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一話 前世の記憶 少女の日常

 血塗れの平原に傭兵がいた。

 目の前に広がるのは鎧姿の死体の群れと、荒ぶる炎。周囲の亡骸へと傭兵が目をやる。切り飛ばされた腕を、別の手で取り返そうとするように抱えて横たわる者がいた。飛び出たピンク色の腸が踏みつぶされて土と混ざり合っているのが見えた。炎は人間を燃料に燃え上がっていて、中の人間は蝉のように手足を曲げて黒く焦げていく。

 糞尿と臓物と焦げ臭さが混ざり合った戦場の臭いを嗅ぎながら、興味が失せたようにそれから目を離して、傭兵は炎と亡骸の間を歩き始める。

 傭兵もまた体中から血を滴らせ、特に胸は斬りつけられたのか深く肉が抉れている。それでも強く剣を握りしめて飢えた獣のように獲物を探していた。

 ふと傭兵が動きを止める。

 亡骸で出来た道の先に炎の途切れた場所を見つけた。

 そこには砕けた鎧を着た男が、亡骸に囲まれるようにしてへたり込んでいた。男の背後には堅牢な城壁が崩れ落ちて、燃え盛る町並みが覗いていた。

 傭兵は全身に力を巡らせて駆ける。亡骸を蹴散らし、口からは喜悦に塗れた咆哮を発して。

道の先にいる男は怯え切った顔でどたどたと地を這って逃げる。

 魚が陸でのたうつようなそれに傭兵は二歩駆けるだけで追いつき、その胴体を足蹴にした。剣を握る右手が燃えるかのように熱く煮えたぎっている。

 男が何事かを泣き叫びながら傭兵へと振り返り。


 傭兵の剣が男の首へとめり込んだ。

 肉をかき分ける感触、骨がゴリゴリと削れていく。

 剣を振り切ればごぱっと空気を含んだ音と共に血が飛び散った。

 頬へかかった血の温さに、傭兵の頬が吊り上がって――。




「――っ!」


 布団を蹴飛ばして飛び起きた。

 右手が何かを握ろうとして何も持っていないことに気づく。頼りない感覚に焦って辺りを探り、ふと何かが指に触れて反射的にそれ(・・)を掴んだ。


 ~~~♪


 するとそれから音楽が鳴り響く。

 気分が上がるような勇壮なイントロだ。お気に入りのアニメのOPだった。

 一気に意識がはっきりして、握りつぶしそうだったそれ(・・)――薄型の携帯を離す。液晶に表示された時刻は六時ちょうどだ。

 辺りは四畳半の畳が敷かれた部屋。

 その真ん中へドーンと敷かれた広めの布団にわたしは寝ていた。


「ああ……またあの記憶か」


 深く息を吸って、吐く代わりに静かに声を出す。


「わたしは――()()()葛城(かつらぎ)()()()


 布団から立ち上がりカーテンごと目の前の窓を開ける。

 膝立ちで窓枠から体をだらりと垂らすと、暖かな日差しと共にふわりと少し冷える風が吹いてきて、汗の浮いた顔を撫でた。


 眼下に見えるのは平穏な町だ。

 木々の間に瓦屋根の家が建ち、目を上げるにつれてコンクリートのビルが立ち並ぶようになる。その間を広い道路が抜けていっていた。


「あー落ち着く……」


 ここは、日本。

 その中の一つの町。

 血なまぐささも死の痕跡も身近だったあの世界とは違う、平和な町だ。少なくともそこら中の建物が壊れて人が殺し合いをしていたりはしない。


 何年見ても飽きることのない町並みに気分が和らいでいく。

 すう、はあ、と大きく深呼吸をしてわたしは畳に敷かれた布団へごろりと転がった。


「久しぶりに見たなぁ前世の記憶……」


 わたしの脳はふとした時に何らかの記憶を思い出す。

 わたしが絶対に経験したことがないものや、この地球では経験しようのないことを。


 ただの夢や妄想と違うのは、実感を伴うことだ。

 いま目の前にあるかのような光景と共に、食べ物のおいしさ、人々の会話、肉の抉れる痛み、鼻の曲がるような異臭までも体験したかのように感じ取れてしまう。

