8ページ目 食事には肉を希望したい
美しい花模様をあしらった皿の上には、芸術的に盛り付けられた白身魚が横たわっている。骨を丁寧に取り除かれ、じっくりとソテーされた魚身は、黄金のバターのソースの上で泳いでいるようだ。添えられた香草の緑がまた美しく映え、麗しさを添える。甘くとろけたバターの香りが、空気まで美味に彩っていた。
芸術作品のようなその一皿を見て、私は一言つぶやいた。
「魚ですか」
「魚だね」
皿の上をじっと見る私に、第二秘書官が律儀に言葉を返す。
「魚ですか……」
「どう見ても魚だろ。分かりやすいよな、ヴァレリーちゃん……そんなにがっかりしなくても」
「がっかりなどしていません」
ただ、肉だったら嬉しさが倍増した。それだけだ。
「ヴァレリーちゃん見ていると、本当に和む。腹芸ばかりの毎日だからな。そのまま純真に育てよ……」
「すでに成人していますから」
「はははは」
いつも成長期の子供のように扱われるのは、そろそろ勘弁していただきたい。いつもながら、けなされたのか微妙である。
昼休みだ。
第二秘書官が昼食をごちそうしてくれると言うので私はついていった。先輩がおごってくださるというのだ、ついていかないという選択肢はない。むしろもろ手を挙げて歓迎すべきだろう。
とはいえ、今日の私の仕事は閣下付きである。上司に断りを入れず、休憩に行くことはできない。そのため閣下の執務室に戻ろうとした私だったが、第二秘書官が止めた。危急の事態が起こったため、第一秘書官が戻ってこられたそうだ。第二秘書官はその伝令を兼ねて来たのだという。私は通常業務に戻っていいらしい。
それを聞き、私は大いに安堵した。
閣下の不機嫌オーラを横に感じなくて済んだのだ!
これで山の書類も片付けられる!
機嫌の悪い閣下の隣で、叱られる人を見なくて済む! あの胃も心臓も何もかも縮こまる思いをしなくていい!
いろいろあったが、ようやくここに至って平穏な日になったのかもしれない。
ともかく、そんなわけで私は足取り軽く第二秘書官についてきたのだが。
すっかり忘れていた。
伯爵家の方と食事をするには、それ相応のマナーが必要だということを。
私が普段利用している官舎の食堂とは違い、王城に登城した貴族は、貴族専用の食事のための部屋を使用する。毒殺等を防ぐため、専用の調理場と使用人がいるのだ。そこで、部屋ごと借り食事を摂る。そこでは密談が行われていたり、交流を深めたりしているとか。何とも金と時間がかかる方式だが、仕方がないことらしい。確かに、貴族の御歴々にはそういった場所が必要なのだろう。きわめて庶民に近い、むしろ庶民な私には、遠い世界だ。
私は使用人食堂のほうが好きだ。
はじめて第二郭の使用人専用食堂を使用した時は、その量と値段と味付けに感動した。ここに住みたいとまで思ったのだ。使用人用とはいえ、さすが王城、レベルが高い。体力勝負の下働きには、量が必要なのをよく分かっている。
第二秘書官に連れてこられたのは、落ち着きのある調度品に囲まれた小さな部屋だった。そこで給仕を一人つけながらの優雅な食事。
この、音を立ててはいけない食事は、私は苦手である。酒場で横で酔っ払いが喧嘩をしているところで食事をとるほうが、数倍ましだ。
一応、実家で習った付け焼き刃のマナーを思い出しながら食事をする。第二秘書官はおおらかな方ではあるが、先輩に失礼があってはならないだろう。いつもより食べるペースが落ちてしまうのは仕方がない。手元がおぼつかない。第二秘書官は優雅に食事をしている。
フォークに刺して口に含んだ魚の身は、ふんわりと噛む前にとろけていく。
さすがに高級な食材は違う。何を食べても嫌みがない。
惜しむらくは、貴族用の肉を食べてみたかった……それだけだ。
「で、最近の騒動にヴァレリーちゃんはストレスを感じているか?」
「いえ、危害が自分に及ばない限りは、特に」
あとで報告をされて事態に気付く程度にしか、私は騒動にかかわっていない。遠ざけられているとは、感じているが。
それに寂しさのようなものを感じるのは、私の勝手だ。
ただ、職務や状況に必要なことは、必ずあとで情報を回してくれる。適材適所というものなのだろう。
第二秘書官は、
「まあ、それならいいけどさ」
と軽く締めくくり、
「今の状況にはヴァレリーちゃんはできることがないから、おとなしくいつもの仕事していてくれな」
と私にくぎを刺した。さて、これは先輩としての忠告か、もしくは……
「宰相閣下からの、ご命令でしょうか」
その二択だ。
第二秘書官は、なんとも微妙な顔でうなずいた。
「命令ではなく、お願い、ぐらいだな。正直、相手の出方が分からないから、見える端からつぶしている。害虫駆除は難しいね」
「だから餌をばらまいて、おびき寄せていらっしゃるんですか」
どちらにせよ、私が閣下からといった部分は否定されなかった。第二秘書官個人の意見ではなく、上司のご意向が多分に含まれているようだ。第二秘書官は爽やかに笑った。
「まあ、生粋の文官はヴァレリーちゃんだけだから、不安になるのは仕方がない」
生粋の?
