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クラック・バック・ワールド  作者: 海山 鍬形
第一章

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二話 魔力・戦闘

 本屋を出てすぐ、手に持つ袋をバッと掲げて宣言する。


「手に入れたぜ新刊!」

「あまなちゃん、人の邪魔になるから~」

「あ、はい。すみません」


 自動ドアの前で叫ぶなとばかりに腕を引っ張られ、そのまま駐輪場へと歩く。

 しかし注意されても喜びは全く収まらない。ついにへらっと口元が緩んでしまう。


「新刊新刊ー」

「いいなぁ。読み終わったら私にも貸してね」

「もちろん!」

「いつもは一緒に買ってたのになぁ」


 しーかちゃんが残念そうに唇を尖らせる。

 わたしたちは家にある漫画や小説をよく貸し合っている。でも『いせおん』だけは別々に買っていた。

 二人とも好きな作品だし、貸し合うより好きな時に読みたかったのだ。


 ただしーかちゃんは今回、月に五百円のお小遣いを別のことに使って、買えなかったようだ。


「そういえばお金って何に使ったの?」

「……ないしょ~」


 ふわっとごまかすように笑われた。

 相変わらず天使のような笑顔だけど、目が微妙に笑っていない。踏み込むなという圧が見える。

 嘘でしょそんなに言いたくないことある?

 まさかわたしの誕生日のサプライズ……うーん、八月にはだいぶ遠いなぁ。


「あまなちゃん」


 考えていた隙をつくように、固い声と共に肩を叩かれた。

 思わず「はい!」と引きつったような声が出る。


「ほら『いせおん』早く読みたいんでしょ。すぐ帰ろ、すぐ」

「あ、うん」


 めっちゃ急かされて自転車に乗せられた。




 わたしの住む上戸(かみど)市は港町だ。

 栄えて人口が増えるにつれ、住む場所を作るために山を切り開いていった。その都合で北に行くほど傾斜の高い坂道が多くなる。

 特にわたしの家はほとんど山の中腹辺りにある。

 つまりものすごく高い坂を、ものすごく長い間走り続けなければ帰れないのだ。

 自転車でも割と普通にしんどいんだよね。


 本屋からの坂をのぼり終えて、再び現れたのぼり坂。

 その下でわたしとしーかちゃんはお互いに手を振り合う。


「じゃあ、わたし坂の上だから」

「うん、がんばってね。また明日~」


 しーかちゃんと別れ、気合を入れてペダルをこぐ。

 最初はいいけど途中ぐらいから足が重くなってくるんだよね。正直しーかちゃんのように坂の下の家が羨ましくなることもある。

 とはいえそれだけ高い場所にあると、家から町の全景が見渡せたりもする。

 まるで精巧なミニチュアを眺めているかのような気分になれる。

 あと頭の中で夏を舞台にした青春アニメの始まりが流れたり。皆で手を繋いでジャンプするか、学校の中で踊る感じのやつ。


 頭を現実から逃避させて自転車をこいでも、まだ半分ぐらいだ。もう『いせおん』読みながら帰りたい。危ないからしないけどさ。


 そんな風に考えていた時だ。

 車輪の下からいきなりぞろろっと何かがのたうつような感触が伝わってきた。


「うわなに!? ヘビ!? ヘビ踏んだ!?」


 咄嗟にブレーキをかけるが、足元にも後ろにも何もいない。気のせい?

 でもアスファルトの下にたしかに何か……。

 いや……これは、生き物じゃない。

 アスファルトの下、地面の中、大地を巡るもの。


精気(・・)が、動いてる」


 足元の豊かな精気の巡りが、その流れを急に変えて別の方向へと向かっている。


 ――地の祝福たる精気は泰然と巡るだけだ。

 ――唐突に向きを変える場合、その先にいるのは魔獣か、人か。


 夢の光景がフラッシュバックする。

 しーかちゃんには忘れたと嘘をついた、けれど忘れることなどありえない夢。


 精気が流れていく方へと顔を向けた。

 左手側の、崖のような擁壁。そこを登って精気は上に向かっている。

 この上は確か公園になっているはず。


 公園まではここからさらに長い階段をのぼらないといけない。

 しんどすぎて普段はいかないような場所だ。

 遊具も滑り台が一つあるだけ。ただ桜の木があるからそれを目当てにのぼる人は見かける。


 ただここから見上げてみても、見えるのは桜の木がちらっとだけ。あとは高いフェンスぐらいだ。

 敷地内を見るためには、階段をのぼらないといけない。

 しんどいけど、でも精気が巡る方向を変えたなんてそうそうあることじゃない。

 確認しないと――。


 キィン!