 それも恐ろしく事細かなのだ。

 その経験によって普通の小学生よりずっと落ち着いた思考ができるようになったり。

 魔力という力を扱う方法まで学習して実際に再現できるようになるほど。


 それが楽しい記憶ばかりなら問題ない。

 ニムハ・マルムなんかはこっちの世界で味わったことが無い独特なおいしさだったし。

 けれど今回のような戦場での記憶は……ただただ辛いだけだ。

 人の焼ける臭いも、人の首を斬り飛ばす感触も、全身が切り刻まれるかのような痛みも、全て再現されるのだから。

 子供の頃はよく泣き叫んで両親を狼狽えさせてしまったものだ。


「唯一の救いは感情までは伝わってこないことかなぁ」


 幸せな記憶への喜びも痛みへの苦悩も感じたことは無い。

 あるいは何も感じていないのだろうか?


「まー人を殺して喜んでる奴の感情なんてわかりたくもないけど」


 蘇るのは首を斬り飛ばして頬を吊り上げる傭兵の姿。

 いつもいつも、戦いに赴く時のアイツは笑っていた。


「んーーー!」


 ぐしゃぐしゃとくせ毛をかき回して頭から映像を追い払う。


「……昨日の戦いの影響かな」


 あの怪物相手に力を振るったこと自体は後悔していないが、上半身を消し飛ばすような結果になるとは思わなかった。

 残った下半身が痙攣しているのを思い出してちょっと顔をしかめてしまう。

 やっぱり実際に関わるものじゃない。

 そういうのは創作で十分だ。……いやでも陰陽師とか忍者が実在していたらわくわくするな。……いやいや!


「ダメだ、気分が悪い。こういう時は」


 寝転がったまま周りを探って携帯を手にする。

 真っ暗な液晶に疲れたような表情の幼い少女が映り込む。微妙に外側へ跳ねる黒髪に、黒い瞳のくりっとした目、ぷにぷにした白い肌。

 そんなかわいらしい姿は携帯を操作することで掻き消え、代わりに動画配信サービスの画面が現れる。

お気に入りのタイトルにはずらりとアニメが並んでいた。


「気分が沈んだ時はアニメで癒すに限る……!!」


 日常ものアニメを選んで再生ボタンを押した。



■  ■  ■



 わたしは創作物が大好きだ。

 生きるためになくてはならないと言ってもいい。

 それ程にハマった理由もまた、前世の記憶を持っていることにあった。


 実感を伴う戦場の記憶に苦しめられていたわたしは、ある名作に出会ってその人生が変わったのだ。


 創作物の中には、まるで体験したかのような実感や没入感すらも与える名作がある。

 それら、特にファンタジーを題材にした作品は、凄惨な記憶を創作だから心配ないと思い込むのにとても役立った。

 わたしは家にある漫画やアニメ、映画をひたすら見続けた。

 両親もまたオタクだったから、家には世界に名だたる名作から趣味全開のマニアックなものまで幅広くそろえられていたのだ。


 わたしが漫画やアニメ見始めてから、うなされることが少なくなったのを両親も感じていたんだろう。諫めるでもなくにっこり笑ってお互いの推し作品を進めてきた。

 でもうなされる四歳の少女に『進〇の巨人』を勧めたのはどうして? しばらく外に出るだけでビルの影から巨人が出てこないか怯えるぐらいにトラウマになったんですけど?


 記憶で生まれた傷は漫画やアニメを楽しむことで癒してきた。いわばわたしにとってエンタメは生きるために重要なカウンセリング方法である。

 ものによっては新たな傷を産むことになったが、まあそれも今ではいい思い出になったものがほとんどだ。少数は今でも傷のままだけど。ん? これカウンセリングになってるか?


 まあそうして両親からの英才教育と生来の好奇心、そして前世の記憶による辛い経験。

