二十話 かつての戦い、その方法
何かがキレる音と共に、頭痛が完全に消え去った。
目の前が白く染まる。
次に訪れたのは前世の記憶の濁流だ。
目の前が真っ白になる程の勢いでかつての戦場の光景が流れ込んでくる。五感への刺激を伴い、痛みまで再現する最悪の記憶が大量に。
しかし再現される感覚は僅かだ。臭いも、痛みすらもほんの少しの刺激で終わる。
代わりに強く残るのは感触だった。剣を振るう感触、魔力を使う感触、相手からの攻撃を受けて、避けて、――そして仕留める感触。
知識、実践、経験。
蘇る膨大な記憶から、人と戦うための方法だけが掬い上げられて体の奥底へ溜まっていく。
敵を■すために。
白く染まっていた目の前の景色が晴れる。
ぐちゃぐちゃに荒れ果て、血肉に塗れたオフィス内。
奥では勢いを増した触手の攻撃に光郎が足止めされ、目の前では雲雀が倒れていた。
昭島がこちらを見て目を細める。
「逃がすことはできなかったね」
そう言いながら、昭島はコートの袖から滑らせるように短剣を取り出した。
「恨み言があるなら、君に魔力を教えてしまった人へ言ってくれ」
全く変わらない微笑みと共に、昭島は短剣へと魔力を込めて投擲してきた。
「さようなら」
その声が届くより早く短剣はわたしの額へ迫り――だが。
声よりナイフよりもさらに早く。
わたしの魔術が発動する。
「『返れ』」
ビタリと。
額の数センチ先で短剣が止まる。
「なに?」
その瞬間、短剣は一瞬にしてゾッと黒く染まる。
そしてぎゅるんと半回転し、眉をひそめる昭島へとその刃先を向けて――投擲に倍する速度で飛んだ。
「っ!!」
驚愕した様子の昭島が体を逸らすと同時、ゴッ! と空気を裂いて飛んだ短剣がコートを掠めオフィスの奥へ突き刺さった。
しかし流石というべきか。それで体勢を崩すこともなく昭島は即座にこちらへと向き直り、踏み込んでこようとした。
それに対してわたしは自身の握るナイフへと昭島がやったように、魔力を流す。
流す量は昭島の数十倍。ナイフが漆黒に染め上げられみしりと悲鳴を上げた。
瞠目した昭島が踏み込む動きから無理やりに体勢を変え横へと跳ぶ。
同時に。
「『裂け』」
縦に、ナイフを軽く振るった。
さっきまで昭島のいた場所を斬撃が通り抜ける。ボッと音を立てて天井も床も削り取り、一瞬にしてオフィスを真っ二つにするような斬撃痕を刻んだ。
その痕からは壁の向こう、さらには向かいのビルまで覗けてしまう。斬撃がビルの外にまで飛んで行ってしまったらしい。
でもそんなことより。
「雲雀……」
雲雀は首や腕からぼたぼたと血を流している。
……だけど、命に別状はなさそうだ。
荒く息を吐いているけど、傷自体は浅い。
この傷が戦いの証だとするなら、わたしはいつまで呆然としていたのか。
雲雀を回復させていると、斬撃をかわした昭島が呟く。
「君は……なんだ? さっきまでと何か違う……」
その目は取るに足らない子供を見るようなものではなく、完全にこちらを敵とみなしていた。
刀へ手をかけて姿勢を低くする昭島へ、返事の代わりにナイフを向ける。
さっきの斬撃を見ていた昭島は警戒を強くしたようだ。
ただあれは範囲が狭い。勘が良く見切りも早い昭島には不意打ちですら避けられた。振り回しても当たらないだろう。
なら、避けられても問題ないようにすればいい。
修復と強化を続けながら、ナイフに魔術をかける。さっきのように染め上げられるのではなく、霧を纏ったナイフを捨てるように宙へ放る。
「『飛べ』」
ナイフは空中でぴたりと停止した。かと思うと、ゴウと唸りを上げて昭島へと突撃する。
「さっきと同じ……いや、遅い」
呟きながら昭島は刀を抜き放ち、上から迫るナイフを掬い上げるように斬った。
ゴン! と、刃渡り十センチ程度のナイフからは想像もできないような重い音がなる。
僅かに弾かれたナイフはすぐ体勢を整え、添えられる刀をゴリゴリと押しながら直進し続ける。
『飛べ』は犬の嗅覚の性質を持たせ、そこに重さと強度を足した魔術だ。相手を記憶し追跡し続ける。
嗅覚からのイメージが作用しているのか速さは犬が走る程度だが、それなりに厄介だろう。
「っ……ハッ!!」
一喝と共に力をこめ昭島はナイフを一瞬押し返す。
そしてその一瞬で刀を持ち替え上から刀を振り下ろした。ナイフが刃を下にした状態で叩き落とされ、強化された床にズゴンと突き刺さる。
