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益体もない妄想シリーズ

『依って証明された現象』

作者: 蜻蛉野ベル

 俺こと六谷田彩むだにた さいはある事実に気づき愕然としてしまった。この世を支配する法則の一つに熱力学第二法則と言う物がある。第二種永久機関は実現不可能というあれだ。

 俺は永久機関を実現させるなんて馬鹿のやる事だと思っていたが、どうやら俺も同じ事をしていたらしい。

 即ち液体スープを温める為カップ麺の上において三分間放置するという方法では結果的にカップ内の温度を奪う結果になる為、当初の目的である低温の液体スープを注ぎ込むことによりスープが適当温度以下に下がることを防止するという役割が果たせないのだ。

 斯くなる上は絶対零度を実現させてエントロピーをゼロにしてやろうかと、考えてみたがネルンストの定理に阻まれてしまった。

 最後の希望は断熱膨張による内部エネルギーの放出によって絶対零度に限りなく近づける事だが理論上は可能でも現実問題として実現は不可能。

 熱力学第一、第二、第三法則は正しく完成されていた、一分の隙もない。

 しかしそこで諦めるような俺じゃない。現在、カップラーメンを完璧な物にすること以外に俺の暇潰しは存在しないのだ。全力を尽くさなければなるまい。

 そこで考え出したのはレトルトカレーのように鍋で温めるという従来にはない画期的な方法だ。しかしこれには一つ不安が残っている。温められた液体スープの袋は熱く、お湯で濡れていて、掴み難く斬り難い。

 正確に三分温めた後は粉末スープと液体スープを入れ、掻き混ぜて食べ始めるまでに要していい時間は僅か二十秒なのだ。それでも俺はやり遂げる、何故ならそれ以外に暇潰しがないからだ。

 家には時計やキッチンタイマーなんて物はない。無くても困らないほど俺の時間感覚が正確だからだ。

 三分間待つ。

 左手の神経が暑さを感じるより速く、熱湯から液体スープを取り出す。それと同時に発泡スチロールを溶かして(環境ホルモンなんて知らない)カップと完璧に接合した蓋を右手で切り離し、粉末スープを掴む。

 家には調理用鋏なんて物はない。刃物を使わなくても物を切る技術を習得しているからだ。

 カップの上で袋を空に放した。それぞれの袋の両端にある接合部を切り開いて、袋を持ち筒状に変形させて中身を落とす。右手の袖口から瞬時に箸を取り出しながらカップを持ち上げ、箸を突っ込み掻き混ぜる。

 カップの端に口を当て、スープに口を付けるまでに1,02秒。ラーメンを5秒で飲み干した。完璧なカップ麺を作るまでに要した時間は五時間、カップ麺は二千五個。ここ一ヶ月ほどで想いついた殆どの作り方は習得した事になるので、新しい特技にカップラーメンの製作を加えても良いだろう。何せ足したら美味しい調味料から、あらゆる麺の硬さを出すための条件まで調べたのだから。もちろん生麺、乾麺、何でもござれだ。味の好みを正確に見抜ける、という特技と組み合わせれば死角もなくなるだろう。

 作れる料理がカップラーメンだけという悲惨な状況だったからあまり役に立たなかった特技だが、二つ組み合わせれば多少は使えるようになる。

「カップ麺ばかりでは体に悪いです。御食事に関しては私に任せてくださいませ、ご主人様?」

 と鈴を鳴らすようなソプラノの、早い話がアニメ声が背後から聞こえた。

 振り向いてみるとそこに居ないはずの人間が立っていた。

 長い髪は腰のあたりまで伸ばされていて、前髪は切り揃えられ、その左右の髪先は顎に当たる長さで止まっている。その黒髪を飾るように黒赤のヘッドドレスで押さえていた。

 首元にはクロスの付いた黒色のレースチョーカーを付けている。フリルがふんだんに使われた黒いコルセットワンピースの上に、差し色に赤が使われたゴシック調の黒いベロアカーディガンを羽織っていた。スカートが膨らんでいるところから考えてパニエも履いているのだろう。室内にもかかわらず、蝶の模様があしらわれた黒い日傘を差し、赤いリボンとクロスの付いた黒い編み上げブーツを履いている。

 ゴシックロリータだけで十分常識から外れた外見であるが、着ている少女もまるで悪夢から飛び出して来た天使のような少女だった。病的なまでに白く、着ている物の所為で必要以上に強調された肌は現実から浮いている。切れ長の黒目は光を吸い込むような深い色をしていて、覗き込むと夢の世界に引きずり込まれそうだ。化粧の類は一切していないのに真紅の唇は異様に目を引く。薄く笑みを浮かべているように見えるが、顔全体を見ると何故か暗い印象を受ける何ともいえない表情をしていて落ち着かない。美少女であることは間違いないが何処か捕らえがたく、受け入れがたい容姿をしていた。

 間違いない。昨日寝てる間に縛り上げて簀巻きにし、『拾ってください』と書いた蜜柑箱に箱詰めして隣町の川に捨ててきた黒姫調くろひめ しらべだ。

 黒姫調は五年ほど前から半ば強制的に同居している居候であり、自称俺の奴隷だ。いくら捨てても戻って来るので完全に諦めていたのだが、あまりに暇だったので昨日捨ててみた。しかし如何にかして戻って来たようだ。

