三話 陰陽師 芦屋雲雀
陰陽師。
平安の世においては中務省の管轄下にあった陰陽寮、そのトップを指す職業。
天災や、国家事業の土木工事なんかを行う土地を占った者。
他にも貴族が出かける時に方角の吉凶を占ったり、体調や運勢が悪ければ物忌をさせて汚れを清めたり、野良の陰陽師と呪詛バトルを繰り広げたり妖怪を調伏したり果ては式神を従えて神と戦ったり雨を降らせたり地震を起こしたり自然や人を自由自在に操ったという――。
「そんな夢のある職業が現実に!?」
「すみません。その陰陽師はちょっと知らないかもです」
「そんなぁ!?」
ロマンがあっさりと否定されてしまった。
今、わたしたちは公園端の花壇で隣り合って座っている。
雲雀が陰陽師であることがわかって一層状況は混沌とした。
それを落ち着けるため一度腰を下ろして話をすることにしたのだ。
「物忌辺りまではともかく妖怪を従えたとか式神を用意したとかは流石に……いや師匠ならもしかしたら?」
「師匠!」
心惹かれるワードに身を乗り出す。
「ち、近いです……というかよく色々知っていますね。その知識はどこから?」
「『異世界の魔術師、平安陰陽師として超☆転生 ~雨降らせただけで中務省のトップエリートに~』から」
「なん……なに?」
「ライトノベルのタイトル。知らない?」
「映画ではないんですね……」
何故か悩ましげな顔をされてしまった。
映画なら良かったのか。好きなのかな? 興奮していた時も映画で見たとか言っていたし。
「ともあれ私の知っている陰陽師はそんな風に戦ったりはしないです。私も見習いみたいなものなので、しっかり解説ができるわけでもないんですが……まず私たちの生業から説明しますね」
「お願いします!」
「では」
ごほんと雲雀は咳払いをして座り直し、口を開く。
「私たち陰陽師の仕事は、人を助けることです」
……なんか素晴らしいことを言われてしまった。思っていたのと少し違う。
「そしてその一環として最も大きなものが、乱れた精気の流れを整えることですね。ご存知の通り、精気は万物の大元であり、星を支えるように巡る力そのもの。これが上手く巡っていないと悪いことが起きやすいですから」
「……ごめん、存じてない」
いきなりだが手を挙げて話を遮る。
「えっ」
「いや巡りが悪いと悪いことが起きる、みたいなのは経験としてわかるよ。でも万物の大元とか、星を支えるとか……そんな壮大なんだ?」
「あ、ああ、阿真菜さんは独学で精気の操作を身に着けたんでしたっけ。あれ? でも精気っていう名前は知ってるんですよね?」
「あー、えっと……たまたま陰陽師っぽい人が話してるのを聞いて」
「そ、そうですか」
流石に強引過ぎたのか雲雀が首を傾げている。
いやしかし言葉に嘘は一切ないのだ。なにせちゃんと前世の記憶で聞いたんだから。
わたしが見た光景の中では、白い装束を纏って丸い先端に飾りのついた杖を持つ人間たちが、生物や大地に巡るその力をプネウマと呼んでいた。
それを日本語翻訳にぶち込むと精気と訳されたのでわたしはそう呼んだのだ。あの世界とこの世界は割と言語が似通っていて、調べてみると同じ単語が出てくることもある。
そして白装束たちの服装は陰陽師っぽいと言っても差し支えない。本来は精気術師という名前だが、別に陰陽師そのものとは言ってないし。
しかし言語や動植物はかなり似ているのに、国の名前や歴史がまったく一致しないのは不思議なものだ。
「じゃ、じゃあ一応詳しく話しますね」
雲雀の声でハッと我に返る。
「自然の営みが乱れるように精気の巡りにも乱れが発生します。上手く巡らずどこかに溜まってしまったり、そのせいでどこかの精気が足りなくなったり。例えば……そう、この花壇」
座ったまま、体を捻って雲雀は後ろを指す。
花壇に花は咲いておらず、からからに乾いた砂色の土から雑草がちらほら顔を出していた。
「少し精気の巡りが悪いですよね」
「確かに。ちょっと端の方に偏ってるね」
片隅だけよく雑草が生えて、それ以外には数が少ない。
「多分水が足りないのかな。最近はあまり雨が降っていないから」
「そうだと思います。こういった土の精気へ、自分の精気を干渉させて……」
雲雀が土へ手を触れて、自身の体に巡る力をゆっくりと土に馴染ませていく。
そして偏っている部分の力をほどいていき、さらに巡りやすい道を整えていった。すると水に押し流される雪のように精気の偏りが消えて、他の部分へと巡っていく。
それを感じたのか雲雀は土から手を離し額の汗を拭う。
「ふう。このように巡りを良くするわけです」
確かによく整えられた巡り方だ。
ただ元が放置されていた土だからか花がにょきにょき生えてくるような変化はない。
巡る精気そのものがか細いから、せいぜい雑草が満遍なく生えてくるようになるぐらいだろう。
でも今から手入れを始めたら植物は育ちやすくなりそう。
しかし驚いたな。この作業は前世で精気術師がやっていたものと同じだ。
彼らの役割も大地の巡りを整えることだったのだろうか。
でも、彼らと雲雀は比べてみるとなんというか……。
「……雲雀ってこの作業は苦手?」
「うっ!?」
切れ長の目が慌てたように瞬きを繰り返す。
精気術師と比べると随分ゆっくりだったから聞いてみたのだが、やっぱり苦手らしい。
「そ、それはともかく! 今回は簡単に解消できましたし、手を出さなくても雨が一度でも降れば自然と整ったでしょう。ですが酷い時には周囲の土地が荒れたり空気が悪くなったりと悪い影響も及ぼしてしまいます」
「確かに」
「そして万物の大元というだけあって、この星にあるあらゆるものに精気は宿っています。石や木、一粒の砂、吹きすさぶ風や、雲、大海原、そして人間にも」
「ほうほう!」
「人の精気が乱れると、それが病気の素になったりします。それを整えることで治したり…………あのっ! また近いんですが!」
「ごめんつい!」
気がつけばわたしは雲雀と顔がくっつきそうな程に身を乗り出していた。
なにせ実在する陰陽師の! 陰陽師の!! 話しだったから……!