 それらが合わさった結果、わたしは戦場の記憶を受け流すことに成功し――ついでに重度のオタクとなったのだ!

 ちなみに好きなのは和風な雰囲気のもの! 西洋系ファンタジーとか記憶で見慣れてるからね!!


「ああ平和な世界……心が癒されるぅ……ていうかエンディング、ミーティアさんが歌ってるじゃん。ゆるふわボイスで脳が溶ける……」


 日常ものアニメで憂鬱な気分が晴れていく。

 サブスクや配信でいくらでもアニメを見れる時代に産まれて本当によかった。


「さー次は何を見ようか」


 見終わったアニメを閉じて次の作品を探そうとした時だ。

 一階から声が響いてくる。


『阿真菜ー! そろそろ起きなさい!』

「えっ!?」


 母の声に慌てて時計を見る。7時を越えている針を見て冷汗が出た。

 一度アニメに夢中になって遅刻しかけてから、7時以降の漫画、アニメは禁止されているのだ。


「ヤバっ!!」


 7時までには下に降りていないといけないのに!

 携帯とイヤホンをズボンに突っ込んでガラガラーッと引き戸を開ける。


「待ってー! 今降りる!」


 箪笥の上に置いてあった服へパパっと着替え、わたしは戸を開けてすぐの階段から下へと降りていった。



■  ■  ■



「次も遅れたら寝る時に携帯没収するからね」

「すみませんでした!! 気をつけますのでそれだけはおやめください!!」


 リビングで仁王立ちする母に土下座で懇願する。

 心を癒すのは漫画でもいいが、今季は絶対にリアタイしたいアニメがあるんです。配信でしかやってないから携帯が無くなると見れないの。


「ほら早くご飯食べて準備して」

「はぁい」


 母に背を押されて席につく。対面ではわたしたちのやり取りを見た父が苦笑していた。

 作ってくれたサンドイッチを食べつつテレビをぼんやりと見る。


『今日の午前2時32分ごろ、標庫(ひょうご)県北部で震度4の地震がありました。この地震による津波の心配はなく――』


「へー、全然こっち側揺れなかったよね?」

「ここら辺は震度1だしなぁ。にしても最近地震が多い気がするな。昨日も大きめのが近くであっただろう」

「そういえば給食の時にちょっと騒ぎになってた」


 給食を運んでいた時に揺れたせいで給食係が汁物をこぼしそうになったと。

 先生たちも会議をしていたが、結局ほんの少し揺れただけだったからそのまま普通に学校は続いていた。


「騒ぎといえば」


 台所から母が声を上げる。


「藤原さんから聞いたんだけど、昨日この近くで女の子が救急車に運ばれたんだって」

「んぐ」


 突然の話題にサンドイッチを半端に飲み込んでしまう。

 詰まりかけて慌てて水を飲んで流し込むと母が目を丸くする。


「ちょっと阿真菜、大丈夫!?」

「だ、だいじょうぶ。詰まっただけ」

「ほら水のんで。ちゃんと噛みなさいね」


 母に頷きながらわたしは昨日の出来事を思い出す。

 倒れてた女の子ってまさか……いや! あれとは別に近くで女の子が倒れていたのかもしれない! それはそれで治安悪くて心配だけど!


「近くってどこらへん?」

「それが阿真菜の小学校からちょっと東の、坂の上の方にある公園で。地面が抉れたりもしてたらしいんだけど何かの事故かしら」


 いやあの子だ。間違いなくあの子だ。逃避しようもないぐらい間違いない。

 なんで普通にご近所のニュースになってんの!? なんか国の力によって良い感じに隠蔽とかされるんじゃないの!?

 焦るわたしに、『そもそも陰陽師っていうのがわたしの妄想でしかないからでは?』と冷静なわたしが片隅からつっこむ。


 わたしが内心で悶えている横で父は「ええ?」と顔をしかめている。


「怖いなぁ。バイクに引かれたとかかな。この辺、夜中に走り回ってるのが多いじゃないか」

