第5話
それから本通りの中央にある、4車線分の幅がある分離帯の中央部に設置された、長さ300メートルの緑地公園へと向かう。
雨天でも使用できる様に、カマボコ型のガラス屋根で覆われたそこには、低木の並木とと等間隔にベンチが設置してあり、裏通りとの通路が交わる中央部に噴水がある。
昼はもちろん公園として利用されているが、夜間はホームレスや酔い潰れた酔客の寝床として利用されている。
アイーダはその北門寄りの側にある、4人掛けのベンチの右寄りに腰掛けて脚を組み、視界内に記事のウィンドウをAR表示し、かなり早いペースでスクロールしていく。
どっちがアイーダの隣に座るかちょっと揉め、アイーダは右端にカガミの脚の間にナビを座らせ、どっちもやや不服そうな顔をしていた。
「これは?」
「お仕事待ちです」
「普通にただ時間つぶしにしか見えないが……」
「顎を乗せないでください。それはアイーダさんにのみ許可されているのでーす」
「す、すまない」
「というかここにいるってことは、受付中だということを皆さん把握されてますから」
「なるほど」
一見そうは見えないため、電脳通信で怪訝そうに眉を曲げ、つい頭に顎を乗せてきたカガミに、ややムスッとした顔でナビは頭を前に倒して避けつつ説明した。
「来ないな……」
「まあこの待ち方は釣りみたいなもんですんで」
しばらく何も起きず、アイーダが淡々と通勤中のサラリーマンのごとく記事を読む時間が続き、じっと見ていたカガミが少し焦りを見せるが、ナビは動じずにうっとりとアイーダを観察しながら言う。
「こういう虚無な時間も学ぶべき事があると思うのです」
「ふむ……」
「だから顎を乗せないで下さいって」
胸を張ってドヤったナビの頭部にまたカガミの顎が乗り、彼女は嫌そうにまた前傾になって、自身の頭頂部を両手で何度か叩く。
「汚い物扱いをしなくても……」
「そういう意味合いはありません」
乗るべき顎じゃないのでリセットしただけなのでーす、とナビがよく分からない事を言っていると、
「――テメエふざけんなゴラァ!」
「――もうちょっと待てって言ってんだろ!」
噴水の西側の辺りで、若い男2人がつかみ合いの喧嘩を始めた。
「なんだなんだ?」
「ここで秘密機能ナビちゃんイヤー!」
「共有頼む」
「はいはい。あー、どうやら金銭トラブルみたいです」
「やれやれ、なにもこんなとこでやらなくて良いだろうに」
ワーワー騒いでいる様子を1人と1体は、その他大勢と同じ様に他人事で見ていたが、アイーダは記事を閉じるとため息交じりに立ち上がり、喧嘩している2人の方へと歩き始めた。
「アイーダさ――」
「ウワーッ! 私がいること忘れないでもらっていいですかっ!?」
「すまない……」
とっさに彼女を追いかけようとするカガミは、立ち上がる勢いでナビを前方に吹っ飛ばし、ヘッドスライディングする羽目になったナビから思い切り文句を言われた。
「おいおいおい、何の騒ぎだ? ちょっと落ち着け」
わちゃわちゃやっている内に、アイーダは喧嘩の現場にたどり着き、噴水を背にする位置で2人の間に立って仲裁にかかるが、
「うっせえぞババア!」
「すっこんでろ!」
「ぐえっ」
気が立っていた2人はアイーダを突き飛ばし、噴水にセルフバックドロップさせてしまった。
「――!」
それを見ていたカガミは全速力で駆け寄って行って、アイーダを突き飛ばした2人の胸ぐらを両手でそれぞれ掴んでつるし上げ、ギロリ、と睨みを利かせる。
彼女の巨躯と男2人を軽々と吊り上げるパワーに、男達は勢いを削がれて黙りこんだ。
「大丈夫、か?」
「頭とか打ってません?」
「ちっとばかし濡れただけだ……」
それを確認して手を離したカガミは、噴水の中に足を踏み入れて、半身を起こしたアイーダに手を貸して立ち上がらせた。
アイーダが噴水から水を滴らせながら出てきた所で、通報を受けた自警団がちょうどやってきて、男2人に事情聴取を始めた。
「あー。おいお前、今すぐ金がほしいってんなら、ダイ・ジョブにアタシの名前出して連絡いれとけ。ゴミ回収のバイト1週間ぐらいで耳そろえて返せっから」
カガミの上着を羽織らせて貰い、一旦、事務所へ帰ろうとするアイーダは、去り際に借りている方の男にそう言って探偵事務所の電子名刺を渡した。
「それってダイトウの……」
「安心しろ。そっちは完全に堅気だし、アタシの名前を出す以上まともな仕事しか回らねえよ」
