てのひら怪談
800字制限の短いものなので、ひとつにまとめました。
1話目の『肉の味』は「全て擬人と化す」のリメイク版です。
【「肉の味」】
朝、冷蔵庫を開けると、人間がすし詰めだった。
皆、一斉に俺の方を向く。
反射的に、俺は扉を閉めた。
何があった?何かしたか?
この幻覚のからくりを、無いに等しい脳ミソで考えてみるが、そんなもの分かる筈もない。
いや、それよりも。昨日買ったグラム800円の高級肉は何処へ消えた?
怖さよりも食い気が勝る。俺は再度冷蔵庫を開いた。
肉のあった場所には、全裸で堂々と横たわる熟女が。そろそろ賞味期限がヤバそうな惣菜の場所には、貧弱な女が。
朝に食うつもりのサンドイッチは薄気味悪い笑みを浮かべた男に代わり、にたりと俺を見つめている。
『ねえ、あなた。私、今が食べ頃よ。』
『早く、早く食べてよ。私もう死にそう。』
『私の出番ですね。どうぞかぶりついて下さいよ。』
口々に、俺に向かって言い寄ってくる。
冷静に扉を閉めれば良かったのだ。凍りついた俺の腕を伝って、女が、男が、全裸の人間どもが、俺の口を目指して這い上がってくる。
あんぐりと開けた俺の口に、あの熟女が突入してきた。
生の、肉の味がした。
─────*─*─*─*─*──────────*─*─*─*─*─────
【「わたのなか」】
仕事に追われて疲れが抜けていないせいだろうか。歯がこの前からぐらついている。大した事は無いが、歯科にも行って来なければならないのだろう。
そんな事があって、かは知らない。
が、妙な夢を見た。
白くて真綿のようなふわふわとしたものが、桐箱の中に詰まっていた。大きさは掌に乗るくらい、小さい箱だ。中央の窪みに何か、白いものがある。歯だろうか?
それにしては形がおかしい。膨らんだ部分の黒い点が、俺を見ている気がした。
歯、では無いな。生き物、なのか?
それは俺の見ている前で、もぞりと蠢いた。
声が出ずに、俺は箱を取り落とした。落ちた箱は水音を立てて、赤い飛沫が辺りに飛び散る。
今度は女房が、泣きながら腹を割いて内臓を引っ張り出している。
なんだ?
気持ちの悪さより、俺はその連れ合いの奇怪な行動に釘付けになった。
引き出されていたのは、どうやら子宮の様である。
おもむろに、彼女はそれを叩き割ろうとした。
「おいっ!!」
俺は大声を上げて、止めようと…
「どうしたの?」
眼を開けると、隣で寝ていた筈の女房が、俺の顔を覗き込んでいる。
「いきなり大声を出すから、吃驚したわ。」
呆れた様に笑い、でも何でもない事を知り、安堵した顔で再び布団の中へと戻る。
俺もただの夢に魘されていたのだと知り、胸を撫で下ろして再び眠りに付いた。
夢が現実であったのを知ったのは、その2ヶ月後だった。
安産祈願の御守を手に握り締め、穏やかに眠っている。その目元に幾筋もの涙の痕が付いていた事に、気付くのが遅すぎた。
子宮の中身は綺麗に取り除かれていた。その蟲みたいな胎児を見た後、俺はそっと女房の前髪を掻き上げて、うっすらといつもの様に笑みを浮かべている彼女に囁いた。
「ごめん、な。」
気付いてやれなくて。
─────*─*─*─*─*──────────*─*─*─*─*─────
【「浮熱」】
ゆらり ゆらり
掌から立ち上る。
あつい熱い其れは、生気の塊のようで、私は目が離せなかった。
いたいよぅ
嗚呼、泣いている。顔は見えないけれど、か細いその声に、言い様無く胸が締め付けられて、苦しみさえ感じた。
あついよぅ
ふつふつと沸く発疹が、赤い班を火照た膚に容赦無く刻み付ける。
乾いた唇が擦れる度に音を立てて、カサカサ耳障りに響く。
くるしいよぅ
御免ね。何も出来なくて。そう祈るだけで、私にはそれが精一杯であった。
臓物を這いずる熱気の塊は、横たえた身体を一気に駆け上がり、脳髄にまで到達していく。一種の化け物にさえ感じる。
出来る事は、ただ少しでも脳幹に熱気の化け物が来ぬように、頭を高く持ち上げてやる位だ。
ごめんね、ごめんねぇ
何度も私は、小さな身体を揺すっては謝った。
薄煙が線香から立ち上る。読経が暗いあばら屋に木霊する。
