幼馴染ではあるけれど
エシュターには婚約者がいる。
ティートレット・マルメイヤーという、可愛くて昔からずっと好きだった相手だ。
幼馴染で、幼い頃から交流を重ねてきた少女と婚約が決まった時は思わず飛び跳ねて両親に抱き着くくらい嬉しかった。
まぁ婚約が決まった時はまだエシュターも幼かったので、それくらいは可愛らしいものだろう。
今なら流石に飛びついたりはしない。
ティートレットとは幼い頃から何をするのも一緒だった。
といっても、しょっちゅうべったりというわけでもない。
会った時には必ず、という意味だ。
それでも服が汚れるのも構わず庭を駆けては二人揃って叱られたり、本を読んでは互いに感想を言い合ったり。
思いつく限りの遊びは大体やったと思う。
そんな風にこの先もずっと一緒にいられたら。
そう思っていたからこそ、婚約を結んで将来結婚すると決まった時、漠然と抱いていた幼い頃の未来が確かなものになるとなって、エシュターは言葉にできないくらいの歓喜に見舞われたのである。
そんなエシュターには実のところもう一人、幼馴染と言えなくもない相手がいた。
フランジェ・カリスコー。
ただ、こちらは幼馴染と言ってもティートレット程親しいわけでもない。
幼い頃に両親と共に何度か顔を合わせはしたが、それだけだ。
ティートレットのように連絡を取り合って共に過ごすだとか、そういう事まではした記憶がない。
領地が隣接しているから親同士は付き合いがあるが、ただそれだけ。
関係を聞かれても一応幼馴染と答えはするが、それ以上も以下も何もなかった。
幼い頃は遊び相手がそこまでいなかった事もあって、両親がカリスコー領へ行くとなった時に一緒に来るか? と聞かれて、二つ返事で頷いたりもしたけれど、エシュターはフランジェとはそこまで親しくはなれなかった。
可愛い、とは思う。けれども、エシュターにとってはティートレットの方が何倍も可愛いと思っていたし、一緒に遊んでいて楽しいと思うのもティートレットだった。
だから、最初のうちは一応両親にくっついていったりもしたけれど、やがて両親と共に行く、というような事もなくなってしまった。
手紙でやり取りをするでもなく、本当に幼い頃に何度か顔を合わせただけ。
友、というには距離が遠く、他人と言い切るには少しばかり無情であるかもしれない。
だからこその幼馴染。
貴族の子女たちは年頃になると貴族院だとか寄宿舎だとか、ともあれ同年代が集まる場の一つとして学校に通ったりもするようになるのだけれど、王都から離れた田舎暮らしだとわざわざ王都の貴族院へ行くのも難しい場合がある。学院近くにタウンハウスがある家ならまだしも、エシュターの家はギリギリ王都にタウンハウスを持ってはいても、王都の外れと言っても過言ではないところで。そこから毎日貴族院に通うのはちょっと面倒だなぁ、と思ったのでエシュターは地方にある学院を選択した。そちらでも人脈を築いたり、家で家庭教師に教わらなかった知識を得る事は可能なので。そちらは寮で学舎も男女分かれているとはいえティートレットと頻繁に会えるというのも決め手だ。
そもそも中央で人脈を築いたとしても、生憎エシュターの暮らしている領地の事を考えるとそちらで人脈を増やしたところで……となってしまうのだ。
家を継がずに身を立てるために仕官するとか、そういう場合であれば中央で知り合いを増やした方が出世のチャンスも得られるかもしれないけれど。
エシュターは将来家を継ぐし、そこにティートレットが嫁いでくるしで、後は周辺の領地との関係を良好にしておけばそこまで問題はない。
だからまぁ、ある日届いた手紙はエシュターにとっては困惑の極みと言ってもいいものだった。
領地経由で学院寮のエシュターの元へ届けられた手紙の差出人はフランジェ。
名前は憶えている。だがしかし、ここ数年顔を合わせた記憶はない。そんな近いはずもなく、むしろ遠い距離感の幼馴染からの手紙にエシュターは封筒を手に思わず眉を顰めていた。
最後に会ったのは何年前だったかな……なんて思いながらも封を切る。
そうして中の手紙を取り出せば、最初の文字は一見すれば淑女然とした挨拶からであった。
久しく顔を合わせていない事から、最近はどうですか? というようなこちらを窺う文面。
そこからフランジェの近況らしきものが綴られていて、エシュターはその文字をつらつら眺める。
内容的には幼馴染という事から久々に会って親交を重ねませんか? という当たり障りのなさそうなものである……が、しかしその会いませんか? の日付がとっくに過ぎている。
