「Good luck! Baby!」
超、くだらん話です
「俺のアダ名は死神だ。」
死にたくなけりゃ、黙って金出しな、と男は凄んだ。薄絹のヴェールの下にある化粧の濃い顔は、そんな威しを受け流すように、笑っている。何処ぞの場末のバーのママのような貫禄を纏って、彼女は男と向き合った。
「だから何だい。」
全く動ぜずに、彼女は男に声を返す。
小さな路地にある占い師の天幕で、二人は顔を突き合わせていた。男は法外なショバ代を彼女に要求した。それが男の仕事でもあった。しかし、理不尽な要求に、主の彼女は一言も触れてこない。
「因果応報、アンタに一番必要な言葉だ。」
「ふざけんじゃねえぞ、このクソババァ。」
「それよりアンタ、奥さんを放ったらかしているだろう?」
その言葉に男は一瞬怯んだ。既婚者であることは、誰にも言っていない事柄だ。分かるようなものも、身に付けていない筈。
「隣の老犬が死んだのは、ありゃ寿命だよ。」
「あ?」
更に突飛に会話は進む。男は流石に顔をしかめた。
はぐらかされているのだろうか。これじゃあ何の話をしているのだか、わからない。
「婆さん、頭イカれちまってんじゃね?」
軽口を叩いて、男は彼女を小馬鹿にした。どうでも良い話だ。早く終わらせちまって、飲みにでも行きたかった。
男は顔を近付けて、あの世へ送ってやろうか?などと、嘯いてみる。
「ちぃがカラスに殺られたのも、野生の世界ではよくある掟だ。」
何気無い彼女の戯言の筈だ。だのに一瞬、心臓を鷲掴みにされた気分に、男は陥る。
「アンタがその場所で毎日観察していたって、関係ない。カラスは雛の匂いにも、気付いていただろうからね。」
覚えがある。遠い記憶の、忘れた筈の光景に。
庭木の繁みに作られた巣の中で、孵っていた野鳥の雛を覗き見る自分。自分だけが知ってるその雛の名前の事。
嘘だ、ウソ。
気のせいと、男は胸の内側で吐き捨てた。
「婆さん、いい加減に…」
「小学校のクラスのメダカが死んだのは、単に世話をサボったからだ。」
「うるせぇ、」
「アンタの存在が命を奪っているなんて、思い上がるもんじゃない。」
確かに、小学校の夏休み、メダカの当番を忘れて放ったらかしにした記憶がある。当番最後の日に思い出して、慌てて向かった記憶もある。瀕死だったメダカは、復活することなく死んでいった。
それも脳裏に焼き付いている。
苦虫を噛み潰し、男は恨めしい目付きで彼女を見た。
「先刻から、ゴチャゴチャとうるせぇんだよ。」
「そうかい。」
漸く彼女は一呼吸置いた。
情報が漏れているのか? 何処からだ?
思い当たる節がない為、男はただ訝るしかない。すっきりしない心を抱え、彼女の顔を凝視している。
「確かにマブダチだったろう。折角だ、友の最期の忠告をちゃんと受け止めてやんな。」
「誰の事…抜かしてんだよ。」
「アンタと会った帰りに起きた事故は、ただの偶然だ。彼処で命を落とすのは、彼の運命だったってね。」
二の句が男には継げなかった。いや、絶句したと言った方がいい。
「アンタが感じる責任じゃない。」
そう、きっとあいつの事を言っている。
堪らなく、男は胸糞悪くなる。
あの日、あいつに会ったのは偶然だった。高校時分からの親友、だった。別れた後に、煩く鳴り響くサイレンの音。いつもなら聞き流しているのに、やけに耳にこびりついたのも、翌朝の記事の端にあいつの名前があったのも…。
ちゃんと、○○の所に帰ってやれよ。
あいつの声で、男の脳裏に木霊する。
「…ふざけんな。」
男の腕はぶるぶると震えた。握り締めた拳が熱く、指先が痛い。
「他人を馬鹿にするのも大概にしろよ、クソババァ。」
「馬鹿にしとらんよ。」
「当てずっぽうの法螺話を聞きに居るんじゃねえ!!」
伸びた拳は、彼女の胸ぐらを掴もうとした。
「当てずっぽう、ね。アンタの姉さんの流産もかい?」
恐ろしさに、男の体がびくつく。
「妊娠を知ったのも、疾うに済んだ過去ならば、流れたのも同じ過去の話だったじゃないか。単にアンタが知ったのが、あのタイミングだった…それだけのことだろうに。」
理解して、腹に収めるには、少々難解だ。でも男には、つぶさに彼女の言葉がわかる。
