「喋繰り人形」
喋り出したら止まらない。
そんな奇怪な人形を前にした、あわれと云うかな、男の物語り。
「いつか何処かで聞いた話 Ⅲ
「よう、おまんさん。いるかい?」
がらりと戸を開け、隣に住む諭吉が遠慮無しに入ってきた。
伊佐治は横になっていた身を起こし、無頼者の訪問に苦虫を噛み潰す。
「なんじゃい、あんたか。」
「そう渋い顔しなさんなって。実はおまんさんにぴったりの品を、貰ってきてやんたんだよ。」
そういうが早いか、小脇に抱えていた荷を伊佐治の目の前に置いた。
「何ぞね、こりゃ。」
顔を頭巾で被われた、市松人形のようだ。縄で無造作にぐるぐる胴を巻かれているのが、何とも形容しがたい。
「見ての通りがな。人形だよ。ただな、只の人形じゃあねぇんだ、これが。」
嬉しそうに、さも得意げに、諭吉は目を輝かせて言った。
「向こう岸の人形師がよぉ、歌う絡繰り人形を造ったはいいが、こいつがどうにも奇妙でさぁ…」
少し言葉を濁しながら諭吉はおどろおどろしく、下から伊佐治を覗き込む。阿呆な面だが、こうも間近に迫られると、流石に此方も気持ちが悪い。
夏に怪談話は付き物と、云わんばかりに諭吉は喋った。
「出来上がったんで、試しに唄わせてみたはいいが、歌い終わっても黙りゃしない。ずっと勝手に喋り続けているんだ。
これじゃあ売るにも買い手が付かんし、何処ぞに放り棄てる訳にもいかん、と困り果てているのをちょいと耳にしてな。
独り身のおまんさんなら相手も居ねぇし、寂しさ紛らわすのに打って付けだろう?」
余計なお世話とはこの事だ、と内心罵倒を浴びせつつ、溜め息一つに伊佐治は人形の頭巾を取った。
なんとまぁ、と感嘆する。愛らしい顔をして、その人形は此方を見ていた。ご丁寧に猿轡まで噛ませられている。
「で、ワシがいらんと言ったらば、この人形はどうなるね。」
別に信じた訳じゃあないが、めんこい顔をして此処を出た後、竈に放り込まれたり、溝に沈められたりするのは、ちと可哀想だと思ってしまった。
「そりゃあ要らんと言われたら、元に戻す訳にもいかんし、何処ぞで焼くか沈めるか、そんな処だぁな。」
しめしめ、としたり顔をにやつかせ、諭吉は尤もらしく嘯いた。
「ほうそうかい。いや、待て待て。
ならば此れも何かの縁。ワシが貰ってやるわい。」
奴の口車に乗せられて、すこぶる胸糞が悪いが、造られた人形に罪はない。
伊佐治はとっとと諭吉を追い出し、口を塞がれ喋る処か声も出せぬ人形の、轡を解いてやった。
すると途端に眼の色輝かせて、嘘の様に人形は喋り出した。
「嗚呼、愛しや愛しやお前様。憐れなアチキを救ってくだすった。
救ってくれたお前様ため、思う存分 吟いましょうぞ。」
声を聴けばそれは、それは得も言われぬ女子の、艶も精も有る美声。喋るだけでも唄っているようだ。
「お前様は比類なき、貴き御霊を持つ御方。其処な下郎と比ぶには、天地程差が有りなんしょう。」
止めどなく、言葉が湯水のように溢れ出る。暫くは伊佐治を褒め称える詞を発していたが、ネタが尽きたか、次第に諭吉の悪口に変わっていった。
そうなってくると、流石に伊佐治も顔を歪める。聞いていても、もはや耳障りにしかならない。伊佐治は眉間に皺を寄せて、己が両手で耳を塞いだ。
「悪口ばかりを並べるならば、ちぃと黙ってくりゃせんか。」
「そな無下な事をおっしゃられまするな、お前様。
アチキから吟う口を取ったれば、一体何が残りんしょう。」
暫しの間は耐えていたが、終いに堪忍袋の緒が切れて、伊佐治は人形に轡を噛ませた。んん、と苦し気に人形は伊佐治を見たが、静かになれば、波立った心も自ずと落ち着く。
少し可哀想であったが、伊佐治は人形を箱に入れ、大事に押し入れの奥にしまい込んだ。