更には他にも手紙があった。
どうやらいくつか纏めて送られてきたらしい、とあたりをつけるも、じゃあこれ全部そういう会いませんか? のお手紙なんだろうかとエシュターは訝しんだ。
一通だけなら会いませんか、の日付が過ぎていても手違いでそれまでに届かなかった、と考えられる。
ではこの他の――二通目、三通目あたりでは手紙が届いているかの確認や、もし届いているのならと返事を無視した事に対する非礼を咎める内容があるのではなかろうか。
嫌な想像がよぎりながらも、届いた以上一応確認する必要はあるだろう。
二通目も簡単な挨拶から始まって、前回の手紙は読んでもらえただろうか、という疑問に続いていた。
読んだ。まぁ今だからとっくに期日は過ぎてるけれど。
そう思いながらも文字に目を落とす。フランジェの近況が綴られていた。
もっともその近況だって、とっくに過去の話だ。
どうやらフランジェに婚約の話が持ち上がったらしい。めでたい事じゃないか。
しかしフランジェはそう思っていないようで、婚約者候補との顔合わせに参加すらしたくないらしい。
どうか幼馴染のよしみで助けると思って、その日会ってくれませんか、と書かれていた。
古い友人との約束がある、と言えば問題解決とはいかないが少なくとも問題を先延ばしにして、どうにか婚約の話を流せるかもしれない。
そんな悪足搔きをしようという内容だった。
だがしかし、とっくにその日付も過ぎている。
じゃあ、顔合わせはしたのか、と思う。
相手の事は書かれていないので誰かもわからない。
わからないままだったので、とりあえずその次の手紙に手をつけた。
手紙、読んでくれていますか?
挨拶すらすっ飛ばして、そんな一文から始まっている。
届いていますか、と問うどころではない。
届いていると思って、その上でエシュターが手紙を無視していると思い込んでいるような文面だった。
どうやら婚約者候補との顔合わせは避けられなかったようで、それに対しての不満もぶちまけられていた。
読みながらエシュターは「あぁ、フランジェだな」なんて今更のように実感した。
幼かった頃に何度かしか会っていなかったが、フランジェの性格はどこか後ろ向きで不満ばかり口にしている印象が強い。それもあってエシュターは一緒にいて楽しいとも思わなくなって、距離を取ったのだ。
フランジェはエシュターの事を気に入っていた様子ではあったらしいが、エシュターはそうじゃなかった。
言ってしまえばそれだけの話だ。
だからあちらの家に赴く際、両親に行くかどうかを聞かれてもなんだかんだ理由をつけて行かなくなった。
……もしかしたら、もしエシュターがフランジェに好意を抱いている様子があったりしていたら、婚約の話が持ち上がっていた可能性もあったのかもしれない、と今更になって思い至る。
家格自体に差はほとんどないから向こうから話を持ち掛けられたとして、家同士の利を考えてもどうしてもくっつかなければならないという程でもなかったからこそ、恐らくは本人たちの相性だとか、意思だとか、そういったもの次第でそうなっていた可能性はゼロではない。
顔合わせをした婚約者候補の令息の事がとことん気に食わないのか、それはもう悪し様に書かれているのを見てエシュターは思わず眉間に深い皺を刻んでいた。
誰の事かはわからない。
わからない、がフランジェがこうまで罵るような評判の悪い令息にエシュターは心当たりがない。
もしかしてあいつか? と思える相手がいるのなら多少なりとも同情するくらいはしたかもしれない。けれども単純にフランジェが気に食わないから身勝手に一方的な思い込みで相手が悪いのだと仕向けようとしているだけなら、むしろフランジェの性格の方が性悪である。
好きでもない相手と無理に結婚しないといけなくなるかもしれない、と思うとそれはまぁ、可哀そうにと思わないでもないけれど、だからってエシュターがどうにかできる話でもないのだ。
まさか恋人の振りをしてくれなんて言い出す事もないだろうな、と思いながら不満ばかりが並べられた手紙を流し読んで、次の封筒を手に取る。
会えませんか? なんて聞いて待つだけでは一向に埒が明かないようなのでこちらから出向きます、とある意味前向きらしき事が書かれていた。つきましてはクラスはどこかという質問。
クラス。
エシュターは将来家を継ぐので領地経営に関する授業を選択し学んでいる。既に跡取りとして必要な知識は家庭教師に教わり、父からも教わってはいるけれど、それ以外にも関連している様々な分野を学院では学んでいる。
