八話 撃滅
ゴオッ! と眼下の建物が恐ろしい速度で後方へ流れていく。
ジェット機をイメージして変質させた魔力による加速。
普通なら体がぐちゃぐちゃになるような衝撃が襲い掛かってくる。強烈な風が叩きつけられ息が詰まり、何かに衝突すればそのまま死にそうだ。
だが魔力は万能で、暴力的だ。
問題の全てをさらに膨大な量の魔力でねじ伏せ、さらに後方にも魔力を流して加速する。
「―――!! ――!?」
後ろから微かに雲雀の声が聞こえた気がした。だが轟々と鳴る風の音で内容は届いてこない。
雲雀の体も魔力の庇護を受けている。事故や怪我の問題はないだろう。
前方へ目を戻す。
遥か遠くに見えていた道路へぐんぐん近づいていく。
魔力で強化したとしても、走っていけば数分はかかっただろう道のり。
それをあとどれほどで踏破するか。
「五秒……!」
目測でそう判断する。
その間にも猛烈な速度で怪物との距離は近づいていく。あと四秒。
三秒。視界の先で、怪物は取れたドアをおもちゃのように投げ捨て、中年女性へと顔を向ける。
二秒。飛びかかろうと足に力を込めた怪物が、ぴくりと震える。
一秒。怪物が猛然と顔を上げてこちらを見た。
その顔面へと照準を合わせて――ゼロ。
「ぉおおおっっっらあああああぁぁぁぁ!!!!」
ドッゴォン!! と。
全ての加速を乗せたわたしの蹴りが鼻面に叩きこまれ——ゴキメキと頭蓋ごと砕けるような音が響き、怪物は横っ飛びに吹き飛んだ。
そして吹き飛ぶ勢いが弱まるより速くガードレールへ激突し、ベゴン!! と物凄い音を立てて巨体が海老反った。
口からゴポッと、真っ黒な血と折れた牙を吐き出して……怪物は動かなくなる。
「……ふぅー」
道路へと着地して大きく息を吐きだす。頬を汗が垂れた。
緻密な魔力の制御を終えて緊張が緩んだのだ。人二人をあの速度で、怪我もなしに運ぶのは相当疲れる。
吐き出した空気を大きく吸って……その時、血と煙の臭いが鼻をついた。
――そうだ。怪我をしている人がいたんだった。
慌てて辺りを見回せば、ほんの二歩程離れた足元に中年男性が倒れていた。
その近くには尻もちをついた中年女性が呆然としている。さっきわたしが飛んできた際の風圧に押されたのだろう。怪我は無さそうだ。
男性に近寄り怪我を見る。わき腹から背中までが鋭く抉られ、水たまりのような血が今も広がり続けていた。
傷が酷い。精気を扱い頑丈な体を持つ雲雀と違って、この人はただの人間だ。
その姿は――死を、想起させた。
考える間もなく魔力を中年男性にぶち込んだ。
雲雀を治した時よりさらに多く。『即座に治せ』という命令を与えられた魔力は、一瞬で中年男性の傷という傷、異常という異常を消しつくす。
直後、ごほっと中年男性が咳きこんだ。
「……生きてる」
急激な再生の反動か何度も咳をしている。
だがとにかく死んではいない。
よかった。……現実でまで、あんな喪失感を味わってたまるか。
安堵していると、「あなた!」という叫び声と共に、尻もちをついていた女性が駆け寄ってきた。
この男性とは夫婦だったらしい。
血の量を見て顔面を蒼白にし、震える手で携帯を取り出して救急車を呼んでいる。
隣にいるわたしのことは全く見えていないようだ。
目の前で手をひらひらとさせても反応はない。単にてんぱっているわけではなく、全くこちらを認識していないようだ。
魔術『目隠し』。
防音室や、漫画に出てくるような光学迷彩、そしてアハ体験のような人が注目しにくい性質。
そういう風に変質させた魔力を何重にも纏って、姿も音も完全に消す。
そんな術だ。
魔術はしっかり発動している。雲雀の分もかけておいたから、わたしたちはこの場の誰にも見えていない――ん?
