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表・本匣  作者: R-N
18/21

「母と、ウィッグと、真夏の私」

某TVCMより

 勢いの良い派手な足音で、小学三年生の息子が居間まで雪崩れ込んできた。

「ばばばばあちゃんが消えた!!」

 大声で慌てふためく息子が微笑ましく、呆れながらもつい私の口許は緩んでしまう。

「何言ってるの。何処かに出掛けているだけでしょ、きっと。」

 私がまともに取り合わずにいい加減に返したと思ったか、物凄い勢いで否定してきた。

「違うんだよ!! 洗面器に浮いてるんだよ!!」

 我が息子ながら、突拍子もない事を言う。兎に角来て、と強引に手を引くので、私は息子と共に現場を見に行った。


 只今、子供達は夏休みの真っ最中。毎年恒例の里帰り旅行は、密かに私も楽しみであった。

 幾ら馴染みがあるとはいえ、実家に帰るのはここ暫く年に数回が現状で。私がこの家を出てからも、もう十年近く経過した。

 当然の事ながら、父と母の二人暮らしは、私の知らないこの家の事情を、徐々に増やしている。

 家の間取りは変わらない。けれど、色々な物の置き場所や出入りは、もう私には把握出来ない程こんがらがっている。たまにちんぷんかんぷんになるのだ。

 今や子供達と共に、そんな実家の摩訶不思議を、私も堪能する身になっていた。


 前を歩く息子が急に抜き足に変わった。私も物音を立てぬよう、そっと後に付いていく。

 現場は風呂場だった。今日は特に暑いからか、今朝方着ていた母の服が脱衣カゴの中に入れられている。

「お祖母ちゃん、お風呂に入っているの?」

 息子に尋ねると、首を振り、違うと否定する。

 私はそっと扉を開けて中を窺ってみた。けれど、そこには誰もいなかった。

「ママ、あれ。」

 息子の指差す先には、風呂椅子があり、その上に洗面器が置かれていた。

 湯が張られているのか、うっすら湯気が周りを取り巻いている。中の液も石鹸が溶けているようで、半透明に白く濁っている。

 風呂蓋は閉められているし、窓も開いていない。

 私は洗面器の中を遠目で確かめた。何か浮いているのがはっきりとわかる。

 確かにあれは、見慣れた母の頭頂部だ。私も流石にドキリとした。

「や…やぁね。あれはウィッグ、カツラよ。」

 母からウィッグを作ったとも聞いていないのだが。息子にはそう言って、宥め賺した。

「…ばあちゃんじゃないの?」

「お祖母ちゃん、どう考えても洗面器に入り切らないでしょ。」

 そう言われて、息子も納得したようだ。

 蓋を閉めた浴槽が気になったが、中を確かめる勇気は私には無く、足早に息子を急かしてその場を離れる。

 きっと、暑いから着替えたのね。母の事だから、驚かそうと思って仕掛けていたのかも。

 母が姿を眩ました理由なんて幾らでも…そう、付けられるのだ。

 私は自分を無理矢理納得させて、居間に戻った。




 暫くすると、今度は下の娘が息子を呼びに来た。

「無いよぉ、にぃに。」

 振り返すように、ばぁばの頭が無いと言い出す。

 また、二人が大事にしない様に、私は急いで風呂場へ向かった。

 開いたままの扉から、風呂場の様子はすぐに見えた。風呂椅子はそのままだったが、洗面器は空になって、壁に立て掛けられていた。風呂蓋も同様に立て掛けてある。

 そう言えば窓も隙間が開けられていて、浴室内部は換気されていた。

「あーっ!!やっぱりばあちゃん消えた!!」

「そんなこと無いわよ。いいから庭回って捜しに行ってごらん!」

 追い立てる様に、私は息子の身体を反転させて、外へと押し出した。

 素直で元気が良いのはいいが、何せ騒ぎすぎる。

 それと、私は母の悪戯めいた行動に頭を悩ませた。

 子供ら二人を庭に放り出し、居間へ戻ると今度は先客が寛いでいる。誰かと思えば、騒動の中心にいる母だった。

 度肝を抜かれて、私は一瞬尻餅をつきかけた。

「あら、アンタ。」

「あら、じゃないわよ。」

 こっちが散々振り回されているのに。当人はのほほんと扇風機前に陣取って、美味しそうに麦茶を飲んでいた。

「もう、どこ行ってたのよ。」

 漸く捕まえた母に、私はすぐに抗議した。

「ああ。暑かったから、ちょっと行水してたのよ。」

 スッキリしたわ、と母は甚くご満悦だった。

 見慣れた母の頭頂はいつもと変わらず、洗い晒しの髪と共にしっとり濡れている。手で触って確かめてみたいが、いきなりは不躾だろう。

「それより母さん、ウィッグ…買ったの?」

「あら、言って無かったっけ?」

 あっけからんと母は私に言った。

 聞いてないよ、と返す私に、もう半年以上経つわよ?と、更に上乗せて母は答えた。

「全然気づかなかったのね。」

 嬉しそうに言う母に、私は頬を膨らませる。その母の気持ちが分からなくもないけれど。

「やぁね、幾つよアンタは。」

 子供じみてみっともない。そう言いつつ、嬉しそうに私の頬をつんつんした。馬鹿馬鹿しくなって、私は顔を素に戻した。

 そうしている内に、子供達も居間へ戻ってきた。

「あー、ばあちゃん見っけ!!」

 息子が思い切り母を指差す。娘もそれに倣い指差した。

「こらこら、人様を指差すもんじゃない!」

「あららぁ、見つかっちゃた。」

 うふふ、と可愛い孫に向けて、無邪気に母は笑った。

「ばあちゃん、どこ行ってたんだよっ」

「知りたい? それはねぇ」

 勿体ぶって、母は子供達の興味を引き出す。暫く子守りは母に任そう。そう区切りを付けて、私はよいこらしょと腰をあげた。

 母は子供達に絵本でも読み聞かす様に、面白おかしく話し出した。

「水の中の世界だよ。お祖母ちゃんの特別な魔法なの。実は洗面器から入れるんだ。」

 へぇー、と子供達の瞳は輝いた。


 私は一人、風呂場に向かいながら、大仰にあきれ笑いをした。

 やっぱり隠れて聞いていたのね、と母の強かさに今更ながら、降参させられる。

 走り回って汗だくになった子供達を浴びさせるべく、私は浴槽を軽く洗いに、風呂場へ足を踏み入れた。

 覗き込んだ浴槽の底にはウィッグが落ちていた。今度のは見慣れない…母の頭頂部分。

 なんとなく、目の前が真っ青になるのを感じる。何処までも青い、水の色。

 遠くで息子か叫んでいる。『ママが倒れるっ!!』とか何とか。ぽっかり開いた青色の世界に、私はゆっくりと落ちていった。

 母の頭頂部が揺れている。そんな摩訶不思議な世界。




 真夏の私の奇怪な体験は、もう暫く続きそうだ。

2014/08/01 考

2014/08/08 仕上げ

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