けれどわざわざ教えようとは思わなかった。
というかちょっと考えたらわかりそうなものだし、そうなるとフランジェがやってくるのは遅かれ早かれ時間の問題である。
だがエシュターの周辺にフランジェがいたような記憶はない。誰かを探している令嬢の噂も特に耳にした記憶はなかった。いたら、周囲が噂をしているはずだ。
次の封筒を開けて見れば、どこにいらっしゃるのという疑問と、まさか意図的に逃げているのではありませんか? 流石にそれは傷つきますというめそめそした内容が綴られていた。
最近体調が悪いとか、貴方に会えないせいだとか。せめて一度でも会ってほしい。お見舞いに来てというような、縋りつくというよりはしがみついてきそうな内容。
仮に体調が悪いのであれば、医者にかかれとしか言いようがないし、意図的に逃げるも何も……としかエシュターは思えない。だって手紙が届いていないのだから、こちらはフランジェの近況など知りようがなかったのだ。なのに勝手にこっちが意図的に避けてるみたいに思われても、被害妄想としか言いようがない。
困ったように溜息を吐いて、この手紙もざっと流し読みで終わらせた。
そうして最後の封筒を手に取る。
そんなに私と会いたくないのか、というような内容の恨み辛み。婚約はなかった事になったけど、貴方のせいで私妄想癖のある女として醜聞が生じてしまったわ、というようなこちらへの恨み言。
責任を取ってちょうだい、というエシュターからすれば始まる前から終わっていたらしい話。
「いや、知らないが!?」
会いませんか? から始まった手紙は本当だったらもっと前に始まっていたものではある、とわかるけれど、しかしエシュターの手元に届いたのは始まりから終わりまで、一度に纏めて届けられたものだ。
届いていたのに読まずに無視をしていただとか、読んだ上で放置していただとかであればまだしも、何もかもが終わったであろう時になってから責任を取れとか言われたって理不尽としか言いようがない。
「不幸の手紙か何かかこれは」
実際の不幸の手紙とは異なるものの、エシュターの目にはそうとしか映らなかった。
だから。
エシュターはその手紙を封筒に戻し、そうして全ての手紙を紐で括った。
それからこんな手紙を送ってきてどうしろというんだ、と実家へ手紙を書いたのである。
中身を読んだがどうしようもないし、相手の家からとんでもない言いがかりをつけられようものなら全面戦争も辞さない勢い。
責任、ってなんの責任だろうか。
まさかエシュターと婚約しろとかそういう話だったら、断固として断る所存である。
ティートレットとは何があったって婚約を解消するつもりはない。
フランジェと結婚するくらいならエシュターは何もかもを捨ててでもティートレットと駆け落ちする事も辞さない勢いだ。
ティートレットに余計な苦労をかけたくはないので、駆け落ちは最終手段だが。
それよりもむしろ、フランジェの家をどうにかする方がまだ現実的に思えてくる。
何分急いで手紙を認めたため文字が雑になってしまったのは否めないけれど、そこは仕方がないと思ってほしい。いっそ普通の不幸の手紙の方がまだ鼻で笑えた分マシというものだ。
手紙を書き終えて封筒に入れる。
そうして紐で纏めた手紙を小箱に押し込め、両方を手にエシュターは寮の管理人の元へと向かった。
この手紙と呪われしブツを実家に届けてもらうためである。
直接フランジェと関わるつもりなど、エシュターにはこれっぽっちもなかった。
というか、それは一番やってはいけない悪手だと思っている。
手っ取り早くはあるかもしれない。だが同時に厄介ごとを発生させる可能性もぐんと高くなるであろう事はちょっと考えたらすぐにわかるもの。
けれどこの学院からエシュターの実家がある領地までは遠くはないけれど、それでも多少なりとも距離はある。
手紙を届けてもらうにしても数日かかるのは言うまでもなく、そこから父か母が手紙を読んで――事態の解決まではもう少し時間がかかりそうだ。
それを考えるだけで憂鬱になってくる。
そのせいでエシュターは知らず疲れた雰囲気が滲み出ていたようで、友人たちからも心配されてしまった。
なんでもない、としか言いようがない。
中途半端な情報を与えて、変に曲解されておかしな噂が流れるのも困る。完全に解決してから実はあの時……と話題に出すならともかく、結末がわからないままの話なんて噂好きな連中からすればいくらでも脚色できてしまうし憶測だって馬鹿みたいに増える代物なのだから。