「パンクしたような破裂音が聞こえたって言ってたから、そうかもね。あそこバイクが入れるような場所じゃないと思うんだけど。阿真菜も車には気をつけて、あと人気(ひとけ)のない所にはいかないようにね。昨日も寄り道したんでしょ」

「き、気をつけマス」


 その寄り道のせいであれらに遭遇しそのせいで騒ぎになっている。

 原因の半分以上がわたしにある事件の話を聞くのは、胸とかお腹とかが色々痛くなるような気分だった。


 わたしの姿は見られてない、だろう。さすがに。

 基本的に魔術で姿は隠してたし……でも怪物を相手にした時は魔力を全て使っていたから絶対とは言えない。


「……ちなみに、あの、その近くで他に人がいたとかは聞いてない?」

「他に? 不審者ってこと?」

「まあそんな感じ」

「どうかしら。藤原さんは何も言ってなかったけど」

「藤原さんが言うなら不審者の仕業じゃないのかもな」

「藤原さんだものね」


 両親は藤原さんならその辺を把握していて当たり前というような口調だ。

 藤原さんは一年ほどこの前に越してきた一家だが、どこからともなく噂を仕入れてくる事情通としてこの地区では有名である。

 たった一年しか過ごしていないのに、既に何十年とこの町に陣取っていたかのような扱いを受けているのだ。何者なんだ藤原さん。



 二つの意味で胃が刺激される朝食を終えて、のそのそと学校への支度を始める。

 洗面台でくせ毛をそれなりに整えて、上の方で短く二つぐくりに。

 鏡に映る服装は英字がプリントされているダボッとした白半袖に、綿100%の黒い七分丈のズボン。

 服装にバリエーションがないから昨日とほとんど同じ格好だ。


「……昨日」


 鏡を見てふと昨日の女子高生について考える。

 彼女は一体なんだったのか。少なくとも国のエージェントとかそういうのではなさそうだ。目撃者にかん口令が敷かれたり、謎のぴかっと光る機械で記憶が消されたりもしてない。


 もう一つ気になるのは、あの怪物がニュースどころか目撃情報すらなかったこと。

 救急車で運ばれる女子高生を藤原さんが見たのなら近くに怪物の下半身もあったはずだ。ただの害獣と判断されるにしても上半身が吹き飛んでいるのは異常でしかない。


 それが話にすらあがらないというのは――。


「阿真菜ーっ! 時間大丈夫ーっ?」


 リビングからの声にはっと我に返る。


「大丈夫――じゃない! すぐ準備する!」


 携帯を見ると現在は7時40分だった。学校には余裕で間に合うが、椎香(しいか)ちゃんと待ち合わせをしている。

 階段を駆け上がってランドセルを引っ掴み、中に携帯をねじ込んで再び駆け下りる。


 怪物や女子高生については気になるが、きっともう関わることは無いだろう。この9年であんな事態に出会ったのは今日が初めてだ。

 あれは偶然起こった事故のようなモノ。


「漫画なら、あの子がドアの前に立ってて、わたしも陰陽師として勧誘されたりするかな」


 それはそれで心躍るシチュエーションだ。

 ああでも女子高生はわたしの姿すらろくに見てないしどのみち無理か。


 適当に妄想をしながらスニーカーを履いて、玄関からわたしは声を上げる。


「いってきまーす!」


 いってらっしゃーいという声を背に受けながら玄関のドアをがらがらと開ける。

 その直前、引き戸の前に何かの影があると気づいたが、もう遅い。


「あ――」

「えっ?」


 玄関の前に立っていた影は、もう出会わないと思っていた女子高生だった。

 唖然とするわたしを見て、さらりとした黒髪を風になびかせた彼女はすっと目を細め。


「あなたが、私を助けてくれた人ですね」


 断定するようにそう言った。


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