 何時もの事だが靴ぐらいは脱いで欲しい。

「何度もいいますが、この靴は家履き用なので気にしないでくださいませ」

 俺の視線に気づいて黒姫が弁解する。

 汚れがどうとか、そういう問題ではない。家の中で靴を履いているという状況が気に入らないだけなのだ。もう諦めているので口には出さない。

「よくあの状況で戻ってこれたな」

 確かに水の中に沈めたことを思い出しながらいう。

「私のご主人様の元に戻りたいという帰巣本能を阻める者はいません」

「お前は犬か」

「はい、私はご主人様の犬でございます」

「俺を愛しているのか」

「はい、愛しています」

「おまえは死ぬべきだな」

「はい、私は死ぬべきでございます」

「俺と一緒に居たいんだな」

「はい、居させていただきたいです」

 全く現実味のない問答だ。黒姫は俺の命令に忠実だが、矛盾する命令はより古い方のものが優先される。

 だから俺が彼女に命令した仕事を奪われるような状況が気に入らないのだ。

 最初の発言は、料理は彼女の仕事だから俺がカップラーメンを食べるのを止めるようにしたいのだろう。黒姫の料理をきちんと食べてやれば、そこまで五月蝿くはいってこない。

「確か無人島に放置した時も無事に帰って来たよな」

「私の方向細胞ヘッド・ディレキション・セルは常にご主人様がいらっしゃる方向を訴え掛けてきますので」

 相変わらず怪しい微笑を浮かべる黒姫、怖い。だからといって笑うなという命令はしない。そんなことをすれば黒姫は一生笑わなくなるだろう。

「料理を作ってくれ、和食がいい」

「畏まりました、ご主人様」

 黒姫は日傘をくるりと回して閉じ、一礼する。黒い蝶が舞った気がした。

「では、少々お待ちくださいませ」

「ああ」

 黒姫の料理は美味い。その他、家事全般もそつなくこなす。欠点を挙げるなら一つしかない。黒姫は視界に捕らえていない時は本当に居ないようで、家事だけが勝手に終っていくようにみえて不気味だ。見つめていても空気に溶けてしまうような危うさがある。

 実際は二人で暮らしていても、一人で暮らしているような気がするほどである。

 そもそも俺は黒姫との出会いを覚えていない。いつ、どこで、どのように、どうして、あったのか分からないのだ。黒姫が何故俺に服従しているのかすら分からない。元から訳の分からない奴だが、五年も一緒に暮らして何も分からないのは異常な事だろうか。

 しかし元々俺は他の人間を完全に理解できた例なんてないし、言動から行動まで意味の分からない知人には事欠かない。

 なので案外何も知らない男女が一つ屋根の下に住んでいる、という関係は異常でも何でもなく日常の風景として許容してもいい気がする。

 と、思ってみたものの考えれば考えるほどに明らかに異常な関係にしか見えない。

 俺は何故これだけ少ない情報で黒姫を許容できているのだろうか。普通ならばありえない関係を続けていられるのは何故なのだ。

 この許容は妥協ではなく納得だとしたら、俺が黒姫を捨てるのは確認の為かもしれない。

 黒姫が本当に俺の側に居てくれるのか如何か。自覚がある。

 俺の生活は、精神は黒姫に依存している所があると。

 同じ人間ならば何も知らなくても関係して生きて行ける、何故なら同じ人間だから。同じなら予測可能だから、そして違う人間は排除される。

 違う人間なら知らなければ、予測不可能だからだ。未知を認識するのはより多くを知らなければならない。認識できない物は無いのと同じだ、故に排除され、無視される。

 『認知外不可能認識選択群コンプセレクションは神を超えることができるが神を殺すことはできない。故に、それは神を超えられない』という意味の分からない予想をとあるニート(偽)はのたまっていた。

 質問と選択肢が目の前に用意された時、人間はその質問に新たな選択肢を付け加えていく事ができる。しかしその数は有限であり、全人類が選択肢を追加し続けてもやはり有限だ。

 その故は人間が消耗品であり、あらゆる面で限界が存在することからも確かである。

 その選択肢の集まりは『認知内可能認識選択群マストセレクション』つまり神と呼ぶべき存在となる。何故なら神は人類が考えうる最高の存在であるという前提があるから、人間の想像の限界である選択肢群は神である。

 これは逆説的に神が有限属性であることを示しているが、実際には世界は無限に拡張を続けている。よって無限属性の世界にある選択肢は無限に存在するのであり、有限から漏れた無限の選択肢を『認知外不可能認識選択群コンプセレクション』と便宜上名を付ける時、神より多くを持つそれはある意味では神を超えたといえるが、神が無ければそれは存在を存続できる物ではなく、よってそれは神を殺せないのだから神を超えることはできない。

 掻い摘んで話すとざっとこんな物なのだが、この予想を正しいと仮定して俺なりに無理やり今の状況に照らし合わせてみる。

 人間は個別の世界を持つものだ。物質世界が無限属性なら、人間の精神世界も無限属性を持つのだろう。(ちなみに神は世界の外側に居るのだから有限属性を持っていてもおかしくない)だとすると無限の世界から何を汲み取っても残る部分は無限だ。

 つまり、知らない人間と、知っている人間の知らない部分は同じく無限だけ知らない事になる。

 そういう訳でどっちだって同じなんじゃねと俺は言いたい。

 黒姫の事をよく知らないとか、今の関係が続けばどうでもいい。平穏が続けばそれでいい。命の危険がないほどに異常な日常があって、異常であっても一緒に居てくれる黒姫がいる。

「ご主人様、お食事の準備が整いました」

「ああ、わかった。」

 そういう訳で今日も俺は異常な現状に妥協して生きていく訳だ。


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― 新着の感想 ―
[良い点] カップラーメンへのヘンな情熱の注ぎ方や、大きな法則とかをかなりどうでもいいことに照らし合わせている主人公の考え方が面白かったです。 [一言] いくらでも膨らませそうな構想だと思います。物…
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