7ページ目 危険手当の行方
残念ながら全く体格に恵まれていない私は、第二秘書官よりも背が小さい。
連れ立って歩くというよりは、歩幅の違いにより半ば引きずられる形になった。幸い、通り過ぎるものがいないからいいものの、どう見ても連行されている風にしか見えないはずだ。腕をつかまなくても、普通についていくから離していただきたいのだが。
「あのー……第二秘書官」
「んー。ちょっと待て」
呼びかけてみたものの、第二秘書官は私のほうを一顧だにされない。今は取り合ってもらえなさそうだ。仕事だとも言っていたので、せめてついていくことに集中したほうがいいのだろう。そのほうが腕の痛みも少ない。
それにしても、どこへ向かっているのだろうか。いつも通らないルートを迷いなく歩む第二秘書官に付き添いながら、私は戸惑いながら足を進めた。
第二秘書官は周囲を見回した後、不意に外への道をたどる。
いかに明かりがともされているといっても、城内は薄暗い。外への開口部は扉が開いたままになっており、まぶしい光が中に差し込んでいた。
外に出た途端、急に増えた光の量に目が追い付かず、瞬きする。
ようやく目が慣れ、ここがどこかを理解した。
その場所に私は見覚えがありすぎた。
おりしも、今朝、第二秘書官と女官があいびきしていたあたりである。この場所を知っていると表に出していいものかどうか、妙な汗がだらだらと流れてくる。それにしても、第二秘書官は貴族のはずなのに、なぜ使用人用の道を知っているのだろうか。ろくなことに使っていなさそうだ。
第二秘書官が、唐突に私の腕を引く。強い力のせいで、体勢を崩しかけ、おおかた転びそうになる。
そのとき、キン、と金属同士がぶつかった音が響いた。
耳を突き刺すようなその音に、私はびくりと跳ね上がる。
いつの間にか、私と第二秘書官の横に、小柄な騎士が現れていた。
銀色の髪をうなじで括った騎士だ。こちらに背を向けているので、顔は分からない。
抜身の剣を持っているが、それは私たちに向けられたものではなかった。彼の足もとに、投げナイフが突き刺さっている。先ほどの音は、これを弾いた音なのかもしれない。
投げナイフの鈍い輝きを眺めていると、第二秘書官が短く騎士に告げた。
「後は頼む」
騎士はその言葉をかけられたと同時に、矢のように駆けて、あっという間に茂みの向こうへ消えた。本当に彼がいたのかどうかすら疑うほどの、鮮やかな消え方である。
「……曲者ですか?」
足元のナイフは重々しいほどの現実感を醸し出していた。
ようやく追い付いてきた認識に、私の血が凍った。ナイフを投げられたのか。刃傷沙汰は勘弁していただきたい。喧嘩ならまだしも、実際の殺し合いは体験したことがないのだ。
「んー……」
第二秘書官は足元のナイフの柄を手布で包み、目の前に持ち上げた。大人の男性の手のひらほどのナイフだ。
ナイフには柄の部分に薄茶色の繊維質のものが巻かれている。それを眺めながら、
「クアンド西部に生息する草で、主に山間部に住んでいる部族が使っているナイフだな。鉄の材質が悪い。ほら、剣と衝突して大きく欠けているだろう? 作りも甘いな。手入れもできていない」
第二秘書官が鑑定している。そういう場合なのだろうか。
「毒はなさそうだ」
刃の部分をじっくりと眺めて、第二秘書官はそう締めくくった。
「昨日の今日でクアンド産のナイフで襲撃、か。出来すぎているのか、状況の誤読を狙っているのか」
丁寧にナイフを布で包みこみ、懐に仕舞う。
「ヴァレリーちゃんはどう思う? 面白いことになってきた気がしないか?」
「いえ、全く面白くありません」
私の答えのどこかがツボに入ったのか、第二秘書官は笑い声をあげた。笑っている場合なのだろうか。この人も謎の感性をしている。上位貴族界では、ナイフが飛んでくることも日常なのかもしれない。
さて問題はこのナイフは何を狙ったものなのか、だ。
順当にいけば第二秘書官。私を狙ってよいことは何もないと自負している。私が消えたところで、代替えはきくような仕事しかしていない。人の顔を覚えているとはいえ、それは何年も城に仕えるものであったら記憶できるものだ。だが、万が一私を狙っていたとしたら……。
