七話 『大地に愛された者』
倒れ伏した怪物の体から煙が立ち昇り、肉の焦げた臭いが漂ってきて反射的に鼻を押さえる。
戦場の光景が一瞬だけ脳裏によみがえった。
「……くそっ」
吐き捨てるように言った直後、ピーポーピーポーと甲高いサイレンの音が耳に入ってくる。
燃え盛る炎の向こうから坂を上って救急車がやってきていた。
ハッと、魔力が限界に近いことを思い出す。
「逃げないと……」
ふらりとその場から去ろうとし。
「阿真菜さーーーーーーん!!!」
びっくりするほど大きな声で名前を呼ばれたたらを踏む。
え!? なに!? と声のした方を振り返れば。
少し離れた住宅街の方から、片手をぶんぶん振って全力で駆けてくる女子高生陰陽師の姿が見えた。
辺りの惨状を目の当たりにしてか、雲雀は目を見開く。
「なんですかこのズタズタの車! 重傷者がたくさん!? い、いますぐ応急処置を――あれっ、精気が乱れてない……あっ、阿真菜さんが治したんですね!? ていうかもう怪物倒してる!! ――なんですかその火の海!? 救急車が立ち往生してますけど!」
「うるせぇな!!」
一息でしかも糞デカい声で現状の解説全部するんじゃないよ! 怪我人がうなされてるぞ!?
怒鳴ると同時に雲雀の目がわたしへと向いた。大股でずんずんと近づいてくる。
その顔には何故か、不満と喜びと安堵が混ざったような複雑な表情が浮かんでいた。
「阿真菜さん!」
目の前に立った雲雀がガシッ! と肩を掴んできてさらにがくがく揺さぶってくる。
「阿真菜さん、あんな風に飛ぶならどうして連れて行ってくれなかったんですか!! いや怪我した人たちが助かったのはいいんですけどね!? この辺の道よくわからなくてちょっと迷ったんですよ!? 間に合わなかったらと思って泣きそうになりましたよねぇ阿真菜さん!」
「ううるささいさけ叫ぶなゆらすななぁぁ!?」
手を引きはがそうとしたが魔力ありでも拮抗していたバカ力だ。今のわたしではなすすべなく振り回されるしかなかった。
何度もぺしぺし手を叩いてようやく雲雀は「あ、すみません」と手を止めた。
「ぬあぁ頭が揺れる! 死ぬかと思った!」
「だ、大丈夫ですか?」
「雲雀のせいだけどね! 見なよ周りの人たち信じられないって顔でこっち見てるよ!? 凝視だよ!」
怪我人の傍にいた人たちは、いきなり事故現場を突っ切って大声で叫ぶ女子高生を呆然と見ている。
「早く離れよう! いたたまれない!」
「わ、わかりました!」
雲雀の背を押し場を離れようとして。
ふと、目の端に怪物が映った。
こいつは……放置していいのか?
こんな状態からでも再生はするかもしれない。そうなるとせっかく助かった人たちがまた襲われてしまう。
今すぐ消し飛ばしてしまった方が……ああくそっ! 魔力が無いんだった!
ゴンと回らない頭を殴る。
結局、魔力が無ければわたしにできることはない。復活しないよう祈って精気が回復するのを待つしかない。
ただ――どうしても。
血塗れの惨状が脳裏によぎると、足が動かなくなる。
囮として、民が無事に逃げられるまで時間を稼ぐべきではないかと――。
「阿真菜さん?」
雲雀が振り返る。思考に沈みかけた意識が引っ張り上げられた。
雲雀はわたしが怪物を見ているのに気づいたのか、身を固くした。
「もしかしてまだ生きているんですか……?」
「ううん、もう死んでる。でも再生するかもしれないから」
「そうなんですか!?」
「雲雀が言ったんじゃん!? ほら公園で! 怪物はまだ死んでいないかもしれないって!」
「あ、あー。そういえば……いえ、でもとりあえず一度は分解されますから!」
「は? 分解?」
「あっ、ほら!」
雲雀が怪物を指さすのと同時。
怪物の体がさぁと消え始めた。
手足の爪の先や頭といった端の方から、砂のように体が崩れていく。そして崩れた部分は地面につくより早く消失していった。
と、見た目だけならそう捉えられる。
だがもう一つ――精気を感じる視点ではまた違う。
怪物の体が崩れる度、膨大な量の精気が辺りへと放出されていく。
大きくうねりながら大地へと広がり、染み渡る。弱弱しくなっていた大地の精気が今度は強く巡りすぎる程に。
「わあ、綺麗……」
目を見開いて雲雀がうっとりした声を上げる。
彼女にとっては膨大な光が辺りを包み込んで広がっていくように見えて――見えて?
