「火を垂らす女」
蛍の話。物凄く、どこぞで読んだか見たかした気がしてならないのですが。
どなたかご存知ありませんでしょうか?
雨の夜、たまたま蛍が戸口に来ていた。それを見て思いついた…というか、
出てきた話なので、多分頭のどこかに入っていたのだろうと、推測をする。
とはいえ、とどのつまりこれは、蛍 の話です。わかるかな?
「いつか何処かで聞いた話 Ⅱ
蛍。
スゥと目の前を、か細い光を放ちながら、飛んだ。
俺は何気無しにそれを眺め、彼女の言った事を思い返していた。
蛍はねぇ、肉食なのよ。
そう俺に言った1週間後、死んだ。
彼女と出会って意気投合するまでに、時間はまるで必要無かった。会ってほぼ直ぐに俺は彼女と関係を持ち、事を終えて、共に寝そべるベッドの上で、先程の言葉を彼女は俺に言ったのだ。
知ってた? と悪戯顔で笑う彼女が可愛くて、見とれていた俺は曖昧に返事をしたものだ。
ベッドの上での彼女は、正に肉食で、俺は差し詰め良い獲物だったのだろう。終始彼女に翻弄されながらも、随分楽しませて貰った。
「あたしのことじゃないわよ。」
俺の表情を見て取ったか、彼女は不満げに頬を膨らませた。
「じゃあ何?」
「ほら、今の季節になると飛んでる…」
「川辺にいるヤツか。」
子供の頃なんかによく親に連れられて観に行かされた、あの光る奴か。頷く彼女に俺も納得して、改めて彼女の言葉を鑑みる。
「肉食…って、」
どういうつもりで今、そんな話を出したのだろう。不可解に頭を悩ます俺の横顔を楽しむ様に、眺めながら彼女は続けた。
「蛍の幼虫は水の中で暮らしているの。食べるのはね、カワニナっていう巻き貝。自分より大きくてもね、消化液を相手にぶちまけて、溶かしながら食べるのよ。」
何処と無く、彼女が楽しんでいる様に見えた。生き生きとした彼女の笑顔は、俺の心を高揚させる。
俺は無邪気に話す彼女のその笑顔に、釘付けになった。
「よく蛍は清流に棲むっていうじゃない? でも、綺麗すぎても駄目なのよ。わかる?」
俺は頚を横に振った。ふふふ、と艶いた瞳を向けて、魅惑の唇を蠢かせる。
「水、清すぎて、魚棲まず。っていうじゃない。」
そうだったか? 曖昧な記憶を曖昧に手繰りながら、愛想を付け足した笑みで相槌を打った。
他にも彼女は蛍という虫の話を色々とし、俺はただ脇で笑みを浮かべて、彼女の話を聞いていた。
「でも、ずっと水の中に居てはいけないの。」
不意に彼女はそれまでの愉しげな表情を曇らせ、また俺のものを愛撫し始めた。
不思議に感じながらも、俺はそんな彼女の髪を梳き、もう一度彼女に身を委ねようとした。しかし、裏腹に彼女は身を引き起こし、俺から離れた。
「溺れて…死んでしまう。」
顔を上げた彼女の面差しは、憂いを帯びて、俺が思う彼女の年齢より遥かに歳を負っている気さえした。
何故、と疑問に思うものの、それを訊くのは憚れる。口を噤んだまま、俺は彼女を見つめた。彼女も俺を見つめている。
再び俺と彼女は激しく睦み合い、夜が深く更けるまで共に強く愛し合った。
「有り難う。貴方のお蔭で漸く大人になれた気がするわ。」
意味深なその言葉を残し、彼女は次の水を求めて、俺の袂から飛んでいった。
ネオンに色めく夜街を、点滅する灯りに誘われながら、彼女は街の夜陰へと紛れていく。
やがてその姿が見えなくなると、俺も漸く現実的に帰路へとついた。
夜の閑静なマンションのベランダで、煙草を吹かし、ゆっくりと暗闇の空に目をやる。
彼女の事を知ったのは、翌週の新聞記事であった。
マンションからの転落死、と書かれてあったが、事件と事故の両方で捜査されていると載っていた。
もしくは自殺の可能性もあり、とも書かれてあったが、それは俺が知るべき事ではない。彼女の事も、彼女の事情も。行きずりの恋の相手として、俺には彼女を知っておく理由など、立場など無いのだ。
煙草の火が赤く、俺が吸う度に点滅する。
蛍。
ふと、俺は思った。
まるで、そう。蛍のようだと。
あれからもう随分経つのに、俺はまだ、彼女の無邪気な笑顔が忘れられないでいる。
夜陰をふわりと、光を点滅させて飛ぶ。その姿から目を背けて、俺は苦い水を瞳の奥から溢した。
─ 了 ─
2012/06/ 原稿