そういえば雲雀はどうしたんだ。
歩道の方に降ろしたはずなんだけど。まさか何か怪我をしている?
そう考え怪物とは反対側の歩道を見てみると。
そこには、干された布団のようにガードレールへぶらさがる雲雀がいた。
「雲雀が死んだ!?」
「生きてます!」
ガバッと起き上がって雲雀が抗議してくる。よかった、元気そうだ。
でも少し顔が青白いな。
「うう、酔った……阿真菜さん、あんな飛び方するなら先に言ってください……!」
よろよろ立ち上がった雲雀が恨めしそうに言ってくる。
……乗り物酔いみたいになっているらしい。
なんというか、ちょっと気が抜けるな。
いや本人的にはひどい気分なんだろうけど、血が流れて肉が抉れて、みたいな状況と比べるとね。
「ごめん、大丈夫? 治そうか?」
「大丈夫です……ちょっと集中して精気を巡らせてたので、だいぶ楽になってきました。さっきまで立てなかったぐらいでしたし……」
ああ、だから今までぶらさがったままだったんだ。
立ち上がった雲雀がふらふらこっちに寄ってくる。
「ところで、あの怪物はどうし——っ!」
ふらついていた雲雀の、その気配が一気に鋭くなる。
なんだ!?
雲雀の目はわたしの方、いやわたしを越えて反対側の歩道。
怪物が吹き飛ばされたガードレールの方!
『グヴ、ゥ』
怪物の声が、後ろから聞こえた。
ふりむけば、顔のひしゃげた怪物がびちゃびちゃと血を吐きながら立ち上がっていた。
「あれで動くのか……!」
頭の骨どころか脳まで砕けてたはずだろうに。
光る目は片方が潰れて光を失い、影のような体のせいでわかりづらいが頭の半分ぐらいが潰れている。明らかに死にかけだ。
三分割になった時には少なくとも動き出す様子はなかった。
今回も動かなくはなると思ってたけど……いや、驚いてる場合じゃない。
どっちにしろ消し飛ばすつもりだったんだ。もう一度魔力を作って……。
「――?」
地面から精気への道を作ろうとして、気づく。
足元から感じられる精気が弱い。アスファルトを隔てた程度で変わるはずもない圧倒的な力が、酷く薄い。
もはやアスファルトの下が渇き切っているような弱さだ。
さらに、その薄い精気までもが無理やり奪われるように、恐ろしい勢いで一方向へと集まっていく。
向かう先は、怪物の方。
がぱりと怪物が口を開けていた。
赤い舌をだらりと垂らしたその口内に精気が入りこんでいく。
ごぶっごぶっと怪物は喉を鳴らすその様は喰い荒らすという言葉がふさわしい。
「っ!」
まずい、呆然としている場合じゃない。
何かをされる前に殺さなければいけないと危機感が訴えていた。右手へ魔力を集中させ怪物の頭だけでも吹き飛ばそうとして。
その時、雲雀が叫ぶ。
「阿真菜さん! 火が来ます!」
疑問は一瞬、怪物の口の中に、恐ろしい程に圧縮された精気の塊があるのを見た。
それが、赤くゆらりと、炎のように揺れる。
思い出すのは、前世の記憶で魔術師が放っていた火の魔術。
右手に集めた魔力を急遽変質させて前方へと広げる。横に長く、黒い壁が出現する。
直後、怪物の口から爆発的な炎が噴き出した。
オレンジの混ざった灼熱の赤が扇状に広がり道路をなめた。魔力の壁にぶつかった瞬間、ゴバッ! とさらに炎が燃え広がる。
しかし壁からこちら側には一切進んでこない。炎を吸収するように変質した魔力が完全に阻んでいた。
魔術による火攻めは戦場だとよく使われていた。炎対策は体に刻み込まれている。
ただ雲雀の言葉が無いともう少し遅れていたかもしれない。
やがて炎が小さくなっていき、壁は完全に火を吸収しきって黒い塵となり消えていく。
崩れる壁のむこうに見える怪物は炎を口の端に残して唸っていた。
光る二つの目でこちらを睨みつけている。
「……目?」
目は片方つぶれていたはず。
よく見れば、目だけでなくひしゃげた頭が盛り上がっていた。
欠けた牙も早回しで作られる鍾乳石のようににょきにょきと生えて、ふらついていた足がしっかりと道路を踏みしめている。
「回復した……?」