それ以上は考えないことにした。
第二秘書官の思わせぶりな行動にしろ、この人には何らかの答えが見えているのだろう。
あっさり思考を放棄する。人はこれを思考停止と呼ぶだろうが、これ以上ストレスのもとを抱えたくないのだ。
本当に、面倒なことになってきた。
青ざめる私に気付いたのか、第二秘書官がにこやかに私の頭をなでる。
「城下町に出ないなら、にーちゃんたちが何とかしてやるからな」
「だから、兄は増えていませんから」
これ以上、むさい兄が増えても楽しくないのだ。綺麗な姉や、可愛らしい妹であれば、もろ手を挙げて歓迎しよう。兄ではあまり楽しくない。
ともかく、第二秘書官の言葉は兄云々以外は真面目に受け取っておくべきだろう。
城下町には守りが及ばないということなのだから。
「……私を狙ってもしかたがないのでは?」
「さあ、どうだろうね」
はぐらかされた。とはいえ、狙われていると分かったところで対処のしようなどないのだ。
しばらくはおとなしくしているべきだろう。私は貴族ではない。護衛を雇うことなど到底無理である。重くため息を突いた私を、第二秘書官が肩を叩いて促す。
「さあ、昼食の時間だ」
確かに、遠くに昼の鐘が聞こえる。しかし、それよりも気がかりなことがある。銀髪の騎士が帰ってきていない。
「先ほどの騎士はどうされるのですか?」
「クロードは大丈夫だろ」
どうやらクロードという名前らしい。が、どこかで聞いたことがあるような気もする。
あっさりと第二秘書官は踵を返した。私はすぐに後を追わず、庭を振り返った。表面的には穏やかな風景だ。ナイフが物陰から飛んでくるなど、想像もできない。土についた傷が足元に残っていることだけが、先ほどの事態が夢ではないと思わせる。騎士の消えた方角からは、何も聞こえない。彼がどれぐらいの技量であるかはわからないが、それでも危険なことはないのだろうか。
「ほら、行くぞ。とっとと歩く!」
いつものように明るい軽薄な声が私を促した。
「……はい」
移動するというなら、付いていくしかないだろう。そういえば、そもそも、
「先ほど、仕事だとおっしゃっていませんでしたか?」
私は仕事だと呼び出されたのだ。それは急ぎではないのだろうか。昼食をとっている場合ではないはずだが。
「ん? 仕事だよ、ははは、楽しくない仕事だったね」
過去形で死めくられた語尾に、背筋を汗が伝った。まさか。私の嫌そうな顔に気付いた第二秘書官は、ことさら明るく言った。
「さっき終わったじゃないか」
は?
不穏な気配に、私の足が止まった。
「いやあ、ヴァレリーちゃんを連れまわすだけで釣れる釣れる。今日もお役目ご苦労さん」
「え、それは私が」
「ははははは」
笑い事ではない! 私は口の端がひくひくとひきつるのを感じた。先輩相手に礼を失するが、それ以上にショックが大きすぎる。
「いやあ、俺にも熱烈なのがいたけれど、ヴァレリーちゃんのほうのファンが熱烈すぎてさ、先になんとかしようかなと思っただけで」
ファンじゃない。それは絶対にファンではない。私はずり落ちてきた眼鏡を直しながら、努めて冷静さをかき集める。
「それは……終わったのですか?」
「ああ、当面は大丈夫だ。安心しろって」
安心できるかっ。
「閣下は愛されすぎているからね、その配下の俺たちも、ってやつみたいだよ。ああ見えて、閣下は情に厚いから」
情に厚い上司が、部下を釣りの餌にするだろうか。
「大丈夫だって、ぱっくりとやられないように配置してから、ちゃんと釣りをしたから。そのあたり閣下に抜かりはないさ」
膝をつきそうになった。もてると困るねーと相変わらず軽薄な調子で笑う第二秘書官に、差し迫った色はない。どうやら、私は今日も釣りの餌役だったらしい。
そろそろ危険手当を申請してもいいのかもしれない。
「危険手当って、別途出ませんか?」
「それは閣下に交渉してもらわないと」
どうやら危険手当は申請することが最も難関なようである。