エシュターの友人たちが率先してそのような噂を流すとは思っていないが、それらを適当に聞きかじった第三者が何かをやらかさないとは言い切れない。
両親からの手紙を待ち遠しく感じるなんてな……とまるで自分が今更ホームシックにかかったみたいな気分になって、エシュターは思わず自嘲するかのように口元に笑みを浮かべたのであった。
そんなエシュターにとっての憂鬱の種は、思わぬところから解決した。
学院が休みの日、婚約者であるティートレットとのデートの約束をしていた日だ。
フランジェの事はまだ実家から手紙も何もきていないため、しこりのように心の奥底にこびりついているが、だからといってティートレットと会わないという選択肢はなかった。
それに、何も話さないままわけのわからない噂が流れていたら困るし、一応まだ解決していないがティートレットにはフランジェからの手紙の一件を話しておくべきだとも考えていた。
エシュターは別に何の噂も流れるような事は口に出したりしたおぼえがないけれど、それでもフランジェの方で何らかの噂を流されている可能性を、遅れて思いついたのだ。
であればエシュター本人からティートレットには話をしておくべきだろう。こちらには一切の非がないのだから。
そう思っていたのだが。
「そういえば私たちの領地の近くにカリスコー領がありますが、そこのフランジェとはお知り合いですか?」
自分から言うはずがティートレットに先にその名を出されて、エシュターは思わず口に含んだ紅茶を吹き出すところであった。みっともなく吹き出しはしなかったが、それでもむせてしまったせいでちょっと苦しい。咳き込むエシュターに、ティートレットは「大丈夫ですか?」と心配しつつハンカチを差し出してくれた。
そのハンカチを受け取って、ひとまず口元を拭く。それからテーブルに視線を落とすが、どうやらそこに吐き出すような事にはなっていなかった。テーブルクロスを汚さなかった事に安堵する。
「あぁ、一応幼馴染、と言えなくもない間柄かな。とはいってもほとんど会う事はなかったが。
ティト、彼女が何か?」
実はこちらも彼女に関しての話があるんだ、と言えばティートレットは「そうでしたか」と頷いてから、実は……と切り出した。
「彼女、精神に異常をきたしたとかで療養のために修道院に押し込められる事になったのですって」
「……なんだって?」
フランジェからの手紙が纏めて送られてきてから未だ実家からは何の音沙汰もない。
だからこそ解決したとは言えない状態で、そのせいでエシュターは心底もやもやしたものを抱えていたというのに。
既に彼女が修道院行きとなっているのなら、それはもう解決したも同然では?
そう思ったエシュターは「実は……」と今だとばかりにフランジェからの手紙について話す事にした。
――噂話というものは広まる時はあっという間である。
だが内容によっては男女で差が出る事も勿論だ。
ティートレットは学院で、友人から聞いた噂をエシュターに話すべきか少し前から考えていた。
友人には王都の貴族院に通う親戚がいて、流行や情報の最先端をいち早く知りたいがためによく手紙でやりとりをしているし、長期の休みの時にはいそいそと王都へ出向く事もある程精力的だ。
だから彼女から出る話は、王都にあまり縁のないティートレットたちからするとまさしく流行の最先端。
聞く話のどれもが新しくて、刺激的と言ってしまえばそうだ。
これはその中の一つ、とある令嬢の話だ。
彼女は幼馴染に恋をしていた。
けれども成長と共に幼馴染とは疎遠になっていく。
だが、それでも彼女は幼馴染との仲を疑ってはいなかった。
いつか結ばれる。
そう信じていた。
だがしかし、年頃になっても婚約の話が出るでもなく。
流石にそろそろ婚約が決まらなければ……と焦りが生じていたが、それでも学院で出会って互いに想いを確認しあえばいいだろうとも。
ところが学院でも幼馴染とは中々遭遇できない。
募る焦り。
そこにやってきた、想いを寄せた幼馴染とは違う相手からの婚約話。
彼女はすんなりと受け入れられなかった。
だというのに、親はその婚約の話に乗り気だった。
冗談ではない。
だからこそ彼女は自分には他に相手がいるのだと、周知させようと試みたのだ。
彼への想いを知らせれば、婚約の話を持ち掛けてきた相手も諦めてくれるだろうと。
……と、これだけを聞けば恋に一途な乙女の話であり、また貴族令嬢としては迂闊どころではない娘の話だ。
