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表・本匣  作者: R-N
7/21

「茅ノ輪」

 文月に入る前日。

 三十センチ程の背丈に伸びた草を刈って、小さな草輪を作ってみた。草の名はチガヤという。

 夏越の祓祭には、茅ノ輪くぐりと云うものが有り、私も其れを真似て作ってみたのだが。

「やはり小さいな。」

 出来上がりの輪は、精々腕が通る程度。まあ、材料故に仕方がないか、と半ば諦めた。

 輪を外にかざして、その中からの景色を眺める。

「そう言えば、彼は今頃どうしているのか、な。」

 一度逢ったきりの相手だというのに、口に出して呟いてみたくなった。何故だろうか。




 あれはまだ梅雨に入る前の話だ。

 いつもの散策に飽いたので、私は気紛れに足の向きを変えた。視線を変えて見ると、似たような景色であっても、不思議なもので違ってくる。

 私の歩く目の前には、綺麗な光彩を放つ虫が、立ち止まっては羽ばたいて進み、また立ち止まるを繰り返していた。

 ハンミョウ(斑猫)だ。

 更にもう一匹、まるで仲睦まじさを演じるかのように、入り乱れて互いに先を競う。ハンミョウの道行きに案内されながら、私も気儘に歩を進めた。

 古い民家の軒に辿り着いたのは、そんな虫達の演技に夢中になっていた所為だろう。

「おう、良く来たな。」

 屈託の無い笑顔で、民家の縁側に立っていた彼が、私に声を掛けてくる。

「ああ、済みません。勝手にお邪魔しております。」

「構わねぇよ。ついでに、んな丁寧に言うのは止しとくれな。」

 慣れねぇから、と気恥ずかしげに、彼は古びたヨレヨレの着物の襟を掻き寄せた。

「何にもねぇが、好きなだけ寛いでいっておくんな。」

 それはまるで旧知の友との再会を喜ぶような、温かな物言いだった。のち私はこの不思議な縁に魅了される事になる。




 初対面故に、当たり前の事を私は尋ねた。

「名を聞かせて貰って構わないか。」

「おう。好きに呼んどくれな。」

 それじゃあ答えになっていないじゃないかと、不服を申すと、豪快に笑い声を上げて彼は徳利に入れた湧水を私に注ぐ。

 彼の事は何一つ分からない。

 徳利に水を入れたのは、酒の代わりというよりも、ましな器がそれだけだったという、お粗末な展開の所為だ。奇しくも見た目は、清酒を呑んでいる気分になる。

 古い物が雑然と置かれた畳敷きの部屋は、清潔には程遠い気がするが、何故か嫌に感じない。そんな彼の生活を想像するに、身形から推測してもかなりの極貧生活を送っていそうだ。

 もてなしに出てくる物が、清水のみという。かなり変わった待遇も、彼なりの精一杯、かもしれない。

 だがしかし。そんなことにはお構い無く、私と彼は親しく雑談を交わしていた。裏山から引いているという湧水を茶がわりに、私は彼と談笑を重ねた。

「色めき立っているじゃねえか。」

「何がだい?」

「チガヤだよ。」

 それ、と道の端でずらりと立ち並んだ、銀に光る花穂を指差す。

 風に靡く姿は小振りながら、一面に広がっていればさぞや美しかろう。まだ若い花穂なれば、形良く整っており、眩しい程に陽を反射する。

 彼はまた全く異なった視点で、それらの姿を見ている様であった。

「締まったカラダを、芯を赤く染めて、皆我先にと風に戦いでいるじゃねぇか。」

「只の草に『色めく』と使うも変じゃないか。」

「何でい、花を咲かすのは子孫を残す為だろうが。ヒトが交尾(つる)むのと、大して違いねえよ。」

 いやらしい物言いも、彼の口を借りれば嫌味無く、その瞳は宝物に出逢えたかの様に、きらきらと輝いている。

 紅潮しているのはチガヤだけでなく、彼もであった。

「いいよなぁ。命ってぇのは。」

 しみじみと彼の双眸が、感慨深げにチガヤ達を見ていた。痩せた彼のうなじが、私の眼に浮き彫りになる。

「君は、一人なのか。」

 ふと口を突いて言葉が零れた。聞いてはならない事のような、奇妙さを感じたが、彼はあっけらかんと答えた。

「何でい、見ての通りさ。」

 恐らくはそうなのだろう。が、分からない。

 はぐらかされたままに、私は日暮れと共に彼の住家を後にした。薄暗くなりかけた道端で銀に光る花穂の列が、帰り道を示している。

 少し足早に、私は家路を急いだ。




 直ぐに梅雨に入り、雨の降り続く日に埋もれて、私の散策も長い間中断を余儀無くされている。

 漸くの晴れ間に、あの道案内をした斑猫のような輝きで、虹が遥か向こうの空をうっすら跨いでいた。

「ああ。」

 また、彼と一献交わしたいものだ。今度は手土産に鱧でも一尾、仕入れていくかな。

 フサフサと綿のように開いた花穂を靡かすチガヤを前にして、私は一人笑みを溢した。


 朱く染まる景色の中で、立葵が上の先まで蕾を膨らませている。

 梅雨が開けるのも、もう間近だ。

2013/6/30

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