第7話
ややあって。
「ほー、こりゃ写真で見るよか3倍は立派だな」
その後は何事も無く、もう一度階段を昇って場内へと入ると、通路幅の3倍はあるコンコースを挟んで右側に、外側が芝生で内側が砂となっている楕円形のコースがあった。
左側には、上部がガラス張りになっている、上から見ると縦長の5階建てスタンドがあり、4階5階上の方では身なりからして裕福そうな人々が、ゆったりした座席に座っていた。
一方、下の方にある普通のスタンドは、中流よりは下といった層の人々が入り乱れている。
スタンドも圧巻ではあるが、その反対側のさらにコースの内側にある、レースの様子をかなり後方までいっぺんに映すことが可能である、横長な超巨大液晶モニターが圧倒的存在感を放っていた。
それがあるコースの内側は公園のようになっていたり、展望台のような観客席から傾斜がかかった芝生席まで、気分次第で好きに見られる施設や飲食店などが並んでいて、テーマパークといった様子になっていた。
「これだけ混雑していると見失いかねないな……」
かろうじて少し離れたところからターゲットを追いかけているが、レースが始まる前からどこを見回しても人がいるため、カガミは不安そうに眉を下げる。
「心配するこたねえ。ナビ、顔認証はできてるよな?」
「ぬかりなくなのです」
「おっし、じゃあ内側の方行くぞ」
「えっ」
「彼氏サンはスタンドの最前列にある年パス有料席にいるからな。逆に反対からの方が見やすいだろ?」
「望遠鏡で見ててもレースとかを見てると思われますしね。それに、離席しても眼なんてどこにでもありますし」
「ああ、なるほど……。――眼? どこにも?」
「最終手段なのですっ」
更に距離を置くことに疑問を抱いたカガミだったが、ナビの発言以外には引っかからずに、そういうことなら、とアイーダの後に続いて歩く。
スタンドの反対側にある、芝生席から第4レースが終わるまで男を監視していたが、
「アイーダさん。もしかして、私たち単なるストーカーと変わりないのでは?」
勝敗に一喜一憂しつつ、余りにもただ単に競馬を楽しんでいる様子しか見受けられず、やる気を無くしたナビは自嘲気味にアイーダへ指摘する。
時折サイバー端末を思考操作する眼の動きとトイレ以外、男は席のボックス内から1歩も動かず、グルメもドローンによる有料配達サービスで調達していた。
「何も無い、を確認してんだからセーフだセーフ」
そう言うアイーダも正直もう帰りたかったが、お金を受け取っている以上は、という義務感だけで死んだ目をして機械的に観察していた。
「……」
半ば義務感のみの惰性で仕事を続ける探偵と助手の一方、カガミは主にアイーダを中心に、忙しそうに多様な人間の挙動を観察して、疑問の答えを必死に探っていた。
「真面目ですねえ」
「それが取り柄だからな」
丸投げしたせいでそんな負担を強いていることに、横目でその様子を見る1人と1体は、電脳通信内で罪悪感に少し顔をしかめる。
「今のところ特に見る必要もなさそうですし、多少は遊んでいきます?」
「うーんまあ、来て売り上げに貢献しないってのもだしな。どうせ当たんねえけど」
「アイーダさんの優れた観察眼なら3連単の予想も当てられますって」
「だから買いかぶりすぎだっつの。お前が予想した方が当たるだろ。AIなんだし」
「私そういうデータ持ってないので無理ですよ。あっ、でももちろんあれば、何だお前ってレベルでバシバシ当てますよ? だってナビちゃんはウルトラスーパーアルティ――って待ってくださーい!」
ナビが目を閉じてベラベラ喋っている間に、アイーダはカガミにちょっとだけ席を外す事を伝え、ツカツカと勝ち馬投票券売機コーナーへと向かって行き、ナビが慌てて追いかけた。
そこで、適当に3レース分1番人気の単勝を100クレジットだけ買ってさっさと戻ると、カガミからターゲットは全く動いていない事を伝えられた。
「さて当たりますかねぇ」
「アイーダさんの見立てだ。間違い無いはず……!」
「いやいやいや、当たんねえと思って見とけ」
「そういうと当たるものも当たらないですよ」
ファンファーレが鳴って12頭の馬が全頭ゲートに入り、特に感心がなさそうに仕事をするアイーダと、無駄に期待をかけて右上のモニターを見上げる1人と1体がそう言ったところでゲートが開いて、一斉に騎手を背にした馬が飛び出していった。
「あっ、なんか止まっちゃいましたね……?」
「何かあったのだろうか?」
だが、アイーダが投票した馬がゲートから出てすぐ減速し、外周のラチ周辺まで移動してから乗っていた騎手が降りてしまった。