貴族の結婚に恋だの愛だのが最初からついてくるなど、それこそ夢物語である。無い、とは言わないがそんなものは極わずかな一例でしかない。
だがしかし、その想い人がいない。
彼女はいるというが、しかしその学院のどこを探しても彼女の想い人はどこにもいなかった。
虚偽を述べてでも婚約を回避したい、と思われる程嫌われているらしい令息は流石にその話を進めるわけにもな……と諦めたようだが、同時に彼女は現実を見る事すらできていない空想に生きる者と見なされてしまった。
想い人が存在していない、と思われた理由はその相手が学院にいないという事実だけではなかった。
いる、と言いながらも彼女は相手の名前を頑なに口に出さなかったからだ。
これは単純に、婚約の話を持ち掛けてきた家の令息の方が身分的に上であった事から想い人に万が一の事を考えて……というものだったのかもしれないが、ともあれそれで余計に実在しない想い人説が浮かび上がってしまった。
だからこそ、彼女は想い人との接触を試みた。
けれど彼女の想い人と会う事はできなかった。
結果として周囲は今までの彼女の言動は全て妄想からくるものとみなした。
今までは恋に一途でひたむきな令嬢として周囲も一応あたたかく見守っていたようではあったが、しかしそれがただの妄想によるものとなれば話は別だ。
遅れて娘の状況を把握した彼女の家の親がこのままでは娘は周囲から狂人扱いを受けてしまうと思ってか、結果として彼女はほとぼりが冷めるまで修道院に預けられる事が決まった。
「その彼女の名が、フランジェ・カリスコー」
ティートレットがそう締めくくった事で、エシュターは「成程、だからか……」と小さく呟く。
「何か?」
「あぁ、いや……先程も話したが、手紙が纏めて届いたと言っただろう?
あれは……王都にある貴族院に彼女が通っていたからこそなのだな、と」
「あぁ……確かに。今更ですけれど彼女、王都にある貴族院に通っていたのですわね」
今更気付いた、とばかりにティートレットは言った。
王都にタウンハウスを持っていたとして、それでもわざわざ王都にまで行くかとなると余程何らかの目的がなければキツイものもある。
フランジェが王都へ行く事を許されたのは、恐らくカリスコー家に多少の野心があって、周辺の家よりももっと上との結びつきを狙っての事かもしれない。エシュターやティートレットが暮らしている領地は王都から離れているとはいえ、出会いがないわけではない――が、その出会いはそう多いものでもない。
エシュターやティートレットの家はそうではなかったが、しかし周辺の領の子女たちの中には婚約者を探すためにあえて人の多い王都まで行く、なんて場合も存在しているくらいだ。
だからフランジェが王都の貴族院に通っているのは別に不自然な話ではない。
エシュターはフランジェに想いを寄せられているとは思ってもいなかったようだ。
確かに手紙の内容からそれらしい部分があったとしても、しかしほとんど会う事のなかった単なる幼馴染。
そんな想いを向けられていると気付ける程の何かがあったわけでもない。
むしろそれで気付けという方が無茶苦茶だ。
これでもう少しだけエシュターがフランジェと仲がよければ話は別だったかもしれないが、そうでもなかったが故にエシュターにとっても今回の事は寝耳に水……と言っていいものなのだろう。
ティートレットだってもしエシュターと似たような状況に陥っていたならば、間違いなく相当な恐怖を抱いたに違いない。
自分の場合は男性からそのような妄想で想いを寄せられて……と考えると余計に恐怖が際立つ。
だが、どうやらエシュターが抱いていた憂いは取り去られたようなので、ティートレットもホッと内心で安堵した。今聞いた話を裏付けるように、そのうちエシュターの家から事の次第が書かれた手紙がそう遠くないうちに届くだろう。
久々に会った婚約者の表情が優れない事で密かにティートレットも不安だったのだ。
だがその不安が消えたのであれば、それはとても喜ばしい事。
それじゃあこれ以上この話はやめて、他の事を話しましょうとばかりに二人は今後の事について語らうのであった。
……エシュターがフランジェと幼馴染である、というのをティートレットだって知っていた。
けれども三人で会う事はなかった。
それぞれの家がそれぞれで関わっていただけで、三家一斉に、という場がなかったと言えばそれだけの話だ。
ティートレットはエシュターに言わなかったことがある。