なんか引っかかることがあったぞ。見える、見えて、見えねば……あっ、やっっっばい!
今わたし『目隠し』を自分にかけたまんまだ!
気づくと同時に雲雀の腕をぐいっと引っ張る。
「雲雀! 見惚れてる場合じゃない! 逃げよう!」
「え、あ、はい! 怪物も心配無さそうですしね」
「そうだけど違う! わたし今『目隠し』っていう姿とか音とか消す魔術使ってるの!」
「姿を消す……?」
雲雀がきょとんと首を傾げる。
というかなんでこの子には普通に見えているんだ。そのせいで忘れちゃってたじゃん。
「つまり雲雀はいきなり事故現場に来て虚空に向かって大声で叫びながらパントマイムするヤバい女子高生!! 周りの人が通報するレベル!!」
「えええ!!? わたし制服なんですけど!? 学校特定されちゃう!」
「しかも『目隠し』もそろそろ切れそうだから早く逃げないとわたしまで巻き込まれる!」
「逆に今は巻き込まれてないんですね!? ずるい!」
「うっさいわ! いいから早く逃げるよ!」
「はぁい!」
雲雀は今更顔を隠して走り出し、わたしもその後に続いた。
■ ■ ■
『目隠し』を解除するには監視カメラなんかがないような場所でないといけない。
もし何かに映っていたら、突然子供が消えたり現れたりするホラー展開になってしまう。
今回逃げ込むのは、傾斜のキツい坂道の途中にある潰れかけのアパート――の下である。
傾斜地で建築をする場合、土地を切り崩したり土を盛ったりして平坦にする造成工事が行われる。そしてこのアパートは下の部分をコンクリートの柱で支えて、開いた空間を作っているのだ。
一戸建てならそこを駐車場として利用する家もある。この辺でもたまに見かけるし。
だがこのアパートの下部分は、奥行きこそそれなりにあるものの、横幅は車が一台入る程度だ。
分厚いコンクリートに支えられた薄暗い空間には、汚れた板材が捨て置かれたり、ロープで縛られた鉄棒の束が立てかけられたりしている。
要するに廃材置き場だ。
昼間はたまに猫が寝ているそこへとわたしたちは駆けこんだ。
同時に魔力が底をつき、『目隠し』が切れる。
「はぁー! 危なかった!」
「……何も変わってなさそうですけど」
雲雀は疑わしげにじろじろと見つめてくる。
失礼な視線から逃れるように壁際の木材へと座り込んだ。ひんやりした壁へともたれかかり目を閉じる。
「雲雀は精気とか魔力が見えるんだっけ? 『目隠し』も魔力を使ってるから効果が無いのかも……」
「ああ、そういえば薄ーく黒い輝きが見えてましたね。あれがその『目隠し』なんでしょうか」
言いながら雲雀もわたしの隣へ腰を下ろした。
しばしの間、無言の時間が流れる。
ゆっくりと、重苦しい疲労が体にのしかかってくる。精気を使いすぎた代償だ。このままだと眠ってしまいそうだった。
眠ったら、また戦場の記憶を体験するのだろうか。
道路での惨状を思い出してそんな考えが頭をよぎる。
その時、隣でごそごそと動く気配がした。
「大丈夫ですか?」
その声にうっすらと目を開ければ、雲雀の顔がすぐ近くにあった。長い黒髪が垂れてさらりと頬を撫でてくる。
「……顔が近い」
「精気の巡りが弱くなっていますけど。調整しましょうか?」
言葉を無視して雲雀が手を差し出してくる。
ゆるりと首を横に振り、再び目を閉じた。そして両手の指を丸の形にくっつけ、深く呼吸を始める。
驚いた様に雲雀が呟く。
「瞑想も知っているんですね」
失った精気を補充するための応急処置、それが瞑想だ。
精気は基本的に健康的な生活を送ることで回復する。適切な食事をしたり質のいい睡眠をとったり。
だが戦場でそんな悠長なことは言っていられない。
一秒でも早く、一秒でも長く体を動かすため、外部から精気を補充する方法が用いられた。
深く息を吸い、吐く。
空気から呼吸によって精気を取り込み、それを少しずつ自身の精気と慣らしながら循環させていく。
一呼吸ごとに、僅かだが疲労が軽くなっていくのが感じられた。
しかしこれはあくまで応急処置だ。
外部の精気は体に馴染みにくい。下手に巡らせれば体内の精気が腐り、瘴気と化す。そうなると体が壊死するか、脳が侵されて狂人になるか。
そして危険性に反して回復する体力はごく僅かでしかない。
そんな危険な行為を――怪物は圧倒的な量の精気でなしていた。
大地から直接に精気を飲み、喰らい尽くし、瀕死の怪我を一瞬で治す。
「なんなんだろうね、あの怪物は」
目を開いて宙へと呟く。
「どこから現れたのか、どういう生態をしてるのか、何を目的にしてたのか……あれが再生したのか、別の奴なのかすらわからなかった」
問いかける形で声に出してみたが、ほとんどただの自問自答だ。
なんの答えも期待していない、ただ不満にも似た疑問が口をついて出ただけだった。
だが、その答えはあっさり隣からもたらされた。
「精気で出来ていることしかわかりませんよね」
言葉が耳を突き抜けて、宙を向いたまま停止する。
その声がゆっくり頭にしみこんで。
何度か瞬きをした後ようやく、バッ! と隣を向いた。
雲雀は遠くを眺めて「あの人たち助かったんでしょうか」と眉を寄せていた。
いやそれよりも!!