小声で心配そうに言うカガミに、アタシがそんなあくどいことするか? とアイーダは言い、滅相もない、とカガミはかぶりを振った。
「それより早く戻るぞ。また風邪引いたらたまったもんじゃねえ」
ブルブルと震えたアイーダは、血色が悪くなった唇を噛みつつそう言って、足早に裏通りへと続く道を進んでいく。
さっさと着替えとシャワーを済ませ、再びアイーダは元の位置に戻ってひたすら待つ。
「あっ、アイちゃーん!」
少し日が傾いて来た頃、サングラスと黒スーツの大柄なサイボーグ男を連れた、やや派手なメイクとサイケデリックな髪色の、若い女がアイーダを見付けて駆け寄ってきた。
「なんだ。またアンタ浮気男にでも引っかかったか?」
「そーなの! ねえもう聞いてぇ!」
涙に潤んだ様な声でそう言いながら左隣に爆速で座り、お茶菓子とばかりにアイーダに小分けのクッキーを渡した女は、化粧で隠しているが泣き腫らした目をしていた。
女に付いてきていた男は嬢が勤める店のボディーガードで、ベンチの隣に立って辺りを警戒し始めた。
「まてまて。その手の話はここじゃ憚られるだろ?」
その勢いのまま、完全に個人情報が混ざった話をぶちまける前に、アイーダが右手でそう言って制止した。
「いっけない。じゃあラブホ――」
「アホか。〝マスターキー〟だよ」
ハッと口元を押えた女は、ごく自然な流れでついでにしけ込もうとしたが、アイーダに梅干しめいた渋い顔をされ、冗談冗談、と手を左右に振った。
「毎回やらねえつってんだろ。諦めろいい加減」
「だってアイちゃんみたいな最高のネコ、めったにいないんだもの」
「こんな時間に言うことじゃねえんだよ。頭ん中が分かりやすいように髪の毛ドピンクで染めてやろうか」
アイーダから見て右後ろにある、マスターことマスタ・アキの店を親指で差しつつ、彼女は渋面に少し赤みを差させて頭を引っ掴む。
目をかっぴらいて脚の間にいるナビを覗き込むカガミの言わんとしている事を察し、ナビは眉間に力を込めて頷いて答え、色めき立つ彼女らはまとめてアイーダに睨まれた。
徒歩2分ぐらいでレトロな内装の店に到着したアイーダ達は、カウンター席に座った男以外がボックス席に座った。ちなみに注文の料金は女持ちだった。
「――てな感じで、全員でクソ男のハウスに突撃して締め上げたってワケ」
「本当お前ガッツあるよなぁ……」
1時間程度、言葉巧みに6股をかけていた男との愚痴が多分に混ざった事の顛末を、適宜相づちを打ちながら、アイーダは気持ち良く女に話させた。
ちなみに、相変わらず1人と1体が座る場所で揉め、アイーダは女の隣に座って彼女らを反対側に座らせた。
「まあそういうことがあったから――」
「おう」
「今のカレシがそういうのじゃないか調べて欲しいわけ!」
しばらく男はいい、という流れかと思っていた2人と1体は、画像をAR表示で見せつつ言う女に突っ伏す動きをした。
「引き受けはするけどよ。付き合うなら人づてで紹介して貰え。地雷原清掃じみた事を何回やるつもりなんだっつの」
「だってそんなの面白く無いじゃない? 恋は火遊びしてナンボだもの」
にんまりとして嘯く女へ、あっそ、と半分呆れた様子でアイーダは小さく肩をすくめつつ、しっかり依頼料である所持金の10分の1を受け取った。
「何というかこう……、たくましいという、か……」
「あらあなたお客さん? この街はそのくらいタフじゃないと、可愛いはやって行けないのよ?」
「なるほど……」
「その通りなのです。えっへん」
「いや、ナビちゃんの可愛いはまだナマクラよ?」
「にゅあっ!?」
完全に仲間内のつもりでドヤったナビに、女は言葉の火の玉ストレートを投げつけ、身体に向けて飛んできた球を避ける動きでナビを驚愕させた。
「どの辺がなのですッ!?」
「アイちゃんにだけ可愛がられれば、っていう視野の狭さね。可愛いはいろんな人に思われてこそ輝くんだもの」
「たしかに……」
「黙らっしゃいなのです!」
そういうところよ、と、実感の重さがよく分かる、カガミの良いぶりに半ギレをかましたナビは、ぐぬぬ、と歯噛みして拳を震わせる。
「でも〝ウザ可愛い〟なら切れ味抜群だし、アイちゃんに刺さってるわよ」
「やったー!」
拳を突き上げてガッツポーズして喜ぶナビに、マスターから静かにするようにやんわりと注意が飛んだ。