それはティートレットもフランジェと幼馴染と言える関係であった、というものだ。
だが、ティートレットはフランジェの事が好きではない。
最初は当たり障りなく付き合えたと思う。幼い頃の話だ。
腹の探り合いだとか、言葉の裏を読むだとか、そんな面倒な事をしなくてもよい程には幼い頃の話。
けれどもそれは同時に、その言葉の大半が本音に近しいものであるとも言える。
隠しきれない感情。その感情が好意であればまだしも、敵意にも似た何かであれば向けられる側としては堪ったものではない。
きっかけが何であったのか。
憶えている。エシュターについてだ。
何かの折にカリスコー家に出かけた母と一緒に、ティートレットもついていってそこでフランジェと遊んだ時。
フランジェがエシュターの事を話題に出したのだ。
とてもかっこいい子なの。
そんな風に嬉しそうに笑うフランジェに、ティートレットもエシュターの事を知っていたから「そうよね、とても素敵よね」と頷いたのだ。
ティートレットとしてはそこで二人でエシュターの話で盛り上がる事ができればいいな、と思っただけだったのに、突如フランジェは厳しい表情に変わって、ティートレットを睨みつけた。
「エシュターはわたしが好きなんだから邪魔しないで。
わたしの幼馴染なの。とっちゃ駄目」
このあたりの言葉は曖昧だが、そういう意味の事を言われたのは間違いない。
その時のティートレットはまだ恋をしていたわけではない。ただ身近にいる同年代の、少しかっこいい男の子のお友達。そういう認識だった。
だから一応お友達のフランジェと、三人で仲良くできたらなぁ、と思っていただけだったのだ。
ところが一転してフランジェがティートレットを鋭い目で睨みつけるものだから、その直後にティートレットはフランジェの事が一気に苦手になってしまった。
ティートレットが何か悪い事をして、それで叱られたとかではない。
自分が明確に悪い事をした、という自覚もなくやらかした可能性もないわけではないが、しかし思い返してみても当時のティートレットは自分が悪いとは思えなかった。
だから急に豹変したフランジェが理解のできない化け物みたいに見えてしまって、そこからは名ばかりの幼馴染になってしまったのかもしれない。
それでももしかして、と後から考えたりもしたのだ。
もしかして本当にフランジェとエシュターはお互いが好きあっていて、自分が邪魔をしているのではないのかしら……? と。
だからエシュターのところに行った時に、こっそり、それとなくフランジェについて聞いてみようと思ったのだけれど、もし聞く事でエシュターもフランジェみたいに急に態度が変わったら……と考えると怖くて中々聞き出せなかった。
自分に向けられる笑みに、フランジェにもそんな風に接しているのだろうか? なんて考えた事もある。
あるけれど……結局エシュターの口からフランジェの名前が出た事はなかった。今回が初めてだ。
あの時のフランジェの言葉はまるでエシュターがフランジェを好いているかのようにも受け取れる言い方だったけれど、実際はフランジェの片思いだったのだろう。それも恋と呼ぶ程のものでもなく、当時はきっと仲の良いお友達のはずだった。
単純に仲の良いお友達をティートレットにとられてしまうかもしれない、という嫉妬や独占欲からあのような態度になったのだろうな、とは思えるけれど、それがいつしかフランジェの中では本当に恋に変わっていたらしい。
けれどもその恋は実らなかった。
エシュターの婚約者はティートレットだし、婚約したなんて話、ティートレットはわざわざフランジェに知らせようとは思わなかった。どのみち婚約が決まった頃にはカリスコー家にティートレットが足を運ぶような事はなかったし、手紙でのやりとりだってしていない。
幼馴染であったのは確かだが、今もなお友人であるか? と聞かれればティートレットはそっと首を横に振る。
婚約したなんて知られて、かつての敵意以上のものを向けられるかもしれない可能性があるのなら関わらないに限る。
どのみち地方貴族の、そこまで身分も高くない家同士の婚約だ。大々的に知らせる必要もない。
友人たちには一応婚約が決まったとだけ知らせてあるが、王家に連なるような高貴な家柄の婚約話ならともかく、そうでなければ噂が広まって……なんて事にもならなかった。
ティートレットがやった事と言えば、両親がカリスコー家に行った際、フランジェにエシュターが王都の貴族院へ行くかもしれない、と思わせるような感じでそれとなく唆しておいてほしいと頼んだくらいだ。