「な、なんて!? いまなんて言った!?」
「え? 襲われた人たちは助かったのかなって」
「そっちじゃない! ひとつ前の方!」
「……精気で出来ていることしかわかりませんよね?」
「そう! それ! あいつ精気で出来てるの!?」
雲雀は手を口元に当てて目を丸くする。
まるで「気づいていなかったの?」とでも言いたげだ。
「そうですよ。だって全身がキラッキラに光っていたじゃないですか」
「いやいやいや影みたいに全身真っ黒だったよ!? ていうかあいつから精気なんて感じられなかったけど!?」
「影……? あ、見え方が違うんでしたね。でも精気が感じられないのは、多分膨大な量の精気が物凄く圧縮されていたからじゃないですか? 精気の『巡り』ばかり注視していると、小さく固まった淀みを見落とすって師匠に教えてもらったことがありますし」
雲雀はすらすらと語った。そしてわたしが何か言うより早く質問が飛んでくる。
「ところで、道路の精気が弱くなっていたのはあの怪物が取り込んだからでしょうか」
「……まあ、うん」
他の言葉を飲み込んで頷き、少しだけ付け足す。
「怪我を治すために精気を取り込んでた。体もちょっとでかくなってたかな。それで残った分を火に変えて吐き出したり……」
「道路にある精気を取り込んで、ちょっと大きくなっただけですか」
雲雀は一つ頷いて。
「じゃあ、どこから出てきたのかはすぐにわかりそうですね」
軽い調子で驚愕の言葉を放った。
問い詰めたくなるのをこらえて、静かに先を促す。
「……なんで?」
「だって精気は巡るもので、いきなり爆発的に増えたりはしません。道路の精気より遥かに多い量で形作られたなら、どこかの土地の巡りはかなり薄くなっているでしょう。そういう場所を見つければそこで産まれたということです」
それは……確かに、そうか?
いやまずあの怪物が膨大な精気の塊であるというのが受け入れられてないんだけど。
そんなわたしの困惑に気づかず雲雀はさらに言葉を続ける。
「それと、多分その場所は道路の近く……最低でもこの町の中にありますよ」
待ってなんか場所まで特定し始めたんだけどこの子!
「あの怪物、見ればわかるように膨大な精気に振り回されていますから」
見えないしわかんないよ?
「私も覚えがあります。健康な時に瞑想をしたりすると、精気が増えすぎて体を動かしたくなりますよね。あれの酷いバージョンです。暴走状態で姿を隠して行動なんて考えもしないでしょう。現れてすぐに人を襲い始めたでしょうから、その近くです」
あ、と雲雀は手を叩いた。
「人の怪我が少なくて車がズタズタにされていたのは、潰しがいのあるものを求めてたんでしょうか。……うーん」
ひとしきり推論を語った雲雀がぐるりとこちらを振り返る。
「阿真菜さんはどう思いますか?」
「え……いやぁ」
「何で引いてるんですか!?」
「そりゃ引くよ!」
わたしが「わからなかった……」とか嘆いてたこと全部突き止めやがって!
精気そのものだから大量の精気を取り込んでも問題なかった。
そして量が膨大すぎるから暴走している。
人や車を襲ったのはそのせい。
確かに納得はできる。暴走に関しては経験すらある!
だがこれを推測できるのは雲雀だからだ。
雲雀の目は精気という力が起こす現象を、恐ろしい精度で紐解ける。
当然知識は必要だが、陰陽師としてその知識も身に着けているわけだ。
『大地に愛された者』。
前世の世界で、精気に関して多大な才能を発揮するものを称える言葉が、ふと浮かんだ。
「……雲雀って陰陽師が天職じゃない?」
「えっ、あ、ありがとうございます?」