挟まれた言葉に首を傾げながら、パンを千切る。食事はまだ終わっていない。魚のソースをパンにつけて食べると、バターと魚からでたうまみがあいまり、かなり美味だ。これはマナー的にどうだったか、と頭の中で考えたものの、うまさが優先した。幸いなことに、第二秘書官は私のマナーについては何も言及しない。調子に乗ってパンをおかわりする。空の皿を見つめるしぐさだけで、給仕がさっと私の更にパンを載せた。食べ放題なのだろうか。いささか貧乏性なことを考えてしまう。
「お二人は、もともと文官ではなかったのですか?」
「あれ? 知らなかったっけ?」
第二秘書官は、簡単に補足してくださった。
もともとお二人は、先代の宰相閣下に仕える秘書官見習いという立場だったそうだ。本来は騎士団に所属していたが、なぜか引き抜きにあい、文官に転身させられたとのこと。
「おっさんは戦斧と格闘術が得意。俺は、弓が得意」
「ああ、それであの筋肉が……」
第一秘書官の体格の良さ、鍛え上げられたせいだったのか。その謎が明らかになったと思ったのだが。
「いや、おっさんの筋肉は元からああだよ」
関係なかった。しかし、どう考えても、あの筋肉は騎士団で輝きそうなものだが。なぜ文官になど引き抜かれたのだろう。私の疑問は顔に出ていたらしい。
「その時から、内乱の気配があったせいだ」
苦い笑いを浮かべる第二秘書官に、彼らがまさに渦中の時代に仕官していたことを思い出した。
「護衛も下手な人材は信じられるものではなかったんだよ。だから先代閣下は自前でそろえたのさ」
その時の城内は恐ろしい状況だったのだろう。戦いで名を挙げた父でさえ、内乱の時代について、あまり口を開きたがらない。
自国の民同士が戦い、殺し合ったという凄惨な時代だ。私は田舎でのんきに過ごしていたころ、この人たちはすでに戦っていたのだ。
「では、お二人は先代様からずっと仕えていらっしゃるのですね」
とすれば、思っていた以上に秘書官としての年季がまず違う。子供扱いされるのは仕方がないと感じだした。彼らから見れば、私は尻に卵の殻を付けたままのひよっこに過ぎない。
「そうそう。閣下も、子供のころから知っているよ」
あの夢を思い出した。閣下の様子を見れば、私と幼いころ、一時期とはいえ交流があったことはお忘れに違いない。閣下には、子供のころの話題を振らないでいただきたいものだ。
食後のデザートと茶までふるまわれる。貴族とはなんとも優雅な生活を送っているなと感心していると、
「前々から言おうと思っていたんだけれどさ」
第二秘書官が、まじめな声で言い出した。
「俺たちに期待されている仕事と、ヴァレリーちゃんに期待されていることは、全く違う。だから、今の職責を全うすることを気にしていればいい」
「今の職責、ですか」
現在進行している事態について、知らされないことについてなのだろう。
「少なくとも、書類整理が恐ろしく早く済むから、閣下も喜んでいる」
「はあ……」
そのような場面は全く見たことはないのだが。私が半信半疑なのが分かったのだろう。
「とにかく、気楽に頑張れってこった」
適当に締めくくられた。
「ありがとうございます……」
今にして思えば、事態に首を突っ込むなと伝えるために、昼ごはんに誘われた可能性がある。茶器に口をつけると、いい具合の温度だった。茶の湯気のせいでメガネが曇る。
今日もいろいろあって疲れる。日記を書くとすれば、長いものになりそうだ。
疲労を回復するために、今日の晩は肉を食べよう。
ぼんやりと曇った視界のまま、そんなことを考えたのだった。