「あの怪物は精気を食べて再生するんです。わたしが戦った時もそうでした」
雲雀が横に並んできた。
その言葉に思わず顔がゆがむ。
「そんなバカなこと、ある?」
魔力と違って精気はそんなに万能なものではない。いくら命にとって重要とはいえ、大量にありすぎればそれはそれで体調を崩す。
だから偏った部分を別の場所に流すのだ。あれは他の場所の巡りが弱くなるだけじゃなく、偏っている部分も腐り始めるから。
生物があまりに多くの精気を取り込めば全身が破裂して死ぬだろう。
そもそも精気を魔力のように自然現象へ変換するのはあまりに効率が悪い。それを当然のようにやってのけるなど。
そして、ついさっき気づいたことだが。
あれほど大量に精気を取り込んでおきながら――目の前の怪物に、精気が感じられない。
炎を吐く前、奴が精気を喰らっている時。
まるで排水溝へ水が吸い込まれるように、精気が流れ込んで消えていった。
たとえ魔獣でもそんなことはありえない。
こいつは――一体何なんだ?
『ゴオアアアッッ!!』
怪物の咆哮がビリビリと肌を打つ。元気いっぱいだな。再生どころか、体も一回りでかくなっているっぽいし。
逆にわたしは……魔力を使いすぎた。
一番消耗したのは二人でここまで飛んできた時。体の安全を維持しながらあの速度を出すのは相当な手間がかかってる。
あの中年男性への回復も、今思うと無駄と感じてしまうほど大量にぶちこんだし。
そして常に維持している『目隠し』と、さっきの壁。
あの炎の勢いは相当なものだった。それを全て受け止めるのに大量の魔力を消費している。
とはいえそれは無駄じゃなかった。受けとめきってからすぐに壁が崩壊したのは壁の耐久が限界だったからだ。
もう少し魔力が足りなかったら炎が突きぬけてきたと思う。
けどそのせいで、怪物を殺す武器を作るような魔力も残っていない。消し飛ばすのは確実にムリ。
ただ霧のようにして体の外へ纏うと、びくりと怪物が警戒した。
一度は頭を砕かれたからか。
「大丈夫ですか? その、黒い力? みたいなものが少なくなっていますけど……」
怪物から目を離さないようにしつつ答える。
「ちょっと厳しいかも。『目隠し』は解けないし、身体強化もしないと戦えなくて、どっちにも力を使い続けるから」
「公園の時みたいに作り出すことはできないんですか?」
「ムリ。これ精気がないと作れないんだけど……あの怪物に吸われちゃったから」
辺りの精気はすっからかんだ。
一応、精気が完全に枯れることはない。ほんのちょっとずつ残ってはいる。
でもそれは最後の生命線みたいなもので、大地から離れることはけっしてない。人が道を作っても流れたりしない。
「……なるほど。じゃあここから離れたら作れるんですね」
「そうだけど、逃げたらさすがに襲ってくると思う。……ていうかもう襲ってきそう」
少ない魔力では威嚇もあんまり効かないらしい。
怪物が唸りながら一歩を踏みだした。――どうする。
「なら私が怪物の気を引きます」
雲雀が一歩、前に出た。怪物の目が雲雀へむく。
わたしまで思わず雲雀の方を見てしまった。
「ちょっ!? なにいって――」
『オオオオッ!』
気を散らしたのを隙と見てか。怪物が吠えながら駆けだした。
「行ってください阿真菜さん!」
迎え撃つように雲雀も走りだす。
それほど離れていなかった両者の距離が瞬きの間に縮まって、先にしかけたのは怪物の方だった。
かぎづめのついた長い腕を、下からすくいあげるように怪物は振るう。
魔力なしのわたしなら気づけもしない速度で迫る爪を、雲雀は走る勢いそのまま、軽く横によけるように躱す。
躱しながら怪物へ一歩迫り、左足を軸にぎゅるんと回転し——怪物の胴体へ右足のかかとを叩きこんだ。
ドン! という轟音がして怪物の巨体が揺れる。
『ゴアアア!』
怪物はすぐ振り払うように腕を振り回す。でもその時すでに雲雀は怪物の体を蹴って後ろに下がっていた。
そして怪物が腕を止めるのと同時にまたつっこんで、まとわりつくような距離で戦いはじめる。
……え、強くない?