昭島はさらにナイフの柄を上からドゴンと踏みつける。刃が根元から完全に埋まった。あれはしばらく抜けないだろう。
昭島の姿がゆらりと消える。
数メートルあった間合いを一瞬で詰めて、刀を振り上げた昭島が目の前に現れた。
この独特な歩法は対処がしづらい。
両手で握られた刀が上段から神速で振り下ろされる。
強化した目ですら僅かに追いきれない速度。
魔力の鎧があってもなお両断されかねない威力。
だが前世の記憶から抽出した実戦経験はその速度へ対応してみせた。
鎧をあっさりと破って迫る刃が額へ触れる瞬間、体を半身にしてすり抜けるように避ける。
ヒュオ、と刃が通り過ぎると同時に踏み込……もうとして、体の横でビタッと刀が止まったのに気づく。
昭島の腕や足腰に魔力が流れている。不条理に強化された力が渾身のはずの振り下ろしをあっさりと途中で停止させていた。
気づいた時には、寝かせた刃が水平に振り抜かれていた。
首を狙う一撃へ咄嗟に腕を盾にし、鎧へと魔力をぶち込んで密度を高める。
振り下ろしより弱い一撃は、ドスンと土の中へ沈むような音を立て、腕へ僅かに食い込み血が垂れる。
「君は危険だ。ここで死ね……!」
昭島は魔力をさらに生み出し強引に押し切ろうとしてくる。
ズチュッと腕の肉が半ばまで断ち切られ骨にミシリと食い込んだ時。
昭島の後ろから僅かに風を切る音がした。
「っ!?」
咄嗟に避けようとする昭島の腕を、踏み込んで掴む。ミキベキと骨へさらに刃が食い込む中、一瞬の動きの阻害へ力を費やす。
「ぐぅっ!」
それでも昭島は体を捻り後ろから迫る――最初に反射した短刀を僅かに避けてみせた。
遠隔で『飛べ』をかけた、昭島の背へ突き立つはずだった短刀は、脇腹をざっくりと切り裂くだけでわたしの足元へと刺さった。
同時に昭島が前蹴りを放ってくる。
刀と違って鎧をあっさり破る程の力や技術はない。それでも腹に直撃したその一撃で僅かによろめいてしまい、その隙に昭島は床を蹴って後ろへ跳んだ。
脇腹を押さえながら、昭島は信じられないという顔でこちらを観察してくる。
「……さっきまで、君は確かに戦いを恐れる一般人だった。ただ覚悟を決めたというだけではその変化に説明がつかないな……君は、なんだ?」
突然語りかけてきたのは、怪我の回復のためか。魔力が脇腹に集中している。
傷は思ったより深いようだ。
だがわたしも重症と言っていい。骨を半ばまで断ち切られた右手はぶらりと垂れ下がるだけだ。
動かす度に激痛が走る。……だが記憶を思い出した時の、あの痛みに比べればずっとましだった。
「答えは無いか。だが、勝負はついた」
昭島はふうと息を吐く。
腕から目を上げれば、その顔にもう微笑みはない。いや、ずいぶん前からなかったな。
「君にはもうほとんど魔力が無いだろう? その体躯を補うためか、君の戦い方は魔力頼りだ。魔力がなくなればどうにもならない」
教え諭すように昭島は言った。
「魔力を生み出すには精気が必要だ。自分のものと、地を巡るもの。だが今、君の精気は余分に使える量がほとんどなく――このオフィス周辺の地を巡る精気は、『精気喰らい』が喰らった」
昭島が宣言すると同時に窓から射していた日が陰り、オフィス全体がすうと暗くなった。雲が出てきたようだ。
奥で戦う光郎と『精気喰らい』へ目を向ける。
『精気喰らい』の体は戦う前より一回り大きくなっているように見えた。
「おおお!!」
太くなった触手が暴れる中、動きに慣れたのか光郎はそれをかいくぐって『精気喰らい』の頭へと恐ろしい勢いで拳を突き立てる。
拳の一撃によって頭部の三分の一がはじけ飛ぶ『精気喰らい』だが、その瞬間に体の下部から精気を吸収し、一瞬で怪我を治していた。
普通の『精気喰らい』よりも治る速度が速い。なんなんだあれは。
そしてそれを何度繰り返しているのか。
確かに辺りからほとんど精気は感じられなくなっていた。
ビルの精気は全くと言っていいほど無くなり、ビルの下の大地の精気も弱まっている。
無機物の精気が弱まるとその物質は恐ろしくもろくなる。このままだとビルそのものが崩壊する危険性があるな。
「そろそろ『精気喰らい』も回復はできなくなるだろうね。その前に君を殺して、僕は逃げよう」
最低限の治療は済んだらしく昭島が刀を構える。
その顔に笑みはなく、警戒も未だ強い。
だが勝利への確信もまた見て取れた。
実際わたしに魔力はほとんど残っていない。
