十話 幕間
上戸市短畑区の、片川町。
上戸市の中では平坦な道が多いことと、他の町より少しばかり行方不明者が多い以外はごく平凡な町だ。
そんな町の一角、表通りから外れて少し奥まったところ。
そこに五階建ての新しいテナントビル、三襖ビルが建っていた。
辺りの他の建物が微妙に古びているだけに、白く清潔な見た目のビルはどこか辺りから浮いて見える。
近くの町民が、横を通る時についちらりと見てしまうような。
どうにも存在感のある建物だった。
三襖ビルの二階は、ある不動産会社のオフィスとなっていた。
朝のオフィスでは、向かい合ったデスクでスーツの社員がモニターや重なったファイルと格闘していた。
奥に一つだけある少し豪華なデスクでは、仕事をしながら他の社員を見張る上司がいる。
その上司は戸荒といった。
年齢は五十を少し超えたぐらいの男で、柔和な顔をしているが、体格はがっしりと分厚い。
その戸荒のデスクでふと電話の音が鳴り響く。
受話器をとって戸荒は朗らかに対応する。
「はい! 四口不動産です! はい、……はい?」
だが、話を聞くうちに首を傾げていった。
「いえ、うちは家電は販売しておりません。……温度計なら百円ショップでお求めになっては?」
困惑した様子で戸荒はがちゃんと受話器を置く。
そしてきっちり十秒後。
戸荒は机の中からサングラスを取り出し、かける。
しわの垂れ下がる柔和な目が隠され、その雰囲気が変わった。
表情自体は少し不機嫌そうなだけだ。しかし発するものが全く違う。
戸荒はその全身から威圧的な、暴力的な気配を漂わせていた。
戸荒は再び受話器を持ち上げた。
番号も打ち込まず、電話がかかってきていたわけでもない受話器を。
当然、受話器からは何の音もしていない。
だが。
「はい、はい。ああ今日中に。はい、こちらから業者の方に連絡をしておきますので」
戸荒は明確に何かとやり取りをしていた。
「地鎮祭の手配は……無しということで? 了解しました。はい、失礼いたします」
一礼し、戸荒は受話器を置く。
がちゃ、と叩きつけたわけでもない音で近くにいた社員が小さく震えた。
戸荒は軽くオフィスを見回して、低い声で名前を呼ぶ。
「間元」
「はい」
オフィスの端で男が立ち上がった。
スーツをきっちり着込み、七三に髪を撫でつけた真面目そうな青年だ。
だがその目には戸荒と同じく暴力に慣れた雰囲気があった。目の前の人間を突然殴り倒しても違和感がないような、そんな目だ。
立ち上がると同時に間元はきびきびした動きで戸荒のデスクの前までやってくる。
手を真横につけて直立する間元を、戸荒は座ったまま横目にじろりと見た。
「〝客〟が出た件、釣り針の事件だ」
ぴくりと間元の肩が動く。
「担当したのはお前だったな」
「はい。何か不備がありましたか」
「いいや、警察も疑ってはいるが、容疑者を逮捕した以上はもう動かんだろう。捕まった奴からうちの情報が出ることはないな?」
「使ったのは裏の方のバイトに引っかかってた奴です。指示を出したのはその闇バイトの元締めですが、うちとは関係ないことになってます。辿られるどころか、怪しまれることすらありません」
「ならいい。……これは別件だ。また〝客〟が出たらしくてな。それも今度は暴れたようだ」
今度ははっきりと、間元が顔をしかめた。
「多くないですか。対処だってただじゃできないんですが」
「文句言うんじゃねぇ。『寺』の方が動いて〝客〟の大元は潰した。だがまだ収まってない場所がある。日倉の広締通りと、商店街あたりに行ってこい」
「わかりました」
間元は表情を真顔に戻し返答する。
そしてそのまま足早にオフィスを出ていこうとした時、戸荒はふと訊ねた。
「最初の〝客〟は、誰が対処したかわかったか」
「……いえ。ただ少なくとも『鐘』共や『呪』じゃないでしょう。『鐘』の奴らは潜伏中、『呪』はこっちにいないはずです。可能性が高いのは、一月ほど前から暴れてるアレですか」
「そうか……なら、そっちの調査はもう止めろ」
「いいんですか?」
「先生が出張るそうだ」
間元は目を見開き、うなずいた。
「わかりました。私はこっちに集中します。では」
間元はきびきびとオフィスを出ていった。
それを見送ったあと、戸荒の暴力的な気配が霧散し、柔和な顔へと変わった。
そうして仕事を再開すると、そこはどこにでもあるただのオフィスへと戻る。
■ ■ ■
どことも知れない薄暗い部屋の中で、何枚ものモニターに囲まれた少女がいた。
ぼさっとした白髪を無造作に伸ばした少女は、ボロボロのゲーミングチェアに両足を乗せて座り、端正な顔を苛立たしげに歪めている。
「……情報が見つからなくなってきた」
モニターには様々なデータが並んでいる。知識がなければ何を表しているのかすらわからない数字や映像、文書もあった。
少女もまたそのすべてに詳しいわけではない。
だが、電子的なデータとなっているのなら、その情報がどういったものを示しているかはわかる。
知識がなくとも、読めない言語であろうとも、自分にとって重要かどうかは直感的に理解できるのだ。
しかしその少女の電子的直観は、モニターに映る映像の中に求めている情報がないと告げていた。
少女がギリギリと歯を食いしばる。
「くっっっそめんどくさい隠れ方しがってゴミども! どこ襲撃しても情報はないくせに、引き籠るのだけは一丁前かよ!」
あどけない姿からは想像しづらい口汚さで少女は叫ぶ。
ギシギシとチェアを揺らしながら、数分ブツブツぎゃあぎゃあと暴言を吐いていたが――モニターにある映像が映るのと同時に、動きを止める。
端のほうにあるそのモニターはある道路近くの防犯カメラのものだ。少女は、自身が入る町のカメラ類をハッキングして映像を取得していた。
そこに映っているのは、奇妙な絵面。
広い道路を走っていた車が、唐突に壊れるという事故。
その近く、だが事故の影響を受けるような近さにない歩道のガードレールがいきなりひん曲がる。
突然火が出現して辺りが燃え上がる。
そんなフィクション染みたものだった。
だが、それこそを求めていた少女は、歯を剥きだしに笑う。
「ようやく見つけた……! おい、見つけたぞ!」
薄暗い部屋の後ろに、椅子ごと振り返って少女が叫んだ。
ワンルームの狭い部屋には何もいない。薄暗い上に少し散らかっているが、その狭さで話しかけるような相手を見逃すこともないだろう。
だが、部屋の端から唐突に、ゆらりと人の姿が現れた。
その姿は真っ黒だった。
季節は春の真ん中、それも部屋の中だというのに分厚い黒のコートを着て、前を閉じている。足元は頑丈そうなブーツを履いていた。
肩幅はコートのせいもあってか広く体も分厚く見える。
何より目立つのは、顔につけた面だった。
奇妙な模様の書かれた白い布が垂れ下がっている。それは雑面と呼ばれる代物だ。
恐ろしくすら映る姿に、しかし少女は笑顔で言う。
「奴らの痕跡が見つかった!」