どのみちその頃にはエシュターはフランジェと関わっていないようだったし、手紙のやりとりをしているわけでもなかったからその噂に食いつく可能性は高かった。
仮にこの頃にはもうフランジェの興味がエシュターから消えていたのなら別にどうでもよかった。
けれどそうではなかった場合、ティートレットが目の敵にされかねない。
まさか亡き者に……なんて過激な事までしないと思いたかったが、絶対ではない。
だから念のために、出会いの多そうな王都の貴族院へフランジェが行きたがるように仕向けた。
エシュターへの想いを今も持ったままだったとしても、王都で洗練された貴公子を目にして恋心がそちらに移らないかと期待したのもある。
どのみちフランジェが望んだところでもうエシュターとの婚約はティートレットと結ばれたのだ。
だからせめて、他の素敵な誰かを見つけてくれたら……と。
まさかその結果が妄想拗らせすぎて修道院行きとまではティートレットも予想していなかったが。
噂ではフランジェに婚約を申し込んでいた令息はかなりの人気者らしかったのに、フランジェにとっては自分とエシュターを引き裂く悪役でしかなかったらしい。
ほとぼりが冷めるまで……で修道院に送られたけれど、恐らくは冷めないでしょうね、とティートレットは思っている。だって貴族院でもかなりの人気者を振ったのだ。しかも妄想上の相手を選んだと思われている上で。
フランジェが貴族院からいなくなった後も、当面噂話に尾びれや背びれがたっぷりとつけられて様々な話ができあがる事だろう。
少しばかり可哀そう、と思わなくもないけれどだが同情はしなかった。
幼い頃に将来結婚しようという約束をしたわけでもないのに、いずれエシュターと結ばれると思い込んだところまではまだしも、それが決定事項であるかのように何もしなかった。
関係を築き上げるでもなくだ。どうにもならなくなってからエシュターに手紙で助けを求めたが、それ以前ですらロクにやり取りをしていない。言葉を交わさずとも心が通じていると思っていたのだろうか?
実際に貴族院に行ったはいいが、そこで早めにエシュターが本当にいるかどうかの確認すらしていなかったようだし、それで彼の事を好きだと言われたところでティートレットからすれば、本当に? としか思えなかった。
ティートレットは男女で学舎は分かれているが学院に通うようになった時、エシュターと今までよりも会う回数が増えると思って浮ついていたくらいなのに。ランチタイムに一緒に昼食をとりましょうね、なんて約束だってしたし、ちょっとした時間に顔を合わせて言葉を交わして、というなんて事のないもので心が弾むくらいだったというのに。
フランジェはそんな風にエシュターと過ごそうとしなかったのだろうか。
それとも、結ばれるのが運命だからいずれ何もしなくてもどこかでそういう流れになると思っていたのだろうか?
ティートレットにはフランジェの考えている事なんて何もわからなかった。
早い段階でエシュターの事を探していれば、貴族院にはいないとわかっただろうに。
わからないまま、同じ貴族院にいるはずだと信じて手紙を出したものの結局本人に届くまでに相当な時間を要した。
結果として彼女は空想と現実の区別がつかないと周囲に思われる形となってしまった。
エシュターとフランジェが本当にそういう関係であったのなら、ティートレットだって何かをするでもなかったが、しかしそうではなかった。エシュターが既に誰かのものであったならティートレットだって諦めたと思う。
けれどもそうではなかったし、エシュターはティートレットとよく関わっていた。そうして婚約者にまでなったのだから、ではフランジェから奪われないために……と、ちょっと偽りの情報を流したのは自衛である。
ティートレットはエシュターのもので、エシュターはティートレットのものだ。
だから、フランジェにとられないようにしただけ。
幼い頃のフランジェと同じような事をしてしまった、と思いながらも、ティートレットの胸に後悔はなかった。
自身に微笑みかけてくるエシュターに、ティートレットもまた同じように笑みを浮かべる。
いっそ誰が見たって清々しいと言える程の笑顔だった。
次回短編予告
身体の弱い幼馴染を優先し続けた男には、婚約者がいた。今は妻となった彼女はそれを許してくれていた。だがその事実が、今男にとって困り果てる結果となる。
次回 いつか、思い出になる
その思い出がどういうものなのかは人によるけれど。




