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表・本匣  作者: R-N
13/21

「べぇ」の話

 気味が悪い、と俺は思っていた。

 生憎と駅の待合室は、俺とその男の二人しかいない。

 男は先程からじっと、俺の顔を見てにやにやしている。

「なあ、兄ちゃん。『べぇ』の話を知っているかい。」

「…いいえ。」

 関わりたく無かったが、黙っている方が余程気まずく、俺は簡潔に言葉を返した。

 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、相変わらずにやにやしたまま、男は勝手に語りかけてくる。

「ワシの知り合いに女が居てな。そいつがベロをよく出すんだよ。ベロはわかるかい。」

 無視を決め込む訳にもいかず、一先ず俺は首を縦に振った。

「ベロはこいつの事ださぁな。知ってんだろ。」

 そう言って舌を垂らし、自分で指さした。

「でさぁ、知り合いの女が何でベロを出すかってぇと。」

 勿体振って、男はわざと間を置いた。俺はどうでも良いから早くしてくれと、頭の中で願っていた。

 そんな俺の意図を汲み取ってか、ふふんと鼻先で嗤う。

「舌が口ん中に収まり切れねぇ、と言うんだ。」

 妙な話だ、と俺は気が削がれて聞く意欲を失った。むしろ今は隙間から舞い込む冷たい冷気の方が、気にかかる。

「舌で喉が詰まっちまうみたいでな。時折そうなるらしい。」

「へぇ。」

 興味がないが、適当に相槌を打っておかないと。そんな気に駆られて俺は、呑気に頷いた。

「犬ッコロか猫みてぇに、ちょんと舌を出した姿が可愛くてな。歯を立てて、中へ引っ込まないようにしているから、何かの肉を銜えているみてぇなもんだ。」

 あまり想像はしたくない。が、頭の中は勝手にその姿を作り出し、俺は妙な吐き気を覚えた。

「その女とワシは、一緒に旅籠に泊まったんさぁ。」

 ああ…聞きたくない。俺は眼を瞑り、俯いた。耳には隙間風が舞い込む、ヒュウと高い音が響いてくる。まるで、喉笛のような決して心地の良い音ではない。

 男の声はそんな風の音に乗って、否応なく俺の耳に届く。

「ワシは女と一夜を共にしたが、女は途中で気持ち悪がってな。隣の間で先に休ませる事にしたんだ。


 丁度、夜半を過ぎて一刻回った頃だろうか。

「…アカン、」

 気のせいか、とも思ったが。女のか細い声が聞こえてな。

 堪忍して。そんな風に言っている様に思えたもんだが。

「…アカンょ」

 ワシは襖を少し開け、そっと隣にいる女の寝所を覗いた。

 何か長いものがひょろりと立っている。よくよく見るとそれは、女の口から突き出していた。

 舌だ。

 まるで別の生物の様に、ぐにゃぐにゃのた打っていやがった。女は苦しげに呻き声を上げて、とても声が出せる状態じゃねえ。

「…アカンて」

 白目を剥いた女の喉の奥から、責める様に声が上がりよる。真上を向いていた女の頭がゆっくりと、ワシの方に向いてな…」


 俺は固唾を飲んで、男の言を待った。その時。

 ビィィィィィ、と激しく警笛が鳴る。と同時にホームへ列車が静かに滑り込んできた。

「おっと、着いたようだ。じゃあな兄ちゃん。達者でな。」

 男はさっと立ち上がると、そのまま真っ暗な列車に乗り込む。車両の扉は閉じられて、起動音は遠くに動き出し、鉄の塊は漆黒の闇へと走り消えた。

 列車の去ったホームの先を俺は見つめたまま、動く事ができなかった。


 冷たい風が体を凍てつかせる。もう俺は、どうしてだろう、動けそうに無い。

 だがそう言えば…。ある光景を思い出し、俺は己を笑った。

 情事の最中で絞め殺された叔母が、同じ様に呻きながら、舌を天井に突き出して…いた…な…と。



2014/2/2 考


最後が投げやりになってしまった。

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