ゆらりゆらりと立ち上る線香の薄煙る暗がりを前にして、修行僧はひたすらに経を唱えた。
外はそろそろ夜明けを迎えに、東天から白み始めている。
僧侶が、つと顔を上げた。
「もう、大丈夫で御座いましょう。病は去りました。」
薄煙の向こうで私が顔を上げた。
胸に抱いている女児の窪んだ眼窩は、いつしか穏やかな色を湛えていた。
有難う御座います。と頭を下げ、御礼を…と戸惑う私に、僧侶は合掌を向けて制した。
「結構。此れも修行の一環故。」
早々に僧侶は立ち上がり、くるりと踵を返し、振り向き様に一言述べた。
「どうぞ安らかに。」
そう会釈をし、手近にあった石を二柱、積み上げる。のち何事もなく、僧侶はあばら屋を後にした。
私は深々と頭を下げた。僧侶が積み上げた石が一粒、髪に当たって天辺から転げ落ちる。
がらがらと音を立てて、石積みは崩れ、あばら屋も跡形無く倒壊した。
もう、其処にあの熱気を帯びた化け物はいない。今はただ、苔むした朽木が広がるばかりである。
─────*─*─*─*─*──────────*─*─*─*─*─────
【「続 わたのなか」】
寝間の中でうつらと見ていた夢に、ふと私は目を見張った。
私がいたのは厠であった。手には白いちり紙を広げ持っている。
おもむろに、私は手を股間に当て、下り物を紙に拭い取った。赤く染まった紙の中にどす黒く固まったものが、微かにうごめいている。
それは、鶏卵の中の黄身に付いている白いヒモのようなものをまとって、カラの中にいた。まるでサンショウウオの幼胎みたいで未発達な身体をもぞもぞ動かすのだ。
私は戻そうとした。まだ間に合う、死んではいないのだから。
けれど、恐れと懼れに胸が震え、手元がおぼつかない。
見る間にサンショウウオは成体となり、私の掌から逃げていく。
そこで私は目が覚めた。腹にあの特有の痛みは無い。
だが。
覆水が盆に帰ることは無いのだ。分かっている筈なのに。戻そうとした自分が恐かった。
そして。
トイレでの私はペーパーと…便器の中に落ちた赤黒い塊の中に、卵が無いか探していた。
─────*─*─*─*─*──────────*─*─*─*─*─────
【「もういいかい?」】
もういいかい
まぁだだよ
夕暮れなんかはとっくに過ぎて、景色は真っ暗で何も見えない。ポツポツと遠くに明かりがあるように、思う。けれど何の光かは、私には想像出来ない。
まぁだだよ
私は声を張り上げた。もういいかい?と、背中越しに誰かが尋ねてくるから。
友達だったか、知らない大人だったか。その声の主がどんな姿をしているのか、私は知らない。
わからないけれど、私は何度も大声で返した。
まぁだだよ
もういい、なんて言ってやらない。その気持ちだけが意固地に私の中にある。
別の子が「もういいよ」と、答えようとしている。だから慌てて私は、大声で打ち消した。
まぁだだよ
まぁだだよ
声が嗄れて喉が痛い。
まぁだだよ。まだ、言わなくちゃ。
だって。「もういいよ」と言おうとしている子。その子が、私じゃないのに私と同じ顔で、私と同じ声で、嫌なのに私のふりして返そうとする。
打ち消さなくちゃ。まだ良くないんだ。私は「いいよ」だなんて、思ってないから。
まぁだだよ
まぁだだよ
私の声が真っ暗な空に響いていく。木霊になって、遠くから「まぁだだよ」と返ってくる。
でもその響きに混ざって「もういいかい」と嘲り笑う声がする。
もういいかい?
まぁだだ…よ
背中に視線が突き刺さる。
まだ、言わなくちゃいけないのかな、私。
まぁだ…だよ
叫ばなきゃ。そう思って口を開けた。でも。
もういいかい?
怖い、と感じるよりも。疲れたんだ。喉が痛い。胸が辛い。
「まぁだだよ」と、声をあげ続けるのはもう、身体中が悲鳴を上げる。
後ろは見えなくても、気配でわかる。私はただ、大きく嘆息を吐くだけになった。
もういいかい…もういいよ
背後で誰かが笑ってた。
─────*─*─*─*─*──────────*─*─*─*─*─────
「わたのなか」2013/1/29
「浮熱」2013/06/13
「続 わたのなか」2013/10/15
「もういいかい?」2014/09/18