観客席がどよめく中、9番人気が1着でレースが決まり、場内放送で故障発生のため競走中止と宣言された。
「……なんか悪い事した気分だなぁ」
「いやいや、偶然ですって。普通に歩いてましたし大変な怪我じゃないですよきっと!」
「私もそう思う」
視界の下に表示されている、払い戻しとなったAR馬券を見て、ためいきをつくアイーダにナビとカガミは即座にフォローを入れた。
「だと良いんだけどな」
望遠鏡の向こうでオロオロして視線を彷徨わせている男を見つつ、アイーダはもう1度ため息をついた。
だが、その次のレースでは普段大逃げする馬がやる気を無くしてドンケツ、さらにその次のレースでは1着ではあるが騎手を振り落として一人旅、という始末だった。
「……アタシ、もう帰った方がいいな……」
さすがに3連発は偶然にしては出来すぎで、アイーダは頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
ナビとカガミも何を言って良いか分からず、黙りこんでお互いの困った顔を向け合うしかなかった。
ちなみに後日、最初の馬はそのままレースを続行していた場合、予後不良(安楽死の方が馬を苦しめずに済む程の重傷)を起こしかけていた事が分かった。
2頭目は、新人カメラマンが間違えてフラッシュをオンにしていたため、そのまま来ていれば間違い無く驚いて転倒したと思われ、
3頭目は騎手が行こうとしていたコースは、1着だった踏み込む力が並外れた馬のせいで荒れていて、行くのは危険だったことがそれぞれ判明していた。
一見、アイーダが不運を引っ張ってきたように見えるが、結果論で言えば、彼女が馬券を買うという〝介入〟が最悪の事態を回避させていた。
「元はと言えば私が言い出した事なので……」
「私が余計な事を言ったせいだろう……」
「やめろやめろ。そこまで言いだしたら後は地獄だぞ」
それを知るよしも無いアイーダは、ナビとカガミまでションボリし出したので、手を払うように何度も振ってそこで連鎖を食い止めた。
「次が今日のレースは最後みたいですね」
「だな。カガミ、今日夜は大丈夫そうか?」
カガミが予定を訊かれたタイミングで、目の前にレースを終えた馬達が帰ってきて、地下にある馬道へと戻っていこうとしていた際、
「ああ。特に用事は――何をするつもり、だ?」
すぐ近くにいた男客がいきなりビクッと背筋を正し、手に持っていた携帯型サイバー端末を投げようとし、カガミは素早くその手首を掴んで止めさせた。
「……えっ。な、何が……? えっ……?」
だが、塗り固められた様な無表情がその瞬間に崩れ、男は自分が物を投げようとした体勢になっていた事にすら驚いて、視線を手元とカガミの顔とで右往左往させる。
「とりあえず警備員室へ行って貰おうか」
「まて」
「えっ」
「アタシの勘で悪いけど、どうもただ事じゃなさそうだと思ってな。――ナビ」
「はいはーい。クラッキングとかの痕跡探しですか?」
「頼む」
「お任せあれ、なのです」
アイーダは電脳通信でカガミに公安局の捜査の一環である、と言わせて男の許可を取り、ナビがサイバー端末のログを漁った。
すると、仕込まれたプログラムへコードが打ち込まれる、脳への不正なアクセスの痕跡を発見し、ナビはアイーダに報告する。
「おそらく、偽の通信波にアクセスして仕込まれたものかと。それにクラッカーが起動コードを送ると理性の抑えが効かなくなる仕組みですね」
「そうか。――おいあんた。今日どっかでフリー回線に繋いだか?」
「あっ、はい。ここに来たところで……」
「やっぱりな。――カガミ、課長さんに連絡しろ。多分、公権力使わねえと結構ヤバそうだぞ」
「こちらログなどです」
「これは……! 分かった」
そうアイーダが指示を出すと同時に、すかさずナビが出したデータを確認したカガミは、ギョッと目を見開いて頷くと、課長へ緊急回線でテロ疑い案件であると連絡した。
「ナビ、とりあえず偽電波の発信源を黙らせろ。これ以上広がったらマズい」
「ほほいほーい。108の秘密機能の1つ! 〝ナビちゃんマグマ〟起動!」
「なんだそれ」
「攻性防壁です。多重アクセスで巣ごとオーバーヒートさせるので」
「結構上手いネーミングだな」
「でしょう? あっちゅあちゅにしてやんよ! なのです」
ゆるっと拳を突き上げてそう言ったナビは、
「ではアイーダさん。ちゃんと私を視ててくださいね」
「あん? 今までやってなかったろ」
「対人間相手なのでちょっと不安なんですよ。まあ念のためです」
「へいへい」
アイーダと電脳空間を繋いで、倫理面でのブレーキ役を頼んだ。