「……なに? この音」


 楽器のトライアングルを叩いたような、それか鈴を鳴らした時のような。

 硬いけど澄んだ音だった。

 ああ、またキン! と音がした。公園の方から響いて来てる?


「公園で神事とかやってる……?」


 お祭りとか神事なら、精気の巡りが整えられることもあるけど。

 だけどどうも楽器なんかとは違う気がする。

 なんだかとても聞き覚えのある……あ。


「剣同士が、ぶつかる音」


 思い至った記憶を思わず呟いた時。

 ギィンと一際高く音が響き、フェンスの近くへトンと軽い音を立てて何かが着地した。


 黒いシルエットがふわりと舞う。

 フェンスを背にして着地したのは、女の人だった。


 腰ほどまで伸びた長い黒髪がさらりと落ちた。

 顔は見えないけど、黒いセーラー服を着て、黒いスカートを履いた真っ黒な姿。あれ、多分近くの高校のやつだ。……女子高生?


 その右手の辺りがきらりと光る。

 木製の柄の……小刀だ。『いせおん』の陰陽師が持ってる奴に似てる。

 女子高生は姿勢を低くしてそれを構えていた。


 なんだ、あの人は。なんで武器なんて持ってるの。

 あれがさっきまでの音の正体?

 あれ?

 だとしたら、誰かと打ち合ってた?

 

 それに気づいた時、精気がまたぞるりとヘビのように貼っていく。

 向かう先は女子高生……じゃない。

 その前にいる、何か。


 のそりと。

 女子高生の前に黒い巨体が踏み出してきた。


 その姿は立ち上がったヒグマみたいだった。

 二足歩行で、体は影のように真っ黒。

 体の表面が、風もないのにゆらゆら姿を変えていた。直感的に、それが毛皮ではない何かだとわかってしまう。

 かぎ爪のついた太い腕はだらりと垂れ下がっていて、頭部の目玉らしき光がぎょろりと女子高生を捉えている。


 その怪物としか言いようのない姿を凝視して、わたしが得た感想は。


「………………『いせおん』実写化?」


 短刀を持った女子高生の見た目がヒロインに似てるし……いやそんなわけあるか。ファンタジー系ライトノベルがアニメ化より先に実写化しないじゃん普通。

 じゃあこれなに? 夢?

 またあの夢の続きを見ている? だって現実でこんなこと起こるわけないしね?

 でもだったら周りの景色が見慣れた現代のものだったり、女子高生が出てくるわけない――。


『ゴアァッ!』


 びくっと体が竦む。怪物がいきなり空気の震えるような吠え声を上げ、同時に高く跳びあがったのだ。

 女子高生に跳びかかるのかと、わたしは思った。多分、女子高生もそう思っただろう。

 彼女は迎え撃つように短刀を構えた。


 でも怪物はその横をあっさり通り抜けて、公園のフェンスを飛び越えた。

 女子高生が振り返る。その顔には驚愕の表情が浮かんでいた。

 ……え、逃げた? あんな恐ろしい感じ出してたのに?

 しかもなんだかこっちに落ちてきてる――。


「あ」


 怪物の落ちてくる場所は、わたしの真上だった。

 それに気づいたのは怪物との距離が半分ぐらいまで縮まってから。


 ありえない光景を見て現実から逃げていた。呆けていた。竦んでいた。

 そのせいで気づくのに遅れてしまった。

 落ちてくる怪物の速度が遅くなったように感じられる。わあ、これが死の直前に意識が加速するってやつ?


 でも意識が早くなっただけだと体はついてこない。

 ただ迫ってくる巨体に押しつぶされれば……死ぬ?