ついめっちゃ見入ってしまった。あ、いや、でもそうか。
雲雀はもともと怪物と戦ってて、しかも怪物の方が逃げてたんだ。
あの時、精気が怪物に向かっていたのはたぶん怪物が吸収したからだ。それだけの傷を負わせてたんだろう。
傷を負ったイメージが強かったせいで忘れてた。
ただ、倒すことは難しそう。
蹴りはそれほど効いていないようだし、今もまた懐に入って小刀で切りつけたけど、浅く傷がついただけみたい。
じゃあ、倒すのはわたしの役目だ。
すぐに魔力を作って戻ってこよう。
そう考え走り出した時だ。
『オオオオ!!』
怪物が再び咆哮した。
走りながらちらりと様子を見れば、怪物は苛立ったように暴れ回っている。
腕をめちゃくちゃに振り回し、腕の勢いに体ごと引っ張られ、転げるように顔から近くの車へつっこんだ。……なにをやってるんだ?
さすがに雲雀も困惑しているようだ。距離を取って様子を見ている。
その時だ。
膨大な精気の気配が怪物から発せられた。
さっきの炎と同じ……!?
思わず足を止める。怪物は顔をぐるん! と回して雲雀を向いた。
その口にちらりと炎が揺れている。
魔力は、だめだ。もうない。防げない。
雲雀は――早い。わたしが気づくより先に怪物へ駆けている。
だが様子見で距離を取っていたせいで微妙に届かない。あれだと怪物が炎を吐く方が先になる!
距離を取らせるために暴れてたの……!? 見た目より頭が回る!
けど、雲雀は怯まなかった。
右手に精気を偏らせて一直線につっこんでいく。なんで!?
精気がいくら体を頑丈にするといってもあの炎に耐えるのは無理だ。魔力と違って一点に集めてもあまり意味がない。
それを……いや、なんだ?
偏っているわけじゃない。精気がちゃんと巡っている。
雲雀の精気は手の先で強く、台風のように流れて巡っている。
魔力を作るようにぐちゃぐちゃにしているわけじゃない。
正しく、丁寧に、力強く。
放たれる寸前の炎よりもそっちに目を奪われるぐらい綺麗だった。
その手の指先が、怪物の胸のあたりへ突きたった。
いくらなんでもそんなので怪物は止まらない……はずなのに。
ビクンと怪物の体が跳ねる。
雲雀の指先から巡り続ける精気が怪物の体に叩きこまれていた。
精密な巡り、強い回転が怪物の体内で暴れ回っているのが感じられた。
怪物の胴体がぎゅるりとねじれ――直後。
ぎゅばっと聞いたこともない音を立てて……内側に巻き込まれるように、怪物の上半身が消失した。
炎と一緒に、掻き消えた。
「……ええ?」
呆然と声を漏らしたのはわたし――じゃなくて雲雀だった。