どうしようもない感情だけが、息巻いた。
「てめえに何がわかる。」
「ああ。」
彼女は相槌を打つ。一瞬伏せられた睫毛は、何かを祈るようにさえ見えた。
置かれた間は、相槌に続く言葉を男に想像させた。渇いた唇を湿らせに、彼女は小さな瓶の水を一口、それで喉も潤わせる。
知ったかぶりの彼女の様が、男は憎らしくなる。
「わからんね。私はアンタじゃないからな。」
あっさりと、男は切り捨てられた。言われると思っていた肯定の答は、男の中での独りよがりとなっていく。
「アンタにだって、私の全てがわかる訳無いだろ?」
「そんなもの…」
知るかよ。と、口籠もった。
彼女は、淡々とそのまま言葉を詰めていく。
「私が因果応報だと言ったのは、アンタが自分を死神だと詰る、その気持ちを手放せないからだよ。」
違うかい? と彼女は問うた。
「死神だという事実を、起こる出来事で見せつけられるんじゃないのさ。
どれもこれも、ただの出来事。本当は違う形でアンタに伝わってきたかもしれない。
死神だというのは、アンタが自分で望んで、そう見ているだけだ。」
返す言葉が男の胸から出てこなかった。
「でなきゃ、既に結果の決まっていた過去の出来事にまで、囚われることはないだろうに。」
「俺は…」
「人間だよ。アンタはね。」
ただ、男は凝視する。瞬きをすれば、みっともなく泪滴が零れ落ちそうなので、瞼は閉じれなかった。
「本当に大切な人まで無くしてしまわないように、ね。」
思い浮かぶのは、好いた女の笑顔だ。心底、惚れて一緒になったってのに。
「俺に…どうしろと言うつもりだ。」
眉間に刻まれた皺がきつく、やたらと目が熱くなる。家庭に帰るといっても、もうどの面下げて行けばいいのか、わからない。
それ程に、男の中では時間が過ぎた場所なのだ。
「死神返上して、人間として生きていきゃいいさ。」
難しくはないさ、と彼女は言う。
「アンタの存在が怖がらせているんじゃないかと、怯えることもあるまい。」
「誰が怯えるってんだよ。」
「ああ、そうだ。ちょいとお使い頼まれてくれるかい。」
そう言って、何かを思い出したように、彼女は幕布の隅から小さな指輪を取り出した。
「これを、○○町の○○っていう女性に届けてやってくれないか。」
勝手なこと抜かすな、と拒絶したかったが、言われた名前と住所は、男にとっても忘れもしないものだった。指輪には、かつて女に贈ったことのある石がついている。
「無くした…って、言ってたのにな。」
このまま持ち逃げしてしまっても、いいのだ。彼女は、そうされると思わないのだろうか。
「アンタの気の済むようにすりゃあ、いいだろ。」
男の胸に、灯りが点る。家に帰る理由の灯りだ。
気難しかった男の顔が、いつしか穏やかに、変わった。指輪を握り締め、男は踵を返す。
「おっと、待ちな。」
大事なものを忘れる所だった、と彼女は苦笑いを見せた。天幕を出ようとしていた男は、足を止めて振り返る。
「見物料。腰のポケットに忍ばせている白い粉、置いていきな。」
もう、そいつはアンタに必要無いだろ、と指差す。そんな彼女に、男は驚いて小さい革袋の中から取り出した。
「なんだよ、婆さん。よくわかったな。」
御守りがわりのそれを、投げて寄越す。いつか、自分が本当に死神となった時に吸おうと思っていた粉だ。そうだと、思いつきで男も彼女に一つ頼んでみる。
「なあ、婆さん。占い師なんだろ。だったら、俺の未来を占ってくれないか。」
「んな気の長い先のことなんて、知っても仕様が無いだろ。分からないからこそ、楽しめるってもんさ。」
チッ、と少し残念そうに男は舌打ちをした。その眼は、けれど慕うように彼女を見ている。仕方がないかと気持ちを切り替え出て行く男に、彼女は代わりに魔法を授けた。
「気持ちが迷ったときの呪文だ。おかえり。と言われたら、ただいま。と答えてやんな。」
きっと全て上手くいくさ。他愛も無い、馬鹿馬鹿しい話だが、その彼女のエールを受けて、男は静かに天幕を出た。
その後姿を見送りつつ、彼女はぽそりと一人呟いた。
「良い夢を見なよ。坊や。」
2014/06/18 考
2014/06/26 仕上げ