 その時、ふと怪物と目が合った。

 瞳のない、輝いているだけの目。

 それでもぎらついた殺意と、生き抜こうとする意志が、強烈に感じられた。

 あの戦場で見た、兵士たちのような目だ。



 ああ……ようやく実感がでてきた。

 これ、現実なんだ……。



 死が、目の前に迫っていることが理解できた。

 でもできることは結局なにもなくて、わたしは咄嗟に強く目を閉じる。


 ドッ! と衝撃が来る。ふわりと体が浮いたような気がした。


 痛みも何もない。死ぬときってこんな感じなの? 

 もっと劇的なものかと……あれ、違う。

 これいま、抱きしめられてる?


 うっすら目を開けると。


「大丈夫、ですか?」

「うわっ!?」


 女の人!? 女の人がめっちゃ近くから覗き込んでくる!? なんで!?

 思わずのけぞる。すると女の人の長い黒髪やセーラー服が目に入った。


 あ、さっき怪物と戦ってた女子高生?

 ……え? 上の公園にいたよね?

 どうやってここに……などと考えていると、女子高生が一瞬後ろへ目をやる。

 次の瞬間、わたしは抱っこするような形で抱えられ、その状態で女子高生はダン! とアスファルトを蹴り横に飛んだ。

 引っ張られるような急加速の直後、目の前をナイフのように鋭い爪がうなりを上げて通り過ぎる。


「わぁ!?」


 そ、そうだ! そういえば怪物に押しつぶされかけたんだった!

 ていうか怪物が思ったより近くにいる! 向こうの歩幅だと二歩ぐらいで追いつかれそう! うわしかもわたしの自転車踏みつぶされてる!? 

 ああっ前に乗せてた『いせおん』まで!!?


 うおお……いや、言ってる場合じゃ……場合じゃない!

 自転車が踏みつぶされているということは、わたしもそうなっていたはずだ。

 それを女子高生が助けてくれたのか。

 しかもその方法は多分、上の公園のフェンスを乗り越えて落ちて……いや、それだと間に合わないよね? ……じゃあ擁壁を走り下りてきたとか?