これで漸く静かに眠れる。
程無く伊佐治の口許から深い寝息が聞こえ出した。
夢の中はあな楽しけり。
生まれてこの方云十年、女子という生き物と、触れ合った事もろくに無く、当然ながら言葉を交わした事も無い。
そんな伊佐治があろうことか、夢の中で女子と睦まじゅう会話を楽しんでいる。
相手は勿論、あの人形なり。
楽しき夢はあっという間。起きて声を掛ける相手も無ければ、一人きりで、喋らぬ日々を過ごす伊佐治の心にも、次第に話し相手が欲しい気持ちが芽生えてくる。
伊佐治はそっと、押し入れの奥から例の箱を取り出した。
「………。」
無言のまま息を飲み、ゴクリと喉を鳴らしてみて、伊佐治は蓋を開けてみた。
「うむむむぅ、これは、」
なんとまぁ、と感嘆する。愛らしい顔をして、その人形は此方を見ていた。ご丁寧に猿轡をしっかり噛んだままだ。
「済まなんだ。苦しかったろうて。」
口を開くとまたもや艶ある美しい声で、人形は嬉々と奏で出した。
「嗚呼、愛しや愛しやお前様。憐れなアチキを救ってくだすったお前様。
お前様は比類なき、貴き御霊を持つ御方。必ずや此処から出して下さると、アチキは信じておりんした。」
確かに喧しい。だがそんな事も今の伊佐治には、些細な事に思えたのだ。
先の件もあってか、楚々と人形の方から尋ねてきた。
「お前様、お前様、何ぞ聴きたい唄はありゃしませんかえ。アチキに唄えぬ唄はありゃしませぬ。」
さあさあ、としつこく催促をするので仕方無く、伊佐治はごろりと横になって、障りの無さげな唄をねだった。
「よく眠れる様に、子守唄を唄っとくれぃ。」
「アーイーなァ、」
一際甲高く人形は声を張り上げ、静かに子守唄を歌い始めた。
「ねぇんねぇん、ころぉりよ、おこぉろぉりぃよぉ…」
流石は唄う為に造られた人形、その声音は忽ち伊佐治を睡夢の虜にした。静かに寝入る伊佐治の横で、変わらずずっと人形は唄を歌い続ける。
「長ぁく永ぁく、眠りゃんせぇ。愛しい愛しいお前様。」
一日が過ぎ、二日が過ぎ、三日が過ぎてもまだ人形の子守唄が続いている。六曜がぐるりと一回り、気付けば人形の声も聞こえん様になった。
「どうしておるかい。おまんさん。」
抜き足差し足忍ばせて、隣の諭吉が訪ねてきた。
おやまあ、なんと云うことか。伊佐治は褥に横たえて、仏の顔して仏になった。穏やかなその顔の横には、あの喋繰り人形が虫の息で座っておる。
「おまんさんよう、終にあの世へ渡っちまったかい。」
心配装う声とは裏腹、にんまりとしたり顔を浮かべて、諭吉は押し入れの奥を漁る。其処には伊佐治がコツコツと、精根込めた秘蔵の壺が鎮座していた。
「おうおう。これこれ。」
諭吉の顔が更に、だらしなく緩むのも無理はない。中にはぎっしり隙間無く、銭が詰まって居るのであるから、真っ当至極当然の事。
葬式代に幾許か置き、残りは全て諭吉が手にした。
その後何処ぞで見世を開き、成功したとかしないとか。ただし何故か、死ぬまで諭吉は人の形をしたものを、それは大層怖がっておったと。
冥土へ突如行ったんも、真っ暗な夜道で見た案山子に、滅法腰を抜かしたついでに、心の臓も止まったとか。
人間の最期は分かりゃせぬとな。
はてさて、あの喋繰り人形はどうなったか。
仏になった伊佐治の体を運び出す段になり、傍にちょこんと鎮座した人形がか細い声で泣き縋った。
「お前様、ああお前様。アチキも一緒に連れていっておくんなまし。お前様の眠る穴ん中で、アチキも一緒に眠りとうせ。」
悄々に泣くもんだから、人足共も気味悪がり、伊佐治の躯に乗っけて一緒に、穴の中へ埋めたとさ。
めでたし。ハァ、目出度いな。
2012/06/28 原稿




