プロローグ
今日も空はどんよりと曇り、街には重たい灰色の雲が立ち込めていた。だが、人々は気に留めることもなく、いつも通りの一日を送っている。
街の中心にある由緒ある劇場では、新たな演目の初日を迎え、開演まで一時間もあるというのに、すでに観客の熱気で溢れかえっていた。
舞台裏、主演女優リリスの楽屋の隣にある一室では、もう一人の女優が蠟燭の灯る化粧台の前で最後の仕上げをしていた。衣装合わせはすでに終わっている。部屋には脚本家、出資者、貴族のファンたちが次々に出入りし、思い思いの言葉を残しては去っていく。脚本家は台詞の細部にこだわり、パトロンは自らの出資による功績を語り、貴族たちは舞台には来られぬことを詫びるが、彼女の耳には届いていないようだった。
その喧騒のなか、彼女は背を向けたまま、こちらへと語りかけてくる。
「だからね、次の舞台で主演を張るべきなのは、私なの」
彼女は様々な理由を並べ立てていた。リリスより自分のほうがふさわしいという根拠を探しているが、それはただの言い訳にしか聞こえない。要するに、自信がないのだ。ただ、誰かに肯定してほしいだけなのだろう。
彼女は立ち上がり、私のすぐ目の前まで来た。だが気づかない。
「大丈夫。今日、君は“主役”になるよ」
私は静かに、銀の刃を彼女の胸に差し込んだ。彼女は驚く間もなく、衣装の奥へと沈んでいく。振り返ることなく、私はその場を離れた。