 いやそんな無茶な。というか、あの怪物と戦っていたり、この人はどういう……。


『ゴルル……』

「っ!」


 ヤバい、考えてる場合じゃない。怪物がこっちに一歩踏み出してきた。

 でも女子高生は動かない。わたしを抱えてうずくまったままだ。


「あの、逃げないとまずいんじゃ……!?」


 怪物から女子高生へと目を移した瞬間、言葉が出なくなる。

 女子高生がごほっ、とせき込み——ぼたぼたと、口から血が吐き出された。

 いや、口からだけじゃない。

 よく見ると制服にもじわじわと血が滲んできている。相当な大けがじゃないとこんな出血はしない。

 そして、その出血の箇所は、多分背中から。


 でもフェンスを見上げた時、そんな傷はなかったから。

 だから。

 ――それは、わたしを助けてくれた時の傷。


 血を呆然と眺めていると、抱えられていた腕から力が抜けて地面に降ろされる。

 女子高生は震えていた。出血のせいか、傷の痛みか。

 けれど顔をあげて、焦点の合わないかすんだ目で、わたしを見た。


「ごめん、なさい……巻き込ん、で……」


 口元の血を拭って無理に笑顔を作って。


「でも、大丈夫、です。だから……ほら、走って、逃げてね」


 そう、言った。


 さらに歯を食いしばり震える足で立とうとする。

 怪物を肩越しに睨みつけ、まだ戦おうとしている。わたしを逃がすために。


 ずきりと、頭が痛んだ。

 ふと現実が曖昧になり意識が揺らぐ。


 ――昔、こんなことがあった気がする。

 ――誰かに庇われて、逃げてと言われたことが。

 ――わたしの、前の人生(・・・・)で、こんなことが。


 何かを思い出しそうになった時。

 どさっという音で意識が現実へ引き戻された。


 音の原因は目の前にある。立ち上がろうとした女子高生が倒れていた。


「あ……」


 その背は深く抉れている。制服は大きく引き裂かれ、肉の色が露出していた。


 かつての戦場(・・・・・・)で幾度と見た傷、血の臭い、……死の気配。

 今の生(・・・)では二度と見ないだろうと思っていた、戦いの跡。


 まさかこんな事が起こるわけがない、なんて逃避はもうできない。

 怪物が落ちてきた時わたしはもう実感してしまった。

 これは現実なんだと。


 故にすべきことはもうわかっている。

 女子高生を見下ろして、一度、大きく息を吸った。

 血と、死の臭いを肺に取り込んで――ガチリと、意識が切り替わった。


 それと同時に怪物が再び一歩を踏み出してきた。

 ただ跳びかかってくることはなく、伺うように鼻をひくつかせている。女子高生を警戒しているのだろうか?

 しかしその用心深さも、女子高生が動けないことがわかって霧散したようだ。


『ゴオォォ!』


 勝鬨のように両腕を振り上げ、咆哮をあげる怪物。

 ビリビリと空気が震えて耳が痛い。

 だがそれだけだ。先ほどまでのように身が竦むことはない。


 ただ隙ができた、と感じるだけだ。


「少し離れろ」


 一言声をかけ、軽く跳んで咆哮する怪物の腹へと蹴りを入れる。

 ドン! と車同士がぶつかったように重い音が響き、怪物の体が折れ曲がって浮いた。


『ゴォッ……!?』


 怪物は後ろに数歩分、よろめくように下がる。

 吹き飛ばすとはいかないか。だが痛みはあるようだ。怪物は腹を押さえ苦しげな唸り声を漏らしている。


 ぎょろぎょろと焦ったように動くその目には警戒が表れていた。見ているのはわたし……というより、わたしの周囲だ。

 今わたしの周囲には黒い霧のようなものが、辺りの空気を押しのけるような圧力を持って漂っていた。


「魔力……こちらでは、もう戦いに使うことなどないと思っていたが……」


 自分のものとは思えない低い声が出た。言葉遣いも変わっている。


 意識が前のわたしに近くなっているのだろう。




 前世の記憶。

 そう呼ばれるものをわたしは持っている。

 それもこの世界とは違う、どこか異なる世界……魔力だの、魔獣だの、そんなものがいる世界の記憶を。


 蘇る記憶は断片的に、少しずつ。

 だがそのほとんどは平穏とは程遠い記憶ばかりだ。

 わたしは今世とそう変わらない年齢で既に戦場へ出ていた。親の顔はまだ思い出していないのか、元からいないのか、記憶にない。

 戦場ではただひたすらに人が殺し合う。わたしはいつも最前線で突撃していた。

 時には複数で、時には一人で。

 いつだって血が飛び散り、亡骸がそこらに転がっていた。


 そして最悪なことが一つ。

 その記憶での体験は、五感に刻まれる。

 人を斬る感触、頭蓋を潰す感触が伝わる。わたし自身が矢に貫かれ炎に巻かれれば、矢が肉に突き刺さり焼け焦げる激痛も体感する。

 酷い臭いも、殺さなければ殺されるという熱狂も、全て。


 酷い人生だった。酷いことばかりが思い出された。


 だからこそ!

