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噂(うわさ)の彼

作者: 祇園慶次

 今夜はゴールデンウィーク直前の金曜日とだけあって、有楽町~銀座界隈の街は一段とにぎやかだった。それに連日の春の陽気も手伝って、このバーにもご機嫌な様子の新規客が何組か訪れたが、常連の多い店なだけあってそういった客は他の店ほど多くなく、23時を回った店内にはいつもの常連客がぽつぽつと残っているだけであった。

 カウンターに座っているこの2人だけはそんな常連客達の間で唯一、今夜初めてこの店を訪れた客であったが、ガヤガヤと入ってきた先ほどまでの新規客達とは違ってついさっきまで熱心に仕事の話をしていた。終始にぎやかだった新規客達がちらほら帰り始めるとようやく仕事の話もひと段落したのか、肩の力も抜け和やかな雰囲気で飲み始めた。どうやら同じ会社の先輩と後輩らしい彼らはもうこれまでに6,7杯は飲んでいる。お互いしばらく無言であったが、数年先輩らしい男の方が話を切り出した。



「お前ってさ、あれだよな」


「え、なんです?」


「・・・お前ってさ、あれだよな、って言ったの」


「いや、だからそのあれって何ですか?」


「あぁ、聞こえてたのか。だからあれだよ、あのー、ほら・・・」


「あー、あれですか?」


「うん。何言いたいかわかる?」


「インポの話ですか?」


「・・・え。お前・・・まさか」


「そんなまさか。元気ですけど」


「なんだよ、それ。笑えないよ」


「あ、じゃあ知らないんですね。先月入った営業の斉藤さん、知ってますか?」


「あぁ、まだちゃんとあいさつはしてないけど知ってるよ」


「もう6年くらいそうらしいですよ」


「はぁ、そうなのかぁ。なんかそういうの聞くと俺も不安になってくるなぁ。俺、インポの人に初めて会ったかもしれない」


「え、だって北方きたかたさん、斉藤さんとあいさつしたことないんでしょ?」


「いや、身近にいるとは思わなかったってことだよ」


「あぁ。でもそれだったら私もですよ」


「あ、お前も斉藤さんと面識ないんだ。ちなみにその話、誰から聞いたの?」


「いや、会ったことありますよ。だってその話、斉藤さん本人から聞いたんですもん」


「私もって言ったじゃん、今」


「だからインポの人に会ったのは私も初めてだってことですよ」


「あぁ、そういうことね。あ、山崎のロックくれる?ダブルでチェイサーつけて。お前は?」


「あ、じゃあジントニックください」



 しばらくするとジントニックと山崎12年のロックが出された。この店のカクテルグラスやワイングラスは他の店のものとそれほど大差はないが、ビアグラスとロックグラスだけは銅製で、店のオーナーが銅器で有名な富山県高岡市にある小さな工房からわざわざ個人取引をして取り寄せている。この高岡銅器のグラスでビールを作ればキメの細かい泡ができ、ウィスキーを作ればグラスに入ったアイスがキリッとウィスキーとグラス全体を急速に冷やし、鮮度の高い味わいを最後まで保つことができる。北方と呼ばれた男はこのグラスでジャパニーズウィスキーのまろやかさをじっくり味わい、しばらくその味の余韻に浸っていたが、急に何か思い出したように話し始めた。



「でもインポで思い出したけど、経理の三井さんいるだろ?あの美人の方の」


「えぇ。・・・美人の方のって、ふふっ」


「ハハ、まぁ、いいんだよ!それであの美人の方の三井さん、まだ独身らしいぜ」


「あぁ、知ってますよ」


「なんだ、知ってたのか」


「えぇ。あの、ひとついいですか?なんでインポからその話を思い出したんですか?」


「え?・・・うーん、なんでだろう」


「いやらしい目で見てるからですよ!今セクハラ厳しいですよ」


「ハハハ、ばれたか」


「まぁ確かにあの人独身ですけど、一度結婚してるんですよね」


「え!?三井さん!?」


「えぇ」


「美人の方の!?」


「今そっちの方の話しかしてないじゃないですか」


「えぇ・・・、知らなかった」


「あの人去年中途で入ってきたでしょ?うちに来る前にちょうど離婚したみたいなんですよね」


「そうだったのかぁ。全然見えないなぁ」


「北方さん、結構ピュアだからなぁ。あーいう人が魅力的に見えるんでしょ?」


「うん、見える。お前、芸能人だとどういうのがタイプ?」


「芸能人かぁ、テレビ見ないからなー」


「全然見ないの?」


「全然ってわけじゃないですけど、パソコンやってる時間の方が長いかもしれないですね。芸能人はあまりわかりません。北方さんは?」


「俺はあれだな、深津絵里が好きだな」


「あぁ~~」


「うん」


「三井さんを好きな理由がわかりました」


「だろ?」


「でも深津絵里ってヘビースモーカーだって知ってました?」


「え!そうなの?」


「っていう噂です。本当かどうかは知りませんけど」


「まぁ俺はそれでも全然かまわないけどな。お前よくそういうの知ってるな、テレビ見ないくせに」


「そういう情報はなぜか入ってくるんですよね。あ、そういえば、さっきのあれって何ですか?」


「あぁ、あれ。うーん、なんだっけなぁ。忘れちゃったけど、たぶん『お前ってさ、噂好きだよな』って言いたかったんだと思う。ハハハ」


「確かに・・・そうですね。気をつけます」


「そうだな、斉藤さんの話もあまり言わないようにした方がいいかもしれないな。お、もうこんな時間か。会計しよう」


「あれ、今日は早いんですね」


「あ、あぁ、うん。今日結構飲んだしな」



 2人は帰り支度を済ませるとレジの方に向かって歩き出した。歩きながら北方がこう言った。



「しかしさ、さっきのインポの話、よく斉藤さんお前に話したよなぁ」


「えぇ。あの人入社したの先月なんですけどねー」


「まぁそれもそうだけどさ。普通の男はお前に話さないだろ」


「・・・そうですね」


「・・・あ!思い出した!さっきのあれの話」


「あぁ。何だったんですか?」


「あれな、『お前ってさ、女に見えないよな』って言おうとしたんだ」


「よくそんな失礼なことが平気で言えますね。女って単語が出てこないなんて飲みすぎですよ」


「ハハハ。見た目はこんな美人なのになぁ。いやお世辞じゃなく。でもお前と話してると女であるのを忘れる瞬間があるんだよな。だから斉藤さんもつい話しちゃったんじゃないか?しかしなんでそう思えるんだろうな。キャリアウーマンのオーラがそうさせているのかね?」


「うるさいですよ」


「ハハ、だからさ、新人の間じゃ『三井さんと中野さんはあんなに綺麗なのになぜ彼氏がいないのか』って噂になってるぜ」


「それは私が聞きたいです。そっか、私のことも噂になってたんだ」


「そうだよ~、ハハハ。噂って怖いねぇ、中野さん♪」


「怖いですねぇ。あ、そういえば北方さん、奥さん戻ってきたらしいですね」


「え、なんで知ってるの?」



 男がそう尋ねると、女は不敵な笑みを浮かべ、颯爽と店を出て行った。


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