ビルへかけていた魔術も今のままではもうすぐ切れるだろう。
昭島は強い。光郎の先生というだけあって『目隠し』は通用しないし、刀であっさりと鎧を突破してくる。魔力で強化する前の純粋な力や技術が飛びぬけているのだ。
だが魔力に関して、精気に関しての知識はわたしの方が遥かに深い。
昭島の魔力や精気の使い方は少し拙い。精気の感知も魔力の製造も見様見真似に覚えたかのようだ。
使い始めてまだそう時間は経っていないだろう。
「外法というものがある」
語りだして、自分の口調が変わっていることに気づく。
いや、今はいい。
「人の肉や骨、亡骸を利用して精気を操る方法だ」
そこら中に飛び散った亡骸や血肉に目を向ける。そこから精気を取り出せば魔力は股く作れるだろう。
ぽつぽつと、ビルの窓に斑点ができる。
雨が降り始めたようだ。
「……ふむ」
解説を聞いた昭島の表情に変化はない。
それはこの程度の精気から作れる魔力などたかが知れると思っているのか――それとも、そんなことは不可能だと、知っているからか。
だとしたらよく調べたものだ。
確かに人……というか、他の生物の精気を操るのは恐ろしく困難だ。
大地の精気と違い、生物の精気は干渉しようとした途端に意思を持ったように暴れ始めるのだ。
人ぐらい大きな動物の精気へ干渉しようとしたら、相手に受け入れて貰った上で時間をかけて精気を馴染ませなければいけない。
それは死体であっても変わらない。人の意思がない分多少抵抗が弱まる程度だ。
無理やり自分の好きに操るなど不可能と言っていい。
昭島はそれでも警戒自体は緩めなかった。
「なら、その外法を使われる前に――君を殺そう」
その姿がゆらりとブレたかと思えば、もう目の前で刀が振るわれていた。
わたしは首へ横なぎに迫る刀をただ無防備に見て。
次の瞬間、ガキィン!! と金属同士がぶつかり合うような甲高い音が鳴った。
「っ!?」
昭島が目を見開く。
その目に映るのはきっと、わたしの首を染める黒――魔力。
「バカな、精気はないはず……!?」
狼狽する間にも二撃、三撃と切り裂かれる。
だがどこに命中しようと液体のごとく流れる魔力がそれを防いだ。
前世で渡り歩いた戦場では、どうにか精気を得なければいけない状況があった。
瞑想程度では補えない量を欲した時が。
ではわたしは、どうやってそれを為した?
そこらに転がる亡骸から、どうやって精気を得た?
――喰ったのだ。
「他人の体を体内に取り込むことで、その人の精気と親和性が生まれる」
手を上げる。
昭島が警戒したのか一歩下がった。
「生きている人間のものは無理だが、意思の存在しない亡骸の精気ぐらいなら操れるようになる」
上げた手で下を指させば、怪訝な顔をした昭島が一瞬だけわたしの足元を見て。
そして目を見開いた。
そこに転がっているのは、光郎の腕。
右腕だけになってなお莫大な精気を有する肉体。
生きている人間の一部でありながら、切り離されて意思の存在しなくなったモノ。
その手は……人差し指の部分だけが欠けていた。
「光郎の精気を操ったのか!」
そう。
昭島が会話を始めた時点で、わたしは既に光郎の指を取り込んでいた。そうして精気を手に入れて魔力を再生産したのだ。
昭島の刀を止めた魔術は、『鎧』。
触手を止めたものと同じだが、膨大な魔力で無理矢理に硬度を上げたものだ。
「地を巡る精気はどこにも――!」
「精気は万物に宿る。石や木、一粒の砂、吹きすさぶ風や、雲――そして雨」
窓の外を指す。さっき降り出した雨は豪雨となって……大量の大地の精気として、降り注いでいる。
雨にもまた大地の精気は含まれている。
山を通る川から海へと還り、海から空へと登り、空から雨となって大地に還る。そうして精気は巡るのだ。
昭島がさらに刀を振り下ろし、斬り上げる。だが光郎と豪雨の莫大な精気を利用した『鎧』は全く崩れない。
昭島が唇をかむ。
「雨、か。こんな偶然があるとはね」
偶然。
そう語る昭島に対し、わたしは窓の外を指さす。
「……?」
昭島は僅かに目を動かしてそちらを見た。
窓の外へとよく目を凝らせばわかるはずだ。
豪雨のすぐ向こう側に赤く染まった空が見えると。
雨は、このビルの周囲にしか降っていないのだ。
「この雨はわたしが降らせている」
窓から目を戻して昭島を見上げる。
その顔には、ひきつったような笑みがあった。
「……異常能力者め」