 だからこそ……今世は平穏な国に産まれたのだと知って、安心したんだ。

 もう蘇る記憶のような戦いはないのだと。

 だというのに。


 今、わたしの目の前には怪物がいて。

 足元には血に塗れた人間が倒れている。


「あの時、さっさと去っていれば……」


 思わず後悔が口から漏れた。

 そうだ。怪物を見た瞬間、脇目も振らずに逃げていればよかった。

 怪物はこの女子高生から逃げだしていたし、女子高生はその状況からでもわたしを守れる程に早く移動できた。

 わたしがいなければそのまま追って倒せていただろう。


 ……ああ、悔恨に駆られている場合ではない。

 女子高生は酷い怪我だ。早く治療しないと死んでしまう。


「魔力を、さらに作るか」


 アスファルトへ手をつく。


 その下の地の祝福……精気の巡りを、わたしの方へと向けるために。

 体感を伴う記憶は、そういった技術までも体に刻みつけていた。


 こちらで言うなら気や龍脈、パワースポットなどと呼ばれる力の流れ。

 生物の群れが大移動をするような大きな気配に、自身に宿る精気を伸ばす。

 それが道となるのだ。

 道を作れば、正常に巡っていた精気が、ぞるぞるとヘビが這うようにこちらへ巡ってくる。


 つけていた手をあげれば、地面から剥がれるようにぞるりと精気が引き出された。

 その大地の精気へ自身の体の精気を混ぜる。目には見えない力の流れが、ぐちゃぐちゃに攪拌されていく。


 それは前世で魔に属すると言われた技術だった。


 前世の世界では、精気といえば生命に恵みをもたらす、地の祝福だ。

 精気が強く巡ればその地の命は繁栄し、巡りが乏しくなれば枯れ果てる。

 巡り方も重要だ。

 一本の大きな流れに沿って正しく流れれば弱い精気でも大地は正常に保たれる。

 しかしあちこちバラバラに流れて乱れてしまえば、逆に強い精気が害となり瘴気と成り果てる。


 植物は地の精気を吸って育ち、その植物を獣や人が食べることで自分たちもまた精気に育てられていく。

 取り込む精気が豊富であれば何もせずとも強くたくましく成長するだろう。


 故に地の祝福たる精気は侵してはならない。

 人も獣も、自身の欲のために精気を喰らい尽くすような、魔となってはならない。

 それが大地を至上とする教えであり、多くの人々にとっての常識だった。


 だが、その精気のあり方を歪める技術が生まれた。


 生物に吸収された時点で精気の性質は変わる。大地から切り離され、その生物を活かすために巡り始める。

 そんな生物の精気と、大地の精気の二つを混ぜるのだ。

 別種の精気を混ぜ込み、けして戻らないようぐちゃぐちゃに練り合わせることで、瞬間的に莫大な力が発生する。

 祝福たる精気を無理に吸い上げ、歪め、二度と精気として還元させなくする魔の力。


 それが魔力。


 精気を吸い上げる都合上、使いすぎればその辺り一帯の地は枯れ果て、人も植物も獣も困窮する。

 かつてグーバの地で起こった戦では、見渡す限りの大地が渇きヒビ割れることとなった。


 だがそれだけの代償を払って得るその力は、酷く万能で、暴力的だ。



 攪拌された精気がどろりと濁るようにその気配を変えていく。

 目には見えないただの力が混ざり合い……精気を引き出した手の周りがゾッと黒く染まった。


 魔力が、生まれた。


 わたしの周囲数メートルが黒い霧のようなものに呑まれていく。

 辺りの空気がズシリと重くなり、圧倒的な力の気配がこの場に満ちていた。

 ……少し作りすぎただろうか。


 その圧を感じたのか怪物が足を止めるどころか、一歩下がった。


 邪魔をされないのならちょうどいい。

 女子高生の傷へと手をかざす。

 魔力はそのままだとただの力の塊だ。用途によって変質させなければいけない。

 流れた血を補わせたり、体に再生を促したり。


 ただ前世では基本的に自分の体ばかり治していた記憶しかない。他人の体に上手くできるかどうか。

 でも今は時間がない。怪物は目の前にいるし、女子高生の容体は一刻を争う。

 ……仕方ない。消費する量は多くなるが、無理やり治そう。


 魔力に意思を持って働きかける。

 この子の体が健康に保たれるよう全ての異常を治せ、と。


 恐ろしくアバウトな命令だ。だが問題ない。

 魔力は万能で、暴力的だ。現実的に考えれば不可能に思える事象を、その量に応じて成し遂げる。


 途端に辺りの黒い霧が、ゴウと女子高生の体へ吸い込まれ始めた。