「そ、そんなに陰陽師のことが気になるんですか?」
「そりゃもう! 符を使って戦ったり札を使って戦ったり妖怪使役して戦ったりかっこいいからね!」
「私は戦ったことはないんですけどね……。妖怪なんて見たこともないです」
「戦ったことがない?」
雲雀の言葉に首を傾げる。
そういえば怪物に遭うのも初めてと言っていた。
「そんなにちゃんと精気の制御ができてるのに?」
雲雀の体を見て言う。
精気は速く正しく巡らせることで身体の機能を強化する。
雲雀が言ったように病気にもかからなくなり、傷の治りもずっと速くなる。そもそもちょっとしたことなら傷すら負わない。
これは戦うのにとても役立つ技術だ。
精気術師たちが戦場で使っていたのも見たことがある。
雲雀は巡らせる精度も速さも相当なものだ。それこそあの怪物の爪でも大した傷がつかなかったぐらいには。
「それは戦うために訓練したんじゃないの?」
「私が教わったのは人を想定した護身術ぐらいですね。それも、あの怪物を相手にした時は役に立ちませんでしたが」
「まあ、あんな怪物に人相手の護身術じゃね……」
「いえ、違うんです」
雲雀はゆるゆると首を横に振る。
「なにも、考えられなかったんです。護身術で対抗するとかとにかく逃げるとか、そういうことはなにも。咄嗟に短刀は出したけど、斬ったり怯ませたりなんて思いつかなくて……土地の精気を整えるという本業が苦手なのに、学んだことも活かせなかった。」
唇を噛んで目を伏せた。
「そんな時、後ろに気配が現れたんです。振り返ったら小さな女の子がいて、いきなり怪物がその子に襲い掛かって――そこでようやく体が動いたんです。せめてこの子を助けないとって」
……あの時はただ迷惑をかけたてしまったのだと思っていたが。
陰陽師といえど雲雀は思ったより普通の女の子だったようだ。
「……でも、その」
雲雀は両手で顔を覆う。その肩が震えていた。
そうだな。普通の子なら恐怖に呑まれても仕方が……いや待て、なんか頬が赤くなってないか。
「結局私が助けようとした子は私よりよっぽど強かったうえに! 怪我を治してもらってさらに怪物まで倒してもらって! 『逃げて』とか言っちゃったのが本当にもう恥ずかしい……!」
なんか悶え始めた! え!? 今までのって恥ずかしがってただけなの!? 落ち込んでるとかじゃなく!?
「次に怪物が出てきたらせめて羽交い絞めにして止めるぐらいはします!!」
「せめての規模じゃないねそれは!」
訂正する! この子は全然普通じゃない!
拳を握りしめて「ちゃんと修行しないと」と意気込む雲雀。
ポジティブさに引きつつも、その内容が気になってつい口を出してしまう。
「修業というか慣れの問題じゃない? 動くこともできなかったっていうけど、雲雀の精気は全く揺らいでなかったよ」
雲雀は目を丸くするがお世辞でもなく本音だ。
戦慣れしているとわたしが勘違いしてしまうほど、雲雀の精気には微塵の淀みもなかった。
「傷が浅かったのがその証拠だね。羽交い絞めどころかきっと殴り殺すぐらいできると思う」
「そ、それはちょっと物騒ですが……いえ、でも嬉しいです」
照れたように雲雀ははにかむ。
黙っていたらクール美人な雲雀のへにゃっとした笑顔は、わたしでもドキリとするぐらいかわいらしい。
「精気を巡らせること――『精廻』と呼ぶんですが、これはとてもキラキラして綺麗なので子供のころから頑張って整えたんです」
「ああやっぱり……キラキラ?」
確かに整った流れは綺麗に感じられるが、キラキラというのは……?
精気の流れはあくまで感じるもので目に映ることはないはず。わたしも見えるという表現は使うがそれはあくまで比喩表現だ。
「阿真菜さんの精廻もその年なのに凄い精度ですね。それにさっきはあんなに真っ黒な色に変わってました。あれはどうやるんですか?」
「……真っ黒?」
だが、この言い方はまるで――。
「玄関にいる時です。引っ張ってこられた時に腕の辺りの精気が――わっ!?」
思わず跳ねるように立ち上がり雲雀の肩を掴む。
「精気そのものが見えるのか……!?」
「え、は……はい」
マジか!? そんなの前世でも聞いたことないレベル……いやそれはいい! そういう人間がいること自体はあるとしても!
問題はわたしが雲雀の前で魔力を使ってしまったことだ!
精気が真っ黒になったというのは恐らく魔力のこと!
「つまり——魔力の作り方も知ったってこと!?」
それは不味い……!