でしょ」

 公園のベンチに腰かけると、高原はさっそくケージを開けた。家に帰るまで我慢できないからなどという子供のような理由でここに寄ることにしたのだ。

「ああああ〜……」

 おっかなびっくりの手つきで猫を撫でてから、変な声を上げて抱き上げる高原。感極まって頬ずり頬ずり。

 まだ人に馴れていない猫は嫌がり、ジタバタと暴れた。頬に前足の肉球を押しつけられても、鼻の頭にちっちゃな爪を立てられても、高原は意にも介さない。その顔はふにゃら~、と崩れている。なんだかこちらが心配になってしまうくらい上機嫌だ。

「可愛いなぁ、にゃあにゃあ。そうだ、名前決めなきゃね。うーん……、よし、きみの名前はフリッツだ。フリードリヒの愛称。どう? 気に入った? それでわたしの名前は詩都香。よろしくね、フリッツ〜。ん~、にゃあにゃあ」

 唖然。

 信じられん。あの高原詩都香が「にゃあにゃあ」と来たもんだ。

 そして今度もまた俺は尋ねざるをえなかった。

「シュレーディンガーじゃないのか?」

 高原はきょとんとした。その隙を突いて、フリッツだかフリードリヒだかと名づけられた子猫が腕を脱して逃げ出した。

「あ、こら! ――ふっ……!」

 高原は猫に向けて手を伸ばした。その途端、遊具の方へと駆けいこうとしていた猫の動きがぴたっ、と止まり、宙に浮く。

〈モナドの窓〉を開かずとも身に具わった微量の魔力だけで発動できる念動力だ。本人曰く「手品に毛が生えたようなもの」らしいが、こんなときには実に便利だ。誰かに見られていないといいけど。

 子猫はふよふよと空中を漂いながら引き寄せられ、元の通り高原の腕の中に納まった。

「やんちゃなんだから。また保健所に連れて行かれちゃうでしょ」

 優しい母親のような顔で高原はフリッツをぎゅっと抱く。フリッツの方は一転してされるがままになっていた。

 おとなしくなった猫をあやしながら、高原は言った。

「シュレーディンガーなんて、いやよ、そんな不確定っぽい名前。わたしが選んだからには、絶対確実に、何度同じ生を繰り返してもいいってくらいに幸せにしてあげるんだから」

 ねー、フリッツー? と、また頬ずりを始める。

 フリッツは、なぁ、と抗議するようにひと声鳴いただけだった。青い瞳が泳いでいるのは、まださっきの空中浮遊の後遺症が抜けないからなのかもしれない。

 高原の方はそれに気づかず、目を細めて猫の喉の辺りをさする。

(すまん、エル)

 俺は心の中で、まだ生まれてもいないはずの猫に詫びを入れた。いつか生まれたエルを探し出して高原にプレゼントするのは俺の中で既に確定事項になっているが、彼がエルヴィンを襲名することはないかもしれない。

 それにしても、ううむ。迷惑そうにしている子猫に、嫉妬の念さえ覚えてしまった。嫌なら代われっつーの。

 ま、もう観念しろよ、フリッツ。お前の飼い主は並大抵の女じゃないぞ?

 ――そんな想いを乗せた視線が通じたのか、フリッツが、みぃ、と甘えるような声を出した。

 高原が感激のあまりきゃーっ、と叫んだ。

 やっぱり、俺はまだまだ高原の全部を知っているわけではなさそうだ。



〈完〉

 これにて閉幕とさせていただきます。

 最後までお読みいただき、まことにありがとうございました。


 何を書くかの予定はまだ定まっておりませんが、よろしければ次作もまたおつき合いください。

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