 魔力自体の移動で辺りの空気が揺れ、恐ろしい程の力が女子高生の体に行き渡る。


 まず血が止まった。

 次に抉れていた肉が盛り上がり、血を作っているのか、白くなっていた女子高生の肌に赤みが差す。

 やがて浅くなっていた呼吸が通常のものに戻って……女子高生は完治した。


「よし」


 上手くいった。しかも魔力の消費も思っていたより少ない。

 今ようやく気づいたが、女子高生に宿る精気は普通の人よりも遥かに多いようだ。

 さらに巡り方も整っている。全身を乱れなく流れる精気が、体の回復力や強靭さを高めているらしい。

 前世の世界でも使われていた技術だ。

 こちらだと見たことはなかったが……道理で怪物と戦えるわけだ。


 それはともかく。

 顔を上げて怪物へ目をやる。


「さて、あとはお前か」


 わたしの視線を受けてか、怪物は唸りながらまた一歩下がった。

 見た目も相まって本当に普通の動物みたいだ。


 ああ、全く。

 ホラー映画のように物も言わず理性もない怪物であってほしかった。

 そうであれば殺すのにさして抵抗もなかっただろう。


 殺さない理由はない。ただの獣の突然変異だったとしても、衝突しただけで人が死にかねないのだから。

 女子高生が仕留めるか、無力化するはずだったのなら、それを邪魔したわたしが責任を取るべきだ。


 ……いや? あそこで逃げられたの自体はわたしに関係ないな。怪物はわたしを別に認識していなかった。

 そうだ、ここは戦場じゃないんだ。責任を背負う必要なんかない。

 今のわたしはただの小学生なのだから。


 認識を改めていると、それを隙と捉えられたのか。


『グゥッ』


 短く吠えた怪物が後ろの、崖のような斜面の方へ跳んで逃げようとする。

 それより早く右腕を横なぎに振るう。一瞬で辺りの黒い霧がロープのように結われ、鞭のようにしなってその横腹を打ち据えた。


『ゴァ!?』


 わたしの腕より細いロープが、怪物の巨体をしたたかに打ち据え動きを止めさせた。

 ロープの動きはそれだけにとどまらない。ずるりとヘビのようにうねり、その腰と両足へ絡みつく。

 最後に先端を地面へと突き刺して下半身を拘束した。


 斜面の下にあるのは住宅街だ。行かせるわけにはいかない。

 怪物は唸り声と共にその爪で足の魔力を切り裂いた。しかし固形化した魔力には少し傷がついただけだ。

 逃げられない。

 そう理解したのか、怪物は荒く息を吐き、歯を剥きだしにしてこちらを睨みつけてきた。


 戦う覚悟を決めた、という感じだ。

 よかったよ。わたしも抵抗された方がやりやすい。


 手を掲げ、薄く鋭く変質した魔力を伸長させる。

 完成したのは漆黒の剣だ。

 使い慣れた戦いの武器といえば、これだった。

 柄まで真っ黒なそれを軽く握り込み、怪物へと切っ先を向ける。


 残りの魔力は全て身体能力の強化へと回した。

 自分の体を強化するだけなら変質させる必要はない。

 ただ体内へと流し、精気の如く巡らせるだけでいい。


 それだけで魔力の爆発的な力がそのまま身体能力を跳ね上げる。


「行くぞ。……せめて苦しまないように仕留めてやる」


 軽く地面を蹴る。

 ゴガッ!! と足元のアスファルトが砕け――瞬きより早く怪物の懐へ潜り込んだ。

 怪物は目でこちらを追うこともできずその場に突っ立っている。

 その胴体の左下から、右上へ、振り上げるように剣を振るう。

 今世で生き物相手に振るうのは初めてだ。しかし体は何百何千と繰り返した動きをなぞるかのように、滑らかに動いた。

 漆黒の刃はするりとその体を通り抜け……ずる、と怪物の上半身と下半身が、つなぐものを失ってズレた。


 怪物はこの時ようやく目を下ろし、懐にいるわたしに気づいたようだ。


『ゴアッ!』


 胴体がずり落ちそうになっていることには気づかず、怪物はかぎ爪のついた両腕を抱きしめるように振るってくる。

 その爪がわたしへ届くより早く剣を上に掲げ。

 前のめりに、天地が逆さになるほど勢いをつけ、全力を持って振り下ろした。


 ひゅ、という風切り音。

 同時にズレた上半身の頭から腰の下まで、怪物を完全に両断する。


 それで終わりだった。


『――』


 怪物は断末魔すら上げることなく、その体がどんとアスファルトへ落ちた。


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